今日は朝から雨。
雪の多い飛騨に暮らしている私達にとっては、春の雨はありがたい。
雪解けの春の雨です。
昨日からの雨は、駐車場に山のようにあった雪も、ずいぶん解してしまいました。
凍りついていた大地は、表面の雪だけではない、地中深くまでちがちに凍らせ草も木も、じっと我慢の冬眠。
春に近づいて行くことは、冬の間、身体の中でコチコチに固まっていた何かがじんわりと解けていくようです。
心の隅々まで、ほんわかとしていく気分。
今年はどんな人に出会えるのでしょうか。
新しいわんこちゃんたちに出会えるのでしょうね。
もしかしたら、このブログを見て下さっているお客様なのかもしれません。
今年は去年のような不幸な出来事がありませんように。
「大地におとなしくしていてください」とお願いするほかなりません。
人々は平野の住みやすい場所に家を建てて暮らすようになった。
寒くて山間の傾斜地に、5ヶ月間も冬の雪に閉ざされて暮らし続けてきた
そんな暮らしから、生活様式を少しづつ変えて、その時代時代に合った生き方をしてきたのかもしれない。
近頃のありようは、少子化で野山を駆け回る子供の姿を目にすることなどとても珍しくなった。
きっと、夕焼けがやたらとむなしく感じるようになるのだろう。
「童謡」の中の主人公は、もはや幼子ではなく、ご老人ばかりとなって。
山間地は人口が減るばかり。
都市には人があふれ、人の居ない田舎はますますのどかになっていく。
ちょっとした田舎の病院でさえ、病院はお年寄りの出会いの場のようになって、元気な歩ける人はまだいい。
そこまでの体力をなくしてしまわれた人々はお気の毒の限り。
家族も少ないので昔のような看護も出来ず、生活に追われるので仕事をやめない限り、家族の看病につききり、というわけにはいかない。
それ以上進展しない病人は、3ヶ月以上の入院はほとんど許されず、医療施設へ入居して回復と言うよりそうゆう施設へ、入居しての静養となる。
すんなり入所できるなどと甘く考えていたら大間違い。
150人から200単位での順番待ち。直面する大きな現実の壁が、ようしゃなくたちはだかる。とにもかくにも、順番待ちとなってしまう。
順番が来るとは具体的にどゆうことなのか。
このブログを目にしている方はその深い意味を理解してみてほしい。
近頃「行列のできるお店」といってやたらとはやるラーメン屋だとかケーキ屋などが、ニュース感覚で取り上げられている。
いなかでは行列のできる老人ホームとなってしまう。
これから10年先15年先は、もっと増えることだろう。
田舎の山間に点在する一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんが、雪に閉ざされてじっとすくむように点在して暮らして居ることになるだろう。
行政は当然雪かきもしなければならないし、雪下ろしもしなければならない。当然医療面から言っても。。。。希望があれば、病院の送り迎えや、買い物の送り迎えの支援をしなければならないだろう。
この先状況がもっと複雑多様化してくることへ不安はないのだろうか。