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年末の食材の仕入れ。

JAにゅうかわAコープ

年末の食材の仕入れに先日JAにゅうかわAコープに注文していた食材が配達して来てた。軽トラックに山積みいっぱいなので一気におろされても、調理室はてんてこ舞いになる。

何がどこにあるか後でわかるように整理しておかないと。忙しいときにパニックになってしまうので、第一便の今日の管理の仕方で後の段取りが違ってきてしまう。

タマネギのダンボールだとか。日本酒のケースだとか。
砂糖やしょうゆの調味りょょうから、サラダ油のペットボトル。
お米など。重くて片手では何ともならない物ばかり。
なかなか運ぶだけでも一苦労があり。

背か高くアルバイトの茂住君は、上の方にひょいと持ち上げてしまうので。
なかなか油断がならない。
椅子に座って。それはこっち。
あれはそっちと言っているだけで、十分仕事をした気分になってしまう。

今朝。酒屋さんが持ち込んできた瓶ビールのケースと、生ビールの樽がまず行くべきところへ運んでもらってからの事になる。「茂住くーん。」と叔母が呼んでいた。茂住君。久しぶりに出てきて大活躍だ。

今日からぽつぽつと毎日年末組のお客様があって。これからが上り坂。
12がつ31と1月2日までがピークが続き、4日くらいまでは下り坂になるがそれでも気が抜けない。
10日までは客数は、減少はするものの、お正月客しててのんびりと過ごして行かれる。

上二之町の風景

明日もち米を5升ほどふやかしておこう。8時間ふやかさないと。
餅つき機でいまは簡単につける。28日は正月用の餅つきの日。
もんやりとしたもち米にするには、蒸すことができないので。

粉雪が舞う寒い本格的な冬景色が始まったのだ。積もるだろうか。
JAの灯油宅配便のトラックがやってきて。
今日から旅館の周りと、ジョンの家の灯油タンクに満タンにしてもらうようにした。寒いので油代を惜しむというわけにはゆかない。

12万円くらいで済むだろうか。去年より気持安くなったのでありがたい。
けいこう管にも満タンにして、10本くらい入れておいてもらえば。
何とか年内は持つだろう。来年用に年の暮れ30日に、もう一度タンクに入れてもらえばいいと思う。

10万キロのボイラーをたき続けることはとても大変なこと。温泉ではないのだから。人数が少なくなったら、家族ぶろに切り替えて入ってもらう。
冬は水が冷たくて、氷直前のような水道水を1月10日までの旅館営業する。
後はおなじみ様が週末に、ぱらぱらおいでになる程度で春まで。
夏に比べれば正月すぎれば。冬の期間はいつだって貸切旅館のようなものだ。

今日の予約のお客様が、到着なさらないうちに。
廊下を掃除機かけて食時処のお部屋も整えてもらわないと。
自分ができないだけに気が焦る。
そういう私も昼間から、パソコンの前に座ってブログ書いたり、しているのだから。これが私の1日の仕事の合間の時間で。
毎日の時間の中で、瓶のふたをするような習慣になってしまっている。
習慣って恐ろしいものだ。堅苦しい経営理論や、新しく発表していくしていく、経営センスなんかではなく。カウンセラーやアドバイザではないので。
日々の身のまわりの事を、つれづれにお伝えしていくことが。
一番の基礎点だと思っています。
むかしから何でも一通りは自分でやらないと、まったくの人任せにはできない性格の人なので。いろいろ。経営に関してやらなければならない仕事には、手を出したくなるのです。

写真屋さんから、レジカメで写したメモリーカードの中の写真が戻ってくると、大騒動になってしまう。大量のプリントアウトした、宿泊記念の思い出のお写真。
写真を並べ替えて2年間の展示が終わると、今度はアルバムに並べ替えて。
そんな地道な作業をコツコツとやる。
マメに整理する仕事を、何日も何日もかけて作業する。

それでもお客様が廊下の端っこで「有ったーー」なんて。
大きな声を上げて子供の用にはしゃいでいらっしゃるお姿を見ると、陰の仕掛け人の私としては。にんまりしてしまう。

調理室の大掃除

もともと「旅館が育つ場所ではない」という人々の言葉を尻目に。
日観連の旅館を建ててしまった。
「やってみたかったから。」理想のままごと遊びなのかもしれない。そんな程度でとどめておいたのが。今になると救いだったと思う。ただ、わたしを突前おそっった美雨季は予定外だったが。
そのうち日本観光旅館という組織すらなくなって。こんなはずではなかったとドキドキすることもある。今度は心筋梗塞か。主治医に言わせると。「只の太りすぎではないの」などと言われる。笑ってしまうが、笑い事ではない。

メインバンクの、銀行の支店長さんの歓送迎会があった時。
私は銀行さんとお付き合いしていらっしゃる人たちは。
みんな恰幅のいい社長さんばかりだったので。
恐れをなしておとなしく宴会の座の列のはしっこで。
チョコンと着物を着て座っていたら、食品総合問屋の社長さんが、宴会も半ばころになりみんなの差が崩れてワイワイしゃべりだしたころ。

私のところに、はしがみのこぶ結びが届いて。
「頭取を紹介しておくから、名刺持っておいで〇〇」
なんて走り書きしてあった。
周りを見回すと食品総合問屋の社長さんが、私の方を見て小さく肩のあたりで手招

私はそのはしがみを帯の間にしまって、とりあえず膳のうえにあった生暖かいお猪口を持って座った。
「いつもありがとうございます。」頭を避けて挨拶すると。

社長さんが「和歌ちゃーん。紹介しておくよ。この人が〇〇銀行の頭取さんだよ。名刺頂戴しておきなさい。みんな偉そうに背広来てがん首並べているがなあ。なんといったって、この宴会場の中では、この人が1番えらいんた゛よー」

にこにこして、総合会社の社長は席を立って行かれた。
転勤が決まった支店長に「よくやつてつてくれた。ご苦労さん。ご苦労さん」
なんて握手した手をポンポン叩いていた。皆、にこにこした男たちの戦いなんだなーと。アンテナがあちらこちらでくるくる回って、「高山めでた」を唱和して。歌い終わると座が砕けてから、酒の勢いも進み本音が出る。
それが飛騨のしきたり。酒の場で決まり、酒の場で事が進む。
よそから来た人は何のお経が始まったかと驚く。
これが襟を正した会合の昔ながらの格式のある宴席の流れだ。しきたり。風土それを言えば、ようは現存して脈々と続く村社会なのだ。

40代は入ったかどうかと思われる頭取りさんは、「そうですか。うちの資金を使って増築していただいたのですか。頑張ってください」と言われて。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
お酌をしてぺこりと頭を下げて後ろに並んでいる社長さんに場所を開けた。

わたしは事業家というほどの者ではないが、まさしくあの席を連ねている人たちは
小さな山里の町での事業家という肩書の人たちだと思った。
高山が発展の途上の時。街の活性化があり。今も変わらず老いたるものは死に。また新たに野望を持つものが頭を出し。繰り返してさざ波が打ち寄せている。
今とは違った形で活気づいていた。

そのころの私は、場違いのマスコットだったのだろうか。
目を光らしている人たちがいる中で、旅行会社の集まりの会の中でも。
いつーの間にか、私と正恵さんと澄子さんがいつも出てくる顔ぶれとなって。
私たち3人がいるところに、ホテルの社長さんや総支配人達がが集まってくる。
いつもその輪の中は笑い声でいっぱいで。酒も進み。余りにも格差がありすぎて誰も私をライバルだなんて思わない。そんなところだろう。
行儀よくして座っていすれば誰も然りもしないし。いじめもしない。
楽しそうなところへは、旅行会社の社長さんも。
足を楽にして、まるでお友達のような感じでお話をしてくださる。


栗とすすきを行けてみました。

そんな和気あいあいの中に、高山の街に観光という周りを巻き込む楽しげな渦が吹きぬけて行ったのです。それが昭和45年ころからの観光ブーム

勢いのある宿の主達は景気のいい話で周りを朗らかに笑わしていた。

次から次と増築したり改装したり。お客が来るから増築する。
増築して規模が大きくなるから、また客が来る。
昭和65年から平成7年ころまではバブルがはちきれたと言っても。
その不景気感は田舎はおくれてはいつてくるりので。
笑顔という男はスマートにスーツを装着し。
商戦の登り旗がたなびいていました。

街角の雑貨屋の小さな登り端ではない。
「150億かけて20室しか客室持たないんだと」とか、
「50億欠けてあそこのホテルは和室ばかりの館を建てたのだそうな」
そんな背筋がぞくぞくする、話が漏れ聞こえる宴会場にも、コンパニオンではなくにゅうかわにある。小さな宿屋の娘女将として席を設けてもらえた。

何物にも代えがたい社会勉強だったと思う。
あれは28歳かか29歳のころ。
バブルがはじけてから。
さらに大きく投資した宿は、指折り数えるほどだが高山にも下呂にも奥飛騨にもいくつかある。
其れなりに個性を出して。経営方針を崩さず。
経営理念をより高い位置に置き。ほこりと崇高なる信念のもとに。
わたしは多くの仕様線という戦いの湖に行くまでの、車が通る水たまりで、ぴちびちゃと遊んできたかにすぎないのかもしれないが。

でも楽しかった。仕事が面白かった。
私を夢中にさせる何かがあった。

父の大事に育てられてきた「弁天荘のやんちゃ娘」を長い事やっていられたのは、父のおかげだと思う。
世間に小さな弁天荘という看板背負わさせて出してれたのだから。

子供が1歳になると背中に背負わせて歩くこにを大喜びする家族の儀式のように。

彼女たちは子育て中の奥さん。私は世間知らずの怖いもの知らずの田舎娘。
澄子さんは旦那に先立たれた未亡人だったが、大きなドライブインで時の風邪を切ってお付の運転種を持ち。時々町で見かけるとトヨタのセンチュリーの後部座席に座っていた。
車のウインドーおろして。
「あらー和歌ちゃーん。ごくろうさまー。がんばってねー」
なんて車から降りもせずに、声かけてくるような人だった。

あんなに羽振りよかったのに、とっくの昔に倒産して。
今は住所不定とか。
落ちていく者と登って行く者の差が見得てくる。

「驕る平家久しからず」「実るほどに声辺垂れる稲穂かな」ともいうが。
商売。事業。生臭い熾烈な戦いでしかない。
今は日本中が戦場だと思う。全国チェーンの大大名と田舎の地方都市の外様大名たちの戦い。スタバが高山駅西に予定され。全国チェーンのホテルが次から次と進出。そして角度を変えてみれば。介護施設も次からづへと雨後の竹の子のようにできている。宿屋より。老人相手の方が儲かると舵を切るのか。
その昔、宿屋もあっという間に増えた時期があった。時代のうねりというものは、常に流れている。それが流行なのだと思う。

今ネット時代になり。
旅行会社の会合もあんな感じでで、続いているのだろうか。

今はもう旅行会社とは縁のない、独自の販路で生活するやり方にしているので。
マイペースで好きなように歩いている私。余り耳元でささやくことには耳を貸さず。人は人。私は自分の目線で自分の宿に根を付けている。
そこの場所にあった料金。施設にあった対価をいただくようにしている。
それが私の正直さであり、わたしらしい人柄だと思うから。

正恵さんとはもう何年来のお付き合いだろう。

本当に悩んだり困ったときに2振り返るとそばにいてくれる。
彼女は「大事な友達は指の中に、数えるほどでいいのよ。」と、いつもそう言う。

品なことばを思い出すと、なんかほっとして。


苦しい胸の内を打ち分けた時は、何気ない一言二言のアドバイスが。
わたしの瞳からこらえきれない、涙がハラハラと涙が流れる。

悔しい涙ではない。
お金に困った。途方に暮れる涙でもない。
なんだか、峠道を歩き続けて来て、
やっと明かりのついた家が見えてきたような。ほっとする涙なのだ。

絶対信用ができる友達っていいものだなーと思う。

豪華な福良スズメ

だから子供の用に。
手をつないで歩いているような無邪気さはないけれど。
ねたみも嫉みもなく。心から慰めたり励ましたり。
そしてそれぞれ痛みに感じる場所が違うので。競合することはなく、泣き笑い人生を慰めたり励ましたり。

上から目線の鮮やかなボタンの花のようなすみ子さんと、京都のど真ん中からお嫁に来て、気配りすることが仕事のようにやって行く、カトレアのような正恵さんと。なぜかこの、「3ハバトリオ」となずけられた仲良し3人組。
あっという間の昭和という時の流れかもしれない。
なぜかいつも仕切り屋は私だった。友達だからと言って。

〇お金の貸し借りはやめましょうね。
〇授業員の取り合いはやめましょうね。
〇知恵は惜しまず貸しましょうね

これが私たち仲良し同盟の3か条にしましょう。

海外旅行に行く途中の電車の中で「そいじゃ指切り玄まんね」
わたしは明るくてお茶目でちゃっかり屋さんのそんな娘だった。
歳だってばらばらの先輩たち。

22歳の時から父は村内は父が出て行った。広域の高山集合の同業者の会合には。
私を出してくれた。
私はそんな大小の宿屋の社長や専務や奥さんたちの間で育った。

親はご飯食べさせて服着せて、学校出して教育して。
そうやって社会に出すまでが゛親の務めなのだから。
いつも父はそういっていた。社会で生きていく力は社会の親に学べ。
お前は宿屋の道歩き始めたのだから俺には何も教えることはない。

「襟を正して皆さんから学ばせてもらってこい。」
襟を正してとなると、この響きは重い。
だから会合には、必ず着物を着て行った。
足がしびれる中を。じっと我慢なしていた。

夏に向かって若草色の色が濃くなり

あれから何十年の時が流れて行っただろう。

ロビーで賑わしい犬たちの声。プードルが3頭。ボーダーコリーが1頭。
「きたよー。来たよーと騒いでいる犬達」ここが犬の宿の醍醐味。

めったに出ない私がロビーに立った。

茂住君はいつ荷物を押して行ったらいいのか、様子をうかがっている。
叔母はロビーに座り込んで、トイプドルたちを、なぜている。
4頭の足ふきが終わって。
「どうぞどうぞおあがりください。」と、お声掛けしたら。

「お前。あれを」というだんなさんの声。
と同時に奥様のバックの中から。「赤福の菓子折」りが出てきて。
「マアー。お気使いいただきまして。ありがとうございます。」
私のくちゃくちゃの笑顔の中から弾んだ声が響き。
今日も、フロント通過の儀式は済んだ。

今日から年末にかけてずっとこんな光景は続く。
モロゾフのチョコレートの箱もらったり。
東京のヒヨコもらったり。
京都のおたべもらったり。
いろんな各地のお菓子いただく。ありがたいことだとおもう。

ちょっとしたものでも、お菓子持って泊まりに来てくれるお客様。
その気持ちがうれしいと思う。そのあたたかい心がうれしい。
旅行つて。宿代支払うだけでは成り立たないのだから。

そしてわが宿はそんな庶民の気楽に行ける。
くつろぎの宿であることがうれしい。

あずきな山菜

わたしが40年かかって作ってきた。
私の気持ちと同じラインにいらっしゃるお客様のすそ野が広い。
本当に仕事は楽しく進めていられる。
「いつまでもパソコンなぶっている場合じゃない。」と叔母がぶつぶつ。

そろそろお客様のお料理作らないと。
仕込みはしてあるのでいいとはいえ、ちゃんと確かめたお料理作らなくては。

女将兼。経理部長兼。板長兼。隅から隅まで、みんな私の宝物のおもちゃ箱。

そんなおもちゃ箱の中にはいって過ごす日は一日中、どんなに忙しくても楽しい。
そんなわけで今日のブログは終わりです。

今日も最後まで私の昔話に付き合ってくださってありがとうございます。
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