高山ウルトラマラソン。

弁天荘全景夏

高山ウルトラマラソンが6/7日にある。ちょっとしたお祭り騒ぎになっている。

今年は例年よりも参加人数が多いそうだ。
着ぐるみを着たり、グループで走ったりかなりの人数なので、田舎の道も草刈りをしなければならないとの行政からのお達し。
歓迎の意を表して草を刈った涼しげな道を走っていただくことになっている。

大谷の公民館では。
水やジュースを補給するための立ち寄りテントが設けられ。
ボランティアが駆け付けて、選手の皆さんのおもてなしにあたる。
我がにゅうかわ地区も今日は朝5時から8時まで。
草刈りや空き缶ひろいなどで、主なる人は総出の行事地なった。

私は美雨季を発症してから、当然人様と同じスピードで歩くこともできないし、杖を突いていてかがむ作業もまともにできないので。
いつも失礼して欠席する、こととなる。

地域の団結力というものはすごい。
畑のおじちゃんが7日までには道端の草を刈らなくてはと言い出した。
植え付けがひと段落したらウルトラマラソンのための草刈りをしなくてはという。
毎年そうなのだから、草刈りも時にはしないといけない。草刈り機で駆らないことには草刈り蒲などでは何とも追いつかない。
手入れや準備の作業には付き物の経費だからなかなか大変だが
「気持ちよく快適に暮らす」ということは、目をつむってはおけぬ仕方のないことだと思う。

トウモロコシの苗ゴールドラッシュ。

いろいろやらなければいけないことが山積している。6月もまだ日照りが続きそうだ。お客の数が少ない分お庭の草取りをしたり、いろいろ地道なことはやらなくてはならない。
パソコンのホームページの当たら年いプランを決めることも、次から次とバージンアップするので、何が今までとどう変わったのかを読み句だ゛すまでにもこの古い頭では大変だと思う。どこも頑張っている人は一緒だと思う。自分だけのレジャーも自分のためだけの休暇なんて、ろくにとれないのが普通だと思う。
飛騨は観光地なのだから奥飛騨でも高山でも下呂でも、温泉に止まってゆっくりすることすらがまず難しい。

父の事もあるし。
犬たちの事もあるし。猫たちの事もある。
だから、犬たちが車の中に置き去りにされるような旅行はまず真っ先に考えないし、父が館内で行方不明になる事など想像すると、旅行の夢気分はすっかり冷めてしまう。

心にゆとりがなくなって、どこも出かけないことが、一番の幸せになってしまう。
何事も起らずに平穏に1日が終わることが最大の喜びになってしまうのだから、
日没の夕日のような人生を送っているのかもしれない。

あんなに楽しみにしているのに。
「父のもとに、たまにはに顔を見せるという、弟夫婦ではないようだ。」

父の言うことなどを素直に耳傾けてくれる人間なら、何があっても寄り付かない。「なるべく父には節しない」などという、たいどを。
何十年もつづけられるということは、心の中で弟も嫁さんも義理も恩義もなく、ただひたすら、「他人のふりをする」ということなのかもしれない。

「あれは長男なのだからと」いう父の言葉の言葉尻に、ひどく期待したものがあるようで。なんかそう期待し続ける父が気の毒に思え。
そんな父の姿を見ていると「哀れ」にすら思えてくる。
多分父は自分のやってきたことは都合よく忘れてしまっていることなのだろうと思う。弟とこんなふうになってしまったいきさつを事細かに話して聞かせても。
「ふーん。誰の話だ。俺がそんなことをするわけがない。」というのだから、
ねじの緩みかけた父にいまさら何を正そうとしても、仕方ない事なのだと思う。

草刈りしました。

弟と私の性格は雪と墨程違う。
たとえようがないので彼は理系だとすると。私はどちらかというと、文系なのであって。
父は私のたくましくて優しい姿を見続けてきたので、子供たちはそのDNAをもらってきているのだから。

弟も当然だと思うのかもしれませんが、弟は父に。私は母に。
似たのだと思っています。


ドックランのすぐそばの畑は、弁天荘の旅館用の野菜を作るために今年は新しく始めた。私と叔母の成り原さんが坂道をどれだけでも少ないきをょりの歩行で済むようにと、考えた末にあの畑の1枚に、いろいろ作ることにした。
こまめに歩いて収穫に行くには近いほどいい
黒マルチで作付けするが通路のCとはひかないだけで、きゅうりも黒ナスもズッキーニもお蔵も白菜もスイカもカボチャも作っておく。

お客様の収穫体験の畑は土で靴が汚れないように犬の足が汚れないように畑の中はシートを引きつめて土がつかないようにしている。

きゅうりもカボチャもズッキーニもおくらもズッキーニもジャガイモも、ピーマン。しし唐も。植えておく。サツマイモとトウモロコシは鳥獣対策用の囲いのフェンスの中に作っておいた。ササゲのトンネルも作った。トマトももうすぐ畑に植え付けできることだろう。
野菜収穫体験は、家族単位で一杯目の収穫バケツはは無料で、2杯目のバケツは600円いただくことにしている。
だから2敗目の人はフロントで自己申請してほしい。

追加のお金は払わず払わずトランクいっぱいの様々な野菜を、欲ばって競争で持って行く人もあるが、すべてはモラルの問題で、「良心のかしゃく」に任せ。
いちいち咎めないことにしている。

野菜を売ることが弁天荘のオリジナルイベントではなく、楽しんでもらうことが私のお客様に対するもてなしのサービスなのですから。
畑のおじちゃんとコツコツ私の種からまいた野菜で、なるべく経費を抑えて続けて行こうとする。
夏の弁天荘の無農薬農園のイベントなのです。
お客様がとても楽しみにしていてくださることを思え場こそ今年も頑張っちゃいました。後はこのまま良いお天気が続くことを願っています。

ナス 成長中.JPG

雨は立て異様と交互に降ってくれると「露地物野菜」は甘いしっかりした味の者に育ちます。長雨が続き日照不足にならなければますまず8割肩は成功なのです。
どうぞ楽しみにしていてくださいね。
いつもありがとうございます。
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日本カモシカは天然記念物です。

5月の山の緑

政府登録国立公園の中に私たちは住んでいる。
もっと昔をたどって行けば、やっぱり人間よりも自然動物のほうが居住区域としては長いのかもしれない。マンモスがいた時代。
人間は果たして今のように堂々と生きていただろうか。

今日カモシカを見た。駐車場で。
山からフェンスを飛び越えてカモシカの赤ちゃんがやってきた。
駐車場を横切り小川のユウ字溝を飛び越え、草のど手を駆け下り。
畑のおじちゃんたちが黒マルチシートを引く作業を、しているわきの田んぼを、走り抜けていった。

足の細いボルゾイみたいな感じで、最初犬がどこかの車の窓から逃げたのだろうかとすら思った。最初は大型犬がどこからか逃げてきたのかと思ったのだ。
一瞬何が起きたか、しれないくらいに。国道158号線の車が止まりだした。
「何事か」と育苗ハウスの椅子に、すわっっていた私は外をのぞいてみた。
もう目の前を、シカのお尻が通り抜けている後だった。

シカと言ってもこの地域にいるシカは、天然記念物の鹿なので、ペットにして飼育することも許されず。可愛い愛嬌のある、顔をして人間を襲うことはない。
かみつきはせず「きょとん顔で眺めているので」人懐っこくさえ思えてくる。

ところが、その愛嬌物は結構畑を荒らすので困りもの。
草よりは野菜のほうがおいしいことを知ってしまったのだろうか。
山の自然動物なので、せいぜい鉄枠の垣根をしているくらいなのだが、彼らは本気で飛び越えようとすれば、1メートル50センチくらいの作はジャンプしてしま
う。

重文荒川家外観

交通事故によくあう事が多く、わが家にも一頭、はく製になったのがいる。
冬がまだ終わらぬ頃、交通事故で亡くなった。
土に埋葬するにも地面は凍って土を掘り起こして、掘り起こすことなどは到底無理。

天然記念の保護動物なので車で事故ってしまうと後が厄介で。
「スピードは出しすぎていないか。状況の説明やら。始末書なども書くこととなり散々な思いをした」とおっしゃっていたことがあった。とても嫌な気分になる。

勝手に車に飛び込んでくるのだが、みんなそのあたりはよく心得ていて、ひかないように速度を落としたり路の端に止まったりしている。

長野県と岐阜県ををまたぐ安曇野と飛騨の全域が、政府登録国立記念公園という枠に入っているので、自然動物の理生息にはやかましい。
カモシカもそうだし。ツキノワグマもライチョウやテンや日本リスやキツネやタヌキムササビなども生息していてヤマドリもキジも山ウサギもいる。またイノシシや猿や山の食べ物がないと里に出てくるようになった。
いろんな野生動物が生息している。
ちょっとした天然の動物園で入場はいらないが、ときには恐怖という代償を払わなくてはならない。去年の秋のリンゴ農園のツキノワグマもそうだ。
高山の城山公園のツキノワグマ騒ぎも大変な迷惑だった。今ツキノワグマ騒ぎは三重県と滋賀県と岐阜県までもが、絡んで大騒ぎしている。山に戻すという事をやっている自治体もあれば、そもそもそんなにクマの存在が確認されない場所もあり。
自然保護、動物愛護という法律ができてから、とかく動物と共存することのむつかしさが問われて久しい。

1頭でうろうろしているのは、親とはなれたのだろうか。
自立の時なのだろうか。冬ならともかく今は初夏に近い。時期的にも禁漁の期間で民家のそばでは猟はできないことになっている。

小さな日本カモシカは、犬で言うとボルゾイいくらいの大きさで。今年生まれた赤ちゃんだろう。未だ顔が幼かった。

草食動物だからかみつかれることはないが、親のサイズになると小ぶりな馬くらいはあるので出会うと、驚いてしまう。
多分うちの山のてっぺんあたりに住んでいるのだろうと思う。
そこで私たちは
「政府登録中部山岳国立公園」地内に住んでいるのだと、深く自覚することとなる。
しかし今ほどクマと人間の住む地域とがかなりの距離が゛あったように思う。
この条例というか、公園指定は、私が小学生のころ決まったように思う。

同じ生き物として「共存して生きよ」ということなのだろうか。

5月の最終土曜日。
お客様が5組ほどある。
客室が14室程度の宿なので、たいした設備でもなく、食事処の各部屋と、合わせれば管理する部屋は倍になるが。チェーン店の大ホテルとは違ってささやかな山間の旅館なので。犬たちをのんびり遊ばせ、
のんびりゆったりと、お泊りいただくのが一番の理想的な姿だと思う。
スタッフ達は午後出勤となっている。

記念碑

国道の歩道沿いに歩いて8分のところに国宝荒川家の建物があるので、その庭を犬連れで゛さんなぽされるのもいいだろう。
館内は犬は入れないので、そのことは承知していてほしい。またうんちも必ず拾ってきてほしい。市の建物として管理人がいるので。放置排泄物にはモラルを持って利用してほしい。入場は館内庭ともに、無料です。

のどかな土曜日。
こんな日は露天風呂温泉にに入るのが一番の気分爽快の季節なのだが、そう思いながら弁天荘の男女別の大風呂にお湯を張った。
ボイラーが「と゛どーどん」と作動する音がする。
天然温泉ではないので真水を沸かしていく。

温泉入湯税は支払わなくていいが、水道代と灯油代はばっちりかかる地力のお風呂だから。そこそこに人数がなければたけないのである。今日は朝からO風呂をたく準備しました。設備屋さんも点検に来て今済ませて帰ったところです。
つかの間のブログ書き込みタイムが終わってしまいます。
急いで書くので誤字脱字が多く、時々後から書き直すこともあります。
パソコンの前に座って、限られた時間の中で、毎日をどう伝えたらいいのか。

指先のリハリビなのかも知れませんね。

今日はここまでにしておきます。ではまた時間のある折に。
皆様ボーナスが出ましたら、夏休み前の気楽なのんびり旅してみませんか。
ゼミ飛騨へおいでください。お待ちいたしております。
楽しい週末をお過ごしください。6月は梅雨時と言いますが、晴れたらもうけものです。高山地区のお天気の具合を見て、旅行に出るという方法もあります。
いつも最後まで、読んでくださりありがとうございます。

新ドックラン完成.jpg
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5/29日実質的な月末。

一代目柴犬ジョンの眠る丘

小さな宿屋なのだが、私は「女将」という名の経営者であり。
債務返済者であり。今日は実質的な月末なので、なかなか忙しい。
高山市の町中の銀行の自動機まで行って支払いの何か所かに、振込をしてきた。

戻って今日のメールを確認していたら、犬のサイトのステイドックの県別広告の請求が届いていた。犬の専門サイトの広告料だ。
「あれー。すっかり抜け落ちてしまっている。」
屋根屋のこうちゃんが昨日請求書を持ってきた。

「屋根の修理代を分割で払うからと伝えた。明日はとりあえず50万現金で払うので、領収書持っておいでよ。」と昨日言っておいたばかり。
その集金を待って、支払いを澄ましてから。また町方という場所の信用金庫に飛んで行った。振込カードを入れて現金を入れると振込完了。

何かと5月はお金が動く月で支払いに追いかけられる。
なんといっても、小さな宿でも一軒店を維持しているということは。
稼いただけ出て行ってしまう。やりくりがあってこそ経営なのだ。
客の流れが止まってしまうと支払いの流れも止まってしまう。

仕事量が多いの少ないのなどと文句など、恐れ多くて言ってられない。

私の宿に泊まってくださる、お客様があるだけ感謝。感激感動の涙ものなのだ。

今日午前10時ころ九州の火山が爆発した。
無時、住民の皆さんが避難できたようで、テレビでその流れを食い入るように見ていた。犬も一緒に避難で来て一安心。火山が噴火するということは、火山国日本としては仕方がない事なのかもしれない。気の毒に思う。早く終息してくれるといいのだが。

ジョン2歳

一昔もふた昔も前、バブルという時代は、日本中が「金余り現象」にすべての人々が惑わされて、銀行は「お金を借りてください。という姿勢だった。」

都会でなら人も多いので、回転さえよければ。成り立つことなのだが。

温泉地でもない、田舎のスキー客が対象の宿では尋常ではない返済計画だったと思う。そんな中で、乳癌という母の死に直面して。

仕事も精神面も、かなり頑張ったように思う。
どうやって、毎月の支払いを通り越してきたことなどは、過ぎ去ってきたことなので忘れてしまった。

返済以外に、経営するということは、水道光熱費。人件費。
働けば働くほどありとあらゆるお金が一回りしては出て行った。
最後に追いかけてくるのが税金だった。

私は大型者の免許を取って、送迎のスタッフの休みの日には、バスの送迎もやった。スキー場も行ったが、かなりの遠くの村や町まで行った。

「男なんかには負けない。」その「なんか」という根性が、かわいげのない女を演出していた。にっこり屈託のない笑顔が一番の武器だった。
愛嬌。度胸。二つを兼ね備えていれば、鬼に金棒だと思った。

それが若さという小生意気な、無謀に近い賭けの始まりだったと思う。
私の無謀な小さな仕事の鬼は、借金返済計画に翻弄されることとなった。
板前も置いていたが、流れてくる板前は、いつの間にかまた流れて行ってしまう。
女中さんも、いなくなり着物を着ているのは私だけになってしまった。
服装や立ち座りのお行儀にとらわれない下働きさんだけはすぐ集まってくれた。
本当に力になって応援してくれたのは、女性だった。
客になるのも働いてくれるのも「おばちゃんパワー」というやつなのだ。

婦人会の集団の中であっという間に広がり、老人会の女性役員が私の宿を利用することを希望してくれ。

館内スナックに女の子が雇えない日は、スーツの背中に大型風呂式の唐草柄の中に、かつらや衣装やアフロへやーや着物やウエイデングドレまでを包みこみ。

恥も外聞もなく楽しい思い出にしてもらおうとがんばった、パフォーマンスが大うけで。人気の的を得た。 今でいう女芸人の持つあの大真面目で面白い。
「お笑いタレントのように。おなかの皮が、よじれるほどの笑いを取って何ぼだ」
話題もテンポよく、その場その場にあった「雰囲気と楽しさを、導いて何ぼの世界だ」と確信を持った。それが私の女の細腕の「努力と才覚いう武器」になった。

弁天荘全景夏

毎日、楽しい話題を新聞記事の中から探した。
「東京ぼんた」というタレントがいて、唐草風呂式の柄でスーツを着て。
漫才をするのが流行っていたことにヒントを得て。

当初着物を着て挨拶をしてお酌に回っていた女将が、白いブレザーに、かんかん帽子。唐草風呂式を背負っての再登場。
今では何ともない、「女芸人」になりきったのだ。
恥ずかしいとか、そんな気持ちは月末の支払いを通り越す時、忘れることにしていた。毎月かなりの大金が動くそんな財布方の帳面を見れば、恥ずかしいとか情けないとかそんなプライドはかなぐり捨てて、継続していくこと自体が私のプライドとなった。
私にとって宿は、一番の育てていかなければならない子供なのだから。

まだ主人とは婚約していない頃だったので、平気だった。

「こんばんわ。ようこそ弁天荘へ私、これでもおかみなんです。実は表ではおかめ裏ではオオカミ。」向上を言いながらマイクを持って入って行けば、大広間の宴席が。スナックのカラオケタイムが始まる。客が客を喜ばせいて、酌婦もコンパニオンもいらず、もとでいらずで集客につながる。口コミがあっという間に広がって。
飛騨人は何かと飲むことが好きなので、宴会好きだった。

田舎なのだから。しゃれてはいけない。
田舎の人の心をつかむには、本当の笑いだと思って勝負した。

度胸が据わるといつものパターンでコメディアンのようになりキリ、毎回、回を重ねるとその間合いも絶妙なものになります。

「よー待ってました。」拍手や掛け声が私を後に引けないようにステージに張り付けてしまう。それは私だけの宴会集客の技法だったのかもしれません。

歌がうまい下手だけではない歌っているうちに、私が着せ替えてしまうので、廻りは大笑いの渦に包まれるという思考でした。
姿見鏡もも置いて仕上げに見せるようにする。すると本人が大笑いとなりまた人々はどっと笑う。着せ替えカラオケという衣装も豊富に用意した。

客が客を笑い、私は踊るのではなく。
中には日舞を習っているおばあちゃんとか。民謡を習っているおじちゃんと書いて、いつの間にやら芸能発表会のようになってしまっていたこともあった。

躍らせる役に徹することができる。女将だから、そんな風に人の集まりを取り仕切って行けばいい。私の宿なのだから。
地元の客の心は「笑い」でつかむことにした。

館内スナックは色気を売り物にする、女の子などはいてもいなくても、よかった。

事実。ウイスキーの水割りを作れる程度の、カッターシャツに蝶ネクタイのボーイがいればいいだけのことで。楽しい面白いという噂が広まって。

思い出の写真コーナー僕が待っているよ

わざわざ宴会の客やスナックのグループ利用のお客が予約が続いた。
地元で評判になって「婦人会や町内会の花見の会」などというあらゆる会いが私の宿を使ってくれた。

会員募集のお泊りの団体客。そして昼間は会員募集の団体客の昼食。
そのあいた日の間を縫うようにして、地元の宴会客。婦人会の昼食会。老人クラブのお泊り会。ありとあらゆるものが仕事になった。マーケットは身近にあってその市場の新しい客筋の開発が楽しかった。板前はいつ数次から次と変わったが、次から次へと雇っては、それでもがんばった。
春は春で。冬は冬で四季折々が、仕事になった。
ハツカネズミのように働いた。

当然年商は伸びたが銀行と税務署のために働いたようなものだ。
大企業ならいざ知らず、小さな宿の地域の中でいきのこるための知恵であり。紛れもない歩いてきた道のりで、超えてきた山なのだが。

当然。お金は入ってくるけれど、出ていくのも大変な金額になる。
当然普通の一般観光客も、団体バスで、受けていたように思う。

いわゆる「飛騨高山と奥飛騨の旅」などという会員募集の団体なのだが、流れのように企画物で入ってくる、旅行会社の仕事はそのころのことを思うと、ざるのように働いていたような気がする。
そんなやり方の宿の在り方が何年間続いていたことだろう。

年に一握りだった、犬連れ客が、逆転し始めたのは、平成5年のころだろうか。
そのころである。全面犬猫旅館にしたのは。
昭和53年から、犬はお泊りいただいていたが、まだ世間の風当たりは強く犬連れ客をかばう私は、奇人変人扱いだった。
同業者からは馬鹿にされ、一般客からは苦情を言われ。
投書までされて、困難の道が続いた。
まだまだ偏見に満ちた世間の犬猫旅館への批判だった。

私はとんでもないあまのじゃくなのかもしれない。
みんながやり始めると、「面白くない」と思うことが多い。
競争は資本力の大きいものがそこそこのラインを引くという定説がある。

桃太郎トマトジュース

そこで組織の先端の人間として、生き残ろうとしゃにむに頑張る若いホテルマンと競争するのは、ただただ疲れるのだ。
実直な働き者を束ねることはできても、ソフトーなサービスが売り物のホテルマンの教育とは、程遠いものがある。というより最初っから、競争する気もない。
そんな宿の仕事自体がしんどいからだ。
笑顔もしんどい。立って居ることもしんどい。
作り笑いが自然にできる状態ではなく、どこか健康でない部分があるとつらい顔がすぐ前面に出てしまうことがつらい。

犬連れ猫連れのお客様が増えて来ていたのだが、まだそれ一本に絞るには多少の不安はあったが、犬たちの目を見ていると仕事は数こなす事ではない。と思えてきた。
だから、団体バスの予約受けもカラオケ宴会の客もやめようと思った。

いつまでも同じ営業スタイルではやれないから。

アイデアはすぐ真似をするものがあり。競争は激しくなる一方。
資本が大きければ大きい組織は当然優勢になる。
それが資本主義の社会なのだ。

旅行会社の送客手数料も並々ならぬ費用が掛かり、それに伴う、契約更新量などそう客料や会合や、地域イベント協賛金など。
結構な付き合い日が要する組織の一員であることは、活動する会の運営費なのだ。
大きなお金が回って入ってくるが、それに匹敵する大きなお金が、まとまって出ていく。

これでは何のために働いているのかわからない。

不動産は時とともに目減りしていくのだから。
減価償却率と実際の維持していくための費用とを引き比べれば、ある程度の採算ラインというものが割り出されていく。
私は手形帳も小切手帳も切らないように。
手がたい信用でハッタリでは、支払をしない事。約束手形は切らない事をと実行した。
天候や、いつ取りやめになるかわからない、旅行会社の予約では、現金化してからの資金と思う。そんな仕事のやり方にしていた。

それが乗り切れたことへの第一歩となったかもしれない。

庭先の原木しいたけ

手堅くコツコツと。身の丈に合った仕事のやり方
それが私の口癖だった。
100パセントお客のニーズに合わせることは難しいと思う。

良かった。楽しかったと思う人もあれば、
宿の特色を理解できない人も居る。100人の人に1000人の人に、5000人の人に、100点をもらうことは難しい事だと思う。
気にしていたら気が滅入ってしまう。

お客様が重い理想と描く宿の姿は千差万別になって、最近では宿屋の流れの水準がないのが、特徴となってきているような気がする。
エレベーターがない宿は、宿屋ではないという人すらもいる。
沢山の人々が働き、宿自体の本質を超え、レジャーランド化している宿が、宿屋だと思っている人すらある。

何が目的で飛騨の旅を選んだのだろう。
ツアー客のイメージでお客様が旅行を描いているとしたら、それは一昔前の旅行であり、犬連れ旅行とは言えない。


温泉がいには、浴衣に下駄で歩く客があふれ。外国人も日本人もみんな泊まっている。朝でも夜でも、バイキング形式のホテル。
全国チェーンの8000円クラスで泊まれる「マルマル温泉」とかいうタイプ。
犬と泊まれる〇〇パラダイスというのも、一つのチェーン店なのだと思う。

旅行というスタイルが、変わりつつあることを自覚する最近。
満足の行く旅行というものは、はたして、見知らふちで仲間たちが夜の街に繰り出して酔っ払い、見知らぬ地の女性との出会いが、何か楽しく胸躍る、旅の恥はかき捨ての「一夜のアバンチュール」を楽しむちょっとした冒険の旅なのだろうか。」
飛騨高山という街は、そんな温泉街の団体旅行を描くのでは、的外れな旅となるのです。
飛騨高山は健全な家族の思い出作りには安心して歩ける治安のよい、街なのです。


きちんと計画して。どこへへ行きたいのか。
何を目的にするのか。ポイントを事前に絞って計画ください。
漠然と飛騨高山というのが一番的を得ていないたびなのだと思います。
乗鞍岳。上高地。新穂高ロープウエイ。世界遺産。渓流釣り。高山市内観光。朝市。露天風呂温泉。いろいろ行きたいところを絞ってください。
そうすると、そこそこに的外れではない、たびになる事と思います。

安いばかりが良い宿ではありません。
安くと思えばビジネスホテルに泊まって、犬は車の中で寝かせればいいのです。

ただし犬がどんなに怖い思いをしても、其れで気にならなければ。
宿に泊まらなくても、道の駅の駐車場で寝れば、さらに格安になるでしょう。

今や全国的に道の駅があり、温泉もあり、レストランもあります。
それで満足するのなら、それもありの旅の内です。
今や交通費もばかにならない費用が掛かります。
まして飛行機代。新幹線代レンタカー代。
いろいろ入れると遠くに行きたいというたびの計算は、成り立たなくなります。
車のガソリン代があれば、高速道路で要所要所を廻れます。

遠くに見える乗鞍岳。

しかし歳を取るとそんな旅行は、旅行の内に入らないと思うようになるものです。

小さなきれいな宿。ペンキ塗りたてのような宿が、良い宿でもありません。
自分にあった宿の選び方をしましょう。

何十年か、走り出してからあっという間の出来事で、楽しい日々だった。
そんな忙しくあわただしい流れを5年もやっていた時だろうか。
いよいよ本格的に高山の街もバブル不況の波がひたひたと押し入ってきて。
その時も何となく切り替え時の匂いがした。
世の中の切り替え時には何か怪しげなにおいがするのだ。

世の中にきな臭いにおいが広がってくるとき、手の内の趣向を変えなければならないということになる。

ようやくあと借金も4000万程の残債となった時私は脳出血で倒れた。
もうすぐもうすぐ終わると思ったとき、私は半身不随になった。私の人生は二十歳からずっと銀行とは縁が切れない、借りた翌日から負債となる不動産。
それが宿屋というものだ。
20代の半ば過ぎたころから、3000万円。と銀行融資を受けた。5000万円。最後に2億5千万円。私は、一生お金に追われる人生のようだ。
これで終わりということがない。

自営というものは、時間が来たからこれで終わりというものではない。
商売は生きるということそのものなのだと思う。

商いは「あきない」ともいうが「飽きる」こともある。数字のバランスがいまいち面白くない時。

客室例.jpg

その「飽きる時にこそ、大きく変化をする切り替え時」なのだが。

誰かが手にとって、おし植えてくれるものでもなく、〇〇アドバイザーなる人たちの意見も単なる統計的なものであったり、世界的な先駆者の受け売りだったりもするが適材適所の仕事を見つけてくれるものではない。
成功する人の人まねが、すべての地域のすべての経営者に当てはまるものでもないと思う。世界的な事業化などの著書を読み漁る必要はなく、いかにピケティの法則などを読んだところで、すぐ取り入れられる参考書には程遠いものがある。
無機質なビジネスホテルをやっていくというのではないので。

たとえどんなに頑張ったとしても、負け組と勝ち組に分かれるのは、どこが分かれ目なのたでろうと思うことがある。正しい答えは言えない。なぜならばまだまだ道半ばで答えは出していないから。
果てしなく続く道を、果てしない体力で、走りつ続けるということすらも、未知なのだ。もう弱り切っている私の代わりの体は悲鳴を上げ始めているのだから。
がんばらなくてはと思うこと自体がプレッシャーになっているのかもしれないが。

親子して、または孫子の時代まで。
長い長い道のりの、大きなスパンで考えるのではなければ、本当の意味の収支は考えられないのかもしれない。反復して帰ってくる道のりはとても長いスパンで考えなくてはならないから。しかし人生はふしーぎな物でないだろうか。

親の歩いてきた道はすんなり、同じ道を歩きたがらないというのが、子供であることが多い。私も弟も父のやってきた農業も林業も事実上は後継していない。
おとうとは完璧なサラリーマンで生きてきた。
弟夫婦にも私にも子供がいない。
私にとっての子供たちは2頭の犬と6匹の猫なのだから。

「賽の河原」という言葉がある。
人世は積んでは怖し。壊しては摘む。賽の河原なのだ。
そう思ったとき最後のエンデング計画が、誰にも納得できるものであるように。
そこん所が一番肝心なことだと思う。

袖が長いむかしの着物留袖

「思いもよらぬ病魔と闘うことは、死んだ方がまし」
断崖絶壁に、突き落とされたような感じだった。
もう少しで支払いが終わる。
「もう3〜4年も、走り通せば払い終えると思ったその時」に倒れたのだ。
あれから9年間生きている私。
何となく経営者を名乗っていられるのは、お客さまのおかげかもしれない。

ジワジワと時の沈むのを待っているに過ぎないのかもしれないが。
私はまた次の演出者の道を模索し始めているのでーす。
そんな糸口を見つけたのです。

だ少し債務は残っているが、ぼちぼちと続いて。
月々の返済額は「ネズミのくそ」ほどの金額になった。
悔しいが其れしかないからなのだ。
先の計画から、私の体は永久に続くものではないということだけは、考えておかないといけない。

だから宿屋のような日頃の維持費がかかりすぎる物件から身を引こうと思う。
人の働き場を提供するだけの形も面白くない。ただざるを振り回して穴の開いた水桶で掛け声かけたところで、何も残らない。
古びた宿が残るのでは嫌だ。
そう思ったからこそ犬の宿専門にした。楽しみながら仕事がしたい。
そう思うからこそ、畑に付いた客を、呼び込むことにした。

「なんか楽しい事」と思いながら、隣の古民家に、外国人専用の着物体験館を作った。日本人は入れないというのが一つの方針であり。

世界がターゲットだと思うと広すぎて、的を絞らなければと思うことにした。
対象が外国人ということは、世界なので、それなりに困難をきたしている。

まず言葉だ。
言葉の壁は話せないよりは話せるほうが良い。
わからないよりはわかる方が良い。
でもその前に伝えようとする本来の魅力は、日本にある着物文化の魅力だと思う。

今ろ、私はそれにチャレンジしているのです。
波がなくては進めません。風がなくては進めません。
でも波を乗り切るほどの強力なエンジンを取り付けなければ。そんなことばかり思っているうちにもう一か月がすみました。
楽しく暮らす方法を見出しているのだが、まだ船は入り江に停泊状態にいる。
冒険の旅に向かっているのは、私自身かもしれない。

郷かな赤い振袖

まずは今やっている仕事のめどをつけて、苗を畑に植えるまでは、今年の犬の宿の成功は夏から秋までの客入りにかかわります。

大きな魅力がないとお客様の心はつかめないのです。

次の仕事には、準備が一番と思っています。何年もかかって無理のない準備をして、積み上げた準備がすべての勝負を左右します。
畑も準備着物体験館も準備です

こんな山間の田舎のバス停の前の農協スーパーでも、外国人が立ち寄って買い物しています。

日本人と違う言葉が飛び交っています。
外国からの観光客の興味は、日本人とはかなり違うような気がします。

田植えの終わった田んぼをしきりに写真に撮っている欧米らしき外国人。
農協スーパーで、ハンバーグやチーズやヨーグルトや菓子パンを買い物かごに入れて騒いでいる。にぎやかな外国人グルーブ。
東洋人の顔だが、韓国語とも台湾語ともインドネシアかマレーシアか、何とも聞き取れない。「日経ブラジル人ののポルトガル語かな」とも思った。

売り上げにつながる事ならと、日本人とごちゃまぜにしないことが、スムーズに行くことだと痛感する。
やっぱり、私の宿は「日本人の犬の宿」で私の代は充分だと思った。着物体験課には日本人より外人専門のサイズを置くべきと思った。

すれ違う体格の良い若い男女に、「身丈170センチだろう。ウエストも105センチ以上でなければ、着せられるなあー」と感じた。
バストもそこそこあり、肩幅もある。
手足が何と言っても長い。ヒップの位置が日本人とはすでに大差ある。

どこで食べるのだろうか。高山市内ののビジネスホテルだろうか。
「今準備している着物の寸法を測りなおしておかなければ。腰の位置がそもそも日本人とは違うのだから。」と痛切に思った。

きっと魅力ある文化は受け入れられることだろう。

「急いで、慌てて走ればいいというものではない」から。
走りながら考えるというものではないのだと、この仕事に限っては、そう強く思った。無駄は、作ってはいけない。
体系観察が必要だとつくづく思った。
スラリとて伸びた手足。
私の計画が、田んぼの案山子になってはいけないからだ。

「動く日本人形を作るには、どうしたらよいか。」
計画が綿密であればあるほど、シュミレーションがどこまで
現実に対応するかどうかが、勝負なのだと強く思った。
サイズ表が必要になると思う。

郷かな緑柄の福良スズメ

偶然通り合わせた外国人グループが、私の街の参考書になる。
未だ10代だろうか。多分、バス旅なのだろう。嫌に身軽だ。
拠点の滞在ホテルは高山市内の事と思う。

高速バスは都会の風を運んでくる。
時には外国人も運んでくるようになった。

とりあえずまだ未練があるから、犬の宿はしばらく続けるつもり。
ほんのしばらく、5年ほど。
中部縦貫道の高山東インターの取り付け工事が始まった。

坊方地区の取り付け道路のインター入り口は、うちの宿から3分の場所になるのだが。すごい勢いでブル屋ダンプが動いている。何かが変わる気がする。

今日工事現場をちらっと眺めてきた。
伊藤ハムの研究所の裏を通ることになる。
どう変わっていくのだろう。面白いことになるような気がする。
楽しみだ生きていることがもうしばらく眺めていよう。

タイミングが早すぎず遅すぎず、チャンスを見極めるのが肝心だと思うのですが。

廊下

あしたも暑いようでかす。頑張りましょう。
ではいつも最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
おやすみなさい。
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飛騨高山午後から曇りです

あずきな山菜

午後から曇ってきました。でも雨は降りそうもありません。
昨日のあんなに暑かった一日と比べれば、過ごしやすい一日になりそうです。

犬たちが退屈そうに、昼間からあくびをして私の姿を見るなり寝そべっています。うちの犬たちは、「殺されるかもしれない」とか「捨てられるかもしれない」とかいう危機感は、全くなく。
一日を平穏無事に過ごして、退屈をしている平和な犬なのですが。
ひとたび私以外の者が玄関チャイムを押したり、窓からのぞきこんだりすると。

大騒動の騒ぎ方をします。
外の物音にすぐ反応するのは、何なのでしょう。

「猛犬注意」と書いてはっていたいほど、恥ずかしいほど騒ぎます。

しかし野放しにはしていません。
家の中でその上つないで飼っています。習慣ですから。

今日は名古屋市でドーベルマンが、人にかみついた事件が流れていました。
先日は関東のほうで、80歳の老人が5匹の犬を放し飼いにしていた話が流れていました。犬のしたことは飼い主の責任です。お金も信用も社会的地位もみんな吹っ飛んでしまうほどニュースとして取り上げられ、罰金だったり監督責任は重くかみついた犬の飼育責任を問われます。多分部リーダとしての動物管理責任はかなりのものだと思います。たとえ継承とはいえ、犬に襲われたら猛獣と一緒です。

最近かみつく犬の話が多いですね。ストレスがたまっているのでしょうか。家の中だからと放し飼い状態にするということは、群れで生活する動物によくありがちなボスの座争いになるのです。そうなると人間も含めてボスということになりますから、75歳の老人は若い犬にボスの座をかみつかれて奪われたことになります。
そういう飼い方は、飼い主の考え方にもよると思います。


「うちの犬に限って」と思っていらっしゃるようです。
しかし、犬は犬ですから。
私は犬の関係の仕事をしていますが、引き絆を放棄するほど犬を信用していません。犬は4本足です。犬の全速力にはかなわないものがあります。
どんなに賢くおとなしい犬でも、囲いの中に野放しにしていれば、囲いを開けたすきに逃げ出すことはあり得る話だとも思う。
自由がいいことだとは言い切れないのが、犬を飼う責任だと思う。

歳を取ればとるほど、犬と一緒に運動することは不可能になってくるのです。
犬種は問わず大型犬ならばなおさらのことだ。
まして軍用犬として改良された犬なのだから。
犬本来の性格よりも人間が、より強い犬をと改良してきたことの方が、罪深いような気がする。敵の球の間を走りぬいて生き延びてきたシェパードとかドーベルマンとかは、一種の人間のエゴが作り出した結果なのかもしれません。土佐犬もそうですね。戦いのための犬たちはかわいそうです。
そんなために生まれたのではないでしょうに。

レオンお座りしています。

人間が犯罪を起こした時。

「あんなにおとなしそうな愛想のいい人で。
まさかこんな殺人事件を起こすような人には、思えませんでした。」
とその人を知っている人がマイクの前で言っている時のように、犬にだって機嫌の悪いときはあるのかもしれません。
今日のどーベルマンも、飼い主にもかみついて歯をむき出してきているのですから。
ブリーダーの飼い主だということで。
この業界の人だということに、なおさらショックを感じています。

人をかむなんて言うことは絶対にいけない。
そして管理責任も問われても仕方ない事だと思う。

しかし犬をしつけるということは、無知や棒などでたたくより仕方ないのかもしれません。それがかわいそうで仕方がないということなら、家の中でもリードをして飼うべきだと思っています。

ジョンの家の犬たちも「誰か来たよと知らせなければならないという義務感」と
「ここは俺のテリトリーだ」
という両方から、存在をアピールするのかもしれません。
だからどちらの入り口にも二重の途にしています。開けたらすぐというのはも犬が逃げても取り返しのつかないことになってしまうのです。
取り返しのつかないことは、以前に散々懲りていますから、絶対飼い主以外には引き渡さないように常に施錠しています。
預かった犬でも何かあったらこちらの責任です。

わが家の犬たちは、どうも食っては寝てばかりの退屈な日々のようです。
一日の家朝と晩と、中庭のフェンスの囲みの中に出すのですが、
私がベンチに座って見ていれば

「こんなによく走っているのですよー」
とばかり、すごい勢いでかけっこする。

たまたま私がドアの中から見ているとそそくさとうんちとしっこの排泄すると「中に入れていくれ」と、立ち上がってドアをたたいている。

犬がこんなにやきもちやきだということに初めて気が付きました。
(ぼくのいない、すきにもう一頭の犬と楽しく遊んでいるのではないか。)
と思うらしいのです。

煮干しを一匹づつ食べます。

可愛がって頭をなぜてあげることは、平等にしないといけないのです。
椅子に座って話しかける時も目を見て言わないと、しつけにはなりません。

意外と犬は陽気なように思われがちですが、結構ナイーブでめんどくさい生き物です。一頭飼いならばマンツーマンのようなものなので犬は従いますが、二頭飼っているとおたがいに競争になります。

おかしな競争です。
外の物音に一頭が吠えだせば、もう一頭も負けじと吠え出す。

エサは同時に作って「お座りとマテ」をさせないと一党だけでは、食べていけないのかとそわそわして待っている。私はブリーダーではありませんから時々犬と遊んでやります。タオルの引っ張り合いっこや、お手やお座りや伏せなどゴロンと言って転がって見せればよしよしと撫でてあげます。
「飼い主家から褒められる」ととてもうれしいらしいのです。

犬は猫よりは従順なところは多いのですが。
こまかく観察しているとそれぞれに個性があり、面白い動物なのです。
犬と暮らすということはたのしいものですねー。
もっとへとへとに疲れるほどに運動をさせるといいと思いますか゛、日頃引綱を連れて歩いていないせいか。
挙動不審なような動きにとてもあしがおもうようにふんばれないわたしは、ドックランまで、つれていく勇気がありません。
犬がハアハアというように私の新ぞアも、バクバク言い出すような気がします。

犬でも連れて毎日2キロくらい歩くといいのですが。
困ったものです。
運動が苦手な私は腰も曲がり始めてきましたので、本格的な老人目前しているようです。そのくせ甘いものが大好きでお客様から頂く全国からの名菓に、幸せの舌鼓を打っています。
先日の美容室の白ヤギちゃんのようにスマートになりたいですね。

美容室の白ヤギちゃん

それも単純におおらかに生きていられる元ならば、テレビニュースで次から次と犯罪のニュースが氾濫する社会の中で、そこそこの幸せに浸る瞬間があればそれはそれでいいかとも思います。
犯罪にも巻き込まれず、冤罪容疑もかけられず、犯罪も侵さず普通に働き貧乏やっていれば、幸せかなーと思います。

あしたも暑くなるのでしょうか。
飛騨高山は今日は午後からの曇りですので、ひと段落です。

ではそろそろお時間が来たようです。今日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。もう今月も終わりに近づいていますね。
6月の初めもまだ梅雨には入らなくてかんかんばれが続くようです。

宿の料金は6/1日から7/15日までのお値打ちプランを作りましたので。
一泊するところは2泊してのんびりしてくださいね。
乗鞍岳や上高地や新穂高へ行くお客様にとっては、ぐっとタイミングのお得デーになるかもしれませんね。お天気をお選びください。
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朝15度。昼28度。夜18度。これって夏

5月の山の緑

毎日カラッと晴れて涼しい。そして熱い。

私はサツマイモ苗が来ているという日なので、高山の三福寺町にある、「農業倉庫」というお店まで持ちに行った。
去年は私の注文した苗が北海道まで運ばれてしまい、四日遅れで届いたお店だが。今日は来ていた。250本。

ついでに薬屋さんのスーパーで、日焼け止めと熱中症の飴、サイダー塩飴を買う。
畑のおじちゃんに麦茶のペットボトルとサイダー塩飴という熱中症予防の飴を上げる。今日は一人来ているので、激励の差し入れをした。

育苗ハウスは熱くて暑くて、水を散布して出かけたのにもうからからになる寸前だった。慌てて水を撒く。両方に風邪通りの良い仔窓も作ってもらった。
水ばかりをまいていると、ひょろひょろの苗になるので。サンサンサンという化学肥料を5粒ずつ苗の上に据えた。
チッソ。リンサン。カリ。これが植物の三大栄養素なのでほんのす事づつ、黒ポットの淵のあたりの土の上に据えると育ちが良い。

背の低い軸太の苗ができる。
水溶液ならすぐ効き目がわかるというのだが、あまり太らせると畑に持って行ったとき舞う苗になるので、なるべくやせ気味に作るようにしている。

熱くて暑くて黒マルチの中の土は25度を越しているだろう。
あまり暑いと播いた水もお湯のようになってしまう。

トウモロコシの苗ゴールドラッシュ。

毎日が日曜日のような楽しさがあるが。決して一瞬たりとものんびりはできない今の季節だ。季節がどんどん変わっていくので植物の成長の時。畑の作物も今を逃して葉ならない。気候とともに仕事を進めなくては何らないのだから。

仕事は、目の回るような忙しさだが、自分で計画して。
自分で手をかけるというのは実に楽しいものだと思う。

6月の半ばになれば、梅雨になるから、今日のような暑さや雨の遠い周期もきっと懐かしいくらいの感覚で迎えることだろう。
梅雨が明ければ本格的な旅館の夏山シーズンとなる。
今年は「夏の大雨」というのはあまりいただけない。

今日は朝15度.昼間は28度。夕方20度だった。
もう少し時間が進めば18度くらいになるだろう。

毎日が、さわやかな月夜の明るい一日となる。
昨夜久しぶりに「天の川」を見た。

干しを見たい人用のために、あちらこちらにおいているプラスチック製の、白い椅子に座って空を見る。
のんびりとした一日の終わりを確かめるにはちょうどいい。

夜の明るい瑠璃色の青い空がどこまでも広がって、こんな贅沢していてよいのだろうかと思ってしまう。そう思うのは私だけだろうか。

雲が流れて付や星の光もさえぎるが、一瞬のことでまた見えてくる。

ドラマチックな世界だと、じっと見入ってしまった。
「もう夏の空なんだねー」犬のレオンが椅子に飛び乗って、一緒に見上げている。
「ねえねえどこ見ているんだい」そんな風に話しかけるように、「くーんくーん」鼻声をならしている。
身体が思うようにないと、精神的な安らいだ気持ちが何よりもの贅沢に感じるのだろうか。

この自然の醍醐味が「感じられない人もあるのだろうな」とも思った。
というか「田舎の良さがわからない人もあるのだろう」と思う。

無農薬農園の下の小八賀側の渓流をのぞいて見ながら、川へ降りていく道がないのですかと言われる方もいる。犬と遊びたいのだそうだ。はたして水遊びのできるような川ではないので「それはここでは無理ですよ。」
小八賀側は乗鞍の万年雪が解けて流れる一級河川でふちも深く川幅もそこそこある。周りは瓦ではなく、柳の藪の下はいきなり淵なので眺めるだけにしてほしい。

渓流釣りに自信があるという人もたまには来るが、昔は一日入場券も販売していたが、近くのデーリー山崎のコンビニで季節になると、冷蔵庫で釣り餌と入場券は売っている。

庭の石が気にも花咲きました

24時間ショップならいざ知らず、泊り客でもないので騒々しく夜明けにチャイムを鳴らされるのは迷惑なことなのだから。
父が川の監視員をしていた30年前くらいには、取り扱ってもいたが、もう父はそんな役員も退職して久しい。偽業組合の株券すら売ってしまったことと思う。

夜明けの「入場券買いたい」と訪ねてくる釣りマニアには耐えられないから、魚業組合の「日釣り券の預かり委託」は、お断りした。

川へ行くための道を教え世とのことで何か所か教えたが、川の入口までの農道に車を止め、釣りをやるので。
近隣の農家の人が田植え機も入れられず何のための農道だ」と苦情を言われたことがあった。
だから釣り人にあまり親切ににするのも。「どーだか」ということになった。
宿から歩いて発電所の付近の川にはいればいいのだが、川の石の上に飛べない人には渓流釣りはちょっと無理ではないかと思う。河合氏は滑ることも多くよほど身軽な人でなければ無理なのだ。

アマゴよりイワナがここは主流。エサは川虫。島ミミズ。ブドウむし。いくら。などを使えば何かは連れるだろう。アマゴとか。や豆とか。
おなかのすいたイワナとか。
本当の釣り師はテンカラという疑似餌でつる。
竿の運びが微妙でこの川にルアーを持ち込むのは自由だが、柳の枝をつらないようにしてもらいたい。釣り糸も針も川のごみになってしまうので、下手な釣り人を名乗る人は「時が来れば溶けてしまう糸」を使ってしまいたいものだ。

カーボンの3尺竿を操れるようでなければ、40センチ大の大物はつれない事だろう。アユ釣りほど水の中にはいらなくてもいいが、川下から朝間詰め夕まず目の一瞬が釣りの勝負時のようだから。
むかしは裏の用水でですら、川魚が目で見えるくらいいた。
いつの間にかU事項の用水路になって川魚の姿は消えた。

岩魚のつれる渓流小八賀川.jpg
気候がおかしい。

地球の変化が始まっているのだろうか。
熱いと言ってクーラーを入れ室外機をじゃんじゃんまわし、寒いと言ってはだんぼうをすぐいれる。
服装で体の体温調節する習慣はもうなくなってしまったのだろうか。

今朝帰られたお客様は暑いところのお客さまらしく、朝寒い寒いと言っておられた。朝の15度は薄着では寒いのかもしれない。

長袖の下着に、長袖のTシャツ来ている私。

海抜の高い場所は、直射日光の紫外線が強いのでなるべく今から露出したくないと思っている。だから汗よりも紫外線対策のほうが大事。第一飛騨高山は汗をかくほど湿度が高くない。木陰にはいれば涼しいくらいなのだ。

湿度がないのでひんやりとするのかもしれない。
飛騨高山の山側なんて、みんなこんな様なものなのです。
アスファルトに囲まれた都会とは、違うはずだと思います。
海風もないので、空気が乾燥しています。

自然の気候に対応する服装を用意して来てほしい。
何しろ暑い暑いと言っても乗鞍岳には、まだ雪があるのだから。

今夜はこれで。いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。
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飛騨のねぎ苗。

黄色い花の分だけきゅうり

ねぎ苗がファーマーズに届いたとの連絡があったので、さっそく買いに行ってきた。
裏の方に予約としてよけてあった。500円という話だったが一束450円になっている。出荷者氏名を見たら「横山春子」さんと書いてある。

うちの「売店に袋物」を納めてくれているお婆さんだ。

世の中はどこで、どうつながっているカ知れない。
「弁天荘がねぎ苗探しているよ」と言えば
どこからともなく、畑から掘り出してくれる人も居るものだ。
お金だけではない日頃の人との付き合いに感謝。

昨夜の雨はぐっとタイミングだった。
ありがたいことに今日は26度のさわやかな飛騨高山。

五月ばれということになり、きゅうりも植えることができるし、糸南瓜も植えられるマルチを作ってくれているだろう。ねぎ苗もそろった。畑に植えてもらえば一安心なのだが。トウモロコシも大きな投げから植えてもらうことにした。

今日はこんなに天気がいいのだもの。「父のぼけ」は触れないでおくことにする。
しつこくくどくほとほと困りもの。病院へ連れて行こうとするとひどく、抵抗するので、何をやらかすか私にも手におえない。

「年寄の酔っぱらいの無駄な計画など乗ってくるほえが、おかしいのであって。」

アーモンドかぼちゃ発見

よからぬことを考え、その落ちこぼれにあやかろうとしていることには違いないのだから。
身内のいざこざはうっとうしいので、なるべくならば何も触れたくない。
今私に何も頼まなければならないことなど何一つないのだから。

サラリーマンが退職後に、何かをしたいのなら。
商売でも塾でも自分の思う計画に従って自分の力で進んでいべきなのだと思う。

私の仕事をうらやましがらないでほしい。
経費もかさむし維持するのもスタッフを束ねていくのも並大抵のことではないのだから。そしてぴ゛ょ鵜気になるほど神経使うのが客商売なのだから。

宿屋の経営なんてずぶの素人が机に向かって、フロントの職務をこなす程度では到底切り盛りなんてできない。

第一どんなに苦しいハードな時だって、坂道を水桶下げて登っている時。
何一つ手伝ってくれない人たちが。今更今になって。えっ。まさか。
この仕事や館がうらやましいの。

「あんたには荷が重すぎるでしょう。商売は才覚。才能がないとできませんよ」
と言いたい。
いつ辞めようかと潮時を待っているのに。「この宿屋もらってやってもいいよ。」なんて。あはっはーと大笑いだ。

一代目柴犬ジョンの眠る丘

父があちらこちらへ行ってつまらぬことをしゃべってきたからに違いない。
まして身近の親戚に体よく潜り込もうなんて。
甘い考えは、そうはうまく事が進まないだろうに。

世の中は甘い蜜と、楽な道だけ歩いてばかりで、一生が済むというものでは、決してないはずなのだ。

父があちらこちらの親戚へ行って、「甘い蜜を」振りまいてくるので、
言われた人々は迷うのだ思う。罪作りなぼけ老人。
困った事だと思う。やれやれ。


先日播いたピーマンとしし唐の種が負えなかったので今日播きなおすことにする。
これだけ天気が良ければじゅーぶん、間に合うことだろう。

弁天荘のもぎ取り農園は7月から9月末まで対応なのだから。
老人のぼけた壊れかけた頭で、口に出すことを。いちいち取り上げていたら私の頭の中もむすぼった糸のようになってしまう。
とてもさわやかないい風が吹いて気候的には最高の季節になってきた。

こんな良い天気の日につまらない事で心を曇らすのはやめよう。

経営というものは、外から見るほど楽なものではない間のだから。
今日のお客様が到着されるまでつかの間の間種まきしてきます。
紛失していたレジカメも、紙袋の中から出てきて、また写真を取らなくては。
畑の成長具合も写さなければならないし。

ではのどかな、外へ出かけましょう。

庭のつつじ咲き始めました。
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ねぎ苗。

黄色い花の分だけきゅうり

ねぎ苗がファーマーズに届いたとの連絡があったので、さっそく買いに行ってきた。
裏の方に予約としてよけてあった。500円という話だったが一束450円になっている。出荷者氏名を見たら「横山春子」さんと書いてある。

うちの「売店に袋物」を納めてくれているお婆さんだ。

世の中はどこで、どうつながっているカ知れない。
「弁天荘がねぎ苗探しているよ」と言えばどこからともなく、畑から掘り出してくれる人も居るものだ。
お金だけではない日頃の人との付き合いに感謝。

昨夜の雨はぐっとタイミングだった。
ありがたいことに今日は26度のさわやかな飛騨高山。

五月ばれということになり、きゅうりも植えることができるし、糸南瓜も植えられるマルチを作ってくれているだろう。ねぎ苗もそろった。植えてもらえば一安心なのだが。

「父のぼけ」は触れないでおくことにする。
しつこくくどくほとほと困りものなのだ。病院へ連れて行こうとするとひどく抵抗するので、何をやらかすか私にも手におえない。

「年寄の酔っぱらいの無駄な計画など乗ってくるほえがおかしいのであって。」

アーモンドかぼちゃ発見

よからぬことを考え、その落ちこぼれにあやかろうとしていることには違いないのだから。
身内のいざこざはうっとうしいのでなるべくならば何も触れたくない。
今私に何も頼まなければならないことなど何一つないのだから。

サラリーマンが退職後に、何かをしたいのなら。
商売でも塾でも自分の思う計画に従って自分の力で進んでいべきなのだと思う。

私の仕事をうらやましがらないでほしい。経費もかさむし維持するのもスタッフを束ねていくのも並大抵のことではないのだから。
宿屋の経営なんてずぶの素人が机に向かってフロントの職務をこなす程度では到底切り盛りなんてできないのだから。
第一どんなに苦しいときだって坂道を水桶下げて登っている時。何一つ手伝ってくれない人たちが。今更今になって。えっ。まさか。

「あんたには荷が重すぎるでしょう。商売は才覚。才能がないとできませんよ」
と言いたい。いつ辞めようかと潮時を待っているのに。「もらってやりたいなんて。」あはっはーと大笑いだ。

「第二の仕事に定年後宿屋を引き継ぐなんて、ことはお金を出して買い取るのなら勝負のかけようがあるが。犬は大して好きでもないものがお金の入ってくる道だけを、もらうような気でいてくれたら。それは大きな間違いで。それは人生、甘いんじゃないの。」と言いたい。

国家公務員も教員もているんがそろそろ近づいてくると、そろそろ心がうずくのであろう。たいへんだねー。サラリーマンて。ぬくぬくと生きてきたのだからそれは仕方ないよね。おいしいものを最初に食べてしまったのだから。

一代目柴犬ジョンの眠る丘

若いうち好き勝手なことをして社会や組織から「老兵はさるべき」と言われてから。次の仕事を探そうとするなんてのも並大抵ではないと思う。
ごくろうなことだとおもう。
父があちらこちらへ行ってつまらぬことをしゃべってきたからに違いない。
まして身近の親戚に体よく潜り込もうなんて言う考えは、そうはうまく事が進まないだろうに。

世の中は甘い蜜と楽な道だけ歩いてばかりで済むというものでは、決してないはずなのだ。

バスケットのルールでもあるまいし、ドリブルして運んでいるボールを選手として戦っているのならいざ知らず、血縁だけで選手になる資格だけを主張するのも。
いかなるものか。その前に適正と才能と継続できるかという実力なのだと思う。

父があちらこちらの親戚へ行って、「甘い蜜を」振りまいてくるので、言われた人々は迷うのだ思う。罪作りなぼけ老人。困った事だと思う。やれやれ。
先日播いたピーマンとしし唐の種が負えなかったので今日播きなおすことにする。
これだけ天気が良ければじゅーぶん、間に合うことだろう。

弁天荘のもぎ取り農園は7月から9月末まで対応なのだから。
老人のぼけた壊れかけた頭で、口に出すことを。いちいち取り上げていたら私の頭の中もむすぼった糸のようになってしまう。

こんな良い天気の日につまらない事で心を曇らすのはやめよう。

経営というものは、外から見るほど楽なものではない間のだから。
今日のお客様が到着されるまでつかの間の間種まきしてきます。

ではのどかな、外へ出かけましょう。

庭のつつじ咲き始めました。
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観光朝市

飛騨高山には観光朝市が町の中に2か所ある。安川べりと、陣屋前にテントを張って朝市が立つ。早朝6時ころから、正午まで。

江戸時代にスーパーマーケットもなかった時代、高山の街の近隣の農家のお嫁さん達が、コメや豆や小豆などの穀物を持っちよって、売り始めたのが始まり。
地べたの上にご座を引いて、並べて売ったのが始まりです。
今ではすっかり出始めの旬の蕨やシイタケやなめこなどの山菜から、果物漬物まで農家の人たちが生産する物の多くが、朝市に並ぶこととなった。

雪ノ下の花

すっかり観光化された、高山市の二か所とも、高山の風物詩になっている。
今では観光朝市となって、小さな布きれで作ったお守りやマスコットなども販売されている。外国人が喜んで見物がてらにやってくるという現象が起きている。
おつりは金柄杓で渡す、パフォーマンスも人気になっている。

私はやったことがないけれど、朝市に座り始めるとなかなか飛ぶように売れていく夜のうちに用意した袋詰めにした商品を、みそや漬物を朝の5時ころから車に積みこみ。テントを張り店を始める6時ころからお昼の12時まで、売り続けるのだそうだ。
営業許可は露天商の範囲となる。
露天商と言えば、食堂をやっていたころ、みだら刺団子の店をやっていたことがある。
の屋台で、みだら刺団子を焼いていたことがあった。
香ばしいお醤油を焦がしたにおいが、独特で高山のみだら刺団子は甘辛くないのが特徴なのだ。
懐かしい。営業許可が「露天商」という保健所の許可だった。

食堂の中で焼くのなら食品営業の許可で住むのだが2メートル離れたところに独立したので、単独の店という扱いだった。

これで団子に限らず、イワナの塩焼きを「ドライブスルー感覚で売ってもいいのですよ。」と保健所の許可を出しに来た係官が言っていたことを思い出す。
しかし人を雇ってまではやりきる自信もなく、そのうち閉めた状態が続き、団子やそのものを買いたいという人が現れたので売ってしまった。
そして食堂は犬小屋にしてしまった。「ジョンの家」という看板までたてて。

家族が陰で手伝うのだが、朝市は素朴なおばちゃんやおばあちゃんたちのやり取りが、売り物なので、一人一軒の店をとり仕切っている。
また何人も出座っていても客が寄り付かないのだという。
結構くたくたに疲れるそうだ。

赤カブ切り漬け

近隣の農家は土地もありこまめに野菜を作れば、高山市と観光客という消費が細かいというけれど。結構な収入をもたらしてくれるらしい。

500万円からの売り上げで、ござから、昔から手法は変わらず。
商品を並べるところがブロックの上に乗せた戸板に変わった程度だがが。
雨の日も雪の日も真面目にやっていれば、人気者になる。
いつもの叔母ちゃんと一人で1000万円の売り上げも、あるとかないとか。
通りの良い場所での牛串屋も軽く500万は超すというのだから一坪にも満たない、露天商の屋台小屋で。恐れ入るではないか。
「商売はかっこうや見得ではないのだ」というあかしなのだと思う。

朝市という身軽な場所での商売は、やる気さえあれば持続することで客を捕まえられるし、サラリーマンのようにタイムカードがあるわけでもなく。
会社という組織や官僚や役所のような山積する書類と戦うわけではない。
素朴なことばのやり取りが苦にならなければ、対面式の売り場は人が集まってくる市場だし。

セリもなく、自分のつけた漬物の妥当な値段が、お客に受け取ってもらえるかどうだということにすぎない。

私の知っている朝市の叔母ちゃんは、もう2代目の娘さんが引き継いでいるらしく、露天の野外での仕事も高山ならではと思えば、そういうものだと思えばそれはそれで恥ずかしくもなく楽しいらしい。
朝市組合などを作って、顔なじみのお店のおばちゃんたちばかりで、楽しくやっているらしい。

店舗と言ってもテントなので、所場代も組合が取り仕切り、組合はみんなの持ち回り役員たちで。活動資金にしているらしく。
昔の顔役などというものはいなくなったそうだ。
仲買人という人も居なくなったようだ。
土地はそれほど広大な土地を持っているというのではないけれどうまく活用していれば6反や8反の土地でこまめに米屋野菜や大豆の豆を作れば。結構な朝市御殿が立つ。立派な大邸宅を私は知っている。

普通の店舗は諸経費として家賃のほかに、水道光熱費や人件費や仕入れなどが、まず最初に上がってくることだが、そういいう類はどこへその。ぶっ飛んでしまう。
自分で種まき収穫して販売まで持って行くのだから。暑い寒いもお天気任せ。

飛騨リンゴ

なかなか農家の主婦のやりくりとして始まった朝市なのだが、農家でなくてもワラビや山菜のこごみやタラの芽などを、山から取ってくれば、一時的な使用店主にもなれる一日1000円のしょば代を組合に収めれば、山歩きに行って行って取ってくればものによっては、9000円にも15000円にもなる事もある。

たとえば秋の天然マツタケや、天然のシメジや芝たけや、漬物用のつけや(キノコの事)まいたけなどが山歩きをしていて見つかれば、クマやイノシシの出くわさないすきに、かすめ取って来ただけのことはあるというもの。

今では朝市の代わりにファーマーズや道の駅が、あちらこちらにできたので、より生産者と購入者が身近になってきている。
JA主婦の店という感じなのだそうだ。道の駅という形になるのだと思う。

100円150円のものを売りさばいて最低でも、年商5000万円越えというから、結構な焦点の商いになる。
集団というものの力を結集することはなかなかのものだと思う。

其れでも農家の主婦やおじいちゃんおばあちゃんたちにとっては、10万15万と年金以外にも結構な、お小遣い稼ぎになっていると思う。
トマトとかお米とか作ってそのほかの規格外の野菜だから、結構喜んで袋詰めするのだそうだ。
そのあたりは商売として家業として、やっているのではなくあくまでも。
お小遣い稼ぎなのだから。孫に上げるためにせっせと喜んで゛野菜作りをしているらしい。
野菜を袋づめして売れてよし、売れなければ牛のえさにでもすればいい、責任があってないようなもので、生きがいになって楽しいのだろう。

掘りたての大根

実に様々なものが並んでいることもある。
今だと山椒の木の芽の枝先とか、雪の下の袋詰めとか、青ほうばの葉っぱの10枚重ねとか、庭先の花に至るまで何でもお金にすると言えば、そうなのだが需要と供給でたかが100円200円の話だから

「買う人があればそれもよし」なのだ。

何とも楽しい話ではないか。商いの原点を見るような気がする。

100円ショップの世界もそうなのだろう。

今ではしっかりとした企業になっていて、全国チェーンの100金はとても便利という店で。見て歩くだけで実に様々な商品があるので、
便利なので、ついつい買い物かごにいろんなものを放り込んでしまい。
支払いになると「3500円です」「4500円です」ということで「エット」思ってしまうことがある。

安さから入ってお客の心をつかむということも、商法の一つかもしれない。

畑のおじちゃんが飛騨ねぎを作る場所だけあかせていると言ったので、JAフーマーズへ行って、50本入りの飛騨ねぎを20束注文してきた。
今年は飛騨ねぎが、秋まきが飛騨では不足していて、春播きの苗を要約手に入れることになった。
50本入りの束が20束で、9000円ほどの値段だ。
ファーマーズのレジ打ちの叔母ちゃんは生産者に、電話して聞いてみるとのことだった。
この資本投資と人件費は夏の旅館のイベント資金となる。
コツコツ支払って大きくばらまく。損して得取れ方式の私の旅館。
ひょっっとしたら「損するものはもっと大損せよ」なのかもしれない。「笑」

飛騨牛しゃぶしゃぶ


なかなか都会から田舎にあこがれてやってきても、よほどの貯金でもない限り収入は知れていますので便利屋のように体を惜しまず「農作物のお手伝いいたします」という看板でも出した方が、手っ取り早いかもしれません。

柳に腰折れなしと言いますが、女も男もそれなりに生きる道があるようです。

ただ、積み重ねていく努力や、やるべき人としての道のりを踏んでこそ。
計算づくめの収益をあてにしていても、人並みな生活をするには大変なことです。

まして事業欲などがあれば、緑に囲まれたきれいな景色も害虫や鳥獣被害と戦う
原始時代の生活になります。
あくまでも趣味道楽の一つだと思えば、これはかなり楽しい仕事です。

親子げんかの末に投げつけて寄り付かなくなった。とばっちりは私。

支払いは私がした。農協との話は私が付けた。

父はアホウドリの生活にどっぷりつかって行った。

「ある日、電話で農業は姉さんがやってくれ。耕作権はもともと姉貴の物になっているのだから。」そう言ったきり。寄り付かなくなった。

男の意地ってなんだろう。「男の意地」なんて、角の付き合いだ。
男ばかりでは地球は成り立たぬ。

現実に追われて、頭を下げて、身内の尻拭いをしてきた。
苦労人という言葉がある。
まさしくサービス業は甘いも苦いもかみしめた人生がそこにあり。

「身の丈の幸せ」と言い続け、コツコツと身の回りのごみみたいな問題を片付けてきた。
亭主の苦労。父親の苦労。私はどうやら男運が悪すぎるような気がしている。
父は性別こそ、男なのだが、父は父であり。
親という自覚があるのでたまらないこともある。

「父親に向かって言って聞かせるようなことを言ってそれが親に対する言葉か。この親不孝者」と罵声で言い出す時もある。
やれやれ無事一日がすぎたことに、ホッと胸をなでおろすこの頃。
疲れることだ。
いつこの苦痛から解放されることだろう。

弁天荘全景夏

何前向きに生きることを投げ出していた父に、魚焼きを言いつけ。
食器洗いの茶碗とりを言いつけ。尻を叩いて仕事をさせた。
娘だからこそ、気長に仕事に、追い立てた。
弟の嫁さんは、これで「このヒトと、かかわりわりがなくなった」
と喜んでいるようだった。

お前は欲張りで俺のそばから離れないのだ「」と吐き捨てたことがあった。
怒りがてっぺんの頭の先から吹き出しそうになるのをじっとこらえて。
私はにっこり笑って

「お父さんそれは違いますよ。私はあなたの娘ですから。父親への愛と、情けという情があります。私はたった一人の残された親ですから。最後まで見届けなくてはなりませんからね。私がお父さんを見放すことくらいは簡単なことです。でも父親の最後まで見切るというのが、私の務めなのです。」「長生きできているのは、私が家族として介護設備の酸素を導入してほしい」と書類に書いたからではありませんか」と言って笑った。
私は相手にしなかった。
悔しいから、ぼけ老人の売り言葉には載らなかった。

したたかに生きるというのも。人間の生々しさだと思う。
伊達に宿屋という接客業を40年もやっているのではない。

父を一人の男としてみた時、哀れな生き様が見えてきたので。
それくらいの言葉は交わせるだけの経験は積んできた。
私は父と暮らしてきたのだ。
たった一人の残された父親なのだから。
そう思って暮らしている。

今日は二人でお昼を食べていて、父が何を思ったか、急に言い出した。
何を突然、、、。
医者でも余命を予告できないのに、なぜ父はそう言うのだろう。

「だから、そのあとのことを親類を集めて相談しなくては。」という。

どこかで長生きすることに吹っ切れたのか、悟りというものは父にはないのだろうか。
だんだん生きていることに執念のように頑張るようになった。

「そんな生きる執念が、できてからは大変な老人」になった。
被害妄想がすごくて、父は地獄の夢を現実に作っているのだろうか。

お酒のにおいが、ブーンとにおってきた。
声もかすれている。どうやら今朝から飲んでいるらしい。
元気でいてくれるのはいいが、遺産相続について
「今から親戚を皆集めるのだ」と言って酔っぱらって言い出す。
父は、自ら「生前葬」をするということなのか。

やれやれまた、ひと波乱もふた波乱もおききそう。
対岸の火事でいるうちはいいが、いずれ火の粉は飛んでくるだろう。

経済も生活費もすべて私が出してやってきているではないか。
そう思うと少し腹立たしくなってきた。

庭木の手入れ

(お父さんの、極楽蜻蛉の生活を、支えてきたのは私です。何が不満なのですか。あなたの貰うわずかな年金は、あなたのすべてお小遣いにしているではないですか。生活の不安もないのに。今更親戚を集めて生きているうちから約束を取り付けておきたいなんて、親戚が何をしてくれたたというのですか。どこまでが、発言を持てる親戚なのですか。これから同族の株式会社の形はとりませんよ。今更。)

(生臭い話にしてこの人は何がしたいのだ。まともな話ができればいいのだが。)

「おれは今年の7月の誕生日に死ぬのだ。それが理想だ。」
「はい、はい。そうですか自殺なんかしないでくださいね。
自殺の動機がありません。寿命が尽きて死んでからにしてくださいね。
誰が先死ぬとも、わからないのですから。」

(歳の順にお迎えが来るのが、いちばんよい社会のありかたなのですがねー。)


今日叔母は今朝、嫁ぎ先に、帰りました。
たまにはそのほうがいいでしょう。
久しぶりに客が途切れたので、旅館はお休みにしました。
嫁ぎ先のおじちゃんが車で連れに来て、今日は多分、みんなで孫たちとの夕ご飯を食べていることでしょう。

ヒダコシヒカリ

お昼の父との会話で、私はどっと疲れました。

今日は早めに寝ることにします。

夕方待望の雨が降ってくるようです。少しづつ降り始めました。
雷が鳴っています。
少し雨が降って、畑がしっとりしてくれるといいのですが。

困ったものです。年寄と、この国の貧乏さと、お天気の自然災害には。
私は庶民ですから一生懸命働いてがんばります。
いつも最後まで、私の心のままに書くブログ読んでくださりありがとうございます。こんな独り言でも私の生活の中では息抜きになるのですよ。

何のお返しの言葉も慰めも激励の言葉もいりません。
週刊誌にちらっと目を通すように、「へえー。そうなんだー。」って
読み流してくださればいいのです。

だんだん宿屋もこの地区の数が減って行き、観光協会とは協会費だけを徴収する、そんな水たまりのような気がしてなりません。
「ありがたい」と、「誇れる」そんな活動を願っています。
宿屋の組合も存続しなくなって、貯金を持って観光協会の一員の一角をもらったのですか。
観光協会旅館部という実態で、何をスローガンにしているのでしょうか。
「余りわからない、やる気が起きない束ね」のようです。
雨のように平等に恩恵のしずくが、降ってくることを願っています。

どうだんつつじ

この電波の向こうに誰とも言い難い、お客様のあなた様が「がんばれっ」て「ガッツポーズ」していらっしゃるような気がして、ちょっとだけ嘆いてみました。

そんな生々しい苦悩と取っ組み合って頑張っている、旅館弁天荘にぜひお泊りくださいね。ペットちゃんと一緒に。ぜひおいでください。

お待ちしています。では長くなりました。
いつも最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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水桶に落ちた蝶

民俗資料館

育苗ハウスのそばの水桶にモンシロチョウが落ちて水面に羽をばたうごかし、必死に脱出しようとしていた。
水面聴力があるからだろうか、なかなか桶のふちまで寄りつけず。
見るからに哀れな蝶々だった。
私は水を地要路に組もうとしていた直前だったので、ひょいと水桶の水を蝶ごとくみ上げて、そばの草の茎に泊まらせてあげた。

何年か前に私も、側溝に落ちたことがあるけれど水の勢いは想像できないほど、脅威なものだ。
小さな側溝なので、側溝の脇の澤ぶきが取れる。
むかしは難なくとっていたのだから。絶対に「飛べる」と思って、またいだ側溝に落ちてしまった。

身体がすっぽり入って、大した勢いのある流れでもないのに水が方からじわじわとたまってダムのように首゛の下を水が流れ始めた。
もとより左足が不自由なので、その時は完全に死を覚悟した。
脳出血で倒れた時よりも、本当に私はここで死ぬのだと思った。
「ああ私は、ここで死ぬんだわ。私の遺体は、いつだれが気づいてくれるのだろう。」とすら一瞬思った。空が青い。これが最後の景色の見納めか。

もがいているうちに、側溝の中から一緒に落ちた杖が見つかった。
肩の隙間から水が通り抜ける時、すっと側溝のふちに手が届いたので肘で這い上がり、杖を頼りに、やっとの思いで自分の体重を肘にかけて、右足で側溝のふちをけけってよじ登った。
胸の脇の所にあざができた。
レントゲンを撮ってみてもらったが幸い骨には、異常がないということで。
またもや私は助かった。
ステックになっている打ち身専用の塗り薬をもらって、1か月半.
やっとあざと痛みは消えた。
その時初めて、もう無理はできないのだということを悟った。

気力は体力よりも遅れて自覚する。今でも心は30代前半の気持ちでいる。
少しばかり、体が不自由でも。「いややいや、まだまだ」なんて思ってしまう。

わき腹が息をするたびに痛くて、べたべたに濡れた体を引きずってジョンノ家にたどり着いた時には犬たちが何気なく尻尾をちぎれんばかりに降ってくれたことがたまらなく切なく感じた。

ジョンも元気

「ごめん。お前たちを保健所行の殺処分ににするところだったね。ごめんごめん。」痛かったことや、恐ろしかったことに涙が出たのではなく、自分の体力の限界に。自分の間抜け加減に悔し涙が出た。
誰しもが限界を感じる時、情けないものだ。
まして後継者もなく、地方自治体に差し出してしまわなければならないことへのひたひたと側溝に水が満ちてくる恐怖に近いものがある。

モンシロチョウは、しばらく弱っているようにしていたが、5分もするとと茎をよじ登り花のつぼみにしがみついて羽を乾かしているようだった。

アゲハチョウは平家の血筋の人たちの家紋らしい。
私は主人からよくその話を聞かされた。主人のお里の山梨の親戚筋もみんなアゲハチョウで。
葬儀の時その家紋がついた喪服のネクタイや腕章がずらり並んだので「感動した」と話していたことを思い出す。
彼が自分の里の話をするとき、目が輝いていた。
それが、唯一のプライドだったように思う。普段はほとんどつきあいがなくとも縁続きの新縫いの又新縫いまでもが集まって弔いをする。
田舎では「こぬか三合なかったので婿に来た」というたとえ話がありますが。
その意味は、
(米三合ではなく、玄米を白米にするときできるこぬかが、たったの三合もなかったので。自分の生まれた姓を変えて相手の氏を名乗る)という意味なのです。


ドジな蝶々さん、どれだけの寿命かしれないけれど、蝶としてパタパタと空中を飛んでいてね。虫に葉が並ぶと蝶になる。草花の葉陰に隠れて、今だというときに音もなくパタパタと舞飛ぶ。「清さんと、一緒だわ。ドジな蝶々。頑張れ」

お留守番のソフィ
もうすぐ高山ウルトラマラソンが近づいてきます。6月の7日です。
ソフィいちゃんのお父さんも、走りますので、しっかり応援の声かけをしたいと思います。
当日はソフィちゃんは「ジョンの家」でお預かりをします。


演歌の森真一という歌手の歌には「花が女なら男は蝶かぁーー」という歌詩がある。ちょっとかすれたような声が特徴のヒットした曲だった。
こんな真昼間のさわやかなそよ風が吹く日には、ふさわしくないイメージの歌で夜の盛り場のイメージがする。時代の変わり目には演歌歌手葉つらいみたいだね。
高山へ来る歌手も今どきは、アナと雪の女王の主題歌のありのままでを歌った、アンジェリカだという。うちのスタッフ達が喜んで騒いでいた。
高山の文化会館だから、
「早めに言って並ばなくては」とはしゃいでいる。

花から花へと飛ぶが、ミツバチとはまた違う自然界の役割があるらしい。

3時に早々と、シェルティ犬2歳を連れた、お客様が到着された。

10年ぶりのリピーターで懐かしいデス。お元気でしたか。
この仔でもう3代目の仔なのですよ」と話された。
「お疲れ様でした。まあそうですか。生きがいができて、またしばらく頑張れますね。」と言ったら嬉しそうに微笑んで見えた。今日は親子のお二人様で貸切のようなものです。
「私の体がどこまで頑張れるかしれませんけれどね」と言われた。
「それはお互い様ですよ」と言いまして
「あとでもう少し日が落ちてから、ドックランで遊んであげてくださいね」

「そうさせてもらいます。この子はまだまだ遊びたいばかりなのです。」
と嬉しそうにおっしゃった。
きれいなまだ若い顔しているシェルティ犬で、毛並みもよくブラッシングされている。きっとお母様の毎日の楽しみになっていることだろう。
夜のお手伝いのキヨちゃんが、もう出勤してきた。
もうそんな時間かー。一日があっという間に通り過ぎていく。
まだ明るい。明日も晴れるのだろうか。
ここいら辺でいつ雨ほしいものだ。
畑が夜露だけでは足らないと悲鳴を上げている。

でかチャンプピーマン。

畑のおじちゃんたちが今日もお休みなので、私はと父と叔母とパートの旅館スタッフとで一時間ほどササゲ苗を畑に植えてきた。
きゅうりも明日あたりには絵うてほしいのだが。
マルチの畝もまだ作っていないところがある。みんな忙しいのだろう。
特に畑のおじちゃんたちは、それぞれに自分の畑ももっていることなので。今日は自分の畑仕事の予定なのだろう。


無理もない日曜日にサラリーマンの息子たちを使って、手伝いさせないと追いつかないのだろうし、草も伸び野菜苗も天気がいいとぐんぐん伸びる。ああー忙しい。


犬を飼い始めると、脳の刺激がよくなって体にはとてもいいそうだ。
この子のために頑張らなくてはと思うらししい。
この頃の宿泊客はお年寄りになりかけた人が多い。
無理もない私とおなじ、速度でみんな年をと知っているのだから。
リピータの客も少しつ入院されたりお亡くなりになったりしていることを聞くと
悲しい気持ちになります。
今日はここまでですね。お料理しなくては。
ではいつもありがとうございます。

山の緑
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白菜の植え替え。なすの植え替え。

黒ナス

白菜がたくさん、四つ葉の歯が真中から出始めています。
畑に持って行くには小さすぎるし、それで今日は植え替えに挑戦しました。

一袋450円の白菜の種を最初は40ポットほど作りました。
そのポットを間引きして120ポットに移し替えました。それでもまだもったいないような気がして、結局ざっと150ポットはできたことになります。

一本3円の苗になります。虫に食われないように、サンサンネットをかけてトンネル仕立てにすれば、一個3円の苗が無農薬のまま握ってくれれば。
夏の白菜は一個300円としても、300-3円は297円が儲けということになります。計算上はそうなのですが。たとえば2000株ほど作れば60万円程になります。
安い農地の年貢をし払うとしても、やる気さえあれば、そこそこの数字になる。
そんなうまい話に、都会から家族ぐるみで田舎へやってくる。
そんな移住者の人ももいます。各県や町の行政は、むしろそのような人々に
結局、都会の生活に飽きて。会社という組織に面白くない立場の人たちが、別天地を求めてフロンティアの精神でやってくるのですが。
今どき開拓者ではないし。

桃太郎トマトジュース

逃げ込む場所があってよかったのかも、、。と思っています。
昭和の中ごろほとんどの山畑は開拓され、大規模開発事業などとして行政ぐるみで作ってきた場所があるので、個人でジャングルを切り開くようなそんな苦労はしなくていいし。農協の指導などと絡めていけば過疎の村にとっては、そこそこ来てくれる人があることは、「喜んでお迎えいたします。」ということなのです。

死に絶えた空家に住んで、行政管理となっている田畑を耕してとりあえず補助金もらって。暮らして行けば、また違った喜びもわいてくるのかもしれません。
でも初代はそうであっても二代目三代目ともなれば、そのままそこに居つくものなのでしょうか。

農業を生活の糧にするということは、とても大変なことなのです。

トラックが約150万円くらい。
コンバインが350万円くらいから。
田植え機がやはり200万円くらいから。トラクターが小さい物でも250万円くらいから。それらの機械をそろえて、その耐久年数が6年くらいで寿命ということになると、稼いでも稼いでも機会と油代とでイタチごっこです。

小規模農業は合理的ではないし大規模農業では土地が足らない。
干拓や埋め立ての比較的なだらかな山などを開発するのでなければ、個人で採算の取れる生産数字をあげるにはなかなか大変だと思う。

農家の跡取り息子たちが、苦悩していろいろやっているのが現実だと思う。

何しろ働くということが人が動くということであり。
汗して頑張るということの上に、知恵と知識で毎回違う気候相手に、生産者をやり続けるということなのだから。
私の家の農地や山林も、そのうち差し出してしまわなければならなくなるだろう。
差し出す相手が、血族を頼って、いとこたちの代の血筋まで頼って養子縁組をするか。我慢と屈辱の日々が迫ってくるような気がする。

それとも差し出す相手が地方事自体の税務署だったりして。

ふふふー。そんな思いをするのならいっそ生きているうちに売却して
養老院の株主にでもなろうかとすら思う。

不動産が動く時節ではないことは、長い低迷の時代に持ちこたえてきた気力で、実感としてわかる。プライドだけでは食べていけれないのだから。
いつもそう、亡き主人に話していた。

彼は今頃天国で天女相手に戯れていることだろう。
「そのために供養してあげているのだから。いいのよ。お空の高いところで風になって、吹き荒れていようが、光になって窓辺からのぞいていようが。」
なんて時々思うことがある。
地獄の亡者の餌食になっているようなことは決してあるまい。


しかしそれは自分が楽しみながらやっているからであって。
そんなにうまく行くばかりとは限りません。
良質な土と高原の温暖さのある気候と太陽に恵まれなければ、露地もの野菜成功いたしません。
年間野菜だけで、1000万円の年商をげる人も居ますが、尋常ではない広さと管理のために人手をかけています。

結局、とどのつまり生産額であり人件費と経費の資材や肥料代を引くと決して笑いの止まらない仕事ではないと思うのです。
冬が生き残るだけで大変な場所なのですから。
しかし先祖はこの地が良いと思ったのでしょう。
何の仕事も、収益を上げるには大変なことですね。

ジャングル状態のズッキーニ。

多大な努力とこまめな観察と手入れと、肥よくな、有機農法で土を痩せさせないように管理して。連作を避ける計画をすると、そこそこの結果を連れてきます。

暑い夏にネットの中で蒸された白菜は、べと病という病にやられてしまうかもしれません。
まして暑すぎると頭立ちが早いので゛使い物にならないかもしれません。

知識と熱意と愛着のようなものが、土の中から養分を吸って。成長していく結果が畑の作物です。ナスも種の帽子を頭に乗せて、光に向かって「チョキ」と芽を出しています。南瓜は生まれながらにして「パー」という感じで丸い葉っぱを広げています。植物は楽しいですよね。成長を見るのが楽しいデス。

今日は朝から曇りです。
昨日まであんなに気持ちの良い晴れだったのに。
雲が一面に広がって、時折かすかに太陽がのぞいています。

車が奥飛騨温泉のほうから頻繁にやってきます。
ともすると音が達人止んで、野鳥の鳥の声すら聞こえてくるような。
何も考えないでなすの苗を一本づつに移植して。
水をやる時、手塩にかける育てる静かな喜びを感じます。
好きでなければ野菜の苗作りなんかはできません。
コツコツコツコツ。黒ポットに土を入れて水をまきたくさん芽を切った黒ポットの小さな苗を移植するのです。
一本づつ移植された根っこが貼りしっかりした苗に育ちます。

乗鞍岳

こういう計算を1ヘクタール当たりの計算で、苗を増やしその苗から収穫する茄子の数を計算するとナスが一本50円としても、8個は平均収穫できますから400円×として500本のなすの苗を植えると、約20万円のなすの収穫になります。
産地直売の野菜市場が道の駅として、あちらこちらにありますので昔とみると収入源があるようになりました。
ただし、契約栽培化、出荷先を決めて安定供給ができてこそ。
病気もつかず、尻ぐされびょうも発生しなければこそ。
何でも専門知識の勉強は大切です。
そして生育を見守る根気な気の長い愛情が必要です。

庭のつつじ

農家は大変ですか家族が、みんなでできる仕事にしてしまえば。
それはそれで楽しいものです。
出荷する畑ではありませんが、弁天荘の宿に泊まったお客様に収穫の喜びを味わってもらえればと。9年越しの夏のオリジナルイベントです。

梅雨がほどほどに始まりほどほどに上がってくれますように。
そんなこと願いながらも、苗作りに精を出しています。
地道な仕事です。自然の風に吹かれて仕事できるのは楽しいものです。

反保母の種

どこに忘れてきたのか思い出せないレジカメを真剣に探してみようと思います。
今日は土曜日です。午後からのお客様が到着になるまで、事務所にいます。
ぼんやり季節を眺めるのも気が安らいでいきます。
今日は久々にお客さまからウイスキーの水割りの注文がありました。
イワナのコツ酒の注文も入りました。

水割りは懐かしいので、お相伴に私もいっぱい作って飲んでみました。
しばらくアルコールは飲んでいなかったので懐かしい味です。

「ぼくが初めて出会った小さなスナック」こんな歌が昔流行っていましたね。
旅館内に館内に小さなスナックをやっていました。

それが苦痛で苦痛で。旅館の後の仕事なので本当に大変でした。
主人はちっとも手伝ってくれないし、地元の人は付け伝票で飲んでいくし。
集金すればまたつけのみが増える。宴会を受けると、飲みたらない人たちはスナックへ流れる。それも酔っ払い相手の大変な仕事でした。

旅館には気楽に遊べるカラオケスナックなどがあるのが当たり前の時代でした。
女の子を配置すれば、暇な日は赤字になるし、男の子を置けば、飲んで酔っぱらって帰るし。悩みの種でした。

夫婦げんかのもとになるし。結局それで、やめてしまい。
今、現在は、椅子席の貸切レストランにしています。
ペンションやプチホテルがもてはやされている時代です。
決して儲かってはいない宿屋です。

でも何となく犬たちの歩く館内は、私の歩いてきた道です。
もうしばらく犬たちの宿屋も、やっていたいですね。
今日もありがとうございました。

わんこちゃんたちが何頭か居るはずなのですかが静かです。
みんな飼い主さんと一緒の部屋でとてまって、食事の部屋でまるでわが家のように寝そべっていました。
ようやく日本も欧米並みに犬と一緒に旅行ができる時代になったのですね。
良い事です。平和のあかしです。
最後まで「私の独り言」に目を通していただきまして、今夜もありがとうございました。では皆様ごきげんよう。
これもちょっと前のテレビのドラマではやっていた言葉ですね。
あははーは「笑」私の文章はパクリが多いですねー。ごめんなさいね。

63歳私





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