私の旦那様と別れた時。

大テマリの花

車いすで退院した私は、懐かしいわが家に帰ってホッとするもつかの間。
「こんなふうになってしまって。どうする気だこれから!!」

まず私の愛する旦那様は、そういう言葉を投げつけてきた。

「どうするって。このまま宿を続けていくのよ。みんなも頑張ってくれているし。左手はもう、ちょっとだけどきっと練習すれば、きっと治るわ。右手は。ほら何ともないでしょう。」そう言ってぐうちょきばあをして見せた。

それから一週間たったある日の晩。
救急車の中に横たわっている彼。
わたしはたまらない気持ちで彼の力なくだらりと下がった手をさすりながら。
あと病院まで搬送5分。4分3分と読み上げていく。
救急搬送のサイレンすら遠くに聞こえる程。
高山の夜の街の信号もみんなすっ飛ばして、走り抜けていく。
自分と横たわった旦那が光よりも早く走り抜けているような気がした。

高山日赤には何人かの医師と看護師さんが待ち受けていてくれた。
てきぱきとした動きが事の重大さを物語っているようだった。
わたしは恐る恐る静かに薄暗い病院の廊下を車椅子のゴムタイヤをまわしてすすんだ。キシュキシュと廊下にゴムタイヤの音が角を回るたびに響く。
待合室で何時間か待たされた。長い沈黙が流れた。

待合室のドアが開き。ようやく説明が医師から伝えられた。
「雲幕下動脈破裂」だということだった。聞きなれない難しい病名に
うなだれて説明を聞くより仕方なかった。

青空に桜吹雪

その翌日から毎日毎日。雨が降ろうと槍が降ろうと、私はタクシーでお見舞いに通った。
車いすの私が、骸骨のようにやせ細って横たわっている目の前の彼に、何がしてやれるわけでもない。
むなしい窓辺に雪が深々と積もって行くばかり。
わたしは「彼のそばについていたい」と思い、宿を雪解けの春まで休業することにした。
脈拍が40くらいになった時看護婦さんが、着物ありましたら今のうちに着せてあげますのでと言われた時。タクシーで慌てて取に帰った箪笥の中から、しばらく
「することすら忘れていた結婚指輪」と、私が元気なころ、彼のために一針一針手縫いした浴衣を持って帰って、看護師さんに着せてもらった。

「良く似合うよ。もう一度歩こう」そう耳元でささやく声すらもむなしいばかりに。酸素呼吸器の酸素マスクが音とともに外された。
ピーと機会が無情な音を立てた。40。20ー。10ー。8−−−。
病院とは生きて帰ってくるところでもあり。
死んで戻って行くところでもある事実。生と死が、そこに同時に存在する。

何食わない顔で、懐中電灯照らしてみ廻る看護師さん。そして冗談言って笑いを取ってる白衣を着たお医者さん。
そんな中にも組織の中で生きる苦悩があるようだ。

「ぼくが推薦する特養で嫌だというのなら、自宅看護に切りかえるより仕方がないですねー。」やんわりとした脅し。
ダメ押しのように攻めてくる、そのリズムの響きがとても嫌だった。
人間はどうして駆け引きをしてくるのだろう。
その計算高い人間性の鋭さに、すこし息苦しさすら覚えた。
ゲームに播けた人が最後に叫ぶように。

言葉にはならない感情がいつもいつも心の中にたまって行く。
静かにちりほこりのように。

今私はもう一つの命のおもさねも負っている。90歳を超えてなおも元気な父。
その命の終わりを見届けるまでは。何もできない。

確実にそうすることが、生き残る確かな道かもしれないと思うのだが。
「父」という私を、この世に送り出してくれた。
DNAを切り捨てるわけにはいかない。

それも私の愛から。「俺が死んでみろ、世の中はみんなして食いにかかってくるからなー。俺は死ねんのじゃー」いつもそんなことばかり言う父親。
深い、ため息が出る。
「それが共倒れになるよ」と言われても、いけるところまで行ってみないことには。何事もないように悟られないように。
いつも時代の選択をしなければならない。

急激なブレーキと進路変更は凍った道でスピンするごとく。
まさかのかじ取りができなくなることの方が怖い。

ほんの少しの出会いの中で得る知恵は、無難を通り越えた進路変更は、舵の取れなくなった船と一緒。どうせ難破船になるなら、さすらってみるもよし。
気ままにじっくりと風が吹くまで待つもよし。

あがいてあがいて、どんどん暗いふちに落ちていくよりも、真夏の浜辺に打ち上げられて干からびて死ぬのもよし。
いつの時でも人生は選択くと覚悟の世界。

水仙さきました。

あんなにどなって、わめいていたあの人は、ピクリともしない。
夫婦とは不思議なものだと思う。

多分追いかけたのは私。未だ今よりは若かったから。
都会の中に暮らしてきた男を田舎の山奥まで連れてきた。

男というものが、あんなに乱暴なものだとは。夢にも思わないで私は、お婿さんに迎えた。生きてきた素性の中に。苦労というヒビが入っているとも気ずかずに。

案の定彼は背広を脱ぎ棄てて、真っ黒に日焼けした野の男になった。
そして少年のようなキラキラした目を輝かして。
生まれて初めての農業にチャレンジしていた。基礎がないから大変だったとは思う。ちなみに弟は、農業高校の教師。長男の視線の中で姉の婿をやるには大変だったのだろう。町内会にも、よそ者として顔を出さなければいけない「家」という大看板背負う。苦痛。
きっと草刈り機も初めて使ったのだろう。
宿屋の窓辺からブーンブーンと遠くに音が聞こえてくる。
時折混ざる小石があたっているチーンとした音。

彼は「宿屋みたいな仕事は嫌いだ」というので「好きすれば。」と自由ににさせておいた。そうすることがいたわりだと錯覚してしまったのが私の誤算。

まるで引綱を外された子犬のように。
彼の日々はまるで毎日が日曜日だった。
彼は少年の日にやり残したかのように。
嬉々として釣りに行ったり、麦わら帽子かぶって一輪車に犬をつないで畑に行く。
まるで私は、「少年」という子供をもらってきたようものだった。
「一つ年上のくせに。」年下の男の子みたいだ。
ずっと腹の中に、何かが少しづつたまり続けていた。

枝が折れても咲いているさくら

夫婦とはふしぎなものです。えにしがあってむすばれた男女です。

相棒でもない、恋人でもない。まして戦友でもない。

同じ部屋の中で同じ空気を吸っているのに。居てもいなくても苦にならない。
むしろいるのが当たり前で。そのくせ不都合なことがあると。
「あんたのせい」だなんて思ってしまう。
それでもいつしか、「あの人はそんな人なんだから。なんて」

そんな風に自分を言い聞かせてしまう。

バタバタと親戚縁者の人々が集まってきて。
私が「ぽうー」としている間に。人間の最後の儀式はことなくすすめられていった。

焼き場の煙の中に、彼の生身の姿が消えて行った。

ごろごろと引き出された灰の中から。カランコロンと死ぬ間際にはめてやった、プラチナの指輪が出てきた。私はまだ暑い灰の中からそれを金串で拾った。
これが本当に彼を失ったことの現実なんだと自覚した。
皆いつかは死ぬ。

私のあったことない何百年も前からの先祖が。
生きているうちには会えないひ孫や玄孫のために。残してくれたわずかな財産を、私は、ばくちの種に使っている。
成功したからと言っても所詮。税務署に収める金を稼いでいくだけの物。

今楽しいと言っている人々も、10年もすればしわくちゃになるに違いない。
そして本当の喜びは、何なのか。
自分が遠回りしてきたことに気ずく日があるだろう。

そんな時にこそ、自分が、いとおしいものに見えてくるのは、哀れで切なすぎる気がするから。時の分と書く。自分の分に進むべき道の在り方を、いつも描いていなければならない。

七回忌もとっくにすんだのに、私は旦那様の事を今でも私は思っている。
きっとあの人が私に車椅子から下りて歩けるようにしてくれたのだ。
きっと私に寿命をくれて行ったのだ。そう思っている。

これが生身のまま。
離婚していたらどうなっていたのだろうと思うと。

紙切れ一枚でつながっていることには違いないが。
結婚しているという心の中のゆとりが私を
「何もしてくれない亭主でけっこう!!」という意地に。
私を気丈な、女にしてくれた。

死に別れというものは、何とも未練の塊がさまよう。
「わたしが。残された私が供養してあげなければ」と思ってしまう。

きっと冷たい言葉を浴びせられ。
共に暮らすという現実もなく、勝手なことをしている旦那だったら。
紙風船を蹴っ飛ばすように。離婚届の班を押していただろう。

でもよかった。
私は離婚せずに「彼の一生を最後まで看取って。良かったー」と思う。
どんなに欲張っても、灰になってまで。何一つ持っていけない。
私は約束手形はいっさい切らないことにしている。先付小切手も切らない今のやり方。ふり幅は狭いかもしれないが。地道で無難な世界。
堅実が一番と思っているこの頃。

せっかく婿に来たのに、この家の家系にオスとしての子孫繁栄には貢献できないままに。あの世に旅立ってしまったけれども。
思い出してやらなくては。
私くらいが、彼の生きていたことを覚えていてあげなければ。

それが何が何でも「契りの約束」をした片割れなのだから。
生きていることはそんなに楽しい事ばかりではないけれど。

イチゴ

きっと神様に試されている。
生きている此の世のほうが苦しいのですから。

だから生きていく途中の毒素は吐きだしながら。
それでも一年一年を生きていくのです。

私はキリスト教信者でもないけれど。信心深い仏教徒でもないけれど。
生きている以上、口から物をかみ。
ごくりと水が飲めるうちは、ありがたいことだと。
そう感謝しなければといつも思っている。
バタバタと倒れていく同業者の中で。
遠くから泊りにやってきてくれて、「大丈夫だよって」声かけてくれる人がある限り。
とても生きているって素敵なことだと思うのです。

人を愛する気持ちは、若いときの情熱のままに。
なまめかしい物だけではないような気がします。

そして宿屋の女将は、女でもなく男でもない。そんな気がします。
そんなような優しさを持って。
どなた様も受け入れ包み込んであげたいと思うのです。
客と宿の女将という間に。一枚の薄紙をはさんで。そこに置いた扇子を超えないように。ありのままでこびへつらいもなく。

お金だけではない優しさという、裾野に向かって。
頂点に向かっている人はいつも険しい道に重い責任を背負って歩き続けています。
だからそうであるからこそ。病院もある意味での客商売。

だからこそ、その人の苦しい胸の内が見えてしまうのです。

そして傷だらけになった者だけが見えてしまう、笑っている笑顔の中に、暗い淵が見えてしまうのです。重い荷物をせおっって進む後姿が。

偏見でも何でもなく。人という一つの生命体に。
見て見ぬするふりをすればよいのでしょうか。
やがて枯れていく命なのですから。

宿屋にはいろんな人が来ます。基本的には、一夜のお部屋をお貸しする仕事。
人の心に寄り添ってあげることはとてもしんどいものです。
はるかに短い犬や猫の命。

煮干しを一匹づつ食べます。

わたしはそんな犬や猫に安らぎと救いを求めて満たされています。

まだまだ生きることに、修行中の身です。
犬や猫に安らぎを求めるのも、同じことです。私の命を犬の背中に乗せてどっこいしょと立ち上がろうとするのですから。

しかし犬や猫を持たない人を、このちいさな館に受け入れるということは
今までに節したことない人々を受け入れることなのです。

「賢明な選択をしてきたんだね」とあったこともないご先祖様に褒めてもらいたいから。犬好きな、着物好きな。あたらしいお客様をお迎えしたいと思いました。


今日も長い私のブログ最後まで寄り添ってお付き合いくださり、
ありがとうございます。

いつも、このブログを見てくださる方なのに、まだお泊りいただけてないお客様。

どなた様もいつかお目にかかれます日を楽しみにしています。
どうか、機会がありましたら。
是非「飛騨高山のペットと泊まれる旅館弁天荘」をご選択くださいませ。
心からお待ちいたしております。
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