<< 春のプラン作りました。 | main |

3月16日は晴れましたが。

すき焼き

お元気でしたか。飛騨は雪の少なかった割にはいつまでも寒さを感じる昨今でかす。先日なご゛理雪のように5センチほど降り積もりましたが。
きょうはすっかり解けてしまいました。お客様は二組。
煮ものをしたりそばをゆでたり。何時もの宿屋の料理。飛騨牛のシャブシャブや。おなじみさんなので、犬たちもおとなしくお客様もゆったりとして見えます。
お風呂上りのお客様をお食事のお部屋に声をかけ二組目のお客様に前のお風呂を洗って次のお客様にお渡しいたしました。

ジョンノ家から宿を望む
ラブラドールのてっちゃんのお口から白い息が見えるほど。
夕方は肌寒いですね。
でも嬉しそうにお父さんと散歩している姿は慣れきっている宿に泊まって。
幸せなひと時を垣間見る私も幸せな気持ちです。
嬉しいねと見上げてお話している犬達

私の父もすっかり年老いてしまって恥ずかしいような格好でも出歩くのです。
昨日、診療所の看護婦さんから父の事で電話がありました。

老人が暮らして行けないようならば、訪問看護という方法があるのかもしれませんが。訪問看護ということ自体が大変なのです。受け入れる家族としては、そのために、前もって父の部屋をお掃除したり。訪問看護の人に気を使って、見守ってあげなければならない時間はうっとうしいこと以外の何物でもないような気がします。
本人が言う事には、住み慣れた我が家で゛暮らして行く事には。
自由を奪われたくないというのですし。
特養施設などは絶対、入りたくないと、言う以上は私は「父のしたいままにしていくほかない」と覚悟しているのです。

弁天荘中庭

寄りつかない弟夫婦に今更ながら。すり寄って父の問題を打ち明けたところで。何一つ変わらないだろうし。父の命を目の前にそれこそ投げ合いの兄弟げんかなどする気にすらありません。
つらくとも苦しくとも自由を認めて好きなようにさせておく度量も大事だと思っています。

人間100歳時代。日本の老いたる時代に向かって。
どこまで手を貸してささえて行けるかが問題なのですかが。


みんなそれぞれに家族があり。みんなそれぞれに市場があるのですから。
親の事はなるべく見てみないふりをしたい。生活環境を変えたくないというのが本音だと思うのです。
私は父のそばにいたばかりに、逃げ出せなかったのが父と暮らすことの実態なのだと思います。父はもう年ですから。そのうち若返る事もなく、神様からの自然のお迎えがある事でしょう。

とにかく今は元気なのですから。介護車に乗って診療所に行き。
「汚く汚れた物をぬいて着替えよ」と言っても「着慣れたこれがいいと言って脱がず゛」帰りに好きなだけお菓子やら御酒やら酒のつまみやら。いろんなものを買い込んでくる。

毎日旅館の方から、3食運んで行っているのに。それでもあれが食べたいこれが食べたいとまたその買い物を自分でするのが楽しみで仕方ないような。むしろそれが生きがいのような。どかのねじが外れて。可笑しいと家族の目には映ったとしても
老いというものは、半分体も意識も壊れていく物なのですから。世の中に笑われ恥ずかしい事を繰り返しても仕方ないのです。

それを家族として嘆いたとしても、何とも仕方ないものなのです。
耐えてみても婦フリモしたくなるのですが。
おっておくこともできず、愛情があればこそそれなりに掃除したりお洗濯したり。

家族だからこそ腹の立つこともありますが。
未だおしめを書いて寝拭いてしまわないうちは。
じっとじっと我慢して耐えるのも家族なのです。年寄なんて、そんなに、こぎれいなものではありません。
上二之町の風景

私達は自信を持って食品衛生に携わっている者としては、衛生的に食品に携わり食材を衛生的に管理したいと思うのです。

だから父の住む家と旅を館は、別なところにとっているのです。
そして毎日父のそばの廊下を通って、私がい行き来することが見守っていることの一つなのですが。毎日感謝して日々を過ごしています。

年寄が増えていく「人間100年時代」の日本。を迎えてこの先どうなってしまうことでしょうね。お互い生きるものも見守るものも頑張らないとね。此の世に生まれた命ですもの。生きている限りなんとしても命の限りなのです。

弁財天の庭も緑いっぱい
- | -