赤カブ漬けと白菜漬けの本漬けをしました。

これは赤カブの切り漬けにするまだつける前のかぶです。
赤カブ
先日まで真っ赤だった紅葉もいつの間にか落ちてしまい、桜の木も柿の木も得ただけが寒々と冬を迎える姿になっています。
漬物を軒下に漬け込みました。
赤カブ切り漬け

漬物も昔ほどは漬けなくなっていますが、それでも楽しみにしてきてくださるお客様があるのでやれるだけのことは毎年の風習道理にしておこうと思います。
寒くなるとカブ洗いも大変ですので、どれだけでも明るい昼間のうちに作業をします。昨日は赤カブの丸漬けや切漬けをしました。

丸漬けは、本来、大きな桶の樽に塩だけで、漬け込み。
自然発酵して少し酸味が出た夏ころから食べるものでした。

しかし、この頃では、そんな気の長いお漬物は待てないので、花鰹一袋。みりんマグカップ2杯。。酢を少々。ザラメマグカップに2杯程度。。薄口しょうゆ。マグカップ4敗。味の素大さじ2杯。みんな放り込んで10キロの赤カブの○ほぼに対して20キロの重しをかけて、ビニール袋のはしをしっかり縛って密封。
味がなじむのを待ちます。正式なことを言えば、赤カブのしょうゆ漬けです。
それが意外とおいしいのでびっくりです。
一か月半くらいしたら、丸付けが食べられます。

これは、婦人会などで普及された漬物のつけ方で、意外と衛生的でおいしいので私は丸漬けは、もっぱらこの方法です。
出来上がりまでしばらくかかりますが、とても楽しみです。

白菜のお漬物

今日はさらに、連休前に漬け込んで老いた白菜の元漬けを本漬けにしました。
野菜直販所のファーマーズで、大きな白菜が1個200円から、300円で売ってありましたので、乗用車のトランクにいっぱい買いこんできて、切り漬けと丸漬けにしておきました。
丸漬けの重しが下がって水が上がっていますので本漬けにしました。

私は白菜にもしかして虫の卵や虫などがついているといやなので、60度くらいのボイラーのお湯をあてながして、ざぶざぶと洗ってからつけます。
一晩、ざるやかごに入れて水切りをして天然塩の荒塩出元漬けをします。
すると早くつかります。
元漬けをした漬物から、さらに朝鮮漬けにしたりキムチ漬けにしたりします。
今回は、朝鮮漬けのもとを振りかけてしっかり握らせて桶に並べて付け直しました。重しは4キロの物を二段に載せておきました。

白菜の元漬け

後10日ほどしたら、発酵がうまく進んで、深みのあるお漬物ができると思います。

白菜の朝鮮漬け
本格的な冬になって雪が積もりだすと私はもう車は運転しないことにしていますので、買い物なども出かけられません。こまごまとした用事は今のうちに済ませておかないと。
長い長い冬の間のんびり暮らして、鋭気を養っていきます。
年末年始に来てくださるお客様のためにおいしいお漬物を作って、いらっしゃるのを心待ちにすることにしています。
今日はこれから、男子のスケートNHK杯を見ますので。今日はここでキーボードから離れます。
この間の羽生選手。6分間練習の間に、外国選手と激突。
倒れてから、それでも試合を放棄せずに頑張って。2位。
あの時の試合は感動の涙で見ていました。日の丸を背負っているということの素晴らしさを目の当たりにしました。

今度のNHK杯も出場というのですから。見ないわけにはゆきません。
そんなわけで、いつも最後まで目を通してくださりありがとうございます。
その後の羽生選手はどうでしょうか。感動の延長です。
私はこれからテレビを見ます。では、今夜はこれで。
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白菜漬けの本漬けをしました。

きょうと昨日は漬物を付けました。
寒くなるとカブ洗いも大変ですので、どれだけでも明るい昼間のうちに作業をします。昨日は赤カブの丸漬けや霧付けを付けました。
花鰹。みりん。ザラメ。薄口しょうゆ。味の素。みんな放り込んで20キロの重しをかけて待ちます。
一か月半くらいしたら丸付けが食べられます。楽しみです。


今日は連休前に大きな白菜が地元のファーマーズという野菜直販店で一個200円300円で売ってありましたので半分に縦割りして漬け込んでおきました。

私は白菜にもしかして虫の卵や虫などがついているといやなので、60度くらいのボイラーのお湯をあてながして、ざぶざぶと洗ってからつけます。
一晩間水切りをして天然塩の荒塩出元漬けをします。

元漬けした白菜の水が上がっていましたので、今日は白菜の朝鮮漬けを作りました。後10日ほどしたら、発酵がうまく進んで、深みのあるお漬物ができると思います。
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冷たい雨

今日も昨日も冷たい雨が降り続いています。
一日が太陽が出てくるのが遅くなりそして早く山影に沈んでいきます。
季節が冬に向かっているのですから、無理もありません。
今日も昨日も雨ですから当然太陽の顔は拝んでいません。

ロビー

お隣の長野県では、地震で壊れかけてしまった家や、ひびの入った斜面の地面に大きなブルーシートをかけて見えました。本当にやるせない光景です。
自然災害の恐ろしさの前には人間はよわいものですね。

白馬と言えばなんといっても、スキー場で有名なところです。
今は昔ほどスキーをやる人たちが多くはないので、スキーをする子供たちも多くはなくて。時代がすっかり変わりました。

木枯らしが吹き始めました

スキーをしていた若いころがとても懐かしく感じます。
私の小学生のころは全校スキー大会の日が、冬になると何度かあって。
小学校の時代から、スキーにはみんな乗れるのが当たり前の場所でした。
親子スキーとかクラススキーとか。
スキー場で食べるカレーは格別でした。


中学になると全校スキー大会も何百人という団体でスキー場の予約を入れて。バスでスキー場まで乗り付けるというのが、野外活動というか一日がかりでのスポーツ大会の日がありました。今でいう、体験学習というのでしょうか。
午前はスキースクールで初心者講習。
午後はスキーリフト乗り放題という感じだったのです。

高校では、学年別スキー大会の日もありましたが、スキー部に入っているクラスメイトが何と言っても花形でした。
ゆったりとしたボーゲンや、パラレルスキーが中心です。

それでもスキー場の隅から隅までを滑ることはとても楽しくて。
おなかがぺこぺこにすくまで、滑ったものです。
大回転などの競技スキーはスキー部の生徒のかっこいい花形の
あこがれの世界でした。今ほどスキーはジャンプだとかいろんな技術に特化していなくて。転んでけがをしなければいい程度にクラス全員していたころの懐かしい思い出がよみがえります。

引率の先生が、スキーのころび方というのを指導していたことを、懐かしく思い出します。
スキー板の返し方や、エッヂの切り方や、斜面をスキーの板で登って行くことなどをハンドマイクで叫びながら、教えるのに必死だったなーと。
もう50年も前のかすかな思い出に懐かしくさえあります。
白銀の世界という言葉がぴったりの冬でした。

旅館裏の雪景色

長野県の冬はなんといってもスキーでした。有名なスキー場がたくさんあって白馬も志賀高原もスキーーツアーのカタログをにぎわしていたものです。
それに追いつけ追い越せとばかり、岐阜県のスキー場も次づと頑張ってきたのですが。そんな時代が15年くらいピークで続いたでしょうか。

今では飛騨のスキー場は人気が落ちていくばかりで、かろうじて朴ノ木平スキー場は生き残っています。
弁天荘から車で25分。
家族連れのスキー客がおいでになったり、スノウボードで滑られたりジュニアスキー団体が入ったりしています。
宿もこの15年ほどの間に45件あった宿が20件近く消えてなくなりました。
さみしい限りです。私の宿は犬連れ専門にしましたのでたまに家族の中でスキー場に遊びに言って見える方がいらっしゃる程度です。
いつの間にかスキー乾燥室もなくなりました。
スキー靴を置くスキー靴ストッカーやすきー収納の棚さえ整理してしまいました。

それに引き比べ、スノボードのオリンピック選手まで、生んだ蛭が野のスキー場には、勝てない気風があります。
いまはどこのスキー場でも、自然雪ではなくスノーマシーンで、雪を作って播く時代です。
もうスキー場の立地条件と言い、規模と言い、その勢いにはもうすでに飛騨のスキー場は指をくわえて見ているだけという感じでした。ガソリンの値上がり。灯油の値上がり。人件費の値上がり。
そういった世の中の動向が、スキーというスポーツを大衆の遊びから外して行ったのです。
猫もしゃくしもスキーという時代、があったことをちょっぴり、懐かしく思います。

今年からオリンピック強化選手の強化合宿などを、朴ノ木スキー場でも強化して受けだしたというので、少しは冬のにぎわいがあるかもしれませんが。

僕はレオンというんだよ。

私は体゛を壊してからは、冬は宿の方はお休みをいただいていて。
ゆっくり過ごすことにしていますので、スキー団体もジュニアスキーの合宿もお受けすることなく。
たまに訪れていただくリピーターのお客様相手にのんびり冬を過ごしています。

年末のクリスマスころから1月15日までは営業体制を取っていますが、3月の19日あたりまではゆっくり過ごします。古民家のほうで、外国人の人相手に、着付けをして楽しい一時を共に過ごしたりしています。
無理を重ねると生きていられないかもしれない。

高血圧という病と共存して一日でも長く生きていかなければ。
そう思うからです。
もうそう思って冬休みを取る形を取り出して、もう8年が過ぎました。


宿屋も後継者となってくれる人があれば譲りたいのですが、うまくいかないのが、残念なところですね。会社組織にしていないので私個人の背中に背負う荷物です。

犬の宿は楽しくて面白い仕事なのに。
私には子供がいないし、親戚にも商売や乗りたい人がいなくて、残念な結果となっています。

この先、頑張れるところまでは精一杯頑張ってその後のことは時の情勢と相談して結論を出すことになります。案外簡単に素敵な結論に達するかもしれませんが。

とはいえ今日や明日にはまだやめませんので、長い間のピーターのお客さまと楽しく私の宿の形を続行して行くつもりです。今年も残りわずか。
皆様のご支援のおかげで一年が終わろうとしています。

62歳女将

まずは年末年始の部屋割りにひいひい言っています。
なかなか集中する日が多くて、バランスよく予約は集まらないものです。
またしても部屋割りに四苦八苦しています。頑張りますね。

では今日はここまでにします。いつもありがとうございます。
寒い日が続きますので、風邪などひかれませんように。
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3連休は雨も降らずお天気に恵まれて

弁天荘全景夏

11月の3連休は、お天気のほうもどうにか。雨も降らずに済みました。

連休の初日にはお隣の長野県のほうで、地震がありちょっと驚きましたが、岐阜県の飛騨高山地区には体に感じる余震も本地震もなく。ありがたかったです。
と同時に、明るくなってから見るお隣の長野県白馬村の被害が大きかったことに唖然としています。それでも、この地震でで亡くなった人は一人もいなかったことに
感動したりしています。常日頃の訓練やみんなで助け合うことの大事さがつくづく身に沁みます。

秋が深まっています

連休はちょうど3日間ともにお天気も良く明日あたりからお天気が崩れるそうですか、どうにか持ちました。それが二泊とも、お客様の楽しい宿としての元のようです。何よりと一安心しています。
旅行は気持ちのいいお天気と、見慣れない風景とおいしい地元の特産の食時ができれば、お客さまにはご納得いただけるような気がします。

26-11/23宿泊記念写真

今朝も昨日も、どなた様からも、「おいしかったわ。ありがとうございました。」と声かけていただき本当にうれしかったです。私は体を壊してから、裏の仕事に徹していますので、何かと言ってもお客様のお口に合うように、料理ができた時が一番うれしいものです。

飛騨牛しゃぶしゃぶ
献立を間違えると、そのときお泊りになるお客様の年齢や人数なのでなるべく、スムーズにお出しできる料理に変えているのです。
たとえば、人数の多いときに天ぷらなどを計画しますと、肝心のてんぷらは冷めてしまうし、天つゆですら覚めてしまうこともありうるので。
しゃぶしゃぶもステーキもお席につかれてからお客様自ら焼いたり鍋に肉を入れたりすればいいのではと思います。
それが一番おいしく素材を生かして食べていただけることだ゛と信じて、そうしています。
かえってそのことがよろこんでもらえるもとになっているのかもしれませんね。

内藤さんお泊り会8人.jpg

大勢のお客さまと大勢の犬たちが、無時問題なくいつもの笑顔でお泊りいただけたことは何よりと思って感謝しています。
快い疲れに今夜はぐっすり眠られることでしょう。
長野県の地震に合われた地域の皆様が、本当にお気の毒でなりませんが。
これ以上の災害に合われませんように心よりお祈り申し上げます。では今日はこれで。いつも読んでくださりありがとうございます。
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商工会の勉強会に行って来ました。

旧丹生川役場

商工会の勉強会に行ってって来ました。
「26年度岐阜県地域振興事業補助金を受けて実施します」と、商工会の商工会のスタッフから挨拶があり。セミナーは始まりました。

案内された机の上には
外国人おもてなし能力強化支援事業「第5弾総括セミナー」とあり、
その裏には講師の(株)美ら地球 代表取締役 山田拓 氏とありました。

プロヒールは書いてあるままに書きます。と、1975年奈良県に生まれ。
横浜国立大学大学院工学研究科修了。
外資系コンサルティング会社を退職し、足掛け2年にわたる世界のツーリズムを学ぶ旅を経て、飛騨古川に移住。
里山や民家などの現存する地域資源を活かしたツーリズムを主とした数々の、地域再生ソリュウションをプロディース。
平成24年に総務大臣表彰にて、個人表彰を受けるほか、飛騨里山サイクリングはグッドデザイン賞。平成25年は環境大臣賞。
「五感で感じる街大賞」など多方面から評価を受ける。
近年は空き古民家をオヒィス用途に転用した
「里山オフィスプロジェクト」にも着手。
〇総務省地域人材ネット「地域資源を活かしたソーシャル。ツーリズムビジネス」専門家
〇(財)都市濃山漁村交流活性化機構 国際グリーンツーリズムアドバイザーなどに就任している。と書いてあった。
飛騨を引っ張って行くために頑張っているのだということです。

現代版の「暴れん坊将軍」を見ているような、独特の個性があります。
他府県の生まれで育ちのようですが、飛騨のことを一生懸命世界に向かって宣伝誘致して。頑張っている実業界のタレントの「有吉さん」みたいです。

真面目な賢明さと外から見る目を持った、若くて頼もしい、地域リーダーとしては講師にふさわしい人かもしれません。
ともかく飛騨人としては、近年にない異色の存在です。

会場には、さまざまの人たちが来ていました。
市役所の観光課の人や、お寺のお坊様から、ホテルの息子さん達や商店主まで。
かなりの人たちが話を聞きに来ていました。
時代の変化に、興味があるのでしょう。

古民家着物体験館全景

テーマは「世界を魅了し続ける飛騨を目指して」というものでした。
私は一言一句、忘れないように最初のころはレポートを取るのに大変でした。


最後に質問をというところがあったので、私の前にどなたか今後の事業計画につついてと質問されていました。
二番目に小さく手を挙げた私のところに、マイクが回ってきましたので。
「フランスへ去年、市長さんや県知事さんらと一緒にトップセールス外交に、行ってきたというお話をされましたが、これからの戦略の一つに、
日本文化でおもてなしをしたいという具体策はありますか。」

そして「古民家着物体験館」のことを言いました。
「世界の女性をターゲットにした体験館」の看板をあげています。
と、ちゃっかりセールスしておきました。

ドイツの3人娘

ロビー外交の時代です。
多くの人々に接しておくことは大事です。
何しろ主催が商工会なのですから。
ビジネスにつながる話にして当然と言えば当然なのです。

セミナーが終わった後に御挨拶に、
「お初にお目にかかります」と「一度お立ち寄りください。頭の隅っこに入れておいてくださいね。」と名刺交換の挨拶をしました。
そして商工会スタッフの方たちに挨拶して会場を出てきました。

久々にセミナーなどの勉強会に出たので、少々疲れましたが。
まだ雪は降っていないので、自分の車を運転して帰ってきました。

夕方のニュースで、「高山の国分寺の大銀杏の葉が一晩で落ちてしまったこと。
そうゆう都市は大雪になると言い伝えがあること。
高山城後の、城山にクマが出たこと。熊がまた人に危害を与えたとのこと。」などを知りました。
命に別状ないが、これで4人目の犠牲者です。
高山市では「城山を包囲し、そのクマを射殺した事」などがニュースで流れていました。城山のあたりはしばらく閉鎖だそうです。

食べ物がなくて、ツキノワグマが、おなかがすいています。
こんなに寒いのに、眠れなくて。うろついているのです。
そして確実に自然が変化してきていることを、身近に感じます。。
飢えに苦しむ自然動物。現代の飽食の時代に。おなかがすいて苦しむなんて。

お客様の宿泊記念写真

私は人が襲われたことも悲しいことですが、クマがとうとう撃ち殺されたとの事のほうが、とても胸が痛いです。
そうやって中部山岳公園では、ツキノワグマがが打ち殺されていくのですね。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

(自然と共存して世界にアピールと言いながら、クマが観光地に出てくれば打ち殺すより手がないのだという人間界のありよう。)

うちのジョンとレオンには私の犬たちですから、仕事が済んだ後の寝る前にエサをやります。
お客様の食べ残したしゃぶしゃぶの汁ややさい、カリカリ餌も少し足して。

私が汁の入ったバケツを持って行くと、それだけでお座りして待っています。
ペットと自然界の動物は違うのかもしれませんが。

でも飢え死にするくらいなら、ふとりすぎていてほしいと、そう思います。
レオンはわが家に来たときは痩せて押せてがりがりの子でした。
今はどうでしょう。まん丸の顔をした大きな柴犬です。
ラブの血も入っているようで胸が厚く頼もしい感じです。
皮下脂肪もしっかりついて丸々とした犬になりました。
私のいう言葉も、大体理解してくれます。


なにかとても、複雑で悲しい気持ちです。仕方ないのですね。
人間の住む街に降りてくればころすよりしかたないのですねー。
早く早く眠ってほしい。冬はクマは冬眠するものなりと言い聞かせたいのですが。

では今夜はこれで。
いつも最後まで読んでくださり有がとうございます。

黒ラブ集合家族旅行写真。
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寒さが少し緩んできました。が確実に冬に向かっています。

寒さが゛少し緩んできました。土曜日の七五三もぶじおわりましたね。

飛騨牛しゃぶしゃぶ

土日になりましたので、お宮参りも秋の景色を和みながら、健やかに育つお子様たちとの家族の幸せに浸れたことと思います。
明日あたりは、飛騨地方も午後からは、雨になるとのこと。
雨ならまだ許せますか雪だったらもう私は身動きができませんので、明日はさっそく銀行へ振込み支払いに行って来ます。

それから私の若いころ、習っていた着物の先生の息子さんが、跡継ぎをしていらっしゃる和裁所にも、着物を預けに行く予定です。「またお預けしたいのですが、2から3枚」と言ってお電話しておきました。実際は、振袖を2枚と訪問着を4枚。袋帯を4本ほど預けておきます。
とても良いものでお値打ちな着物がお買い物が、この秋手に入りましたので、私は喜んでいます。
眺めていてばかりでも活用できませんので、私が通っていた娘時代の高山の同じ場所で、息子さんはもう20年以上仕立物をなさっている、和裁所に持って行きます。もう先生は落としで、お亡くなりになられましたので、跡継ぎをしておいでになる息子さんは立派な職人さんです。私が通ってる頃は学生さんでした。

呉服屋さんから、預かった反物の仕立てとの間に、私の持ち込んだ着物の二部式に仕立て直す仕事を、挟んでで頂くので、決して無理なことは言えません。

「いつでも、できた時お知らせいただければ。お願いいたします。」と言って、お願いしてきます。
気長に預けておけば、仕立ててもらえますので、活用できることが楽しみです。
私が病気さえしなかったら、本当に冬場の良い根気仕事になったのに。残念です。

父が農業に見切りをつけて。昭和48年に民宿を始めましたので、私は民宿の看板娘として、地道な和裁の道から、すっかりそれてしまったのです。せっかく習ったことももう片手では縫い物は無理です。

ホシガキツルシマシタ

眺めながら選択していたら、大風呂敷に2つつみ程になりました。
まるで今はもうどこにも姿のない着物の担ぎ屋さんみたいですね。
車で運んで行くことになるので、雪が降らないうちに行ってて来たいと思います。

今月はあと連休を頑張れば、雪が降っても何とか行動範囲が狭められても、我慢します。介護車のお世話になるのですから。
私は冬道は車の運転はしないことにし果ています。
今週は、地元の高山北商工会で、「着物体験館」の写真を撮りに来るからとのことでした。「全国紙に乗せてもらえるように、高山北商工会としても、応援するからね」そう言ってもらいました。
売り上げがあんまり少なくて出費がかさむので、そろそろ本腰で進まないとと思っています。
全国版商工会が発行する体験観光資源として、この地区からも推薦していただけそうです。

上三之町

観光宝探しノート取材シートというものにいろいろと書き込みました。
一つの観光資源にコンテンツに一枚づつ記入してください。と書いてありました。
お宝ジャンルを選択してください。

62歳の田舎のおばはんが、現実的に突きつけられることは言葉の壁なのです。
何しろバラバラと、宿屋の繁忙期に英語やフランス語や中国語や韓国語で訪ねてこられても大変なのです。そして宿に泊まって「きもの着物」と言われても困るのです。だから今年の夏は「クローズ」という看板を出していました。
外国人をあえてペットのお客さまと取り混ぜて収穫することはしないように。
本来の宿屋の方は、「犬猫の宿屋一本で進む」ことにしました。

農業は土地の維持だけで、やめているも同然なので。
農家という権利だけは放棄しないでおります。
いくつもの顔がある以上、いくつもの仕事があります。
四季折々にその場に対面した仕事に楽しみながら頑張っています。
田舎に生きることを恥ずかしいとは思っていません。むしろ幸せと思っています。


日本のしきたり的に言えば、夏は浴衣。または絹物ですと紗か絽になります。
後はポリエステルの着物ということもありますが、ただでも熱い季節に素肌で来てもらうわけにもいかず、浴衣もそろえてはみましたが。洗濯が宿屋のリネンを扱うようなわけにもゆかず。
安い浴衣が、つるしで下駄までセットされて、販売してある時代。

古民家着物体験館全景

とはいえ、クリーニングしない汗まみれの着物をまた、次の人に着せるなどということはできないので、季節を絞ることにしました。

年末年始の多忙日を過ぎると、のんびり雪の中に閉ざされて春まで暮らしています。春までほほ5か月間です。そろそろ面白いことはないだろうかとこちらが退屈しているころに、外国人が訪ねてきてくれると。何か新しい試みは新鮮で楽しいものです。こちらが半分趣味の延長で向かっているので、商売商売していないところが楽しい雰囲気になれるのかもしれません。

冬なら私は体調管理のために宿屋はほぼ休みにしていますので、たまにに訪ねてくださるリピーター様は土曜日のみの、受け入れですから。
長い冬の間を退屈しないで、外国人のお客様相手に。
楽しい時間を過ごせればいいのかなーと考えています。

外国人の方が日本来るのに、とても、着物にあこがれる来る人はたくさんいます。
でも着ることはおろか、飛騨高山にはそんな体験できる館はないのです。

私に言わせれば゛日本人が、捨ててしまった着物文化。
一部のお商売の人や儀式にのみ袖を通してもらえる文化となり。
むしろ着物というと水商売の人?戸けげんな顔されることが多い経験があります。確かに旅館は水商売には違いありませんが、今どきの居酒屋でも着物は来ていないのが残念なことです。
テレビを見ていたら、動物愛護の保護状態にある自然動物のようなありようです。
はあ〜と悲しくなることもあります。こんなにきれいな着物なのに。

古民家に用こそ古座敷
飛騨高山のような田舎でも、お葬式にもいつの間にか親族のみが喪服の着物を着るのであって。身の遠い方の参りや親せきについての親戚参りの服装は、黒い洋服つまりスーツだったりワンピースだったりするのです。

そして、「七五三も日本の子供が健やかに育ちますように」との願いだったりお礼だったりする着物を着て神様にお参りすることも、神前での結婚式もすべて貸衣装で美容師さんとの阿吽のコンビの行動となります。
私の遅い晩婚の結婚も。そんなような思い出があります。
式場のスタッフさんとの打ち合わせでは、まず「着物だけで済ます結婚式は珍しいと言われてしまいました。」
「ドレスは本当によろしいのですか」と衣装屋さんに言われてしまいました。

今は亡き私の旦那様は、街の中の小柄な眉毛の濃い男。
(やんちゃだけれども、私にとっては私好みの男だったのですよ。)
私は田舎の空気をいっぱい吸ってのびのびと育った、ぽっちゃり方のおデブさん。まるで蚤の夫婦のようなので、洋装の素敵なドレスは気が引けたのです。

そんな私も、お婿に来てくれた私の主人が逝って、早いもので7回忌を済ませました。年取ってからの夫婦だと思っていましたけれど。
主人も雲幕出血動脈りゅう破裂で倒れたのですから、車いすにも乗れず、病院で息を引き取るまで、何もしてあげられなくても、そばについていてあげたいと思い。
病に倒れてから、たった半年の期間でしたが。
偶然何も私も脳梗塞で倒れた身でしたので、私自身がずっと車いすで毎日病院に通い続けました。

そして主人が私に寿命というものを残してくれました。
こうやって元気に今年の春から秋まで働いてこれました。
希望と生きがいがたくさんあります。それが私の頑張りなのかもしれません。
気ままに「風変り」とと言われるかもしれませんが。
楽しく暮らすことを第一に考えています。

民族衣装としての素晴らしい歴史も伝統の技術も、一般的には忘れ去られようとしています。着物をたたむどころか、着物自体が一人では着られない人がほとんどなのです。着られない着物を買っても宝の持ちぐさり。
和箪笥などは不要な生活なのだそうです。
日本の娘さんのように、案山子のように突っ立ったまま着物を着せてもらうのではなく、習って着ることに前向きな外国の女性が、より気安く。体に姿良くなじむように。工夫してあげてもよいではないかと思います。

今は亡き私の和裁の先生と、一緒に工夫して仕立て直しているような気持ちです。
後を継いでいらっしゃる息子さんは、和裁の道でご家族の生計を立てておられる、立派な職人さんです。

古民家の広縁

飛騨高山は外国人観光客誘致に、行政あげての力を入れているところの追い風も吹いて。頑張ればひょっとしたら、ひょつとするかもしれませんね。
ぼちぼち冬が来ますのでだいぶ、大衣桁に飾ったきものの数も増えてきました。
田舎でも競争して田舎の魅力をPRする時代が来たそうです。
そうなると、なかなか準備が大変ですね。
競争はあまり得意ではないのだけれど。

商工会主催の「外国人に喜ばれる田舎をどう売るか」という、セミナーに行くことにしました。申込用紙をファクスで送っておきました。

でも、商工会の指導員さんから「古民家の和歌子さんが進もうとしていらっしゃる、外国人対応は誰でもできることではありません。
素質と資質がいることですから。」なんていわれて。
すっかりその気になって張り切っています。
あんまり精を出しすぎて、また倒れないように、お薬だけは忘れないようにしています。せっかくコツコツと歩いてきた、マイペースのいばらの道なのですから。

わたしには子供がいないので2匹の犬と猫6匹が私の子供代わりです。
皆さんが、犬や猫を飼っていらっしゃる方が同じ口調でおっしゃるのが、子供より孫よりもかわいい。家族の一員だから。
そうおっしゃる気持ちもよくわかります。

では今夜も長々と、たくさんの思い出話をしてしまいました。

いつも私のつたないブログを読んでくださり、ありがとうございます。
秋が終わり冬と入れ替わるころ体がまだ冬に慣れ切っていないので、風邪をひきやすいのです。
どうか皆様健康でお過ごしくださいませ。
それでは今夜はこの辺で、、。
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観光経済新聞に載りました。11/8

11月8日付の観光経済新聞に「よその旅館ホテルという欄」で旅館弁天荘の事が乗りました。全国紙ですが。一週間に一度発行の業界紙です。

弁天荘はペットの宿であること。
夏はお泊りのお客様に、無農薬もぎ取り農園でバケツ一杯取り放題で、お好きな野菜を収穫体験いただいてお土産サービス居していること。
冬は旅館のほうは、1月15日から3月19日まで冬休みをするが、その期間は、私の生まれて育った生家の古民家で。外国人相手の「着物体験館」をやっていることなどが記事になって、紹介されていた。

囲炉裏を囲んでドイツ

ふうがわりないきかたをしつづけているので、物珍しいと思う人に。
私の生き方が目に留まったのだろう。
突然インタビュの電話が入り新聞の記事となった。
まったくの無料で宣伝してもらったので、ありがたいとおもう。
記事は見る人は見るだろうし。新聞や広告宣伝紙に枠取って出せばかなりの費用となる。
どこのどなたが推薦していただいたかは知らないが、陰で応援してくださる方があるということはとてもありがたいことだと思う。本当におかげさまです。


弁天荘全景夏

外国人の中にはとても着物にあこがれてくる人はたくさんあるけれど着物を旅行中や滞在中に着ることなどはほとんとどない。

またその着物も外国人にとっては着方もわからなければ、お土産に中古の着物を買って帰った外国人は、たまたま風呂上りの上に素肌で絹のをタオル時のバスローブのようにまとい腰ひもで結んでいるのを見たことがあったが。それは決して正しい利用の仕方ではない。
汗取りのコットンと絹物は決して同格ではないから。
絹の着物は、肌触りも良いのですか湿気や水濡れを嫌います。

発想の違いもあるがドレスのように二部式というのとは違う。
二部式の着物もあるが。あれでは、きちんと着物を着るということにはならないような気がする。何か厳粛な民族衣装という感じにはならないのだ。

二部式着物その一

そこで、二部式仕立てに仕立て直せば気安くなるのではと思い。着物を巻スカートと上着部分とに仕立て直してもらうことにしました。
あくまでも正式に着物を着つけたようんな、感じに仕上がるように体験してもらう。帯もつくり帯にしましたた。

すると意外に簡単にきちんと着物を着たように感じられ写真写りも何らおかしなところはないので。自分のの変身ぶりにまず感激される外国の方が多い。
私は何しろ「ウエルカムサンキュウと、プリーズと、ノウ」しか言えない、生粋の飛騨人なのですから。
こんなことを威張っていてもいけないのだが。「笑」

「ジィスイズ足袋ソックス。プリーズ。」なんという感じで何とかなる。

外人は特に人前で裸になることを嫌う人が多いので、ズボンとティシャツは着たままで二部式の襦袢から、補正のバスタオルとボディを着物よぅのずんど型に補正して着物を着せる。
男も紋付き袴を着せる。なかなか様になるものだ。2時間セットのコースの中で。いろんなことを体験してもらう。民家でくつろぐことそしてお茶を飲むこと。

自分たちのお国の言葉で、感想を書いた色紙の寄せ書きを作って、その着物変身姿を、レジカメで写真を取り合い。楽しい笑顔が広まる。

囲炉裏の周りに集まって。土瓶で緑茶のお茶を出す。駄菓子も出す。
いろりでお茶を飲んでからまた別室で着物を脱ぐ。
そこまでが体験館の1コースとなる。なかなか忙しい宿屋と掛け持ちではできないことになるので家族ぐるみでもてなして、楽しい時間を共有する。

色内掛け孔雀

着付け体験せず館内を見学だけの人は洋服の上から羽織や道行きにそでを通して、
きらびやかな現代きものや100年前の案テークの着物などを、眺めてもらってお茶を振舞う。抹茶ではなく普通の土瓶で出す煎茶ゃがいいのだ。外国人が好きであろうと嫌いであろうとケーキではなく駄菓子がいい。ケーキに紅茶は日本でも普通に飲んだり食べたりしているがそれは世界中一緒で。日本のビルに囲まれた東京や名古屋や大阪やちょっといけばある大都会の街は、世界中にある変わり映えしないビルの街ということになる。
日本らしいくつろぎをかいまいま見るのは、体験なのだから。
体験は一生忘れられないことにつながると思う。
ホテルの一室で外人に着物を着せたところでいまひとつ。その感動は生まれないような気がする。

手間暇かけて、自分も楽しみながらおもてなしするから、喜んでもらえるのだと感じている。
テレビで着物をお土産に買って帰った外国人が来ている姿を見て
「ああー間違った着物の伝わり方なんだ」ととても憂いを持って眺めていました。

着物文化は日本文化の一つなのです。
まるで違う発想はどう使おうとコーディネートの仕方はいいのですが。
せっかくの日本の着物を簡単に、素敵に着こなしはてほしいと思うのは私だけでしょうか。

大体において日本人も着物を着なくなったのは、ひとりでは、着物を着れない。
たためない。時折虫干し管理も面倒だ。第一きものは活動的ではない。
そういうところから着物離れが、始まっているのではないでしょうか。
残念なのですがそれが現実です。

きものは、元来長い布をを、そのまま縫い合わせているだけなので、ほどけばまた元の長さのままの布に復活します。まだまだ使えそうな布になります。
痛んだものは外して袋物や、前掛けなどにして旅館の売店に置きます。

きもの布で作った小物です。

冬は雪の降り積もる窓辺で、暖かいストーブたいて、テレビやラジオ聞いて布にアイロン掛けたり、着物の脱い糸をほどいたりしながら過ごしています。

忙しくはたらく宿の夏場とは違って、のんびりできる一時です。
長椅子長居充電期間に入ります。
もう年取ったから赤い着物もピンクの着物も切れないけれど、素敵な振袖や訪問着をなどを見ていると、とてもうっとりします。
眺めているだけでも楽しいものです。
こうゆう冬の過ごし方も私の一年のサイクルになりました。

色鮮やかな打掛三種

人世どこに目を向けて生きるかが、ひとそれぞけのいきかたにつながるのですね。
寒い冬がすぐそこまで着ています。私の暮らすにゅうかわの里はまだ雪は降っていません。ありがたいことです。
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がん検診に行ってって来ました。

秋が深まっています

飛騨高山は、晩秋の深い秋と冬の境目です。
朴ノ木の大木からハラハラと舞い落ちる山の道を通って、高山のはしのほ鵜に移転した総合病院に行って来ました。
気になっていた乳がん検診です。
母が私の年にはもう発病して、亡くなってしまったという事実が、いつも頭の隅っこにこびりついていて。もう13回忌を終えたのに。
この季節になると、いつも思い出します。

秋の色です。

「何かをしたいなら。何かを続けたいなら。まず自分の健康だ」と病院のベッドの上で悲しそうに言っていた母のことを思い出します。
お天気も良く晴れていたので自分で車を運転して行ってって来ました。
濃しゅっ列の後のケアーとしてお薬はずっと飲んでいます。

自分リハリビもいろいろやっています。手を組んであげたりおろしたり。
動かない手を自分の膝の上に据えて、動く法の指先で手で一本一本伸ばしたりちぢめたり。足もなるべく引きずらないように高く上げて歩くよう一人でいる時はイッチ、ニッ。って掛け声かけて歩いています。
車もそれ用の車なら自分で運転できます。
雪道になったらもう乗らないことにしています。

北アルプス

飛騨高山の空はどこまでも青く、正面に見える乗鞍岳の雄大な山々も、そのわきにそびえたつ穂高連山も遠く家から見るにはとてもきれいで、雪をかぶっていました。斜めに振り返ると、ついこの間噴火した御嶽山もいただきには雪をかぶって。
まるで白い線香をたくように青い空にゆらゆらと一筋の煙を上げていました。
切ないほどにふもとは平和です。
まだ下山できていないご遺体の魂に、心からお悔やみ申し上げます。

私のがん検診は何も異常なしとのことでした。
結果を待っていたら、お昼過ぎになってしまいました。途中で買ったコンビニのおにぎりも、とても食べられそうにありません。
遠くに見える御嶽のお山を見ていたら、こみあげるものがあって。

人の命ははかないものです。
そして四季は切ないまでに、季節という幕を引いていきます。
生きていくのは大変だけれども、頑張りすぎずに頑張って行こう。
冬になるから。
冬は春を待つためにあるのだという人もあるが、飛騨の冬はとても厳しい。
白菜づけも本格的な量しっかりつけておかなくてはと思う。
大根も沢庵漬けにしておかないと。
やることがいっぱいで忙しい。
そう思って自分を励ますことが大切なのかもしれない。
山の中の小さなお宿。
62歳女将

こんな宿でも毎年、楽しみに来てくださるお客様がいる限り、腰を曲げて頑張らなくては。ありがたいことだといつも感謝するばかりです。全部のお客様のお顔にお目に書かれるばかり低゛はありませんが、裏方で、ガスコンロの前に立って居る時が一番幸せなのかもしれません。
いつも最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
皆様もわんこちゃんやニャン子ちゃんたちも健康ですごしてくださいね。

シベリアンハスキーたち

では今日はこれで。女性の皆様。がん検診は特にお早めに。
早期ならガンは治る病気だそうです。
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クマがリンゴ畑に出没人身事故発生。

昨日高山市丹生川町の山の中のリンゴ園に、ツキノワグマが出ました。
リンゴ園を見回りに行ったリンゴ園の主が、クマに襲われて亡くなられました。
悲しい出来事です。

秋の色です。

今年はクマが山奥のどんぐりの実がならなかったので、とてもおなかがすいていて、そろそろ寒くなったけれどおなかがいっぱいにならないので寝つけないようなのです。
でも甘いリンゴの味を覚えた、クマがあちこちに出没しては大大変です。
高山市は昨日も今日の広報車を出して呼びかけて回ったり、私たち宿泊関係者には高山市の観光課から一斉メールが送られてきたり。
高山市の観光課は、上に下にと大騒ぎです。

むかしを紐解くと、戦後敗戦で焼け野原となった日本は田舎の山からどんどん材木を切り出して、復興の住む家づくりに人々は精を出しました。
その時家づくりに役に立ったのが飛騨や木曽のスギやヒノキでした。
日本の林野庁から各市町村の森林組合を通じて、補助金を出してスギやヒノキの植林を奨励しました。
森林組合は、林野庁の傘下にある立場でした。
飛騨は農業と林業を兼ねている小地主が多かったのです。

そんな現状が何十年も続いていましたが、昭和の半ばころから、日本の隅々に至るまで生活が豊かになり、電気の活用が伸びてきました。木材が不要になっって来た。炭もいらなくなりました。
炭焼きはやめて補助金の出る杉やヒノキを植えました。
それで山仕事の人たちが一段と減少する、引き金になったのです。

電気炊飯器に電気冷蔵庫そして電気炬燵にテレビと炭は使わない時代がやってきました。また都会では住宅すら、木造ではなくモルタルや鉄骨になり生活様式は変わっていきました。
昭和という時代が終わって平成になってもその勢いは増すばかりで、ますます炭も杉も檜も無用のものになりました。
それどころか毎年スギ花粉やヒノキ花粉に悩まされる人々が増えてきました。

ロビー

そしてとうとう、雑木林を切り倒して植林をしたスギやヒノキは、切り出す手間代のほうが高くつくということでうっそうとしてた森になってしまいました。
間伐林は一本1000円ほどにもならないので、山主たちは放置している状態です。100年くらいの間、枝打ちをしたり下刈りをしたり人件費は毎年恐ろしいほどの金額を投資して、山の木を手入れしなければ。
なんと長いスパンの話ではありませんか。
私もこの旅館を建てる時、持ち山の木を伐り出しました。
ひいおじいちゃんが植えてくれていた檜を、30本ほど山から切り出して増築しました。なんと110年ほど前の樹木です。それでも材木を切り出してみたものの輸送や、製材所や乾燥する場所や、考えられないほど時間と費用を要するものでした

とても持ち山の材木を切り出して使うなどということは、大変なことなのです。
だから伐採する人も居なくなり、うっそうとした森は栗も楢も土地の木も実のなる木が山から消えてしまいました。
ましてその専門の技術者が年々少なくなっていく現代は、乾燥されて柱になった製品を大工さんは使いたがるものです。
そんな長い間の、日本の林野庁が推し進めてきたつけが、今回ってきたようなものです。

山にはクマの食べるものがなくなりました。山で生きる動物はツキノワグマやイタチやタヌキや、山リス、カモシカ、ニホンザルイノシシキジ、ヤマドリなどですが、特にクマは冬は冬眠する習性があるので、特に秋は土地の実どんぐり栗の実などの木のみをしっかり食べて体に油を付けて眠る準備に入ります。

北アルプス

ところがこの頃は山中20キロくらいの距離を歩き回っても、食べ物に困る状態が続いています。可愛そうな熊の現状の運命なのです。もとはと言えばみんな人間が作った自然破壊なのです。
リンゴ畑に来てリンゴをかじった親子熊も、人殺し熊にはなりたくなかっただろうに。
現状は厳しいことになっています。山は不用意に入っては危険です。
山は4年に1度くらいのサイクルで熊の食べ物がなくなります。

風下に回っている時、クマに出会うと大変なことになります。
大きな音を立ててラジオを鳴らしたり、クマよけの鈴を腰につけたりしていないとクマのほうから、逃げて行ってもらわないとクマと戦うなんてことは無理です。

僕はレオンというんだよ。

奥飛騨の熊牧場で、よじ登れないように作った囲いの中で、手をたたいてエサをオネダリしているような、そんなかわいらしいものではありません。ステージでブランコに乗ったり三輪車を漕いでいる、クマモンや、テディベアとは違うのです。

山にいるクマは危機をなぎ倒し自分の歩いた道のテリトリーを示すために、大きな木々にもひっかき傷を作り。そして牛のように、「もわうー。もわうー。」と鳴き声がしたときは、もうすでに狂暴になっています。
よほどの山の中にはいらない限り、国道沿いの道を歩いているようなことはありませんが。それでも十分注意してください。

白川郷でも奥飛騨温泉郷でも、高山市とはいっても少し前まで、七つの村があった地域の事です。熊に時代の行政事情は通じません。
山の中にクマは暮らしています。
食べ残した弁当やジュースの空き缶などを、車から投げ捨てるとクマたちは、においをかぎつけて降りてくるもとになります。だから食べ残しのごみを捨てることは、絶対にしないでください。

高山は観光地ですので、神経尖らして、クマ対策に対応しています。
このまま二度と悲しい事故が起きないように。
悲しい動物との戦いはこれっきりにしたいから。

落葉樹の雑木林は秋は栗や楢の木に実がなり、やがて紅葉した木々の葉は落ちて山の動物がリスや熊は、その実をたらふく食べて冬眠に入ります。
昔から繰り返されてきた自然の中での営みです。

中部山岳国立公園の飛騨地区にも、もうすぐ雪が降ることでしょう。
乗鞍岳も穂高も槍ヶ岳も、ふもとにまで白い雪が降り始める頃。
静かに山のクマの穴で眠りにつくクマがいることでしょをう。

ジョン。4歳。デブです。

私の犬たちは、ジョンの家で、セコムよりも敏感に夜の静寂の中、物音に反応してセキュリティの警告音を発しています。
「わわーん。わんわん。」犬は昔から人のそばで暮らしてきました。
裏の畑でポチがなく。大判小判がザクザク〜。
ドックラン.jpg

こんな童謡を思い出しますが、大儲けは縁遠いことと思います。

地道に毎日を暮らして行けたら感謝です。
今夜も最後まで読んでくださりありがとうございました。
弁天荘は温泉ではありませんので、今夜は家族ぶろで我慢していただきました。
11月8日の土曜日には大きな男女別の風呂をたきます。
では風邪などひかれませんように。おやすみなさい。
いつも読んでくださりありがとうございます。

25-5-30花とレオン3枚目.jpg
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11月台風。飛騨へ来ないようですが、びっくりですね。

木枯らしが吹き始めました

飛騨はもうすっかり晩秋です。

景色が寒いというだけではなく、あまりにも異常気象なので、びっくりです。
台風が来るというので、あきれて天気予報を見たり聞いたりして。
もう今頃になって台風いらない、、。
もうさんざん北からは雪の便りだというのに。今頃まで台風来るなんておかしいよ。そんな独り言言っています。
廊下

私は家の中でもしっかり冬物の純毛のセイター着てて、ストーブ朝から晩までたいています。事務所でパソコンのキーボードたたいていても窓際はさむいので、片手がしびれてきます。
冬が一か月早くから来ているような。
テレビや、ファッション雑誌などに見る、ヒートテックの薄物のナイロン系の服では体が持ちこたえられそうにありませんね。私は年寄になりましたので、おしゃれどころではありません。とほほーほ。

異常気象という予測不可能の敵と戦って、今年はもう2か月足らずの日数しかないのですね。瞬く間の日々の流れには驚かされます。
今年は、何かといろんなことがありました。
集中的な大雨。そして火山噴火。
遠くに真っ白な雪をまとった北アルプスの乗鞍岳。
槍ヶ岳などの穂高連山。
漬物漬け終わりました。
漬物もつけ始めました。
今年もまた長い冬との始まりかと思うと、遠くから眺めている山々の美しい姿の中にそこはかとない、秋の深まりと冬の始まりのはざまで何かしら
思うものがあります。

今年は特に。
御嶽で亡くなられた多くの犠牲者の方々に、心からご冥福をお祈りします。

日を追うごとく秋が静に、山里から都会の街の公園あたりまで下りて行ったようです。お客様も「今年はすっかり寒くなってしまいましたね」
そんな会話で玄関に入って見える。

ロビーのストーブにほっとして思わず手をかざしていらっしゃる。
自分でも大笑いしながら
「こうゆうストーブもみかけなくなりましたねー。火を見るとホッとします。人間なんですね。」あまりにも素朴なことばに、私も笑ってしまいました。
犬たちも飼い主たちが笑い声をあげているのではしゃいでいるようです。

ホシガキツルシマシタ

さむい朝晩です。お風呂に温まることにしましょう。今夜はどの炭酸風呂にしましょうか。ゆずがいいでしょうか。森の香りがいいでしょうか。
皆様もむ風邪などひかれませんように。
いつも最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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