いろんな仕事やっていますが心は一つです。

弁天荘全景夏

今のところ一番の弁天荘の稼ぎ頭はペットの宿であることには違いない。
近隣の宿が、ポツリポツリと廃業していくので心さみしい限りとなる。
この地区は高山市内の古い街並みあたりを取り囲む市内の宿とは違って、お客様ののリピーター性を間違うと、大変難しい場所なのかもしれない。

国道158号線沿いに転々と、ひところは宿が45件ばかり並ぶようにあった。

温泉宿でもない。スキー場の宿として。列島改造論に決起盛んな飛騨の田舎にも都会の風が吹き寄せてきて、観光客の波に動いた。「雪。花。サラダ」のスローガンは、いつの間にか静かになってしまった。
また市内観光や乗鞍岳や、飛騨大鍾乳洞などを取り込む観光地の素朴な民宿として発展してきた形になるのだがそれも、泊まるほどの魅力はないということなのらしい。観光の歴史は40年ちょっとの歴史になる。
多くの宿は、おもに団体バスを入れてきたようだ。

古民家囲炉裏夏バージョン

民宿の営業方法でやり続けてきたところもあるし、会員募集の宿としての宿として発展したものもある。
宿の在り方はそれぞれだったが、道路に面した宿が川のほとりに住む人のような、収入源があったということになる。
私の宿は犬猫ペット旅館に切り替えてもう何十年かになる。
お客様は大きく途切れることはなく、私が大きな病気をしたというにもかかわらず、ずっとお客様に守られてきたことは大変ありがたいことだと、この頃は感謝の念が尽きない。お客様はずっと思い出してくださるので、やっていてよかったと思うことばかりです。この頃では同業者もぐっと減り、旅館組合も観光協会の中に所在するのみです。

いよいよ着物着ます

現状は毎年廃業の一途をたどるばかりで、さみしい限りです。
宿が何の目的を持つ人が泊まる宿なのか、はっきりとしないという感じでは「お客様の心にとどまる宿の在り方」が難しい時代になったようです。
変動的な景気情勢や、消費税の値上がりなどでやりにくくなったことは確かです。

今の日本の観光産業は、海外からのお客様を誘致することに熱心だし、飛騨高山に合併してからは、市町村の個性をますます失い、たんに外国人と言ってもその受け入れには大変困難を伴い。一丸となって進むことに難しさを覚えるのは無理もないと思う。
一人二人気ままに部屋を占領する日本人のマナーを、逸脱する海外からのお客さまには対応しかねるということなのだろう。

確かに長時間対応する宿屋は、生活習慣なの違いと、レクチャを受けていない外国人はとても想像を超えた「手の焼くお客さま」には違いないことも、多々あるのだろう。きちんと日本のマナーと観光のルールを教える必要があるのではないだろうか。

それは対応の仕方であり言葉の壁や、接する時間が短ければ短いなりの、どんなふうにおもてなしを、表現するかの提案と空間を、提供するこちら側の問題ではないたでろうかと思う。
私も言葉には自信がない。
言葉以外に表現することは対応し始めてしまえば、何とかなるものだと思って外国人に接している。笑顔で接していれば何とかなるような気がする。

絞りの名古屋帯

品物を手渡し、お金と変える製品販売とは違う、サービス業なのだから。
しかし時の流れとともに、話し合うこともなく、わたしの宿のやりかたとは異なる、宿屋の火は一つ二つと消え、45軒った宿は13軒どになったのは事実なのだ。経営者もいつの間にか歳も取って、夢もしぼんだということなのだろう。

節する人が対象のサービス業の一環である体験部分が独立していて。
kimonoexperience hallなのだから。
私はその建物のみ外国人専用にしたいと思っている。

囲炉裏を囲んでドイツ

むしろ犬連れのお客様は犬と一緒には入れないということになる。
母屋の古民家の販売の仕方は全く宿屋とは違う形の受け入れにしている。

ということは、よほど事前にホームページなどで知ってから「ぜひ着物体験館を見学したい」とか、「日本の着物を着てみたいとか」言われない限り、次元の違う無用の看板となる事には違いない。

だから今回、のホームページの中にある着物体験館やアンテーク着物ショップとは違う、全く別の独立した着物体験館専用の海外版のホームページを作ることにしました。英語と中国語のホームページで着物体験館の事のみである。
予約も事前に受けられるようにしたい。頑張ってホームページを作り提案することによって道が前に進むような気がするのです。

犬や猫の泊まれる専用の宿ということは、外国人には飛行機に同席してくる犬以外には同行できないので、二週間以上の日本の検閲で犬だけの入国になるし、ビジネスピサでもない限り弾丸ツアーには関係のない宿となる。
だから宿屋は当分はやるがひとまず置いといて今は「着物体験館」が夢広場なのです。
結び帯福良スズメ

2〜3週間の程度で、日本や韓国や東洋の国を点線する、海外観光客をキャッチするには、よほどの呼び込みルートを持つか、お客様に事前に知ってもらい「ここへ行ってみたい」という強い目的意識を持ってもらうことが必要となる。

日本の国を周遊する海外観光客の人々は、一昔前の日本人が世界中へ観光旅行をしたように。興味と憧れと好奇心というものにあふれた目を輝かした同じ目の輝きを持つ外国人がたくさん歩いている。
外国からたくさんの飛行機が飛んでくるようになった。
あこがれと期待を胸に抱いてくることだろうと思います。

きものきるとはなやかですね。

若い人々で比較的金銭的なゆとりのある客層に的を絞ると、外国人の受け入れは大変金額的にも難しい面があり。
犬の宿の長年のリピーター客を捨てまで。
客層を外国人受け入れに、切り替える必要もないし。

犬の託児所と犬の宿の在り方は弁天荘という蛇の目傘の対の仕事なのです。犬たちがかわいいから車の中に置き去りにはできない。
犬と一緒に泊まれる宿だからこそ。
翌日や前日の「犬の入れない観光地に行く人たちの犬」までもを快く受け入れてあげる必要があるのです。
乗鞍スカイラインも、新保高ロープウエイも、上高地も犬は入れないのですから。

国定公園は動物愛護法で立ち入り禁止ということになりました。

だから「ジョンの家」の存在が必要となるのです。
私は自分の犬だけでなくどんな犬もかわいいので、スペースが空いている限り預かれる施設を作りました。もうその法律が施行されてから10年以上になります。
動物愛護法は自然動物にもその法律の枠は行き届くための法律です。

私は犬も猫も大好きなので、なんといっても犬の宿は、宿屋冥利に尽きる仕事なのです。好きなことを仕事にできるということはそんなに億万長者になれなくとも細々とお客様に守られて営んでいければいい事なのです。

この服装から着物姿に

そして着物体験館も、弁財天の庭を眺めながら古民家の私の生まれ育った家で外国人に着物を着せることは、楽しくうれしい仕事なのです。
何百枚という着物の中から、肌の色身長ウエストサイズ手の長さなどをもとに着物の柄を見立て、帯を見立てることはとても楽しい仕事です。
外国の御嬢さんや奥様達を手軽に、着物を着せてあげるということはとても有意義なやりがいのある文化交流なのです。
余りやっていない活動なのでやりがいもあります。

職人さんの少なくなった今、着物や帯を着せやすく加工してくれる技術者の人と出会う機会がなく常に、常に仕立て屋さん探しをしているようなものです。

でもいつかコツコツと前に進んでいくことを夢見て、10枚20枚と仕立てあがってくる着物に嬉々として楽しんでいます。
楽しみがある仕事ができるということは素敵なことです。

心は一つなのですか、どの仕事も異色な仕事なので。顔は二つということになり、もともとが農家でしたので農家の耕作権は手放さずに、畑に苗を据える時、ここはきゅうりでここは黒ナスでここはズッキーニでこの列はピーマンにしよう。そんな楽しみとよく似た喜びがあります。手におえない広さの耕作地は毎年トラクターを入れて草を策込腐葉土を作る保全地管理です。

収入を得ようとすると、儒惣菜もまかなければならないし、除草剤をまくと犬の散歩には至極悪いということになります。
無農約農園をテーマにしている以上はたとえサービス品でも、安心安全の物を提供したいと心がけています。
遠くに見える乗鞍岳。
「喜びと感激」の因果関係は「心優しい」という根底にある姿勢が大切なのではないかと思う。
私ががまだ残りの余生を好きなことに、目を向けていけるのは、とてもありがたいことだと思う。

パソコンと検索とホームページの世界でいろんな人に知り合えることは、とても素敵な文明の力だと思う。
身体は少し通津不自由になって行っても、できる限り楽しく生きていければ楽しい世界が見えてくる。
ありがたいことだと思う。
私を助けて夢の活動に応援してくれる人々に感謝するばかりです。
いつも最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

廊下

昨日と今日の飛騨高山は雨も降らず、少し寒いですが、

何よりもの観光客日和でした。
白川郷に行かれたお客様が、「びっくりするほど観光客が外国人だらけで。そのまた外国人が、マイペースで橋の上からのんびり写真撮っているので、写真撮り終えるまで長蛇の車の列だったよ。」と苦笑いで帰ってこられました。
岐阜県の白川村も富山の五箇山も世界遺産になっっつているのです。
だからとても多くの外国人が訪れる場所なのです。
お客様にとってはこの宿が懐かしい定宿になっていて、愚痴もこぼされるのがこの宿が「気兼ねない宿のあかし」ですねむ。

色鮮やかな打掛三種

その工法と提供の仕方がみんなの「宿の在り方」とは逸脱しているので、
私の独創的な世界はますます楽しいものになります。
楽しく仕事ができるということはありがたいものですね。感謝です。
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きもののお仕事。

きもののお仕事は、今外が大雪なので
特に準備の仕事に集中しています。

やっと見つかった持ち込み仕立てがOKてのところと、京都の帯屋さんには送ったきりです。多分忙しいようですね。
結び帯の文化帯が完成してきません。でね気長に待つ事にしております。
大阪のきもの屋さん経由の帯はいくつか仕上がってきました。

着物を着て大はしゃぎの中国娘

この帯を取り付けて振袖を着せると花が咲いたように見栄えすることでしょう。
肌の色が多少黒くても、抜けるように白い白人でも、アジアの人の陶器のように吸い付くようなしってりとした肌の人にも。それぞれによく似合う着物がいっぱいできてきています。準備は着々と進んでいます。

小紋や、訪問着や、色の着物。色留袖や黒留袖振袖、の物などで、対応していく準備しています。

着物を着せるには着物と帯だけではないので、帯揚げとか帯山とか帯締めとかいろんな小物が必要です。それをきものの格やしきたりによって揃えて行かないといけません。
準備はなかなか手間のいる仕事です。
私がすべてに目を通し揃えていきます。
でもそうすることによって、外国からのお客様が、正しく自分の変身ぶりを写真に写して帰られるのです。
とてもよろこんていただける顔が目に写るようです。

絞りの名古屋帯

私の並々ならぬコレクションの着物や帯を見ている知人は

「どうして外国人と限定するの。日本人ではだめなの?
着物の事何にも知らない日本人はいっぱいいるし。
お金になるんなら、日本人でもいいんじゃないの。」と言います。

「そういわれるけれども、そこのところが私のこだわりで」

そこのところが、とても深い思入れがあって「外国人に着物着せたい」のです。

日本人は貸衣装屋さんでも。また老舗の呉服屋さんからでもあつらえで作ることもできます。
外国人には見る機会はあっても、本物に触れる機会は数少ないのです。

2か月から半年もかかって帯の反物や着物の反物から選んで仕立て屋さんに出します。反物の柄選びは一年2年前が当たり前です。
待つ時間も楽しみながら、愛娘さんに着せるお祝いの準備をしていくのです。

それが日本人ですし、日本の秩序の中に育まれてきた、日本人としての精神なのです。
結び帯福良スズメ

てっとり早く「弁天荘の着物体験館の着物貸してしてもらえたら」
なんていうことは考えないでほしいのです。
絶対に持ち出し貸し出しは致しませんから。
ああだこうだと口うるさく知ったかぶりをする日本の叔母ちゃんたちやそのおばちゃんに連れられてくる日本の娘さんも嫌なのです。
さっきまでチョコレートつまんで食べていたような指で振袖の着物を撫でていく。
「あなたに品定めの力があるのですか」といじわるに言いたくなってしまう。

私は世界中から「古民家着物体験館」を訪ねてくれる外国人に、喜んで着せてあげたいのですから。
これくらいの背丈の娘さんには、この感じの柄。
普通の袖で、町娘のように着飾ってあげたい。

ワンランク上のお金が少し出せる人には、振袖とフクラ雀の結び帯で。
超1級の晴れ着で着飾ってあげたいのです。

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日本の娘さんは、日本にいるのだからデパートの呉服屋さんでも貸衣装屋さんでも調達はできるはずです。そして着付けのできる美容師さんもいるはずです。

私は、世界中の日本の着物を知らない人に、日本の着物を着せて。
体験する感動を着物体験館で味わってほしいのです。
それが何よりもの楽しみで。
せっせと稼いではコレクションに費用をつぎ込んでいます。

犬の宿を経営するのも犬が好きだから。猫が好きだから。

宴会でお金落とす地元のおじちゃんたちを捨て、観光客ツアーバスを捨てて。
犬を連れた猫を連れたお客様を受け入れてきたのです。

私にとって犬も猫も神様です。私の心に支えとなってくれる生きる力の神様なのです。私にとっては生涯犬や猫と暮らすことが生きがいなのです。

そして先祖が浅間山の大噴火の時、時の代官に陳情してお蚕様を飼うための、大きな豪雪にも耐えられる飛騨の匠の知恵を結集した家を建てものです。
養蚕農家としての大家族制度の中での暮らしがありました。

庭先の弁財天の祠の石神様のご神体と同じく、
江戸時代。明治時代。大正時代。昭和時代。平成時代と現存する建築物です。

時代を住む者がそれぞれに生活に不自由のない程度に手を加えていますので、当時を復元した家ではありませんが、私の生まれて育った家なのですから。
おそらくこの15代目の私の子孫としての務めもこの仕事を手掛けることで最後の仕事のまとめとなることでしょう。
現代は歴史の影が薄らいでいきます。丹生川村は高山市に合併されました。
私の家から3分のところにつく高山東インターとなずけられることでしょう。

古民家に用こそ古座敷

私が生きている限りは、そのお蚕様の作ってくれた絹でできた素晴らしい着物を、日本の文化として外国人に紹介したいのです。
日本がどれほど素晴らしいぎしゅつを持ちどれほどの人々に手をかけてもらって着物に出来上がるかが。

これは蚕が命を懸けて口から吐いたタンパク質の絹の糸なのです。
人間の毛髪と変わらない生き物のあかしなのです。
そのぬくもりを身にまとって体験してほしい。
冬暖かく夏涼しい絹の素晴らしさを日本に着て古民家の玄関をまたいで畳の上で体験してほしいのです。
「飛騨のおかっつぁま」の温かい心にに触れてほしい。
これが私の最後の仕事になることでしょう。

前田公ゆかりの当家の仏壇

思い入れがすごく強いので。
先祖に報告できるまでは頑張ります。
私は呉服屋でもありません。また貸衣装屋さんでもありません。
娘に貸せてほしいと言われても困るのです。
長い間趣味で集めてきたたくさんの着物です。
私は着物体験館のグランマザーなのです。


後10年あと15年生きて活躍できるでしょうか。
楽しみながら世界中の娘さん達に喜んで
日本の着物文化を、体験させてあげたいですねー。

では今日はこれで。

3月になっての思わぬ積雪に、雪かきブルトウザーを予約しました。
今入ってくれています。もう夕方ですが。雪がやみましたので。
これで3/14日の大勢の犬の宿のお客さまにも対応できます。
ホッとしていますよー。今週末は犬の宿屋のおばちゃんに専念します。
私は七件下のようにあちらこちらのお仕事に出没します。
みんな私の好きな仕事なので、どの仕事をしていても楽しいです。

ジョン2歳
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明日は商工会セミナー。3回目

あっという間に変身

明日は商工会セミナーの外国人誘致について習ってきます小規模事業継続資金継続の国に申請するレポートも、下見してアドバイスしてもらいます。
明日の先生はとても楽しい先生で昨日の岐阜大学の先生とはぜんぜんちがうお話の仕方なのでつい引き込まれるように話を聞いていると勇気も元気もわいてきます。明日の12時゛20分に家を出て仔今度の会場は高山市国府町。
また商工会の職員さんが迎えに来てくださるので申し訳ないくらいありがたいです。
いよいよ着物着ます
きものは順調に加工して揃えていく準備しています。
昨日の大散財の修繕が落ち着いたらまた稼いだ分資本投資です。
やっぱり夕日かなー。
黄昏の光を感じながら進む仕事より。

未知の未来の光に向かって進む仕事のほうがなんじゅうばいたのしいかしれませんね。
お客様の口コミがどんどん広がって。
そこそこの夢の花のつぼみが咲き始めることを祈って。
じゅんびゅをしている間からとっても楽しいです。
私は玄関の屋根雪下ろししなかったおかげてで、へ仕込めてしまって、大散財作ったのに。昨日はかなりしょげていましたが、めげないおばちゃんです。

お金を査定してもらって調達していく見通しがつけば、喉元と織ればばやれやれなのですすぐ修繕してもらって、元道理にしてお客様をお招きするようにしなければなります。今年は大きな雪害ですトヨはほとんどダメになっています。これだけの只広い家の周りを雨どいが破損すると物入りなことです。

古民家着物体験館全景

トタンの長尺の竿のところも氷で凹みが出ています。
建物の修繕費は、結構まとまった金額になるので保険で100パーセントが賄えるわけではなく、結局は出費なのです。
世の中何が起きるかわからないので頑張るより仕方ないのです。
歩くのは自分なのですから。
きものを見ているとうっとりします。
かわいらしい友禅柄の小紋や懐かしい絞りの柄の帯も。
そんな楽しかった娘時代を思い出させてくれます。

着物を着て大はしゃぎの中国娘


私は出来上がってきた着物を着せてあげられる日が楽しくて仕方ありません。
私は着物着せて、あっという間に変身。若い外国の娘さんたちの、笑顔の中にいることは若返ります。
今日は短くしました。最後まで読んでくださりありがとうございます。
飛騨の春はちょうど3月20過ぎて雪が解ける頃から始まります。
4月14日15日は高山祭です。
春祭りから秋祭の間しっかり稼がなくてはって今年も頑張るぞなんて気合い入れています。

弁天荘ジョンの家から見る前景.jpg
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着物体験の予約が入っていました。

着物体験館に中国からの娘さんが7人着物着たいとの予約が入っていました。
12月14日日曜日。選挙の投票日でもあります。

おりしも35センチの積雪。
飛騨地方は大雪になってしまい。雪かきに大騒動です。
前の日まで選挙の車が名前を連呼していましたが。
こんな雪かきで追われる日に、「選挙なんて」と恨めしく思いました。

668g

私たちの地区の国会議員は2人当選確実でした。
何も変わり映えしそうにはありませんが、一応風が吹くかどうかすらもわかりません。本日15日になって、やれやれという感じでホッとしています。

この地区は田舎なので、国会議員の数も少なく。
庶民にとっては永田町の風邪はいつ吹いてくるのか。
株も買っていないのであんまり「儲かった感」はありません。
でも田舎だからこそ、頼みの綱にするのは、政治家なのかもしれませんが。

この服装で見えました。

先日日本の会社より正式に、着物体験館に予約いただいていた
中国からの娘さんたちが、にぎやかに訪れてくれました。
囲炉裏に炭火をたいてお待ちしていました。
館内はあちらこちらに温風機おいて暖かくしておきました。

それでも大雪の降る日です。
いつものように私の着物体験課では洋服の上から着物着せるのですが。
足袋靴下をははいてもらい。ズボン、Tシャツの上から襦袢を着せ、着物を着せ帯をして、一人10分くらいで着物姿に変身。

外国の娘さんとは思えないほどの日本の娘さんとなんら変わらない
姿になりました。
囲炉裏の周りにも座布団を敷いて座りました。
若いということは、日本ののむすめさんとかわりませんね。

みんな大喜びです。
館がとても華やかになり、明るい笑い声で、いっぱいになりました。
旅館スタッフも、急きょ着物体験館のスタッフになりあっという間の時間でした。

若いということはいいものですね。どんな着物もよく似合います。
私は子供がいませんので。
たとえ外国の娘さん達にでも。
着物を若い娘さんに着せることは、楽しくって仕方ありません。

犬の宿のおばさんは、冬の平日は女将の仕事もお休みして、着物体験館のおばさんになります。
助手は旅館のスタッフです。
その人用の着物を選びユニフォームにしました。
着てしまえば何とか様になるものです。

中国の娘さん達7人

楽しい一時が、あっという間に過ぎました。
一番楽しんでいるのは私かもしれません。
私は丸々としたセイターといういでたちなのですが、「おばさーン可愛い」とみんな慕ってくれます。
気軽にに影のたて立役者がやれれば、ほんもうですね。
着物は正絹のあわせのものですから冬は暖かいです。
今回は若いので皆帯付きにしておきました。
事前予約で、私のコーディネイトした着物一式着付け料金3000円消費税別。

国際親善ができて、少しはお金ももらえるので。
体験ということは、これから先もそこそこ口コミでヒットっとするかもしれませんね。手ごたえは感じています。喜び方が違うので反応は上々です。

館内はアンテークの着物も飾っています。
新しい現代きものも、時折大衣桁にかけ替えて飾っています。
体験館では着物は売らないことにしました。
お土産も今のところは考えないようにします。
着物体験一本に絞ろうと思います。そのほうが安心してくつろいでもらえます。

ファッションに興味あるのは若い娘さん達です。
館内が華やぐのはとても楽しいものです。
喜んでもらえれば、若いころからの知識や趣味で買い集めたきものが、役立ってくれれば何よりです。着物たちも箪笥から出してもらえて喜んでいることでしょう。

着せるのが約一人10分。
館内でくつろいでもらうのが2時間。お茶とお菓子も出します。
写メレジカメ、写真撮り放題。同時対応10人まで。
去年のドイツ人の娘さんの次は、中国人。
動く体験観光は私のアイディア。
織り元でも染元でもないから館ごときかかがるにできる。体験の館。

今回は日本の会社から正式に予約もらい。引き受けました。
「日本の楽しい思い出」を作ってあげたいそうです。
お支払いの時、「素敵なサンタクロースさんですね。」と言いましたら、
少し照れて見えました。

きものをきるとはなやかですね。

この人たちは中国からの研修生さんらしいです。
つまりワゴンに乗せてきた中年男性は、会社の上司。
自分の娘を見るように「ありがとうございました」と丁寧に、私にお礼を言っていただきました。

体験課の存在は、旅行客だけではないのだということを知りました。
この企画を立てて連れていらったのが富山からでした。中国から働きに来ている娘さん達は、大喜びであっという間の楽しい一時を終えて、ちょっとした小旅行をしたのかもしれません。

着物体験館助手
私たちは手を振ってお見送りしました。

次はどこの国の御嬢さんたちでしょう。
新しい仕事はたのしいですねー。
未知への夢が広がります。言葉は通じないけれど何とかなるものです。
世界共通。笑い声はみんなキゃハハとかワハハとか。
笑顔は世界共通なのだということを発見しました。

ではクリスマスもお正月ももうすぐです。
いつもブログ最後まで読んでくださりありがとうございます。
寒いですが明日も良い日でありますように。
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観光経済新聞に載りました。11/8

11月8日付の観光経済新聞に「よその旅館ホテルという欄」で旅館弁天荘の事が乗りました。全国紙ですが。一週間に一度発行の業界紙です。

弁天荘はペットの宿であること。
夏はお泊りのお客様に、無農薬もぎ取り農園でバケツ一杯取り放題で、お好きな野菜を収穫体験いただいてお土産サービス居していること。
冬は旅館のほうは、1月15日から3月19日まで冬休みをするが、その期間は、私の生まれて育った生家の古民家で。外国人相手の「着物体験館」をやっていることなどが記事になって、紹介されていた。

囲炉裏を囲んでドイツ

ふうがわりないきかたをしつづけているので、物珍しいと思う人に。
私の生き方が目に留まったのだろう。
突然インタビュの電話が入り新聞の記事となった。
まったくの無料で宣伝してもらったので、ありがたいとおもう。
記事は見る人は見るだろうし。新聞や広告宣伝紙に枠取って出せばかなりの費用となる。
どこのどなたが推薦していただいたかは知らないが、陰で応援してくださる方があるということはとてもありがたいことだと思う。本当におかげさまです。


弁天荘全景夏

外国人の中にはとても着物にあこがれてくる人はたくさんあるけれど着物を旅行中や滞在中に着ることなどはほとんとどない。

またその着物も外国人にとっては着方もわからなければ、お土産に中古の着物を買って帰った外国人は、たまたま風呂上りの上に素肌で絹のをタオル時のバスローブのようにまとい腰ひもで結んでいるのを見たことがあったが。それは決して正しい利用の仕方ではない。
汗取りのコットンと絹物は決して同格ではないから。
絹の着物は、肌触りも良いのですか湿気や水濡れを嫌います。

発想の違いもあるがドレスのように二部式というのとは違う。
二部式の着物もあるが。あれでは、きちんと着物を着るということにはならないような気がする。何か厳粛な民族衣装という感じにはならないのだ。

二部式着物その一

そこで、二部式仕立てに仕立て直せば気安くなるのではと思い。着物を巻スカートと上着部分とに仕立て直してもらうことにしました。
あくまでも正式に着物を着つけたようんな、感じに仕上がるように体験してもらう。帯もつくり帯にしましたた。

すると意外に簡単にきちんと着物を着たように感じられ写真写りも何らおかしなところはないので。自分のの変身ぶりにまず感激される外国の方が多い。
私は何しろ「ウエルカムサンキュウと、プリーズと、ノウ」しか言えない、生粋の飛騨人なのですから。
こんなことを威張っていてもいけないのだが。「笑」

「ジィスイズ足袋ソックス。プリーズ。」なんという感じで何とかなる。

外人は特に人前で裸になることを嫌う人が多いので、ズボンとティシャツは着たままで二部式の襦袢から、補正のバスタオルとボディを着物よぅのずんど型に補正して着物を着せる。
男も紋付き袴を着せる。なかなか様になるものだ。2時間セットのコースの中で。いろんなことを体験してもらう。民家でくつろぐことそしてお茶を飲むこと。

自分たちのお国の言葉で、感想を書いた色紙の寄せ書きを作って、その着物変身姿を、レジカメで写真を取り合い。楽しい笑顔が広まる。

囲炉裏の周りに集まって。土瓶で緑茶のお茶を出す。駄菓子も出す。
いろりでお茶を飲んでからまた別室で着物を脱ぐ。
そこまでが体験館の1コースとなる。なかなか忙しい宿屋と掛け持ちではできないことになるので家族ぐるみでもてなして、楽しい時間を共有する。

色内掛け孔雀

着付け体験せず館内を見学だけの人は洋服の上から羽織や道行きにそでを通して、
きらびやかな現代きものや100年前の案テークの着物などを、眺めてもらってお茶を振舞う。抹茶ではなく普通の土瓶で出す煎茶ゃがいいのだ。外国人が好きであろうと嫌いであろうとケーキではなく駄菓子がいい。ケーキに紅茶は日本でも普通に飲んだり食べたりしているがそれは世界中一緒で。日本のビルに囲まれた東京や名古屋や大阪やちょっといけばある大都会の街は、世界中にある変わり映えしないビルの街ということになる。
日本らしいくつろぎをかいまいま見るのは、体験なのだから。
体験は一生忘れられないことにつながると思う。
ホテルの一室で外人に着物を着せたところでいまひとつ。その感動は生まれないような気がする。

手間暇かけて、自分も楽しみながらおもてなしするから、喜んでもらえるのだと感じている。
テレビで着物をお土産に買って帰った外国人が来ている姿を見て
「ああー間違った着物の伝わり方なんだ」ととても憂いを持って眺めていました。

着物文化は日本文化の一つなのです。
まるで違う発想はどう使おうとコーディネートの仕方はいいのですが。
せっかくの日本の着物を簡単に、素敵に着こなしはてほしいと思うのは私だけでしょうか。

大体において日本人も着物を着なくなったのは、ひとりでは、着物を着れない。
たためない。時折虫干し管理も面倒だ。第一きものは活動的ではない。
そういうところから着物離れが、始まっているのではないでしょうか。
残念なのですがそれが現実です。

きものは、元来長い布をを、そのまま縫い合わせているだけなので、ほどけばまた元の長さのままの布に復活します。まだまだ使えそうな布になります。
痛んだものは外して袋物や、前掛けなどにして旅館の売店に置きます。

きもの布で作った小物です。

冬は雪の降り積もる窓辺で、暖かいストーブたいて、テレビやラジオ聞いて布にアイロン掛けたり、着物の脱い糸をほどいたりしながら過ごしています。

忙しくはたらく宿の夏場とは違って、のんびりできる一時です。
長椅子長居充電期間に入ります。
もう年取ったから赤い着物もピンクの着物も切れないけれど、素敵な振袖や訪問着をなどを見ていると、とてもうっとりします。
眺めているだけでも楽しいものです。
こうゆう冬の過ごし方も私の一年のサイクルになりました。

色鮮やかな打掛三種

人世どこに目を向けて生きるかが、ひとそれぞけのいきかたにつながるのですね。
寒い冬がすぐそこまで着ています。私の暮らすにゅうかわの里はまだ雪は降っていません。ありがたいことです。
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寒い朝。挽愁の秋を迎えて。

秋の色です。
飛騨高山はすっかり秋色の世界です。
今日の飛騨高山にゅうかわ地区はとても「寒い朝」でした。

私の中学生の頃だったでしょうか。
今でいう大女優の吉永小百合と演歌界の大御所橋幸雄の「寒い朝」というディエット曲を思い出します。
まだ二人ともとても若くて初々しかったころです。
「北風吹きぬく〜寒い朝も〜」という謡だしだったかしら。
レコードのどナッツ版の世界です。
ビデオテープもシィデイもない時代。
平成生まれの人たちがもうすっかり大人になって活躍しているのですから。
何かもう。すごく大昔の話ですが、年寄の昔話と思って聞いてください。

私たちの育った時代は昭和という時代は、今から振り返るとセピア色のすごい古ぼけた感じの時代だったのかもしれません。
戦後からの復興の時代だったのですね。そして人々は頑張って汗流して働けば手に入る幸せだと思わざるを得ない時代だったのかもしれませんね。
いろんな家庭の電化製品が庶民のほしい三種の神器だったです。
テレビ。洗濯機。冷蔵庫は、なんといってもそろえたい中流家庭の目標でした。

秋が深まっています

だから私たちは、戦後の子という言葉の中の詰め込み教育の中で育ちました。
一生懸命勉強して、一生懸命外で遊びなさい。

幼稚園もなかったし保育園も遠かったので、幼い時から近所の中学生くらいの大きいおねいちゃんや、お兄ちゃんと遊びました。
集落の子供達が、みんなでそろって遊んでいました。
だからいじめなんかはありませんでした。

大きい子はリヤカーを引き、ちいさい子はそのリヤカーに乗せてもらうのが、何よりも楽しい事でした。みんなで大はしゃぎのリヤカー競争。
黄色い声を出して、はしゃいでいたことを今でも忘れられません。
いまだに集落の中では、何々ちゃんで通ります。
名字より名前です。個性ということでしょうか。


きものお手入れ中虫干ししています。

私はそんな平和な生活の拠点であった、このにゅうかわという山里に。
今ものどかに暮らしています。いつ他の時代の波の中を、冬は林業。夏は農家という大昔から変わらぬ生活スタイルに、観光へときリ変えた父の黒船に乗って。
それが今となっては泥舟だったのかもしれませんが、高山は「ディスカバジャパン」の国鉄のキャンペーンの風に乗って、日の目を浴びた郷愁の観光地です。
わたしもそこに育ってきた飛騨人の一人です。

今年は高山線開通80周年の節目の年でもあります。


私の育つ時代、その時代すらも、もう大昔というレトロという言葉の中に押し込められる事になりました。
レトロを懐かしんだり、かえって新しくものを見るように、感動してくださればそれはそれでいいことなのです。
努力も義理も人情の人心もみんな薄れてきてしまって、過去を捨てて全身の実の現代は自分の影ふみもできない日本人なのかもしれません。

もう前に進むことしか考えなくなっている日本人。少しさみしい感じです。
きもの一つをとっても、懐かしみ、手に取り少しその思い出に浸る時間も大切かと思います。お姑さんの大切にしてきた着物は、初七日が終わると、さっさとごみ袋に突っ込んでごみ収集に出して捨ててしまう時代。

「もったいない」というと、「背丈や寸法も違うし、流行も違う。
それに古臭いものを何の利用もできないし、手入れなんてできない。」
という声が帰ってくる。
過去に戻ることは恥ずかしいことのように、考える現代の風潮にいささか物申したい気分ですがそれも時代の波なのかもしれません。

どんな高価な着物でも、今の着物や帯に比べると確かに見劣りする古臭いものかもしれません。お金の価値よりも、愛着のほうが先に立つのかもしれません。
だからこそ。むしろよけい、捨てたくなってしまうのでしょうか。
複雑な感情が見え隠れしますが「姑の着物を売りに言ったら一枚800円だったよ。あんなにいい着物だから。これは高かったのだから」と言われていたからもう少し出るかと思ったのにね。そんな話をよく聞きます。

ほどいたきもの時がよみがえります。

今年の秋は着物体験館のさらなる準備として、たくさんの着物を買い付けました。
近所の人からは恐れ多くて、古物商の免許は持っていますが買い付けることは出来そうもなく、インターネットなどで買っています。
季節の気分を変えて、とっかえひっかえ展示しはて行ければ。
楽しいかなーと思います。土蔵蔵から古い着物も見つけてきました。

今のところ宿の小さな売店に、着物をほどいた袋物などを置いています。
きもののはしキレなども材料としておいています。
お気に召すものがあればお買い求めください。
すべて絹です。正絹の物は触っていても手触りがいいものです。そして絹は冬暖かくて夏涼しい。何しろ絹はお蚕さんが命を履いて作った糸なのです。
現代の化学繊維とは違った良さがあります。

着物や道行きコートなどをほどき糸くずを取りアイロンをかけて、二尺寸法ではさみを入れています。約一メートル程度の長さです。
100円から400円程度の値段です。
何かしら小間物を作るときとても便利です。手芸好きなお友達やむすめさんへのおみやげにしてくださいね。

袋物にしたり、前掛けにしたり、あずま袋にしたり加工してくれるチームは、
老人介護施設のボランティア活動をしているのは素人集団です。
この地域の農家の閑散期に。お茶菓子持って集まって、楽しみながら活動している老夫人たちです。
子育ても終わって嫁育ても終わった、孫のお守すらもなくなっった、元気な人々のようです。

「いずれは私達だって、老人介護の予備軍だよー」などと言い合って楽しく集まっては作業してくれます。
加工賃に、私は一作品に250円の手間賃を支払うことにしました。
そのボランティアグループは売り上げを、そっくりためていて寄付活動に使うそうです。素晴らしい活動だと思いませんか。
何の役員でも何でもない、ただの農家のおばちゃん屋まだまだね付してはおられないというおばあちゃん達の集団です。
ミシンかけたり紐を閉じたりするのです。
私もそんな作業を知って形は違うのですが陰ながら応援することにしました。巡り巡ってこの気持ちが善意として役に立てばありがたいです。
みんなで助け合うのが日本人のいいところですから。

きもの布で作った小物です。

自分で作品を作って、委託でおいている人もありますが。
今年から冬仕事に、和服を着た時にもちょっとまきつけるエプロンや前掛けを作ることにしました。布地をを選び。デザインを支持して縫い糸も選び渡します。
すべてが一点物に近い感じのものです。
洋服の時にも使えます。
晴れ着も自宅にいる時は同じ絹の物で、腰にまとっていれば犬が飛びついてー来ても汚れません。
法事や結婚式の留袖や、そんな時に断然活躍することでしょう。
ちょっとした工夫で着物を大切に着られれます。

そして犬たちを大事な服を着ているから大事な着物を着ているからと邪険に扱わないでも済む。そんな巻きスカートを作ることにしました。
考えようによってはジーパンの上にも巻きつけてニューファッションになるかもしれません。
外国の人たちは和柄が大好きな人も居ます。
彼ら彼女らはコーディートは抜群です。
だから私は着物を今期にほどいてもう一度加工して、再生の命を吹き込みたいのです。その収益が老人福祉活動の資金になれば。
其れこそ趣味の華が咲く、ささやかな蓮華畑のようですね。
現代生活の真逆にありながら、着物にあこがれる和服という民族衣装は活動的な生活とは真逆の性質をもつものなので。
着慣れていない現代の人たちは、一度着るたびにクリーニングというのも切ないものです。何とか虫干しの時にでも、家の中に風を入れ陰干ししながらももう一度管理をしてみたいものです。

着物を解くこともアイロンをかけて糸ののごみを取ることも根気のいるコツコツとした仕事です。お金になる仕事ではありませんが楽しみを産む仕事です。
退屈で寒い冬を楽しく乗り切るために。お金じゃないのよ。ハートだよと一人つぶやきながら着物をほどい酢ています。着物を縫ってたことがあるから、着物ほどけるのです。

小さな売店

弁天荘の人が一人立つといっぱいの本当に小さな売店で、そんな「女将の気持」ちを見つけてもらえれば幸いです。
寒くなりました。風邪などひかれませんように。
いつも最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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着物体験館の準備に楽しい夢をを広げています。

いよいよ、秋が山から里に下りてきました。
白い冠を付けた遠くから見る岳山は美しいので、よく晴れたお天気の良い日には眺めるには素晴らしいものがあります。10月の最後の土日が無時住みました。
とても多くの車が奥飛騨に入っていたようです。
今夜も光の列を、なしてわが家度の前の国道158号は、車が通り過ぎています。

弁天荘全景夏
毎日の朝晩に寒暖差があるので、今年の紅葉はきれいなのですね。

毎日深まりゆく秋を、身に染みて感じています。
朝晩の10度程度の寒さはストーブなしではいられません。
囲炉裏の火が恋しい季節です。母屋は父が住んでいるので火の始末は簡単なストーブだけです。
昔は大勢の家族と共に暮らしていましたが、今ではさみしい限りです。
すっかり私も年を取りまして、みるみる体が、衰えていくことを感じる日々です。
特に脳出血をしてからもう8年も生きていられたことが、本当に命の尊さを、つくづく思う限りです。

先日土蔵蔵に入って母の着物や祖母の着物を探し出しましたが。
尺を図ってみてどうして、昔の人はこんなに小さかったのだろうとつくづく考えてしまいます。
懐かしい母の着物も祖母の着物も古くて飾っておくにはいいのですが。
体験に使おうとするには、着物自体の布地にも糸目にも、力がありませんし、なかなか帯に短したすきに長しと言ったところでしょうか。
難しいものがあります。

ほどいて、介護施設にボランティア活動の寄付活動をしている人たちのグループに布を預けて。小物を作ってもらうことも新しい楽しみです。
いろんな小物に作り替える程度になります。袋物だったり。布祖の物だったり。
それでもいつか形を変えて、もう一度再生の場を与えることも。
この着物の命がよみがえることだと信じます。
そう思うと楽しくてなりません。

二部式着物その一

昔の人たちは、背丈がなかったのか。それとも着物を短めに着てていたのか。
外国の人のサイズには、すぐに利用できるものではありません。
二部式に仕立て直して、着せられる様に加工したものでなければ。
サイズの調整に無理があります。ウエスト廻り。ヒップのサイズ。バストのサイズなのです。
日本人でも、補正しないと着こなせられない着物を何とか外国の人たちに着せようという私の考えなので、なかなか大変なところがあります。
でも何とかなるものです。
「喜んでもらえることが、新しい風」だと信じて。
そう思って向かうことが私の楽しい生き方なのです。
今年もこれから旅館の冬休みを利用して腰ひも作りや、補正用のバスタオルなどの準備をしていまく予定です。

ドイツの3人娘

身長も一回り高く、身幅も日本人よりも一回りも二回りもワイドな外国の人を相手にどんな着物を提供できるかは。私の準備の範囲になります。

誰もやっていないことに向かうときは、新しい道を歩くときの慎重さを求められるように。急がず入念な準備が必要と思います。
その準備を考えているだけで楽しくなり、わくわくしてくるからです。
それが私の生きがいとなり活力となります。

宿の方は、相変わらず゛犬たちのためにやっていけるところまで頑張ろうかと思っています。高山市は今年間20万人のの外国人観光客が訪れています。
さらに、当面の目標は50万60万人の人たちを呼び込み、頑張って行くそうです。すごい国際化ですね。

外国の人々が何を喜び何を共感してもらえるかは、これからの着物体験館としての運営スタイルの在り方が。求められることだと思います。
だから私なりのポリシイ信じて。着物体験館で対応していく方針のままにしていこうと考えています。

外国人受け入れの宿としての形は今のところ考えていません。
私は犬や猫が好きだから。
これまでコツコツと歩いてきた道を頑張りたいのです。
体が続く限り。そして弁天荘を選んでくださるお客様がづづく限り。
お客様に感謝して、幸せに浸っていたいと思います。
短い犬や猫たちの命に接して、常に携われる場所にわが身を置いておきたいと、思っています。
黒ラブ集合家族旅行写真。

そして冬は、冬で私の趣味の館を披露する時と考えれば。
それはそれで楽しいことなのです。
福祉活動に頑張っている人々の、ほんの少しでもお手伝いができりれば。
そんなことを思い着物をほどき、縫い糸を取り。アイロンをかけて。
そんな細かな作業も楽しいものです。

小さな宿の売店で、一つ二つと売れていく袋物にも、再利用されていく蚕たちの命を懸けて作り出してきた絹糸の在り方なのです。
そう思うと着物としての、晴れの場を活躍してきた布をいとおしむことに。
素晴らしい夢と理想が広がって行きます。

色内掛け孔雀

それが一つの仕事として道が広がって行くことを信じて。
長い冬にまた一つ楽しみ過ごしていきます。
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冷たい雨になりましたが、囲炉裏に炭火。楽しかったです。

ドイツの3人娘

着物体験館で着物体験がしたいと日本語で、3人のドイツの女の子だからと予約の問い合わせがありました。
今年も冬は寒いのでクローズしていましたが、予約だけはご希望とあらば宿が暇な日には受け付けたほうがと思い。
クローズの看板外しました。春の連休も済んだ後の平日です。そして今日は午後から雨。隣の着物体験館で、楽しい時間を過ごしました。

着物体験  26-3/26日ドイツ

若いということはいいですねー。
何を着せても似合うのです。
今日は肌寒い気温なので、最近の着物は帯付きが普通なのですが、最後に羽織を着せました。明日はドイツに帰るそうです。楽しい日本の思い出に楽しい時間が過ごしたかったのだそうです。
だから思い出に残ることがしたかったのだそうです。

日本へは医学生として交換留学としてきていたそうです。
思い出のお手伝いができてよかったと思います。
片言の日本語と片言の英語でなんとかなるものですね。
男子医学生が通訳してくれて、あっという間に2時間が終わりました。

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と学生さんらしい。素直な歓喜の声が聞けました。
小さな粒が花開いてくれればうれしいです。
私が思い描いていた長い間集めてきた、すきな着物のコレクション。
素直な笑顔と言葉が返ってきて、飛騨にはない物珍しさと喜びと感動。
私のほしかった笑顔です。
私の演出したかった空気間なのです。
異空間の国境を越えた喜びに、驚いて感動して。
はしゃいでくださることは私の努力が認められていくということ。

「着物体験館の看板をあげていて、よかったなー」と思いました。
私自身が時を忘れて楽しんでいました。
父も叔母も宿とはまた違う。
面白くて、素朴なお仕事ができてよかったです。

何もかも前向きに考えて。明るく貧乏所帯の屋台骨をしょって、楽しく頑張ろうっと思います。私の目はいま世界に向かっています。きっと私のこの古い家の建物を生かした田舎の素朴な空間。楽しくて面白いと思ってくれる人たちが広がっていくことだと嬉しいのです。
世界はすごく広いのです。そしていろんな文化があります。
生活も様々ですが、日本は、はとても美しい国です。
その四季折々で、民族衣装の日本の着物は、素晴らしい文化です。
私ごときが声を大にして叫ぶのはおこがましいことなのですが。

ドイツの3人娘

私のまいた小さな花の粒が、大きく咲いてくれるのは、まだまだ先のことで、、。
今はその一粒一粒を汗してまいていて行く時なのかもしれません。
小さなことからコツコツと。頑張れ頑張れ、私、、。

何はともあれ。
宿と着物体験館とベットホテルと無農薬野菜畑。
私は、好きなことばかりチョイスしているので、あまりもうからないけれど。

お金だけではないとは思いながらも、夢と収入がつながれば最高なのですが。
たった一つの命の燃やし方。
わたしらしい忙しさの中、私らしくがちゃがちゃに働いて。
優雅そうに見える舞台裏は結構な、ハツカネズミだったりして。

うふふふ、、。
でも、くるくる走っているって素晴らしいことです。
ずっと動いていないと死んでしまう。
私は弁天荘という小さな水槽の回遊魚なのでしょうか。
今年も息抜きの冬を終えたのだから、
シーズンに向かって頑張るって、たのしいことですね。
腰の痛みが、なければ本当に天国です。

雨降りは、ずっと腰痛持ち。
天気予報のような私の体の、骨や神経たち。

皆さんも春ですから。ぜひわんこ連れで。
残念ながら、着物体験館は入れないけれど、宿で飛騨牛と私の手作りの料理作って待っています。
甘えん坊のジョン
飛騨へおいでください。
今夜は短めですが。これでまた書きます。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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この雪が消えて暖かい春になったら。

3月3日には飛騨高山にゅうかわ地区はまだ雪の中。
「はーるよ来い。はー役来い。歩き始めたみよちゃんがーー。」
むかし昔懐かしい童謡の歌にあるように。
3月3日のお雛様の節句は、飛騨地区では4月3日にやるところが、本来の昔ながらでした。でも今では4月3日というような飛騨ならではの、1か月後れの行事も少なくなったようです。なぜ飛騨のひな祭りは3月でなくて4月なのでしょう。

古民家囲炉裏夏バージョン

なぜかというと、3月初旬は飛騨は春とは呼べないほどまだ雪が多く残っているからです。
まだまだ雪が解け始めたばかりの状態だ゛からです。
最近ではそんな景色には関係なく全国的な行事として、受け止める若いお母さんたちがたくさんいたりして。
そういえば、そのころは転勤や、進学や入学の準備やらで何かと忙しいのです。
飛騨でも街中の幼稚園などでは3月に雛絶句としての行事をやるところも多いらしいのです。
女の子はかわいらしく華やかに、お祝いはなんどでもしてあげたいくらいですよね。着物を着る機会もすっかり少なくなりましたしね。

ところでお客さまからのリクエストも多く声が聞かれますので。
着物体験館にたくさん集まってきている着物を何十枚か解きましたので、40年から50年くらい過去の着物布ですが、お針事やパッチワーク袋物づくりなどにお好きな方たちが、手芸用布として色とりどりのものをそろえましたので、お土産にでもなさいますよう。飛騨高山の思い出としてのはぎれのセットを作りました。
お安く販売していこうと思っています。
もう一度それらのはぎれで、お好きなものを作っていただければ。
と願っております。
旅館のウインドウの中に展示販売しておきますのでよろしかったらお手にとってお確かめください。

古民家の広縁

また着物体験館のほうでも袋物や小物などは制作工房を探しておりましたら素敵な作品を提案していらっしゃる方が見つかりましたので、4月より制作についての打ち合わせなどして、順次作品は発表していこうと考えております。

残念ながら、着物体験館はわんこちゃんもニャン子ちゃんも入れないことになっていますが。旅館のほうでご家族様にお留守番していてもらって、お母様とお嬢様というような取り合わせで見学していただいたりはできるようにしたいと思いますので、それも順次準備をしていきたいと思っています。
今しばらく春が来るのをお待ちくださいませ。

旅館のほうは、例年のごとしく、長らく冬休みを取らせていただいていて、勝手をいたしておりましたが、3月20日より通常営業をいたしますので、どうぞよろしくお待ちいたしております。

ご予約ぜひぜひお待ち申し上げております。
では、今夜はこれで。
予告編みたいな前宣伝ばかりですみません。
ときおりここのぶろぐもかいていきますのであそびにきてみてくださいね。
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着物体験館について

着物体験館は只今はクローズしています。

一人二人と、たまに日本の方が訪ねてこられるのですが。
高山市の市役所からも、問い合わせあるのですが。隣の宿のほうが忙しくって、そんないつ来るかわからない一人二人のお客様には、ついていられないのです。
結局、占めています。

お庭の景色

私は「ジョンノ家」というペットホテルと、「着物体験館」という古民家の建物とペットと泊まれる「旅館弁天荘」と「畑や田んぼ」が私の管理しなければならない責務なのです。私一人では何ともなりません。

山は森林組合から補助金もらって間伐したり。下刈りをしたりして、毎年手入するように。と森林組合からは言われていますが。とても何十丁部のところにお金をかける気になれなくて、触らないことにしています。
雑木林も生えていますので。
もう道すらもなくなっているでしょう。
道をつけてまで管理することは、収支が合わなくて、できない時代になっています。
晩秋の紅葉

田んぼも畑にして頑張って耕作していたころもありましたけれど、売上の上がらない維持管理が多くて、今はひとやすみというところです。

草ぼうぼうが通り越して耕作放棄地のようになっています。
コスモスも霜に打たれて、今は何とも情けない荒涼とした景色になっています。

何年か前には田んぼとして農協に貸してとも思いましたが農協の考え方は作って維持してあげるのだから「借地料は0円。」
それでも田んぼにしていれば目立たなくていいかーと思い。
3年の約束で貸しましたが、5年も自動敵契約更新とかで、結局無料で貸してしまう結果になりましてた。

農協の職員ではない人が、藁球を飛騨牛に食べさせるとかで、わらは全部買い取ったということでした。何か愕然としました。
「何もそこまでして作ってもらわなくてもいいです。」
田んぼは飛騨餅を作っていました。

ここの土地は飛騨餅は比較的管理が楽なのです。
収穫した後藁を田んぼに播いて、土地にお礼をするのが大地への感謝と思っていた。
そんな私の目の前で、全面委譲とはいえ「藁まで金に換える」農協のやり方は理解できませんでした。
私にとって、土地が毎年痩せていくのが嫌でした。
だから解約しました。
土地を貸さないことにしました。
毎年維持管理にたいそうなお金かがかかります。
この土地を維持するのも私の道楽の一つかもしれません。

コスモスの種をまいて保全農地にします。.jpg

今は、毎年何も植えずに。春は大型トラクターを入れて耕しています。
柳の木やクルミの木が生えてこないように。

維持管理のため。畑へ大型トラクター入れて耕作します。毎年そうしているのは、土の質を守るためです。有機農法には欠かせない、腐葉土を作っています。
黒土のわらかい土が見渡す限りできます。
土が肥えている証拠です。毎年夏になると見渡す限り草ぼうぼうです。
その草は腐葉土のもとになります。

7年くらい除草剤をまいていないので、花壇にも野菜畑にも。
何の問題もない腐葉土です。
いつか袋詰めにして売るような日が来るのでしょうか。

農業はもうできません。
今のところか好きにもなりません。
この土の上に家を建てるには耕土をめくらないと
がら土を入れ足り砕石を入れたりします。

とても広い農園

だから毎年、トラクターで策こむように。あてもなく続く作業です。
いつかその時が来るまで。大事に大事に自然のままにしています。
私は、もう農業は無理だと思います。

かといって外国からすべてを輸入するのではなく、
何か考えないといけないでしょう。

しかしとっさに、何をといえるほどのものはありません。
とりあえず近所の農家に貸して。「地主として」などという気にもなれません。
約00坪が一年1万円が相場だそうです。とても「耕作権」を渡してまで。
土地を貸す気にはなれません。
一ヘクタールたったの10万では、税金の足しにもなりません。

それにホウレンソウもトマトも恐ろしいほど消毒して作るから。
体に害のものなんて言う建前でも、結局は消毒です。病害消毒と殺虫消毒。
私は、農薬は使いたくないのです。

私は動物専門の宿屋をやっています。
犬たちが散歩するためには除草剤は使いたくないのです。
農地を貸してほしいという人もあります。
でも貸せません。

貸したら最後何も言えなくなるのが嫌なのです。
私がこの先体力的に。
宿もやれなくなった時のために。
私のコレクションの着物体験館というのを作っています。
そういう時が来たら着物体験館で着物をながめながら、暮らしたいのです。

何のために一生を費やして。宿屋をやってきたのでしょう。
私は20歳から宿に携わってきました。
かれこれ62歳になりますので、おかげで宿屋も40年越の仕事になりました。

古民家着物体験館全景

着物は好きで、わたしは着物を自分で仕立ててきていました。
私は師匠について、着物のお勉強をしていました。
弟は大学に進みました。私は和裁所に学校のような気分で通っていました。
そのころは私のようなプロを目指す人もたくさんいて、お嫁入り前の習い事としてくる人もいて。和裁所は華やかな娘さんたちでいつも笑い声が絶えませんでした。

私の楽しみは好きな着物に携わっていることが、唯一の楽しみでした。
コレクションがいつの間にか増えてしまいました。
だから日本文化をお伝えする一環として「着物体験館」を作りました。

さあこれからというときに、日本を取り巻く環境が゛ガラッと変わって。
尖閣諸島問題などで、個人のフリーの外国人受け入れは、とても恐ろしくてできませんでした。
いたずらされても。やたらに展示品を傷つけられても、汚されても。
困るからです。
玄関から、座敷に上がってもらうには、靴を脱いだりしていただかなくてはなりません。
そのためには玄関からお迎えして玄関で見送りするまで、ずっとついていなければならず。
着物体験館なのですから、着物を着てもらうこともできます。
突然来られて着物が来たいという意味のことをそれぞれのお国の言葉で言われても。大変困るのでクローズにしていました。
特殊な着物に作り替えています。これは軽装着物着付けのやり方です。
体験していただくためには、私なりの工夫があります。
結局斬新ともいえるやり方が着物体験館の方法なのです。

帯も着物もすべてほとんどが正絹で手触りの良いものです。

古民家の広縁

私のお勧めする着物は、本来の長着ではありません。

弁天荘着物体験館が今までにないやり方を考えだしましたので、簡単に外国の方が、日本の繊細な民族衣装である着物を体験できるようになっています。

これはだれも考え付かないかもしれません。
そしてそこまでは思いきれないかもしれません。
私が娘時代を「和裁士になりたい」と志を持って進んでいたのです。
そのころの感性が今の考えの基礎となっています。
そのころ列島改造論を唱える政治家が時代を引っ張っていました。
こんな田舎にまで、農業の曲がり角が押し寄せてきました。
庭先を観光という波が押し寄せてきました。

毎日、観光バスが目の前を通るようになって。
父の始めた家業となった宿屋を、手伝うことになって。
私の着物に対するあこがれや希望が一時棚上げ状態となりました。
否応なく宿に力を入れなければならなかったのです。
父のせっかく子供たちの将来を案じて、始めた仕事を失敗させないためにも。
娘時代は看板娘として皿洗いやお掃除に費やしました。

それがいつの間にか私の仕事になりました。

若いころ一生懸命勉強したり。
呉服屋さんの反物をを預かっていたりもしました。
旅館を始めたころは着物でお客さまにも接していました。

おかげさまでそのころの経験が生かされていています。
脳出血で倒れてから。今は体に障害がありますので、もう着物は着ることも縫うこともできません。
娘時代には、「着付け師」の勉強も少ししていました。

ただ大きくて寒いだけの、古い家を取り壊そうかとも思ったことがあります。
でもきれいに修復して私の好きな着物を眺めている館にしました。

昔の知識がきっと役立つと事だろう。そう思うと嬉しいものです。
まだまだいろんなことを学び足りません。まだまだ勉強です。
何十年か宿に携わってきて、良かったと思います。

現代の着物は活動的ではないといわれる時代において、日本の文化として、外国の人々に観光の通り道としてご案内できることはうれしいことです。

少しは私の「好きな着物」に関する知識は少しは役立津ことでしょう。
着付けの勉強もしていました。
人に着物を着せてそれなりの姿に仕上がるときは、とてもうれしいものです。
状態の良いものとして管理していくことは手間と暇と知識を要するものです。
長い間虫干しをしたり防虫剤を入れたり出したり、、。
私が袖を通して来た思い出の着物です。
お袖などは、お酌した時のお酒がしみていて、少しシミが残っているものもありますが。

二部式着物その一

外国の方が1時間2時間程度着て体験していただく程度には、何ら差し支えないものです。

むしろ。人様にそでを通していただけることが、とてもうれしく思っています。

だから美しい着物。職人の手の込んだ着物など。昭和時代の着物がたくさんあります。アンテークというものは、外国では100年以上前のものを言いますが、大正時代の着物も一部ありますが、ほとんどが昭和時代の着物です。
だからビンテージものといったほうがいいのかもしれません。

昭和時代の良き時代には、絹物もしっかりしたものが、多かったように思います。

展示した豪華な着物の古い古民家の中で、日本文化を体験していただき、形式にとらわれないスタイルでお茶などお振舞するのが、私なりの外国の人へのおもてなしと考えています。
私の考え方を理解していただき広めていただける人に出会えますようにと願っていました。待っていた甲斐があったというものです。
これからの時代が流れ始めたのかもしれません。
言葉の壁は不安が付きまといます。
だからツアーコンダクターや旅行会社の、説明を受けたちゃんとしたグループでないと怖いのです。日本語しか話せない私ですから。

前田公ゆかりの当家の仏壇

外国もあちらこちら若いころは行きましたが、どこもかしこも日本語が通じるのでした。だからこんな私でも、「団体の中にくっついていけば」ということで若いころはいろいろ、いけたのかもしれません。

好奇心は旅行を楽しくするものです。

そんな若いころの好奇心を思い出して着物体験館を作りました。

新しく作れば300万円400万円もする着物や打掛を、傷つけられたら二度と取り返しが付きません。
宿のようにまた犬を全面的に、入れるわけにもいきません。
宿は、犬や猫が好きな私が、犬や猫たちが飼い主さんと離れないで泊まれるようにと。そんなことを願い、好きで動物専門の旅館をやっています。
建物がそれぞれ違うのでそれぞれのお客様がご利用いただければと思っています。

着物体験館は、おしっこでもされたら着物は復元できません。
洋服と違い、簡単にドライクリーニングというわけにはいかないからです。

そんなこんなで看板は、クローズしたままになっています。

宿の前の道.jpg

今日。通り掛けに面白い話が転がり込んできました。
オーストラリアの大きな都市のツアーコンダクターの人が、
「弁天荘着物体験館」の看板を見て。
「ぜひコースに取り入れたいから」という希望でした。

そういって「旅行会社の人」が訪ねてこられました。

来年からの日本の飛騨のルートのコースに設定らしいですが。
今日は、その人に館内を説明して歩いただけで宿に戻りました。
なんといっても土曜日ですから。
お客様が犬たちを連れてお泊りになっているのです。
そんなわけで、この話はこれから進んでいくことでしょう。

よく知っている旅行会社が、間に入っているから大丈夫だろうと思います。

日本の、飛騨高山の「お。も。て。な。し」
私の思い描いている時代、が来るかもしれません。
わくわくする楽しいお仕事です。

私の進むべき道は、いつもオリジナルであることが、いばらの道を明るく照らしてくれます。希望という光は力強いものです。光に導かれて道が広がっていくのです。
ホシガキツルシマシタ

父もいつの間にか横に座って、にこにこと話を聞いていました。
せっかくきれいにした館内を、「生活の場のようにして、汚す野はいけない」と昨日は口ゲンカ。でも一時休戦です。
父が嬉しそうにする、顔を眺めて私の心も安らいだ気分です。

父も90歳。私はもう62歳。年寄の楽しみの仕事が始まりそうです。
「質の良い外国のお客さまを相手に。いろりの火のばんでもしていましょうかねー。」
ウーロン茶でもないコーヒーでもない。
堅苦しいお抹茶でもない緑茶をふるまって。
飛騨の駄菓子とともにさりげなく、おすすめして。
遠いところから、親戚が訪ねてきた時のように。
暖かくおもてなしできれば私も楽しいかなーと考えています。

私はそんな風に、飛騨高山にゅうかわの里が売りたいのです。
裏の田んぼは、しばらく見ないことにしましょう。
TTP問題はどうなったのでしょうね。

梅畑のドックラン

ドックランのそばの梅の木は、来年も花咲くことでしょう。
来年は選定して手入れします。
管理することは、お金を湯水のように必要としますが「維持費」という言葉があるのですから。昔からお金はかかるものなのでしょう。

植えてから来年は6年目になります。
梅の実がなるのを楽しみに待っています。

なり始めたら梅の実を取って、お持ち帰りいただけるようにしたいのですね。

今夜のお話は、これでおしまいです。
どこに出会いが始まるかわかりません。
チャンスは不意に訪れるのでコツコツと前を向いて歩いていれば、ページをめくるように月日が流れて、、。
自分の生きていた道が振り返った時に、見えるようになるでしょう。
それが人生かもしれません。

古民家囲炉裏夏バージョン

高みを目指す必要はありません。
身の丈に合った生き方がしたいものです。
ではおやすみなさい。
いつも、最後まで読んでくれてありがとう。
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