今年もありがとうございました。

今年もありがとうございました。

飛騨ねぎを取り込みました。

ついこの間春が来て、畑のことを心配していたとおもったのに、もう夏が過ぎ秋が過ぎ季節は冬に向かっています。
今年ももうクリスマスの音楽が流れています。
街の中は電飾でどこもかしこもピカピカです。
早く一年が過ぎてしまいます。
その次は正月で、なんだかんだと言っている間に節分が来ることでしょう。
毎年一年の過ぎ去るのが早く感じます。

これは私が年を取ったせいかもしれません。
朴ノ木平スキー場は12月の14日からオープンです。
それまでに本格的な雪が降るでしょうか。
最もこの頃のスキー場はスノーマシーンで雪を作って播くのですから、溶けてしまわない程度にさむければ、それで何とか天然雪が降るまでしのいでいけるのかもしれません。
私の宿の前の道路は、まだ雪は降っていません。

弁天荘全景夏

昔、小学生でジュニアスキーの団体で朴ノ木スキー場に来ていてくれていたお子さんも、今ではすっかり大きくなって立派な青年です。もうスキー場ができてから
何十年もたつのですから。むりはないのですがー。

お隣の民宿に年末年始はスキー指導員で泊まっていて、正月には家族みんなでそろって正月をなさいます。わんこちゃんも一緒です。

スキー客自体の人口が減ってしまって。なかなか時代の流れは光陰矢のごとしとはよく言ったものです。
昔は昔でそれなりに満足していたことなのですが。

今は、どことなくこうゆう季節には、周りがきらびやかになっただけ、田舎と街中の差が極端に違うような気がします。
福島のあんな事故があったにもかかわらず、電気代はお構いなしなのか、どこもかしこも電飾だらけ。
私はいまだに胸が締め付けられる悲しさを思います。
何もしてあげられないけれど、あのたくさんの動物たちはどうなったのだろう。
あの仮設住宅に住んでいる人々はどうなったのだろう。
何かできるのかと言ったら、個人の力など取るに足らないことでしかない。
でも、何か今すべきことがあるような気はします。

二階客室若松

外はやるせない冷たい雨です。

いつ地震が来ても津波が来てもおかしくないといいながら、山に住む人たちよりは海に住む人たちのほうがお金持ちなんだそうです。
山は自然に厳しいところを、切り開いて住んできて。
つつましくささやかに生きています。

人はそれぞれで掌に抱え込めるほどの幸せでも、幸せだと思える人は心が豊かなのです。何を欲張っても持って死んでいけるわけではありません。
どう生きてきたか。どう死んでいくかが、幸せのはかりなのかもしれません。
確かにお金という解決方法もあります。
でも外の人が数字だけ見て評価するには、あまりにも愚かしいことなのです。

そう思って今年も宿の中で身を粉にしてきました。
以外にも人のことはわからず、ずかずかと踏み入ってくるものです。
その都度その都度時が流れて国の方針も猫のこの眼球が変わるように動いて、先祖代々などという言葉はもう死語になるのかもしれません。
宿屋という、人に接する仕事は、時代とともに人の流行に合わせなければなりません。おのずと楽しいばかりではなく、苦労の多い仕事です。
だからかえって私に実子がいなくてよかったようにも思います。

25-5-30花とレオン3枚目.jpg
そして私も、インターネットで後継者探しをする時代が、くるのかもしれませんねー。今しばらく私の元気なうちは、楽しんでやれればと思っています。
みんなお客様がいい人たちなので。
今年ももうすぐ一年が終わろうとしています。
ありがとうございました心から御礼申し上げます。
なお年末年始はやっていますので
どうぞよろしくお引き立ちて出さいませ。
1月の連休成人の日まではやります。

らくてんよう写真「大」小川の湯.jpg

後は土日程度やります。家族ぶろで回転してお受けできる程度のお客様の数でしたらご希望の日もやります。夏のようにたくさんのお客様に対応することはできません。何しろ私の病気が脳梗塞なので今度倒れるわけにはいかないのです。
暖かくなったらまた頑張ります。では今年もありが年うございました。
弁天荘のブログ最後までお付き合いくださりありがとうございました。

甘えん坊のジョン
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11月だというのに、凍てつく寒さです。

「毎年こんなふうだったかなー」と、青く澄みきった寒々とした夜に目玉焼きのように黄色く大きな月が、満月で浮かんでいます。

夜の明るい空は、青白く澄みきっています。今夜は、息も凍るくらい寒いです。
明日は飛騨地方の朝はマイナスになるでしょう。
天気予報のお兄さんは、簡単に言ってくれるけれど。
本格的な冬を迎えるとなると、3か所の建物の合計40か所にも及ぶ、水道の電熱ヒーターのコンセットをつないだり。10か所にも及ぶ、手洗いや洗い場の水がスムーズに流れるかどうか点検したり。
いろいろやることがめまぐるしく、たくさんあります。
飛騨で冬を迎えるということは、そういうことなのです。

晩秋の紅葉

夕方私の部屋をのぞいてみたら、猫たちが「寒いよー寒いよー」と寄り添って寝ていました。私が部屋に立ち寄ると、駆け寄ってきて、2匹でしきりに何かを訴えているようです。
けさ部屋から出てくる時に、一日中ストーブつけっぱなしでは、灯油代も値上がりして電気代も値上がりするというのだもの。、、。窓から明るい日が差し込んでいましたので。猫たちに愚痴るように

「協力してね。お母さんの財布大変だからね。」
そういって温風機のスイッチをタイマーに切り替えてきました。
ところが私が部屋に帰った時はタイマースイッチが、うまく作動しなかったようでお部屋は7度でした。

年寄猫たちが、(どうしてこんな仕打ちをするの)とでもいいたそうに足元にじゃれ付き、抗議しています。尻尾をふんずけてしまいそうです。

「わかったわかった。はいはい。すぐ暖かくするからね。」
この寒空の下で、飛騨の長い冬に向かって、2匹の犬と8匹の猫たちを、これから路頭に迷わせるわけにはいかないのです。

老猫タマ

「節約して我慢できるところは我慢しない」と
いったまでのことなのに。こんなに切なく訴えかけられるとは、、。
年寄猫たちにとってはちょっときつい仕打ちだったようです。
机の引き出しに何気なく目をやると、猫の17歳は95歳すぎに当たるようです。

そういえばこの頃、とくに骨皮がごつごつとしてきて昔のように。
動作も機敏ではなく。皮下脂肪もなくて。ずいぶん軽くなりました。
寒さには敏感なのかもしれません。

年老いた私の父も「冬は嫌だ。寒くて体がうまく動けない。
バスに乗るのも転んではいけないので、介護タクシーで病院へ通わせてもらう」と言ってっていました。
父も、ここの所、背中も丸くなって体の線が崩れてきているような気がします。

「何百円で済むことだからそうしたほうがいいよ。」そういいました。
私が「そうしてください」と手続してあげて、支払いも私の口座から落ちるようにしたのにもかかわらず。「転ん出骨折でもしたら、もっと大変なことになるよ」
という私の言葉を振り切って。

なかなかいうことを聞かなかった父。

やれ「自由がない」とか。「路線バスのほうが安い」とか。
なんじゃかんじゃと理由をつけて、素直でなかった父ですが。

やっということ聞くようになったのかと思うと、これで一安心です。

帰ってくるまで心配しながら、油断もできず「常に父のことを気にかけていなければならない」ということも私にとっては神経の磨り減ることなのです。

現代は医学も進み、訪問看護も行き届くようになりました。
昔のように、人間は木が自然に枯れていくように。
老いて夕日が沈んでいくように静かにまぶしいほどに夕方のたそがれ、、。
そんな現実にはまだ私の父は、程遠いのかもしれません。

古民家古い襖絵

枯葉絵に描いたドラマのように、惜しまれながら死ぬことはできないようです。
「大往生」という言葉が持つ偉大さも権威も威厳もみんな使い果たして。
生き様のすべてをさらけ出して、命の枯れていくまで。
自分で見つめて生きなければならないのかもしれません。

「食欲はない」といいながら、「いたみどめだ」といい、お酒を飲んでいます。
昔のように正体がなくなるまで飲むということは、なくなりましたが。
それでもお酒が入ると、やたらに饒舌になりますので。
「痛み止め飲みすぎだよ。テレビと競争してしゃべらないでよ」と私はうるさがります。

「家で死にたい」ということが、どれほど大変なことなのか。
都会ではない、田舎の老後の在り方だからこそ。
それを望んでも許される現実があります。
そしてそうすることも、現代の終末期を迎えた永久の安らぎかとも思えるのです。

宿屋をしながら、老人を抱え込むことは、とても大変なことなのですが。
代々の先祖がそうしてきたように。
父がそれを望むというなら、今の訪問看護チームにシステムを託して前向きに対応策を考えていくのも、いずれは私の代になっても安心して老後を過ごせる元なのかもしれません。

古民家の軒下より

もちろん私は今の状態で犬や猫たちに接しながら、宿を続けていけるところまでがんばるのをいきがいにしていきたいのですが。
何もかも絞れるだけ絞って、「生き残る」ということは先々の衰えてくる体力衰えていく記憶力狭まれていく行動力。
何もかも楽しいことばかりでない現実を生きがいという言葉にすり替えて。
自分にムチ打ち、時をやり過ごしはて行くことは、大切な一時なのかもしれません。

「くじけないで、頑張っていこうよ。」
若さというものが、すべての欠けている現実の穴埋めしてくれた。
いまとなっては、若さの勢いは、もうどこを探しても見つかりそうにはありません。でも身の丈を信じて一筋の光を頼りに前に進むこと。
これが私には大切なのです。犬や猫たちの命のある限り。

暗い足元ばかり見つめていないで、出口をまさぐっていれば、きっとご褒美のように道が開けてくることでしょう。
そう思って。時をぼんやりと送ることにしています。
あまり肩に背負った重たい荷物のことは、深く考えないようにしたい。
と思います。
なかなか隣を見てもお向かいを見ても、皆さん整然と農業で生活を整えていらっしゃる。だからと言って決して楽なことがあるわけない。
体が動くうちはせっせと働くまでのこと。
お家事情がそれぞれ違うのだから。

アプローチを通り玄関へ.jpg

それはそれで現実はどんなページもありなのだ。
かといって嘆き悲しんで、さらなる不幸を呼び込むこともあるまいと思う。
さあーてこの冬は何を勉強しようか。
時間はたっぷりある。
年をと取ってからのほうが、いろんなことに立ち向かって、「学びを求める」ようになった。
こんな事だったら、若いかいうちにもっともっといろんなことを学んでおけばよかったとも思うが。
必要に応じて知識をかき集め、足らない部分は、熱心さで知りたいことを追及してマラべ売猪田今は世界中の図書館と通じているインターネットの時代なのだから。そういうことはすごくありがたいことだと思う。

若いときのように時間の使い方が、うまくできなくなって。
集中すらできないので、あれもこれもやりながら、楽しみに生きていくことになる。

そう望んで生きれる、私の生きざまは、私にとっては、とてもありがたてたいことだとて思う。
夢はいつまでも持っていたい。
昔、そんな歌があったてっけ、、。いつでも、ゆめーを。

外は空気も凍る寒さです。

明日お日様が山の間から少し顔をのぞかせている間に、銀行のATМで支払いの振込しておかなくては。必要な小物も買っておかなくては。
冬タイヤを履いてまでは、雪道は運転しないということに決めているので。
道路が凍っていない今の間に雑用はしておかないと。
美容院も行っておきたいし。

岩魚 骨酒.JPG

正月が過ぎて、成人の日の連休が終わったら、冬眠。
毎年の冬の過ごし方のパターン。
土曜日のたまにしかやっていない程度。
宿屋を忘れてしまわない程度の宿になってしまうから。
それでもお客様は、弁天荘のこと忘れてしまわないで。
思い出して来てくださる。

ありがたいことだと思う。感謝しています。いつもありがとう。
では風邪ひかれませんように。では、おやすみなさい。

らくてんよう写真「大」小川の湯.jpg
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雪がちらつきました。

晩秋の紅葉

11月13日テレビで「飛騨地方は雪が降るでしょう」と
予告していた通り、雪がちらちら舞っていました。

積もるほどではありませんが、寒さは半端なものではありませんでした。
いつまでも夏が居座っているうちに、秋を蹴散らして、急ぎ足で早い冬が来てしまったのですね。秋はどこへ行ってしまったのでしょう。

北風が吹き黄色く色づいた野山に晩秋のさみしさを、思わざるを得ません。
11月13日。お寺様にお願いして法要を務めました。
故、私の夫の7回忌も無時終えて、昨日は久々に会う親戚や、7回忌と母の23回忌の緊張からも解きほぐされて、少々お酒も飲みすぎてしまいました。

古民家に用こそ古座敷

おときの会食の席の料理も、ついつい食べ過ぎくらいに食べてしまったので。
今日は、ゆっくり目座゛目ました。午前中は犬や猫を相手に、少しのんびりしています。

午後から、旅館のロビーでパソコンの予約管理会社と打ち合わせなどをして、(来年4月からの消費税のことについて)お話しをしていました。

そこに一本の電話。
平湯峠の手前の平湯のスタンドで、パンクを直しているとか。車のタイヤを売ってくれるところを探しておいてほしい。
店が見つかったら知らせてほしいとのことでした。

トヨタクラウンの指定した番号の車のタイヤがあるところは、タイや専門のところしかないのです。
高山市中に、片っ端から問い合わせて5件目にやっと見つかり、お客様の形態電話にお知らせしてあげました。
高山は都会とは違ってそういう面では、なかなか専門的な店が少なくって。田舎町ですから、不便なところです。デイラーも少なくテレビでいうどこにでもありそうなタイや専門店もなかなか思うようにはいきません。

それでもお客様がおっしゃるタイヤのサイズが一本だけあって、ホッとしました。

客室例

お客様が玄関に立ち「おさわせいたしました。」
そういって、入って見えたので、「たいへんでしたね。おっんかれ様でした。」
そう言葉を交わし、私はやれやれとホッとした気持ちになりました。
走行中のパンク。幸い大きな事故につながらなくて、本当に良かった。良かった。

今日の仕事は、出納簿を記帳して今日こそは、早めに寝ようかと思います。
外は寒いので事務所はストーブをガンガンたいています。
温風機なので喉が渇いてお水ばかり飲んでいます。
テレビをつけるとついてもとの基調がくるってしまうので昔の懐かしいCDを聞きながら、ど演歌にどっぷり浸っています。

どうして演歌の歌詞はこんなにドラマチックなのでしょう。
激動のように流れ去った昭和時代。
平成の長引く不況にこれから先が読めません。
何か薄暗い夜明け前が長く続いているような気がします。
古民家古い襖絵

楽しかった娘時代が昭和時代だったので、私は昭和が懐かしくって仕方ありません。しかし私も年を取ったということを認めなくてはならないようです。
平成25年も二か月足らず。

あっという間に一年が過ぎ去り。年末年始を超えたら、弁天荘は1月15日より、長い冬休みに入ります。3月までお休みを頂戴します。

冬休み期間中の週末程度は、少しのお客様(3組程度)をお受けします。
宿屋を忘れてしまわない程度に、土曜日程度は営業することにしました。

想い出写真展示.JPG
いつも最後まで、弁天荘のブログを見てくださりありがとうございます。
皆様寒くなっております、お風邪などひかれませんように。
本日もありがとうございました。おやすみなさい。
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着物体験館について

着物体験館は只今はクローズしています。

一人二人と、たまに日本の方が訪ねてこられるのですが。
高山市の市役所からも、問い合わせあるのですが。隣の宿のほうが忙しくって、そんないつ来るかわからない一人二人のお客様には、ついていられないのです。
結局、占めています。

お庭の景色

私は「ジョンノ家」というペットホテルと、「着物体験館」という古民家の建物とペットと泊まれる「旅館弁天荘」と「畑や田んぼ」が私の管理しなければならない責務なのです。私一人では何ともなりません。

山は森林組合から補助金もらって間伐したり。下刈りをしたりして、毎年手入するように。と森林組合からは言われていますが。とても何十丁部のところにお金をかける気になれなくて、触らないことにしています。
雑木林も生えていますので。
もう道すらもなくなっているでしょう。
道をつけてまで管理することは、収支が合わなくて、できない時代になっています。
晩秋の紅葉

田んぼも畑にして頑張って耕作していたころもありましたけれど、売上の上がらない維持管理が多くて、今はひとやすみというところです。

草ぼうぼうが通り越して耕作放棄地のようになっています。
コスモスも霜に打たれて、今は何とも情けない荒涼とした景色になっています。

何年か前には田んぼとして農協に貸してとも思いましたが農協の考え方は作って維持してあげるのだから「借地料は0円。」
それでも田んぼにしていれば目立たなくていいかーと思い。
3年の約束で貸しましたが、5年も自動敵契約更新とかで、結局無料で貸してしまう結果になりましてた。

農協の職員ではない人が、藁球を飛騨牛に食べさせるとかで、わらは全部買い取ったということでした。何か愕然としました。
「何もそこまでして作ってもらわなくてもいいです。」
田んぼは飛騨餅を作っていました。

ここの土地は飛騨餅は比較的管理が楽なのです。
収穫した後藁を田んぼに播いて、土地にお礼をするのが大地への感謝と思っていた。
そんな私の目の前で、全面委譲とはいえ「藁まで金に換える」農協のやり方は理解できませんでした。
私にとって、土地が毎年痩せていくのが嫌でした。
だから解約しました。
土地を貸さないことにしました。
毎年維持管理にたいそうなお金かがかかります。
この土地を維持するのも私の道楽の一つかもしれません。

コスモスの種をまいて保全農地にします。.jpg

今は、毎年何も植えずに。春は大型トラクターを入れて耕しています。
柳の木やクルミの木が生えてこないように。

維持管理のため。畑へ大型トラクター入れて耕作します。毎年そうしているのは、土の質を守るためです。有機農法には欠かせない、腐葉土を作っています。
黒土のわらかい土が見渡す限りできます。
土が肥えている証拠です。毎年夏になると見渡す限り草ぼうぼうです。
その草は腐葉土のもとになります。

7年くらい除草剤をまいていないので、花壇にも野菜畑にも。
何の問題もない腐葉土です。
いつか袋詰めにして売るような日が来るのでしょうか。

農業はもうできません。
今のところか好きにもなりません。
この土の上に家を建てるには耕土をめくらないと
がら土を入れ足り砕石を入れたりします。

とても広い農園

だから毎年、トラクターで策こむように。あてもなく続く作業です。
いつかその時が来るまで。大事に大事に自然のままにしています。
私は、もう農業は無理だと思います。

かといって外国からすべてを輸入するのではなく、
何か考えないといけないでしょう。

しかしとっさに、何をといえるほどのものはありません。
とりあえず近所の農家に貸して。「地主として」などという気にもなれません。
約00坪が一年1万円が相場だそうです。とても「耕作権」を渡してまで。
土地を貸す気にはなれません。
一ヘクタールたったの10万では、税金の足しにもなりません。

それにホウレンソウもトマトも恐ろしいほど消毒して作るから。
体に害のものなんて言う建前でも、結局は消毒です。病害消毒と殺虫消毒。
私は、農薬は使いたくないのです。

私は動物専門の宿屋をやっています。
犬たちが散歩するためには除草剤は使いたくないのです。
農地を貸してほしいという人もあります。
でも貸せません。

貸したら最後何も言えなくなるのが嫌なのです。
私がこの先体力的に。
宿もやれなくなった時のために。
私のコレクションの着物体験館というのを作っています。
そういう時が来たら着物体験館で着物をながめながら、暮らしたいのです。

何のために一生を費やして。宿屋をやってきたのでしょう。
私は20歳から宿に携わってきました。
かれこれ62歳になりますので、おかげで宿屋も40年越の仕事になりました。

古民家着物体験館全景

着物は好きで、わたしは着物を自分で仕立ててきていました。
私は師匠について、着物のお勉強をしていました。
弟は大学に進みました。私は和裁所に学校のような気分で通っていました。
そのころは私のようなプロを目指す人もたくさんいて、お嫁入り前の習い事としてくる人もいて。和裁所は華やかな娘さんたちでいつも笑い声が絶えませんでした。

私の楽しみは好きな着物に携わっていることが、唯一の楽しみでした。
コレクションがいつの間にか増えてしまいました。
だから日本文化をお伝えする一環として「着物体験館」を作りました。

さあこれからというときに、日本を取り巻く環境が゛ガラッと変わって。
尖閣諸島問題などで、個人のフリーの外国人受け入れは、とても恐ろしくてできませんでした。
いたずらされても。やたらに展示品を傷つけられても、汚されても。
困るからです。
玄関から、座敷に上がってもらうには、靴を脱いだりしていただかなくてはなりません。
そのためには玄関からお迎えして玄関で見送りするまで、ずっとついていなければならず。
着物体験館なのですから、着物を着てもらうこともできます。
突然来られて着物が来たいという意味のことをそれぞれのお国の言葉で言われても。大変困るのでクローズにしていました。
特殊な着物に作り替えています。これは軽装着物着付けのやり方です。
体験していただくためには、私なりの工夫があります。
結局斬新ともいえるやり方が着物体験館の方法なのです。

帯も着物もすべてほとんどが正絹で手触りの良いものです。

古民家の広縁

私のお勧めする着物は、本来の長着ではありません。

弁天荘着物体験館が今までにないやり方を考えだしましたので、簡単に外国の方が、日本の繊細な民族衣装である着物を体験できるようになっています。

これはだれも考え付かないかもしれません。
そしてそこまでは思いきれないかもしれません。
私が娘時代を「和裁士になりたい」と志を持って進んでいたのです。
そのころの感性が今の考えの基礎となっています。
そのころ列島改造論を唱える政治家が時代を引っ張っていました。
こんな田舎にまで、農業の曲がり角が押し寄せてきました。
庭先を観光という波が押し寄せてきました。

毎日、観光バスが目の前を通るようになって。
父の始めた家業となった宿屋を、手伝うことになって。
私の着物に対するあこがれや希望が一時棚上げ状態となりました。
否応なく宿に力を入れなければならなかったのです。
父のせっかく子供たちの将来を案じて、始めた仕事を失敗させないためにも。
娘時代は看板娘として皿洗いやお掃除に費やしました。

それがいつの間にか私の仕事になりました。

若いころ一生懸命勉強したり。
呉服屋さんの反物をを預かっていたりもしました。
旅館を始めたころは着物でお客さまにも接していました。

おかげさまでそのころの経験が生かされていています。
脳出血で倒れてから。今は体に障害がありますので、もう着物は着ることも縫うこともできません。
娘時代には、「着付け師」の勉強も少ししていました。

ただ大きくて寒いだけの、古い家を取り壊そうかとも思ったことがあります。
でもきれいに修復して私の好きな着物を眺めている館にしました。

昔の知識がきっと役立つと事だろう。そう思うと嬉しいものです。
まだまだいろんなことを学び足りません。まだまだ勉強です。
何十年か宿に携わってきて、良かったと思います。

現代の着物は活動的ではないといわれる時代において、日本の文化として、外国の人々に観光の通り道としてご案内できることはうれしいことです。

少しは私の「好きな着物」に関する知識は少しは役立津ことでしょう。
着付けの勉強もしていました。
人に着物を着せてそれなりの姿に仕上がるときは、とてもうれしいものです。
状態の良いものとして管理していくことは手間と暇と知識を要するものです。
長い間虫干しをしたり防虫剤を入れたり出したり、、。
私が袖を通して来た思い出の着物です。
お袖などは、お酌した時のお酒がしみていて、少しシミが残っているものもありますが。

二部式着物その一

外国の方が1時間2時間程度着て体験していただく程度には、何ら差し支えないものです。

むしろ。人様にそでを通していただけることが、とてもうれしく思っています。

だから美しい着物。職人の手の込んだ着物など。昭和時代の着物がたくさんあります。アンテークというものは、外国では100年以上前のものを言いますが、大正時代の着物も一部ありますが、ほとんどが昭和時代の着物です。
だからビンテージものといったほうがいいのかもしれません。

昭和時代の良き時代には、絹物もしっかりしたものが、多かったように思います。

展示した豪華な着物の古い古民家の中で、日本文化を体験していただき、形式にとらわれないスタイルでお茶などお振舞するのが、私なりの外国の人へのおもてなしと考えています。
私の考え方を理解していただき広めていただける人に出会えますようにと願っていました。待っていた甲斐があったというものです。
これからの時代が流れ始めたのかもしれません。
言葉の壁は不安が付きまといます。
だからツアーコンダクターや旅行会社の、説明を受けたちゃんとしたグループでないと怖いのです。日本語しか話せない私ですから。

前田公ゆかりの当家の仏壇

外国もあちらこちら若いころは行きましたが、どこもかしこも日本語が通じるのでした。だからこんな私でも、「団体の中にくっついていけば」ということで若いころはいろいろ、いけたのかもしれません。

好奇心は旅行を楽しくするものです。

そんな若いころの好奇心を思い出して着物体験館を作りました。

新しく作れば300万円400万円もする着物や打掛を、傷つけられたら二度と取り返しが付きません。
宿のようにまた犬を全面的に、入れるわけにもいきません。
宿は、犬や猫が好きな私が、犬や猫たちが飼い主さんと離れないで泊まれるようにと。そんなことを願い、好きで動物専門の旅館をやっています。
建物がそれぞれ違うのでそれぞれのお客様がご利用いただければと思っています。

着物体験館は、おしっこでもされたら着物は復元できません。
洋服と違い、簡単にドライクリーニングというわけにはいかないからです。

そんなこんなで看板は、クローズしたままになっています。

宿の前の道.jpg

今日。通り掛けに面白い話が転がり込んできました。
オーストラリアの大きな都市のツアーコンダクターの人が、
「弁天荘着物体験館」の看板を見て。
「ぜひコースに取り入れたいから」という希望でした。

そういって「旅行会社の人」が訪ねてこられました。

来年からの日本の飛騨のルートのコースに設定らしいですが。
今日は、その人に館内を説明して歩いただけで宿に戻りました。
なんといっても土曜日ですから。
お客様が犬たちを連れてお泊りになっているのです。
そんなわけで、この話はこれから進んでいくことでしょう。

よく知っている旅行会社が、間に入っているから大丈夫だろうと思います。

日本の、飛騨高山の「お。も。て。な。し」
私の思い描いている時代、が来るかもしれません。
わくわくする楽しいお仕事です。

私の進むべき道は、いつもオリジナルであることが、いばらの道を明るく照らしてくれます。希望という光は力強いものです。光に導かれて道が広がっていくのです。
ホシガキツルシマシタ

父もいつの間にか横に座って、にこにこと話を聞いていました。
せっかくきれいにした館内を、「生活の場のようにして、汚す野はいけない」と昨日は口ゲンカ。でも一時休戦です。
父が嬉しそうにする、顔を眺めて私の心も安らいだ気分です。

父も90歳。私はもう62歳。年寄の楽しみの仕事が始まりそうです。
「質の良い外国のお客さまを相手に。いろりの火のばんでもしていましょうかねー。」
ウーロン茶でもないコーヒーでもない。
堅苦しいお抹茶でもない緑茶をふるまって。
飛騨の駄菓子とともにさりげなく、おすすめして。
遠いところから、親戚が訪ねてきた時のように。
暖かくおもてなしできれば私も楽しいかなーと考えています。

私はそんな風に、飛騨高山にゅうかわの里が売りたいのです。
裏の田んぼは、しばらく見ないことにしましょう。
TTP問題はどうなったのでしょうね。

梅畑のドックラン

ドックランのそばの梅の木は、来年も花咲くことでしょう。
来年は選定して手入れします。
管理することは、お金を湯水のように必要としますが「維持費」という言葉があるのですから。昔からお金はかかるものなのでしょう。

植えてから来年は6年目になります。
梅の実がなるのを楽しみに待っています。

なり始めたら梅の実を取って、お持ち帰りいただけるようにしたいのですね。

今夜のお話は、これでおしまいです。
どこに出会いが始まるかわかりません。
チャンスは不意に訪れるのでコツコツと前を向いて歩いていれば、ページをめくるように月日が流れて、、。
自分の生きていた道が振り返った時に、見えるようになるでしょう。
それが人生かもしれません。

古民家囲炉裏夏バージョン

高みを目指す必要はありません。
身の丈に合った生き方がしたいものです。
ではおやすみなさい。
いつも、最後まで読んでくれてありがとう。
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着物体験館について

着物体験館は只今はクローズしています。一人二人とたまに日本の方が訪ねてこられるのですか。市役所からも問い合わせあるのですが隣の宿のほうが忙しくってついていられないので結局占めています。
私はジョンノ家と着物体験館とペットと泊まれる旅館弁天荘と畑や田んぼが私の管理しなければならない責務なのです。山は森林組合から補助金もらって間伐したりしたがりしたりして手入れするようにと言われていますがとても何十丁部のところにお金をかける気になれなくて、触らないことにしています。

田んぼも畑にして頑張って耕作していたころもありましたけれど、売上の上がらない維持管理が多くて、今はひとやすみということです。

草ぼうぼうが通り越して耕作放棄地のようになっています。
コスモスも霜に打たれて、今は何とも情けない荒涼とした景色になっています。

何年か前には田んぼとして農協に貸してとも思いましたが農協の考え方は作って維持してあげるのだから「借地料は0円。」
それでも田んぼにしていれば目立たなくていいかーと思い。
3年の約束で貸しましたが、5年も自動敵契約更新とかで、結局無料で貸してしまう結果になりましてた。
農協の職員ではない人が、藁球を飛騨牛に食べさせるとかで、わらは全部買い取ったということでした。
田んぼは飛騨餅を作っていました。ここの土地は飛騨餅は比較的管理が楽なのです。収穫した後藁を田んぼに播いて土地にお礼をするのが大地への感謝と思っていた。そんな私の目の前で藁まで金に換える農協のやり方は理解できませんでした。
私にとって、土地が毎年痩せていくのが嫌でした。だから解約しました。土地を貸さないことにしました。毎年維持管理にたいそうなお金かがかかります。

今は毎年何も植えずに春うちのトラクターを入れて耕しています。
柳の木やクルミの木が生えてこないように。
維持管理のための畑へ大型トラクター入れて耕作します。
黒土のわらかい土が見渡す限りできます。土が肥えている証拠です。
毎年夏になると見渡す限り草ぼうぼうです。その草は腐葉土のもとになります。
7年くらい除草剤をまいていないので花壇には何の問題もない腐葉土です。
いつか袋詰めにして売るような日が来るのでしょうか。
農業はもうできません。この土の上に家を建てるには耕土をめくらないとがら土を入れ足り砕石を入れたりします。
だから毎年、トラクターで策こむように。
いつかその時が来るまで大事に大事に自然のままにしています。
私は、もう農業は無理だと思います。
ホウレンソウもトマトも恐ろしいほど消毒して作るから。
体に害のものなんて言う建前でも、結局は消毒です。病害消毒と殺虫消毒。
私は、農薬は使いたくないのです。

私は動物専門の宿屋をやっています。
犬たちが散歩するためには除草剤は使いたくないのです。
農地を貸してほしいという人もあります。
でも貸せません。貸したら最後何も言えなくなるのが嫌なのです。
私がこの先体力的に。宿もやれなくなった時のために。
私のコレクションの着物体験館というのを作っています。

何のために一生を費やして宿屋をやってきたのでしょう。
私は20歳からやっています。
かれこれ62歳になりますので、おかげで宿屋も40年越た。
着物は好きで、わたしは着物を自分で仕立ててきていました。私は着物のお勉強をしていました。弟は大学に進みました。
私の楽しみは好きな着物に携わっていることが唯一の楽しみでした。コレクションがいつの間にか増えてしまいました。だから日本文化をお伝えする一環として着物体験館を作りました。
でも相次ぐ尖閣諸島問題などで、個人のフリーの外国人受け入れはとてもできません。いたずらされてもやたらに展示品を傷つけられても、汚されても困るからです。座敷に上がってもらうには靴を脱いだりしていただかなくてはなりません。ずっとついていなければならず、着物体験館なのですから、着物を着てもらうこともできます。特殊な着物に作り替えて体験していただくためには、私なりの工夫があります。帯も着物もすべてほとんどが正絹で手触りの良いものです。
本来の長着ではありません。
弁天荘着物体験館が今までにないやり方を考えだしましたので、簡単に外国の方が、日本の繊細な民族衣装である着物を体験できるようになっています。

これはだれも考え付かない。私が和裁士になりたいと志を持って進んでいたのです。父の始めた家業となった宿屋を手伝うことになって、若いころ一生懸命勉強したり呉服屋さんの反物をを預かっていたりもしました。おかげさまでそのころの経験が生かされていています。今は体に障害がありますので、もう着物は縫うことはできませんが、着付け師の勉強もしました。
昔の知識が役立つと思うと何十年か宿に携わってきて、良かったと思います。
現代の着物は活動的ではないといわれる時代において、日本の文化として、外国の人々に観光の通り道としてご案内できることはうれしいことです。
少しは私の好きな着物に関する知識は少しは役立津ことでしょう。
着付けの勉強もしていました。人に着物を着せてそれなりの姿に仕上がるときはとてもうれしいものです。
人様にそでを通していただけることがとてもうれしく思っています。

だから美しい着物。こった着物など、昭和時代の着物がたくさんあります。
展示した豪華な着物の古い古民家の中で、日本文化を体験していただき、形式にとらわれないスタイルでお茶などお振舞するのが、私なりの外国の人へのおもてなしと考えています。
だからツアーコンダクターや旅行会社の、説明を受けたちゃんとしたグループでないと怖いのです。日本語しか話せない私です。外国もあちらこちら行きましたが、どこもかしこも日本語が通じるので。
こんな私でも、「団体の中にくっついていけば」ということで若いころはいろいろ、いけたのかもしれません。好奇心は旅行を楽しくするものです。
そんな若いころの好奇心を思い出して着物体験館を作りました。

新しく作れば300万円400万円もする着物や打掛を、傷つけられたら二度と取り返しが付きません。宿のようにまた犬を入れるわけにもいきません。
宿は犬や猫が好きな私が好きで動物専門の旅館をやっています。
着物体験館は、おしっこでもされたら着物は復元できません。
洋服と違い、簡単にドライクリーニングというわけにはいかないからです。

そんなこんなで看板は、クローズしたままになっています。

今日外国の大きな都市のツアーコンダクターの人が、「弁天荘着物体験館の看板を見て。
「ぜひコースに取り入れたいから」という希望でした。
今日。旅行会社の人が訪ねてこられました。
来年からのコースに設定らしいですが、今日は館内を説明して歩いただけで宿に戻りました。なんといっても土曜日ですから。
この話はこれから進んでいくことでしょう。
よく知っている旅行会社が、間に入っているから大丈夫だろうと思います。

日本の、飛騨高山の「お。も。て。な。し」私の思い描いている時代が来るかもしれません。わくわくする楽しいお仕事です。
オリジナルであることが、いばらの道を明るく照らしてくれます。
父もいつの間にか横に座ってにこにこと話を聞いていました。
せっかくきれいにした館内を生活の場のようにして汚すと昨日は大ゲンカ。
でも一時休戦です。父が嬉しそうにする顔を眺めて私の心も安らいだ気分です。

父も90歳。私はもう62歳。年寄の楽しみ。
「質の良い外国のお客さまを相手に。いろりの火のばんでもしていましょうかねー。」
ウーロン茶でもないコーヒーでもない。堅苦しいお抹茶でもない緑茶をふるまって。飛騨の駄菓子とともにさりげなく、おすすめして。遠いところから親戚が訪ねてきた時のように。暖かくおもてなしできれば私も楽しいかなーと考えています。

私はそんな風に、飛騨高山にゅうかわの里が売りたいのです。
裏の田んぼは、しばらく見ないことにしましょう。
TTP問題はどうなったのでしょう。
ドックランのそばの梅の木は、来年も花咲くことでしょう。
来年は選定して手入れします。
管理することは、お金を湯水のように必要としますが「維持費」という言葉があるのですから。昔からお金はかかるものなのでしょう。

植えてから来年は6年目になります。
梅の実がなるのを楽しみに待っています。

なり始めたら梅の実を取って、お持ち帰りいただけるようにしたいのですね。

今夜のお話は、これでおしまいです。
どこに出会いが始まるかわかりません。
チャンスは不意に訪れるのでコツコツと前を向いて歩いていれば、ページをめくるように月日が流れて、、。
自分の生きていた道が振り返った時に、見えるようになるでしょう。
それが人生かもしれません。

高みを目指す必要はありません。
身の丈に合った生き方がしたいものです。
ではおやすみなさい。
いつも最後まで読んでくれてありがとう。
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風邪をひかないように。

朝晩寒くなりました。
今年の夏はあんなに暑くてぎらぎらさす太陽だったのに、すっかりしょぼくれて晩秋の太陽は、お昼頃ちょこっと山の間からさしてくれます。

お昼食べてから、さあ外仕事を。
なんて思うと、晩秋の太陽は、もうどこかに行ってしまっています。

畑部スタッフ作業中1.JPG

畑から飛騨ねぎを取り込みました。
雪が降ると、もう畑には行けませんので。
冬中食べる分をこうやって取り込んでおきます。
軒下に少し乾かすように並べて、束ねたねぎの皮が少し乾いたら、倉庫に取り込みます。2月まで使う分です。三月になって雪がすっかり解け始めたら、また畑に取りに行きます。
畑のおじいちゃんも
「また来春までおやすみですね。ありがとうございました。」
そう挨拶して、しばしお別れです。
飛騨ねぎは甘みがあってやわらかくて、すき焼きやなべ物には、よく合います。

飛騨ねぎ乾燥
庭の紅葉も今が盛りです。

時折遠くの山から吹き下ろしてくる風は木枯らし。
落ち葉の季節です。
今年はバタバタしていて庭に手を入れられませんでしたが、来年こそは庭木の手入れをしなければ。なんて思っています。
豪雪で庭の樹木も枝振りが折れたりするものですから、あまり本格的な日本庭園は維持できません。本格的な庭師を入れるとすごい費用がいるのでシルバー人材のおじいちゃんたちに手伝ってもらうことにします。

大昔おじいちゃんの生きているころは、もっと風流な庭がありました。玄関から前山を借景にして素晴らしく手入れした庭がありました。
そこへいきなり国道158号線が通ることになり。
あたりの景色は一変しました。
庭先をバスや車がどんどん通りぬけるようになりました。
半分ほどの面積の庭が残りました。

そして、駐車場が何か所かできました。

庭の手入れも、年に一度庭掃除の人を入れる程度が精いっぱいです。
昔はどこの家でも暇があれば庭の手入れに入っているのが主の仕事でした。

晩秋の紅葉

今は時代が変わったようで、年を取れば取るほど忙しい、世の中になっているようです。父は庭についているよりはゲートボールに血道を上げるのが性分だったのですか。そんなおじいちゃんおばあちゃん友達も一人二人となくなり、今は少し壊れかけた老人をやっています。「今日はご飯食べたのか。いや食べたようだからいらん。」といい、また気分によっては、「一人喋りをしたり」あれが恍惚の人というのでしょうか。

私は昔の人たちのようにのんきな生活も送れず、次から次へとバージョンアップしてくネットの世界のホームページサイトとにらっめっこ。
設定の間にあるにへとへとな生活です。
せっせと働きアリのような、仕事してないと私の冬は、ほとんど冬眠の生活なので。冬を迎えるまでのいろんな仕事に追われています。
どんどん日を追うごとに寒くなっていくので、漬物つくりの準備にも追われています。

まだ雪は里には下りてきていませんが、近くの十二ヶ岳に雪が降ってから一か月。私の住む飛騨高山の山沿い地区のにゅうかわの里にも、12月半ばころには雪が舞うことでしょう。
年末年始を今年の最終で最初の仕事にしてしばらく冬休みです。
腰とは、真冬でも土日程度はやることにしました。10人以下の少ないお客様をお泊めして。宿を氷漬けにならない程度に維持するように。
そんな生活です。犬たちと楽しくにぎやかに暮らす。
私にとっての寿命のある限り、そんなやり方の宿屋になりました。
まだスタットレスタイヤはなくても走行できます。
では今夜も風邪などひかれませんように。

弁天荘全景夏

インフルエンザの予防注射を申し込む予定です。
効力が3か月くらいしか聞かないということなので、12月の半ばころに申し込もうかと思います。

もうあれから、何年たつのでしょうか。
私が大きな思いもせぬ病気に倒れてから。

元気であちらこちらへ飛び回っていたころがなつかしいです。
病気は突然襲ってくることもあります。
予防や事前にわかることがあるのならなんとしても防ぐべきです。

どんなに不自由な体になっても、命のある限り。
前を向いて生きていくのが務めなのです。
人はこの世に生きているのではなくて、生かされているのですから。

今の時代に、生まれてきたことへの感謝をする。
つらくても痛くても、しんどくても明るく楽しく生きていけたら。
と思っています。

158号線沿い花壇

人間だけの生活だと暗くて我慢と辛抱につぐ生活ですが、私には8匹の猫と二頭のおバカな犬がそばにいてくれるので。ありがたいです。
この仔たちがどんなに私の支えになってくれていることか。

今夜は私のペットたちにも感謝の日とすることにいたします。
では皆様おやすみなさい。
最後まで読んで、おつきあいくださりありがとうございます。
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風邪をひかないように。

朝晩寒くなりました。

今年の夏はあんなに暑くてぎらぎらさす太陽だったのに、すっかりしょぼくれて晩秋の太陽は、お昼頃ちょこっと山の間からさしてくれます。

お昼食べてから、さあ外仕事を。
なんて思うと、晩秋の太陽は、もうどこかに行ってしまっています。

畑から飛騨ねぎを取り込みました。
雪が降ると、もう畑には行けませんので。
冬中食べる分をこうやって取り込んでおきます。
軒下に少し乾かすように並べて、束ねたねぎの皮が少し乾いたら、倉庫に取り込みます。2月まで使う分です。三月になって雪がすっかり解け始めたら、また畑に取りに行きます。
畑のおじいちゃんも
「また来春までおやすみですね。ありがとうございました。」
そう挨拶して、しばしお別れです。
飛騨ねぎは甘みがあってやわらかくて、すき焼きやなべ物には、よく合います。

庭の紅葉も今が盛りです。
時折遠くの山から吹き下ろしてくる風は木枯らし。
落ち葉の季節です。
今年はバタバタしていて庭に手を入れられませんでしたが、来年こそは庭木の手入れをしなければ。なんて思っています。
豪雪で庭の樹木も枝振りが折れたりするものですから、あまり本格的な日本庭園は維持できません。本格的な庭師を入れるとすごい費用がいるのでシルバー人材のおじいちゃんたちに手伝ってもらうことにします。

大昔おじいちゃんの生きているころは、もっと風流な庭がありました。玄関から前山を借景にして素晴らしく手入れした庭がありました。
そこへいきなり国道158号線が通ることになり。
あたりの景色は一変しました。
庭先をバスや車がどんどん通りぬけるようになりました。
半分ほどの面積の庭が残りました。

そして、駐車場が何か所かできました。
庭の手入れも、年に一度庭掃除の人を入れる程度が精いっぱいです。
昔はどこの家でも暇があれば庭の手入れに入っているのが主の仕事でした。

今は時代が変わったようで、年を取れば取るほど忙しい、世の中になっているようです。父は庭についているよりはゲートボールに血道を上げるのが性分だったのですか。そんなおじいちゃんおばあちゃん友達も一人二人となくなり、今は少し壊れかけた老人をやっています。「今日はご飯食べたのか。いや食べたようだからいらん。」といい、また気分によっては、「一人喋りをしたり」あれが恍惚の人というのでしょうか。

私は昔の人たちのようにのんきな生活も送れず、次から次へとバージョンアップしてくネットの世界のホームページサイトとにらっめっこ。
設定の間にあるにへとへとな生活です。
せっせと働きアリのような、仕事してないと私の冬は、ほとんど冬眠の生活なので。冬を迎えるまでのいろんな仕事に追われています。
どんどん日を追うごとに寒くなっていくので、漬物つくりの準備にも追われています。

まだ雪は里には下りてきていませんが、近くの十二ヶ岳に雪が降ってから一か月。私の住む飛騨高山の山沿い地区のにゅうかわの里にも、12月半ばころには雪が舞うことでしょう。
年末年始を今年の最終で最初の仕事にしてしばらく冬休みです。
腰とは、真冬でも土日程度はやることにしました。10人以下の少ないお客様をお泊めして。宿を氷漬けにならない程度に維持するように。
そんな生活です。犬たちと楽しくにぎやかに暮らす。
私にとっての寿命のある限り、そんなやり方の宿屋になりました。
まだスタットレスタイヤはなくても走行できます。
では今夜も風邪などひかれませんように。

インフルエンザの予防注射を申し込む予定です。
効力が3か月くらいしか聞かないということなので、12月の半ばころに申し込もうかと思います。

もうあれから、何年たつのでしょうか。
元気であちらこちらへ飛び回っていたころがなつかしいです。
病気は突然襲ってくることもあります。予防や事前にわかることがあるのならなんとしても防ぐべきです。
どんなに不自由な体になっても、命のある限り。
前を向いて生きていくのが務めなのです。
人はこの世に生きているのではなくて、生かされているのですから。

今の時代に、生まれてきたことへの感謝をする。
つらくても痛くても、しんどくても明るく楽しく生きていけたら。
と思っています。

人間だけの生活だと暗くて我慢と辛抱につぐ生活ですが、私には8匹の猫と二頭のおバカな犬がそばにいてくれるので。ありがたいです。
この仔たちがどんなに私の支えになってくれていることか。

今夜は私のペットたちにも感謝の日とすることにいたします。
では皆様おやすみなさい。
最後まで読んで、おつきあいくださりありがとうございます。
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消費税の設定をし直す。

庭先の風景

消費税が来年4月から設定が変わるので、すべての料金表を書き直さなければならないのです。大変な作業です。外税方式にすればそれでいいことなのですが、何となく支払う金額の実態がつかめないのも困るので今は検討中です。

いずれにしても、外税方式にしていったほうが楽なような気がするのですが、計算してみると、5パーセントから8パーセントに変更になるということは、結構な金額になるのです。

客単価は8パーセントになるのですが、連泊とか大人数での家族とかいうことになると、消費税の金額も半端ではありません。家族旅行はちょっとした大きな買い物になります。家とか車とか、大した買い物ではなくても、出費の財布には痛手になることには違いありません。

車のガソリン代から、宿屋の料金から旅先での食費、高速道路の料金に至るまで、家を出てから、帰るまで結構お財布のひもはひらっきっっぱなしです。
なとなく4月からの計算が重たく感じます。

総理の「第三の矢」っていつ飛んでくるのだろう。
なかなか寒い地区ではあまり見かけないが、家もなく仕事もなく食べるだけの生活という生活らしいものがない、かわいそうな人々。
そんな人々がいることを、なくするための消費税かと思えば。

消費税の上がる話が出始めてから、何となく方向が変わってきたような気がします。

とりあえず借金に充てるそうな。「そんなーーー。」といいたくなってしまう。

私たちだって、値下げすればやっていけなくなるし、かといって国が決めたことなので従うより仕方ないのです。
当然その分値上がり観が高まる。
消費税は税務署に収めることになるので、消費税ぷんおまけしてくれなどといわれるお客様には、付き合いきれないし。なんだかんだと苦情を言って、「弁天荘の誠意はどうしてくれるのだ」といわれても。またまた困るのです。
少しでもいやだと思う気持ちがあるのなら弁天荘へは来ないでほしい。

飲んで、食って、サービス商品はしっかり受け取って、挙句の果てに「お金を下げてほしい」とは、「人々の心がささくれ立った時代になっている」からに違いないと思う。
「喫茶店へ自販機で買った缶コーヒーを持ち込むのと同じこと」という言葉があった。うなずく。確かにそうなのだ。
しかしそれ自体が世の風潮で、なかなか今はそれすらが、当たり前の時代なのかもしれない。
お金はあるところには腐るほどあるのだというのだが。じりじりと生活が押し寄せられて、心がへこみ、うさがたまっているのかもしれない。

飲み物の持ち込みは自由。持ち込み代は取らない。
何のためのお商売かと思ってしまう。

客室例

弁天荘は他の宿とは違い、特殊な宿なので、数をこなして、コンベアーのものをこなすような仕事の流れ作業は、個人客を相手にする旅館ではできません。

まして犬たちや、猫たちのおびえずくつろいで泊まれるまれる宿ともなれば、当然手作りの料理がほとんどで、既製品もたまには使いますが、食事部屋もそれぞれが個室感覚になっていないと、落ち着いてできないだろうと1組のお客様に2室筒お使いいただくことにしています。

犬たちにとっては他の犬を気にすることもなく、食事のテーブルの下で飼い主の足元に待っているいるという。
大変な修行を積んだ犬でないと飼い主に叱られたり、他のお客から白い目で見られたりする結果となってしまう。そんなことだけは避けたいので、弁天荘は少しぐらい犬が部屋や人に慣れるまで、泣いてもいても咎めないことにしています。

「静かにしなさい。」と言って犬をよく叱って、あわてて口輪をはめられている犬を見て、なんとしても食事処は個室風にしなければ意味がない。
とその都度改装してきました。
当然、スペースのゆとりが必要になり、部屋の掃除も管理もよけい手間がかかります。「田舎だからこんなふうにできるのですね。」
そうです。田舎だとわかってきていただけたのでは、、。

部屋数の半分は食事室となりますので30室あれば。
15室が客室に付随したものなのです。売上の上がるスペースにはできないのです。なかなか難しいものです。

なめこ

一般的な宿だと犬がいないので大広間でもレストランでもお隣のお客様とちょっと席が離れていれば、それなりに食事の時間を過ごしてもらえるのです。

犬や猫同伴の食事というものは、そんな簡単なわけにはゆきません。
またお部屋にゲージにも入れずに、置き去りにしていただくとお留守にお布団式に入ったものがお尻をかみつかれたり足をかまれたりします。
お客様にかみついて、かみつき代を請求するわけにもいかず。
結局よほどの大きな、あざや出血をしない限り、泣き寝入りとなります。

「うちの子に限って」と飼い主様はおっしゃいますが、動物にとっては飼い主のいない部屋に取り残され、そこに見知らぬ人がでいりするのですから、大変なことなのです。
犬の気持ちを知れば知るほど、見るからにかわいらしいスタイルの犬であっても、やはり飼い主あっての犬なのです。

犬だけ自立して暮らせる時代ではないのです。
だから、せっかく連れてきたのならちゃんと片時も離れず面倒見てあげてください。どこか少しづつ、犬目線から離れて人間のためだけのリラックスできる宿になっていくことが悲しいです。

部屋で「くーん。くーん」泣いている犬のことを知ると、何とかならないものかと思ってしまいます。
部屋で鳴かせるくらいなら、いつも乗り慣れている車の中に、一時置いてきたほうが犬にとっては、まだ安心なのです。

おしっこや、なるべく無駄吠えなどしないように。
飼い主のご飯を食べたがらないように。
それは宿に泊まって過ごす一番大切なしつけのうちです。
またそうできるように、マナーを守れる犬たちを、旅行に連れてくるべきかと思います。

甘えん坊のジョン

犬はファッションではありません。
本当に犬と暮らすことに理解して犬のことを知ってほしいものです。
弁天荘は、犬や猫が旅行できるようにと、客室と食事処を分けて作ってあります。
犬を部屋に置いてきたのでは、何のための食事処なのではしょう。

都会では、楽しく犬と暮らすということは、なかなか難しいことです。
今からは、ますます大型犬は、暮らしにくい時代を迎えることでしょう。
広い庭も
いつ災害に襲われるかもしれません。
いつ家族の構成が変わることかもしれません。
犬は寿命の短い動物です。
できる限りのびのびと、犬の本来の忠実な性格を理解してあげたいものです。
どんなにか、心の中でとても支えになってくれる動物なのですから。
でも犬を過信しすぎてもいけません。
犬はどんなに賢くても6歳児の知恵までです。

ジョンの家のジョン犬7歳

その気持ちがよくわかるから、弁天荘は、団体客もお断りして、個人客の宿にしています。それでいいと選んで進んできている方向です。
私は犬や猫が好きだから、私もジョンの家でたくさん飼っています。
とても旅行に連れて行けるような数ではありません。
私にとってはみんな家族です。わが家のレオンもジョンも、かみつく犬ではありませんが、遊びたいといわれるお子さんに私の犬を貸し出すほどの信頼はしていません。だからそれは「できません」とお断りしています。
犬は犬なのです。

この頃のニュースで、「犬がかみついた」ということが取り上げられていました。飼い主は全責任をおわなければなりませんね。
それは当然のことだと思います。

管理ということはどこまでもついて回る責任の一つです。
ところで「犬にかみつかれた」とペット専門の宿のほうから騒いだのでは、お話になりませんので。
犬だけ放置しているお客様のお部屋の布団式は自然と後回しになります。
すると「布団は自分で引くから、部屋には入らないでほしい」といわれれば、それもありとすることにしています。

ほうば味噌焼き.JPG

宿泊約款にも明記してありますが、そのために備品を壊したとか、お布団におしっこをしたとか、ない場合に限ります。
今日は少し難しいお話をいたしました。
私もお仕事で宿屋をやっています。
部屋は稼働してこそ仕事として成り立つのです。
税金が上がろうと弁天荘のやり方は変わりません。当然食材の仕入れも高くなりますが。同じ転化率なので上がるのは、消費税の3パセントのみです。
ということは8パーセントなのですが。

美味しんぼプラン.JPG

ではまた。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
- | -

11月の声

今日から11月。
あっという間の月日がすぎさっていきますね。
木枯らしの吹き下ろす寒い季節になりました。

どうだんつつじ赤い紅葉

紅葉が今真っ盛りですが、標高が2千メートル付近はもう落ち葉の季節を迎えています。晩秋ですね。
寒さも厳しいので暖かい恰好で、飛騨においでください。
新保高ロープウエイに乗ると上から見下ろす景色は素晴らしいです。
今は1000メートル付近が盛んです。
9月が夏のように熱く、10月は台風が来たり雨が多かったので。
今年の紅葉は全体的には黄色い色が主になっています。

白川や古川あたりも、今からがが盛りです。
これからだんだんと800メートル600メートルと、海抜の低いところに紅葉が降りていきます。
ストーブがなければ寒くてたまらない朝夕です。

すくなの銅像

飛騨へ来る道中はせせらぎ街道あたりがきれいだと思います。
飛騨川の国道41号線ぞいも紅葉が始まっていることでしょう。
「山もみじや、なら。桜。樺。栗」などの落葉樹があるところは色づきがきれいですね。11月の3日はこの地区のすくな祭です。バザーや、すくな鍋食べ比べなどにゅうかわ支所前広場であります。

針葉樹の植林されているところは緑のままですが、雑木入り混じってより鮮やかなところもあります。
霜が降るたびに景色が変わっていきます。
海抜の低い紅葉の名所といわれるところの美しさとは、比べ物にならないほど。
朝晩の寒暖差が激しいところは紅葉が鮮やかです。

わずかな期間ですか、3000メートル級の山の頂にはゆきふもとは紅葉素晴らしい景色が見れる期間は3週間ほどの期間です。暖かい服装で飛騨へおいでください。

冬の全景

今年は飛騨も豪雪の兆しありです。

なぜかというと、寒いだけではなく、カメムシがすごくたくさんいるからです。
1メートルくらいの積雪は当たり前なのです。
今年は2メートル近く降り積もるかもしれません。
冬が長く感じられます。雪かきが大変です。

そんなわけでカメムシは、家の中に入ってくるので、取っても、取ってもきりがないほどです。
雪が降るまでつづきます。

もちろん掃除もします。殺虫剤は効き目がありません。
気を付けて掃除をしています。
お客様のお泊りになる部屋も、見つけ次第駆除はしています。
でも、もうこの寒さには耐えられない、虫たちは、生き延びようと必死なのです。
だから、入ってくるのです。だから窓は開けないでください。

夜窓を開けることは自殺行為にも等しいので、くれぐれもご協力ください。

換気扇のわずかな隙間から、ガラスサッシのわずかな隙間から、
入ってきます。
カメムシはゴキブリとは違います。
山や田んぼの切り株などに、すくんでいてこうゆう寒さの続く晩秋には
少しでも暖かい軒下に飛んできます。自然の中におります。
カメムシは日本全国にいます。

都会では少ないので、カメムシの存在を知らない人もあるようですが、、、。
田舎では今頃は、カメムシとの戦いです。
お部屋に入ってきて、本当に困る虫です。
お客様のお部屋にも出没して大変なご迷惑をおかけしたり、その都度、平謝りでお詫び申し上げるのですが。

気持ちのいいものではありませんが、ばい菌とか、かみつくとか、かゆくなるとかというたぐいのものではありません。本当に困りものです。

いろいろ毎年、この時期は私もスタッフも全員でカメムシ駆除に格闘しています。
退治しきれるものではありません。
年中いて、冬は民家の片隅で冬眠しているだけなのです。

「みんなでのりこえるよりしかたないですね。カメムシ胎児も兼ねて、頑張りましょう。」と励ましてお仕事をしてもらっています。

カメがいることは、山や田んぼのあるところは、日本中みんないるはずです。

寒いところから暖かい部屋に潜り込むと、ぶんぶん飛んで挙句の果てに壁とか天井の電気などにとまり身をひそめていますが、カメムシくさい何とも言えない臭いにおいを放ちます。


同業者と話をしていましたら、新しい家とか古い家とかに関係なく、カメムシは存在するのだということを、先日聞きました。
身も凍るマイナスの気温になるまで、この戦いは続くのかもしれません。

24-10-21 029遠くに見える乗鞍岳.jpg

ガムテープで羽のほうからくっつけてビニール袋の中にとじこめてしまうのがいちばんの処理方法のような気がします。
掃除機で数と掃除機がいつまでも臭みが取れませんので、部屋中くさいにおいをまき散らす結果になります。

部屋が暖かく明るいと、電気の光の下を音を立てて飛びます。
カメムシは身に危険を感じると、独特のくさい、おならのようなにおいを発します。音は立てないのですが音もなく歩いていることがあります。窓へーへの障子戸にくっついていたりします。どうやって入ってきたのかガラス戸のサッシの間をわずかな戸溝のすきまから入ってきます。
かみつきはしませんが、気持ちの良いものでもありません。私も大嫌いです。

この時期、宿屋も一般家庭も、自然豊かなところは多大なる被害をこうむっています。山が近いと、きりがないほど、日本中にいる虫です。
地域によってはへくさ虫とも言います。

カメのような甲羅をもち、1センチくらいの大きさのこげ茶色の5ミリくらいの暑さの虫です。3種類ほど形の違うものがいます。

カメムシの多い年は雪が深いといいます。
またカメ虫のおとなしくなる頃、雪虫が飛び買う夕方の薄曇りのどんよりした日から数えて一週間。

本格的な雪が降りはじめ。
しんしんと積もり始めます。そうなると飛騨はもう冬ですね。
12月から3月までの長い間雪国の生活です。
豪雪の被害が出ないことを祈ります。

12月の半ばには飛騨は、スタットレスタイヤでないと危険ですね。
スピードを出して走行すれば、チェーンをまこうがスタットレスタイヤにしようが
危険な走行に違いありません。

雪が降ってきました。

車間距離を開けて走ること。スピードを制限速度より少し落とすこと。
急ブレーキは踏まないことなども、だいじですよねー。

暖かい都会に生まれ育った人々には、およそ信じられない事かもしれませんが、どうぞご理解ください。何もかも自然の摂理の中に人間も動物も虫たちも生きています。
まだ雪が岳山だけに積もっているので、里にはもう少し後です。
だから、今のうちだけ。
遠くから「きれいだわー」なんて眺めていられるのかもしれません。

では寒くなりました。
いつも読んでくださりありがとうございます。
季節の変わり目は体調を崩しやすいものです。
風邪をひかないように。おやすみなさい。
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