<< 育ちすぎたきゅうり | main | 畑の野菜いろいろな種類取れます。 >>

自分の持っているものさし

弁天荘全景夏

人間は自分自分の頭の中に、自分だけの物差しを持っているようだ。

それが生きるということのサイクルになり人生という年月になるのだろうか。
その物差しを通じて、世の中と自分との尺度を図る。
その物差しが世の中とあまりにもかけ離れないようにと、小学生から高校あるいは大学までの長い期間を学び育ち、家庭の中で子供という立場の期間を長く過ごすことになるのだと思う。大学まで行った弟は、はやく家庭から離れたことになるし、
親は子育てのために、どれほど大変な期間を乗り越えていくことだろう。
私は親元にずっと暮らしてきた。
家業すらも「農業」から「おやど」に変えてしまって。
改革をしたのかもしれない。

親にならずに、大半を仕事に過ごし。
人生の終盤まで、たぶん子供に恵まれることなく、人生の最終期を迎えるだろうと思うと思うと。
何となく、山の木の下でしきりには音を立てている山ゼミに、私の生涯を並べてみてしまう。
何かはかなさ切なさを思ってしまう。
やりたいことを腹いっぱいやり抜いてまて、まだその仕事の道半ばでいるのに。

山の緑

私の持って生まれた、ものさしが短かったのか長かったのか。
父や母の考えに沿うことができず、ここに生きてしまったことを思うと、なんだか。
多へ嫁にやることの晴れの日だけを楽しみに、生きがいに生きてきたような母。

そして私を都合よく手放さないままの父。
二人の親の考え方の違う中に翻弄されて、私は人生の大半をこの地で暮らしてきて。これが一番よかったのだろうと思う。

過去を振り返ってどう思い返しても、常に一番いい選択をして生きてきたことにする。そう考えると明日という毎日が元気に過ごせるような気がするからだ。

毎日が消耗品のように過ぎていく時が。
やりたいことだらけの私としては、トキがもったいなくて仕方がない。
新しい事へのチャレンジもかすかな体力と資金力のの積み上げなので、大きく羽ばたくことはなかなか難しい。
高が仕事であり、新しい仕事は目指すライバルもなく、指導をしてくれる先輩もいない。ただ自分の描いていることをろ、積み重ねていくだけだと思う。
どこかでじっと私の存在を見つけてくれるように、素敵なチャンスの出会いを期待して日々過ごしている。

むかし宿が犬専用でなかったとき。
お昼食の団体バスも受け入れていた。泊りの企画団体客も入れて、合間を縫うようにしてじもとの宴会客もいれていた。そして部屋が空けば犬連れ家族も受け入れるという操り芸当のような複雑な仕事をこなしていた時期があった。

安くてもお気軽な料金でも。数でこなしていた。
しかしそういう仕事を改めて犬や猫だけ専門の泊まり宿にしたとき経済状態はぎりぎりのラインになったけれど、体力的には相当心のゆとりも、時間のゆとりもできた。そのころ私の周りの同業者たちは、とても私のことを陳腐な存在としてみているような気配がする。「床の間から犬が降りてくるのだとよ。」「玄関から犬と一緒に出入りするのはどうもなあー」当時の商工会の指導員がそう口にした。
年のころは40代。彼にとってはどうしても犬が家の中に存在することが許せなかったのだろう。

嫌そうな顔を、あらわにして犬のフンが、大事な革靴の足の裏についたと言って騒いでいた。
夜の懇親会の宴会が終わって、二次会にうつる時。
旅館の前の土手で、立ちしょんべんした、彼はそういいながらしきりに靴の裏を気にしていた。質の悪い酔っぱらいのどまくれた客。
やがて私はそうゆう客筋をなくするようにした。

これから街の中の飲み屋に繰り出そうとするときに、「なんで俺だけくその匂い付きなんだ」と吐き捨てるように送迎車に乗って行った。

むかしのことだから、商工会の指導員としても総会の後の懇親会は、一生に一度の晴れ舞台くらいの楽しみだったのだろう。
それが事実であるのかないのか。

当時のこの地区の担当者の氏名もすっかり忘れてしまったが、ある意味では嫌がらせの、一芝居ではなかったかと思う節もある。

それほど犬宿に泊めるということは、考えの違う人々にしてみれば、耐えられないことだったのだろうか。
「犬なんて人より以下の動物だそれを同じ屋根の下に出入りさせるなんて」と言っていた人々は考えを変えるか黙るかしかできない世の中の流れになった。

25-5-30花とレオン3枚目.jpg

こっちにだって考えがあり、経営方針をはっきり前に出すことにした。
「犬や猫や鳥や小動物連れている人でなければお泊りいただくわけにはゆきません。弁天荘はそういう宿なのです」

すっかり言い切ってしまうようになった。
今にしてみれば当然のことのように思うが、そのころは何とも時代が始まったばかりで。向かう風は相当なものがあった。
私の持っていた世の中を測る物差しが正しかったのかどうかは、定かではなかったが、今はどこにでも犬の泊まれる宿は日本中にある。
いったんその内容が広まってしまえば、
「普通の宿には戻せない。」と言われた。
私は「後に戻る気」はななかった。

各チャンネルのテレビニュースに取り立照られた。
今はすべからくお断りしているが、カメラマンが入り、デレクたーがインタビュして、そんなお決まりの流れが今は、それほどうれしくもない。

騒ぎ立てられて人気の宿になっても、エスカレーターのように急激に上がり下がりする経済もたまらないものがあるから。

ぼつぼつとでいいから安定した絶大な信用を続けていける宿でありたい。

いつものスタッフたちと共にある程度、的を絞った仕事がしたい。
私が歳を取ったからだろうか。そんなことを思う。だから食事の肉の質も落とせないし、今までやってきたことを今年からやめるわけにもいかない。

抵抗勢力の逆風を超えてやりたい仕事を選択してきたように思う。
母屋の着物も今周りのみんなが、けげんな顔をして犬の看板の間に「おかしな看板が立って居た」なんていうブリたーらしき奥さんの発言。
犬の世界に存在するには、ブリーダーもペットホテルも同じこと。
なかなか「そうでなければならない」という物差しを持った人にいちいち説明することすらが、面倒な気がする。
「犬を増やしてなんぼ」いう考え自体に私はついていけ煮ない気がする。
犬の命を売り物にしていること自体が、世の中の需要とはいえ、悲しい職業のような気がする。
あんな可愛い時を売り物にしてお金に換えるなんて。

そんなことを思う。これも私の尺度の大きなお世話なのだろう。
まずは経済として成り立っつてこそものが言える話だ。

そうでなくては組織という競争の中で手足となって歯車の一つになりきって、サラリーマンで生きていくより仕方がないだろう。そうしたら私はもうとっくに定年を迎えている。定年後はどうやって暮らしているのだろう。

残雪ののりくらだけ

私は自由人の宿屋をやっているのだから、飼い主さんの居る「犬たちに接していられるだけでもありがたい」事なのだと思う。
今年もたくさんの犬たちがやってきてくれる。

今年も暑いけれど、楽しみな夏がやってきた。

最後までいつも目を通してくださってありがとうございます。
夏バテなさいませんように、今日も暑かったですね。
- | -