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秋なのに昼間は暑い日があります。

きっと、上高地や乗鞍岳の「七かまど」あたりが、真っ赤に色づいていることと思います。海抜の高い山は秋がはじまっていますね。田んぼの稲も黄色く色づいてきました。

朝晩は涼しいどころか寒くて昼間はとても夏の気温。
残暑が厳しくて、体が大変です。
コスモス

ドックランは夕方の太陽が沈みかけてから、人気があります。
昼間はジョンノ家のクーラーの聴いたフロアーで、猫も犬もおひるね。
飼い主のお客様たちは、あちらこちらへ観光にお出かけ。
今頃上高地も新穂高も、乗鞍もお天気は良いし、夏ほど人ごみになっていないし、あちらこちらで秋景色が始まって。
いつも見慣れた都会の景色とは、一つも二つも格段に違う、大自然の中にただずむ。
「それが時を越えたすばらしい心の贅沢なんだよ。」
って、教えてやりたい。ジョンが言っている。
今の激動のささくれ立った心の悩みを、掲げたまま憂いでいる人々。
この大自然の贅沢。景色を独り占めする贅沢。を教えてあげたい。
そう、ジョンはつぶやいている。

Mダックス ジョン.jpg

日本の人口の平均4人に一人がペットと生活しているということです。
あっという間に増えてしまったペット愛好家人口。みんなさみしいんだね。
きっと、ぼく達に、家庭のぬくもりを求めているんだね。

本当にペットを愛する人が、本当の正しい育て方方をして居るだろうか。
犬は猫化してしまい、散歩はしない犬が増えた。
なんと嘆かわしいことだろう。
人間にとって好都合な街のつくりは、人間界の動物達の暮らしを不自由にし、暮らしにくくしてきた歴史なのだ。
もっともぼくは、もっぱら通りを歩く、見知らぬ犬にほえまくり、たらふく食べて昼寝して。人間の「ペット」になるという生き方も、まんざら悪くもないなあって、おもっているのだけれどね。「ああーア。平和っていいことなんだけどたいくつなんだよね。」いつも旅館に行ってしまうお母さんがたまに一緒に遊んでくれるときは、夢中になってタオルの引っ張りっこして、楽しいけれど今年はそんな日があんまりなくて、ドックランも暑いからだめ」なんてしかられてしまう。

日本中がそこそこの発展をしてきた。今年の夏は特に暑かった。

お水と電気と油は金さえ払えば使い放題。
当たり前にしてきたエネルギーのこと。
そんな発展の裏づけには、そんな考えかたも見え隠れする。
そんなことを気づかせてくれたのが、今回の東日本の震災。
原発の除洗に苦しんで見える地区の人々。本当にお気の毒だと思う。

紅葉の庭と看板

今年の3月の連休を挟んで多くの人々が被災されて非難されて見えました。
1ヶ月余に及ぶ避難生活で犬も猫も連れての、丸で「キリスト教にある」ノアの箱舟状態でした。大変な思いをされた人々が泣く泣く戻っていかれた東日本の自分達のふるさと。頑張っておられるだろうか。元気にしておられるだろうか。最近になって、お便りが届いた。 本来の犬や猫の本質に接して暮らせる場所が、街の中にどれほどあるだろうか。思いっきり走れる場所があるのだろうか。
震災から、半年がたった。その懐かしいお客様のご家族様からやっとおちついたという、「手紙が掛ける気持ちになれた」と書いてあった。

でもまだ「原発の放射能の心配から開放されることはなく、不安が付きまとうので、その土地から転居する予定にした」のだとか。

関西のほうに土地を求めて引越しをする予定だとか。
原発の放射能の問題が起きてすぐ、夜を徹して走ってきて。
弁天荘に避難してきて、犬も猫もみんな家族が元気で居られることは、「あの時すぐ門戸を開いて被災者を受け入れてくださった、おかげだ」と言う意味のことが書いてありました。

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本当に良かったです。旅館弁天荘が、お役に立てて。
みんなが幸せに暮らしていくことは、犬も猫も家族だと言い切る私の考えに賛同して、犬も猫もつれて車で移動してきてくださった、勇気に感動いたします。狭い車の中、走ったことのない夜道。みぞれの降るとうげみち。。
雪の看板.jpg

「あかるくなってからでないとだめ。」「坂道のカーブでスノータイヤも履いていない車で落ちて行っても助けも呼べないから、松本方面に戻ってコンビニなどの駐車場で、夜が明けるのを待ってください。中津川経由で下呂。高山と国道41号を来て、158号で弁天荘に来てください。お疲れでしょうからお布団を敷いて朝方でも、お部屋を暖かくして、待っております。ゆっくりでいいから気をつけてきてください。」まるで映画の一シーンのような、緊迫したやり取りが、どのお客様とも続いた。日本が大変なことになってしまったという、危機感しか浮かばなかった、あの日。


峠を越せばすぐのところまでおいでになっていますが、ここまでこられたのだから、もう少しもうすこしだけ頑張って。。。そんな気持ちで道案内の応対をしました。一時期はあっという間に満室になりました。でもそれほど、儲けが出たわけではありませんでした。

何組かのお客様が、長逗留となり普通値段では、「弱り目の祟り目では気の毒だ」と、自分も不景気で苦しい中、「お値打ち名料金の設定のプラン」も出したりしました。みんなで頑張ろうと言う気持ちからです。

あれから半年が過ぎ去り、政府の救済処置もはかばかしくなく。
国は総理大臣偉人をとっかえひっかえ相変わらず、どたばたやっている状態での半年。世の中の不況も長引くばかりで、いったんしまったお財布の紐は硬く、ひところのように基道理と言うわけにはいかず。

玄関屋根のせっぴ.jpg

私ですら、電気も灯油も水も使い放題の時代ではないのだと気づかせられる、この頃です。でも寒いので家の中は灯油も電気も最低限には必要です。

どうやって環境維持をしながら、エコ対策を考えるか。
いろいろ先々を考えると「今だからこそやらなければならないことが、あるのだ」と気づされております。ただの渋ちんの節電節水ではなく。


そのことが今現在、追い込み工事となっている「小さな家族風呂」の改装工事着工に取り掛かった、根底にある私の考え方です。9月末までに完成すればいいですよといって、大工さんに発注した仕事です。多少の夏のシーズンの売り上げがあったとしても、物入りには違いありません。やりくりの最中です。
でもいつか思い切って、しなければならないのです。

今までと一緒ではいけない、湯水のように、灯油を炊き続けてもいけないのです。なぜかと言うと「原発反対」と言いながら、原発を維持しなければ、電気が作れないような仕組みに平気で加担している。一家庭よりも罪深きことなのです。

弁天荘ジョンの家から見る前景.jpg

「これは大変気の毒だと」口では言いながらも、やっとで立っている人の足元のブロックを、せっせとはずしているようなもの。

大きな輪のサイクルでたちた向かうことなのかもしれません。
でも、少しは「道理にかなった節制」と言うものが必要な時期なのではないでしょうか。
政府でも地方自治体でもなく、民間の寄り集まった力が、共に救い共に救われるのです。
旅館裏のお花畑より.jpg

何もかもが心がささくれ立ってしまう前に、少しづつ気が付いたものから前に進んでいかなければ。まだまだ長い道のりなのです。

始まったばかりかもしれません。
頑張ってこそ、山が越せれるし山の上に立ってこそ、自分の歩いてきた道のりが眺められると言うもの。まだ10年15年は頑張りたいから。
時折「余りにも理不尽な。わがままのようなことを主張される、いまどきの若いお客様」に出あうと、この旅館業がやめたくなってしまうほどくじけるけれど。何でもあることないこと書き込まれた「お客様の声」もある意味では、これから来てくださるお客様への予備知識の一環として、あえてくどくどと説明をするようにへんじをかくことにしている。
今後の機会にご利用の客様に対しての「説明や弁明の機会」を与えられたのだと思えば、返事の反論にも力が入ろうと言うもの。


震災を境に、確かに何をやるにしても世代も変わり、考え方も違い。
弁天荘で働いてくれている若い子達は、とても人前に出せたようなものではないと、私自身が恥ずかしさを自覚するような娘たちも働くようになった。

うんこすわりはへいちゃら。
すぐたむろし、歩くのさえ体を投げ出しだるそうに歩く。
だるそうに歩いて、会話を漏れ聞けばぞっとするような、敬語などとは無縁の言葉。
「てめえらよう。聞いたかア。あいつらがやってるのかと思うと、虫ずが走る。」などという若い娘とは思えないような会話。かわいい顔して、若く幼さが残る子供と大人の端境期にたつ娘達。なんと恐ろしい。グレたふりをして強がっているのだろうか。「お客様に接する時間帯ではないのだから。我慢我慢。」そう思って、はたらかせている。いずれも勤労学生達だ。表に働く娘はさすがにそういった娘は使えないが、縁の下の力として働く娘達にはそういったむすめもいる。でもなかみは犯罪に手を染めるような娘達ではないので、とにもかくにも信用して置いているのだが。

与えられた掃除機や雑巾と格闘している姿を見れば、その娘たちなりに社会で自立して働いていこうとしているのだからと、こちら側が、大人としての振る舞いをしなければ。。。と思うわけであり。。。ああ。。嘆かわしいと世の流れを嘆くだけの大人では痛くないと感じる私なのです。
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人生の1ページ目と2ページ目では、同じ物語の中にある流れでも、すごい違いがあるのだということに気づく大人でありたいと思うわけなのです。
新ドックランより旅館弁天荘を望む.jpg

そして完結変の最後のページを作るのも自分だと言うことを、意地にでも目の前に広がるさまざまな出来事に、プライドを持って当たっていくことにします。
「ちゃんと前向きに接してあげなければ」と教える人もないまま、のほうず
に社会の波まで取り残されて、それでも必死で、自分なりに育っている娘達を取り巻く社会の不幸を、やるせない気持ちになってしまうのです。
そして難しいとしごろの「お母さん役」をこなしていこうとする私が居ます。

旅館業は中小企業。零細企業です。
勤労学生達の働き場として、まだまだを頑張り続けなければ。
悪いことをしたら命がけで叱り飛ばします。
エネルギーの要ることですが、まちがったがったまま、それが当たり前だと思っては困るのです。
人を思いやる心がなければ、犬や猫を思いやる気持ちなどにはなれません。

1代目柴犬ジョンのお墓.jpg

私は子供を生まなかった罰でしょうか。
約30年余りずいぶん沢山の曲がり角にたった若い娘や息子達に接してきました。でもみんな、私のところを卒業していっぱしの社会人として活躍しています。人間社会はまだまだ捨てたものではないのです。
そう思うことにしています。
だからこそ犬や猫の本質にそっての、旅館山間の小さな「旅館弁天荘」であり続けたいと思うのです。今夜はここまでといたします。またこのブログでお会いしましょう。また弁天荘のホームページの「おかみの独り言ブログ」にあそびにきてくださいね。「私の愚痴のはけ口ブログ」かもしれません。

でも付き合ってくださいな。
このブログにお便りくださっても返事は書きません。
私の一方的な書き込みになります。ごめんなさーい。
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