夏本番

6月のさわやかな晴れ

夏もこれだけ暑い日が続くと、体が一日塩漬けのよう何になってしまう。
夏の虫たちが草を刈った土手から、賑わしく、は音を立ているのが聞こえてくる。
山からはセミの鳴き声と小鳥の鳴き声が聞こえてきて、国道端に家が建っていることすら忘れてしまいそうな。時折ざあざあと車が通り抜けるが車の合間に鳥の声も蝉の声もキリギリスの夏虫の音も聞こえてくる。

今日も暑いのどかな時が流れている。
犬を連れて夕方の散歩や朝早くの散歩のついでに朝採り野菜収穫。皆さん坂道をバケツにいっぱいいろんな野菜を取ってにぎやかに帰って見える。何もかも田舎ののどかさ。現代の生活とはかけ離れたタイムトリップしたようなのどかさ。

私はそんな時の中に身を置いてもらいたいと無農薬もぎ取り農園を計画したのだ。
今年で10年。私の考えることはちょっと変わっているらしい。
わが家に泊まっている人たちはのんびり涼しくなってから出かけられる。

なんか頂戴レオン

夕方でも朝でもいいのだが、ものすごくたくさんの量を作っているので、一組や2組の人が出かけたって撮り尽くせるものではない。
野菜を収穫することに面白いと感じていただける人も居るので、子供たちを連れて野菜収穫に宿の楽しみとしてもらうこともいいことだと思う。

いつも春か秋にやってきている、八王子のお客様が立ち寄って行かれた。
犬たちは獣医さんのやっているペットホテルに預けて高山の友達と昨夜は飲んで騒いでたそうだ。
これから峠を越えて八王子に帰って行くのだとか。暑中見舞いに夏菓子のゼリーのお菓子をもらったので、すきなだけやさいをとっていってくださいとバケツを持たせた。余りにも広い畑にいろんな野菜がいっぱいだと驚いて見えた。

とても広い農園

「その坂道を老人の、ておしぐるまひいて押して上がってくるのですから。大変なんですよ」と話は盛り上がった。時折窓から涼しい風が吹いてくる。

もう少し後になったら夕方には花壇に水やりしなくては。
何しろ高日照り続きでは大変だ。

久しぶりにジョンを洗ってあげた。
身体ごと涼しくするにはそれが一番のような。
バスタオルを引いたらそこに体をねじりつけて、はしゃいでいる。
はしゃいでいる間に乾いていく。耳の奥も濡れたタオルで拭いてあげた。
ほこりと汗でずいぶん汚れていた。レオンは水を嫌うのでブラッシングと濡れたタオルで拭くだけ。
明日の土曜日まだ少しだけだが、部屋にゆとりがあるから。
急な予約も受けられるだろう。部屋割りに苦慮することはない。お盆の間の8/11、8/12日8/13日葉満室になった。後はキャンセルが来ればそれを埋めるだけだ。
8/15日はまだほんの少しあきがある。それも埋まる事と思う。
もう少しの辛抱だ。高山の夏は短い。

ささげのトンネル

暑いと急には「涼しい山にでも行くか」という話がまとまるらしい。
乗鞍岳も朴ノ木平の駐車場からバスに乗っていれば、八合目の鶴ヶ池まで到着する。しょうしょう眠たくても、乗り合いバスだから気が楽で安心。
下りてくれば温泉にでも入って、汗流せば体がしゃきっとすることだろう。

非日常的な日々に遭遇するとはこのことだろう。

天気予報ではお盆のころあたりまで、毎日快晴の天気が続くそうだ。
ひでりつづきで畑にも一雨ほしいところだ。
局地的なにわか雨すらもない。
なんという暑さが続くことだろう。小八賀側の水は年間平均13度だから、すずしいなんてものではない冷たすぎて長くは足もつけていられない水温なのだが。
あいにくと川遊びできるような場所がないのが渓流の現状だ。荘川や宮川の源流は気軽に川にも近づけれるが、ここの谷は深すぎて釣りの心得がある人でも川伝いに歩くのはなかなか難しい。
むかしは渓流釣りをする人も多かったのだが、そういうおじいちゃんたちはみんなどうなってしまったのだろう。
鮎釣りの友釣りのほうに出かけておられるのだろうか。
何にしても今日が今まで以上にない暑さのような気がする。

月末なのでメンテナンスの会社が集金に来た。
山に行ったら山に暮らしている人たちが「熱い暑い」と言っていたので「高山の町中はこんなものではないですよ。と答えたのです。
そうしたらこれ以上暑いところでは暮らせん。」と言われました。
「何しろアスファルトとコンクリートの壁ですから。」と笑っていた。
会話の第一声が「熱いですねー」という言葉に始まり。
「今日も暑かったですねー」という言葉で終わる。

弁天荘全景夏

その会話以外にないのかというほどすべてになっている。
夕方の太陽が沈むまで体がもつだろうかと思うほどだ。

それでは、そろそろ四時過ぎました。預かった犬を返す時間が来たようです。
ジョンの家のほうで待機していますね。

今日も、最後まで読んでくださいましありがとうございました。
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夏本番

夏もこれだけ暑い日が続くと、体が一日塩漬けのよう何になってしまう。
夏の虫たちが草を刈った土手から、賑わしく、は音を立ているのが聞こえてくる。
山からはセミの鳴き声と小鳥の鳴き声が聞こえてきて、国道端に家が建っていることすら忘れてしまいそうな。
のどかな時が流れている。
犬を連れて夕方の散歩や朝早くの散歩のついでに朝採り野菜収穫。皆さん坂道をバケツにいっぱいいろんな野菜を取ってにぎやかに帰って見える。何もかも田舎ののどかさ。現代の生活とはかけ離れたタイムトリップしたようなのどかさ。

私はそんな時の中に身を置いてもらいたいと無農薬もぎ取り農園を計画したのだ。
今年で10年。私の考えることはちょっと変わっているらしい。
わが家に泊まっている人たちはのんびり涼しくなってから出かけられる。夕方でも朝でもいいのだが、ものすごくたくさんの量を作っているので、一組や2組の人が出かけたって撮り尽くせるものではない。
野菜を収穫することに面白いと感じていただける人も居るので、子供たちを連れて野菜収穫に宿の楽しみとしてもらうこともいいことだと思う。

いつも春か秋にやってきているお客様が立ち寄って行かれた。
犬たちは獣医さんのやっているペットホテルに預けて高山の友達と昨夜は飲んで騒いでたそうだ。これから峠を越えて八王子に変えるのだとか。暑中見舞いに夏が師のゼリーのお菓子をもらったので、すきなだけやさいをとっていってくださいとバケツを持たせた。
余りにも広い畑にいろんな野菜がいっぱいだと驚いて見えた。

「その坂道を老人の、ておしぐるまひいて押して上がってくるのですから。大変なんですよ」と話は盛り上がった。時折窓から涼しい風が吹いてくる。

もう少し後になったら夕方には花壇に水やりしなくては。
何しろ高日照り続きでは大変だ。

久しぶりにジョンを洗ってあげた。身体ごと涼しくするにはそれが一番のような。
バスタオルを引いたらそこに体をねじりつけて、はしゃいでいる。はしゃいでいる間に乾いていく。耳の奥も濡れたタオルで拭いてあげた。

明日の土曜日まだ少しだけだが、部屋にゆとりがあるから。
急な予約も受けられるだろう。

暑いと急には「涼しい山にでも行くか」という話がまとまるらしい。
乗鞍岳も朴ノ木平の駐車場からバスに乗っていれば、八合目の鶴ヶ池まで到着する。しょうしょう眠たくても、乗り合いバスだから気が楽で安心。
下りてくれば温泉にでも入って、汗流せば体がしゃきっとすることだろう。

非日常的な日々に遭遇するとはこのことだろう。



天気予報ではお盆のころあたりまで、毎日快晴の天気が続くそうだ。
ひでりつづきで畑にも一雨ほしいところだ。
局地的なにわか雨すらもない。
なんという暑さが続くことだろう。小八賀側の水は年間平均13度だから、すずしいなんてものではない冷たすぎて長くは足もつけていられない水温なのだが。
あいにくと川遊びできるような場所がないのが渓流の現状だ。荘川や宮川の源流は気軽に川にも近づけれるが、ここの谷は深すぎて釣りの心得がある人でも川伝いに歩くのはなかなか難しい。
むかしは渓流釣りをする人も多かったのだが、そういうおじいちゃんたちはみんなどうなってしまったのだろう。
鮎釣りの友釣りのほうに出かけておられるのだろうか。
何にしても今日が今まで以上にない暑さのような気がする。

月末なのでメンテナンスの会社が集金に来た。
山に行ったら山に暮らしている人たちが「熱い暑い」と言っていたので「高山の町中はこんなものではないですよ。と答えたのです。
そうしたらこれ以上暑いところでは暮らせん。」と言われました。
「何しろアスファルトとコンクリートの壁ですから。」と笑っていた。
会話の第一声が「熱いですねー」という言葉に始まり。
「今日も暑かったですねー」という言葉で終わる。

その会話以外にないのかというほどすべてになっている。
夕方の太陽が沈むまで体がもつだろうかと思うほどだ。

それでは、そろそろ四時過ぎました。預かった犬を返す時間が来たようです。
ジョンの家のほうで待機していますね。

今日も、最後まで読んでくださいましありがとうございました。
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畑の野菜いろいろな種類取れます。


青いトマトが色つき始めました。

夕方灼熱の太陽が山影に沈んでから、畑に出かけて来ました。

今とれ頃の野菜は,ゅうりと▲淵垢鉢ピーマンとな羚發い鵑欧鵑鉢ゥ皀蹈奪海い鵑欧鵑修Δ瓩麁遽擦砲靴慧癲栗かぼちゃです。
などがたくさん取れます。おクラはもうすぐ。スイカとなし瓜と、トウモロコシサツマイモはまだですね。

暑いのできゅうりはもうすぐ終わりそうです。
3回目のきゅうりとズッキーニの種をまきました。
雨が降る日がまだ当分わかりませんので、芽が出て来ても暑い畑には植えられませんね。

お天気の様子を見てあいたところに植えようと思います。
昨日種まきしたポットをジョンノ家の玄関の所に据えました。
水やりが遠いとこの暑さでは苦労しますので犬たちの世話をしている時にほんの少しの苗の数ですので面倒見れば枯れずに育つと思います。

夕立すらも降らず今日も暑さのピークは3時ころでした。
トマトは今年は赤くなっています。畑で完熟した桃太郎トマトは温室トマトと違って太陽の甘みがあります。

ゆでた手のささげはマヨネーズ

今日のお客様のサラダにきゅうりもトマトも自家製野菜を使いました。
預かっているプードル犬がおとなしくしていますので、これから行って話しかけてあげようかと思います。
さみしくおとなしくしているようなのでおやつと夕ご飯を早めに与えて「あとで来るからね。お利口でお留守番していてね。」
と言いました。目が切ないような目で。とてもかわいかったです。
犬の良さは、そこにあるのかもしれません。
大きなケージの中でいつも使っているのでしょう丸いベットの中にうずくまって、見上げてきます。


「おばちゃんところに、あずかった以上は心配することないよ。安心して。夕方になるからクーラー切るけれど。大丈夫だからね。」
犬語はわかりませんが、目と目でお話ができるのです。
今日もそんな一日が過ぎていきました。
宿にはのんびりとゆったりお泊りになられているお客様が二組。
平日ですから今度の8/1日よりは少ない人数です。
今日は高山市の花火大会のようです。
丹生川町の花火大会は8/1日の土曜日です。

道路端の葵

今日も暑かったですね。いつも読んでくださりありがとうございます。
飛騨は夜になると天国のように涼しくなります。
海抜がたかいせいでしょうか。
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自分の持っているものさし

弁天荘全景夏

人間は自分自分の頭の中に、自分だけの物差しを持っているようだ。

それが生きるということのサイクルになり人生という年月になるのだろうか。
その物差しを通じて、世の中と自分との尺度を図る。
その物差しが世の中とあまりにもかけ離れないようにと、小学生から高校あるいは大学までの長い期間を学び育ち、家庭の中で子供という立場の期間を長く過ごすことになるのだと思う。大学まで行った弟は、はやく家庭から離れたことになるし、
親は子育てのために、どれほど大変な期間を乗り越えていくことだろう。
私は親元にずっと暮らしてきた。
家業すらも「農業」から「おやど」に変えてしまって。
改革をしたのかもしれない。

親にならずに、大半を仕事に過ごし。
人生の終盤まで、たぶん子供に恵まれることなく、人生の最終期を迎えるだろうと思うと思うと。
何となく、山の木の下でしきりには音を立てている山ゼミに、私の生涯を並べてみてしまう。
何かはかなさ切なさを思ってしまう。
やりたいことを腹いっぱいやり抜いてまて、まだその仕事の道半ばでいるのに。

山の緑

私の持って生まれた、ものさしが短かったのか長かったのか。
父や母の考えに沿うことができず、ここに生きてしまったことを思うと、なんだか。
多へ嫁にやることの晴れの日だけを楽しみに、生きがいに生きてきたような母。

そして私を都合よく手放さないままの父。
二人の親の考え方の違う中に翻弄されて、私は人生の大半をこの地で暮らしてきて。これが一番よかったのだろうと思う。

過去を振り返ってどう思い返しても、常に一番いい選択をして生きてきたことにする。そう考えると明日という毎日が元気に過ごせるような気がするからだ。

毎日が消耗品のように過ぎていく時が。
やりたいことだらけの私としては、トキがもったいなくて仕方がない。
新しい事へのチャレンジもかすかな体力と資金力のの積み上げなので、大きく羽ばたくことはなかなか難しい。
高が仕事であり、新しい仕事は目指すライバルもなく、指導をしてくれる先輩もいない。ただ自分の描いていることをろ、積み重ねていくだけだと思う。
どこかでじっと私の存在を見つけてくれるように、素敵なチャンスの出会いを期待して日々過ごしている。

むかし宿が犬専用でなかったとき。
お昼食の団体バスも受け入れていた。泊りの企画団体客も入れて、合間を縫うようにしてじもとの宴会客もいれていた。そして部屋が空けば犬連れ家族も受け入れるという操り芸当のような複雑な仕事をこなしていた時期があった。

安くてもお気軽な料金でも。数でこなしていた。
しかしそういう仕事を改めて犬や猫だけ専門の泊まり宿にしたとき経済状態はぎりぎりのラインになったけれど、体力的には相当心のゆとりも、時間のゆとりもできた。そのころ私の周りの同業者たちは、とても私のことを陳腐な存在としてみているような気配がする。「床の間から犬が降りてくるのだとよ。」「玄関から犬と一緒に出入りするのはどうもなあー」当時の商工会の指導員がそう口にした。
年のころは40代。彼にとってはどうしても犬が家の中に存在することが許せなかったのだろう。

嫌そうな顔を、あらわにして犬のフンが、大事な革靴の足の裏についたと言って騒いでいた。
夜の懇親会の宴会が終わって、二次会にうつる時。
旅館の前の土手で、立ちしょんべんした、彼はそういいながらしきりに靴の裏を気にしていた。質の悪い酔っぱらいのどまくれた客。
やがて私はそうゆう客筋をなくするようにした。

これから街の中の飲み屋に繰り出そうとするときに、「なんで俺だけくその匂い付きなんだ」と吐き捨てるように送迎車に乗って行った。

むかしのことだから、商工会の指導員としても総会の後の懇親会は、一生に一度の晴れ舞台くらいの楽しみだったのだろう。
それが事実であるのかないのか。

当時のこの地区の担当者の氏名もすっかり忘れてしまったが、ある意味では嫌がらせの、一芝居ではなかったかと思う節もある。

それほど犬宿に泊めるということは、考えの違う人々にしてみれば、耐えられないことだったのだろうか。
「犬なんて人より以下の動物だそれを同じ屋根の下に出入りさせるなんて」と言っていた人々は考えを変えるか黙るかしかできない世の中の流れになった。

25-5-30花とレオン3枚目.jpg

こっちにだって考えがあり、経営方針をはっきり前に出すことにした。
「犬や猫や鳥や小動物連れている人でなければお泊りいただくわけにはゆきません。弁天荘はそういう宿なのです」

すっかり言い切ってしまうようになった。
今にしてみれば当然のことのように思うが、そのころは何とも時代が始まったばかりで。向かう風は相当なものがあった。
私の持っていた世の中を測る物差しが正しかったのかどうかは、定かではなかったが、今はどこにでも犬の泊まれる宿は日本中にある。
いったんその内容が広まってしまえば、
「普通の宿には戻せない。」と言われた。
私は「後に戻る気」はななかった。

各チャンネルのテレビニュースに取り立照られた。
今はすべからくお断りしているが、カメラマンが入り、デレクたーがインタビュして、そんなお決まりの流れが今は、それほどうれしくもない。

騒ぎ立てられて人気の宿になっても、エスカレーターのように急激に上がり下がりする経済もたまらないものがあるから。

ぼつぼつとでいいから安定した絶大な信用を続けていける宿でありたい。

いつものスタッフたちと共にある程度、的を絞った仕事がしたい。
私が歳を取ったからだろうか。そんなことを思う。だから食事の肉の質も落とせないし、今までやってきたことを今年からやめるわけにもいかない。

抵抗勢力の逆風を超えてやりたい仕事を選択してきたように思う。
母屋の着物も今周りのみんなが、けげんな顔をして犬の看板の間に「おかしな看板が立って居た」なんていうブリたーらしき奥さんの発言。
犬の世界に存在するには、ブリーダーもペットホテルも同じこと。
なかなか「そうでなければならない」という物差しを持った人にいちいち説明することすらが、面倒な気がする。
「犬を増やしてなんぼ」いう考え自体に私はついていけ煮ない気がする。
犬の命を売り物にしていること自体が、世の中の需要とはいえ、悲しい職業のような気がする。
あんな可愛い時を売り物にしてお金に換えるなんて。

そんなことを思う。これも私の尺度の大きなお世話なのだろう。
まずは経済として成り立っつてこそものが言える話だ。

そうでなくては組織という競争の中で手足となって歯車の一つになりきって、サラリーマンで生きていくより仕方がないだろう。そうしたら私はもうとっくに定年を迎えている。定年後はどうやって暮らしているのだろう。

残雪ののりくらだけ

私は自由人の宿屋をやっているのだから、飼い主さんの居る「犬たちに接していられるだけでもありがたい」事なのだと思う。
今年もたくさんの犬たちがやってきてくれる。

今年も暑いけれど、楽しみな夏がやってきた。

最後までいつも目を通してくださってありがとうございます。
夏バテなさいませんように、今日も暑かったですね。
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育ちすぎたきゅうり

きゅうりの酒粕漬物

先週の台風の到来できゅうりの成長が狂いだして。
暑くて、ほどほどの湿度と雨は野菜を狂ったように大きく育ててしまった。
きゅうりのほしいときにきゅうりはなく、きゅうりだらけの時にさらにそこへきゅうりが運ばれてくる。きゅうりもササゲも飽きてきてしまって、お客さまには料理しても家族は「またか」という顔をするので、お鍋の中のお湯をくくらせてから、山のようにあるきゅうりを、つけることにした。
漬物につけておくにはまず塩漬けが大事で、カララが浮き始めると塩の濃さが問題。
ということになり、そういう場合はいったんつけていた水を捨てて、きゅうり本体を水洗いする。さらに桶に並べなおして塩をどんどんに、真っ白いほどまぶすと腐らない保存漬けができる。
後で塩抜きするので、きゅうりは何にしてもつけておくと何とかなるものだ。
酒粕つけに漬け直したり、いろいろできるので、とりあえず収穫してきた使い道のないきゅうりはみそ漬けか、塩漬けに。
蝉の声を背中越しに山はセミたちの楽園だ。

弁天荘全景夏

お客様は今日は二泊目でもうすっかり静かになっていらっしゃるようだ。
一日観光して回られれば疲れたことだろう。
8/1日は土曜日なのだがまだもう少し部屋が空いている満室というわけでもない。スタッフに出勤確認をしてシフト調整へ。

わたしと叔母は、どうしてもフル稼働になってしまう。
93歳の父は枠外だから、あてにはできないし。
ひとまず自分の身の回りのことは自分でできるので、ありがたいことだと思っている。これが床に就きだしたら手が足らなくなってしまう。いつも言っている私の口癖。「病期になるならオフシーズンにしてほしい。」

夏休み中が何と言っても、トップシーズンなので頑張らなくてはと思ってしまう。

ヒダコシヒカリ

暑いと言っても今日は古語から雲間が多く、夕方の風邪さえ出てきたのでほっと一息する。私は漬物のきゅうりの桶と格闘。今年のアルバイトの男性は、地元の人で「はいはい」と素直な返事をしながら頑張ってくれる。
汗だくになって漬物部屋に漬物桶を3トウ樽に4個運んだ。

前の食べきれなかった今年の春に残った大根の漬物樽も桶を洗った。
叔母の(成り原さん)はだから、「いつも漬けすぎだって言ってるのよ。」
それでも毎年のごとく夏は漬物樽を洗う。
体中汗とまみれて、漬物臭くなってしまう。

ポリの桶なのだが。空いた漬物樽は乾かして、また秋の漬物桶に。
保存食はとても大切だと思う。
しまっておける場所がいくらでもあるのだから。
無駄とはわかっていてもやりきる事。それが゛私流。
大根もきゅうりも場合によっては青いトマトもつける。
いろんなものを付けて、ミョウガもつけて、ナスもつけておくとお客様が漬物の鉢を追加注文されるのでお漬物は切らさないようにしておく。

そろそろ眠くなってきた。
今日は叔母を診療所まで送って行ったので、車の運転に気を使った。
昨夜は予約帳の整理で夜中の2時過ぎまで頑張っていたので、ちょっと眠い。
これから行って猫たちにエサをくれることにしよう。
犬たちもフェンスのなかにわにだして、排せつ舞うのかけっこを楽しみにしていることだろう。

なんだか一日があっという間で。
それだけ体力がなくなっているのか、一日のスケジュール予定表が欲張りなのか。思うことの7割8割程度で後に持ち越すようになった。

シベリアンハスキーたち

この思い脂肪を落とせばだいぶ歩行が楽に行くのだろうにと思いながら、なかなかダイエットできない。
簡単に仕事の都合で体調管理は自己責任などと口ずさんでいますが、体調管理は難しいものだとつくづく思ってしまいます。
では今日はこの辺で。
いつも最後まで目を通してくださってありがとうございます。
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暑い夏の暑中見舞い。

乗鞍岳
暑い。
暑ければ宿屋が儲かるというのが定説だったが。
いつからかその流れは変化したのだろうか。
なんだかんだと言っても
今の若者はお金の使い方が変わったのかもしれない。

何が何でも形態電話の支払いをしなければ。
その次に車のローンも。
車はもっていれば油代がいる。オイルも税金もいる。
ガソリン代も値上がりするばかり。そう安くはない。電気自動車はそこそこ人気があっても電気スタンドが少ない。充電に、時間がかかる。
水素自動車の開発も言われているが水素のスタンドなんて田舎にはないので。
無理ムリの話。
道路が良くなったということは、いいのか悪いのか。

良い道を走ると道路猟料金がいる。
なんだかんだと言って家族旅行は金がかかる。

観光をするにも施設を見るのも、家族にお昼を食べさせるにもみんなお金がついて回る。
そして昔のように行のお昼はお弁当というわけにはゆかなくなった。
ちょっと走れば「犬も歩けばコンビニにあたる」
というほどどこにでも缶コーヒーやおにぎりは売ってある。
安いからと言っておやつの連続で旅が始まる。

弁天荘全景夏

岐阜に住んでいる私のいとここは、京都も大阪も日帰地域だと言っていた。
すると「当然名古屋だって日帰りになるの」
そういったら、名古屋なんて通勤圏内だと笑って言った。

泊まる必要のない旅行。
旅慣れた人々はそれでいいのだろうか。
ついて歩く犬にとっては、たまらないだろうと思う。

交通の便が良くなったから、そうゆう感覚で遊びに行く範囲の選択権が広くなったのだろう。
飛騨の山奥に暮らしていると世捨て人のようになってしまう感覚なのだ。
道の駅めぐりの旅というガイドブックが出ている。
犬づれや、年寄り連れが、かろうじて。何か月前からかの先の予約を入れてもらえるような感じ。
だから気の向くまま風任せの流動的な旅行人口なのだろう。

つい最近までディフレ減少におぼれていた庶民は、相次ぐ消費税の値上げ思うほど上がっていない給料のはざまで、家族旅行に、へとへとになっているのではないだろうか。仕入れがじわじわと値上がりして、とてもやりにくい経済状態を、やりくりしているのは、私だけではない。事実だと思う。
これでまだ消費税は10パーセントになっていないのだから。
騒動無理なことを政治家は考えているものだ。

岩魚のつれる渓流小八賀川.jpg

毎日のように水の事故がニュースで報道されている。
川も海もタダで遊べる。
しかし命と引き換えにしてまでしなくてもいいだろうに。
さかなや鳥や牛や豚の命を取ってスーパーマーケットのパックに入って並んでいれば、当然の食料として、命を食べ続けて大きくなったのだから。
高校生や大学生くらいで簡単に命を粗末に落としてもらいたくない。
というのが私の気持ち。

車の通過する量と泊り客の数が、夏の予約というほどは、連日満室状態というのが、まだ来ていないのはうちだけでも、ないような気がする。

地域全体が泊まりたくなる感じではなく、通過地点になってしまっているのかもしれない。

二階客室若松

便利なということは、痴呆にあまり良い結果をもたらすことではないようだ。
右往左往する車は夏の風物詩になっていて、長年、国道端のそばにいると
車の走る抜ける音も、活動的な活気すら感じるから不思議なものだ。

それにしても太陽が西に沈むと、北アルプスから吹き流れてくる東から西に動く涼しい風はちょっと申し訳ないほどの涼しい贅沢です。

ジョンノ家

今日もかんかん照りの何とも言えない夏日になった。高山市でも34度という暑さだ湿度はないのでからっとしている。

南瓜でもとりに行ってみようかとも思うが、とてもこの暑さでは畑に行く元気もない。もう少し夕方に出かけてみよう。

モロッコササゲはナイフのようにぶら下がっていることだろう。
モロッコや穂高ササゲは、味がおいしいので、今年も人気だと思う。いつか「まんずなる」という東北のササゲを作ったが、すごい量の収穫だったが味が今一つで何とも翌年から作るのをやめた。
同じような野菜でもいろいろ作っていると味にも形にも
こだわりたくなってしまう。

「おいしいから持って帰ってくださいね」

というのが私の心の気持ちなのだから。
空を見上げていたが、ごろごろ音はするもののちっとも夕立も来ないので。
愛用の手押し車を押して畑に出た。
ササゲもきゅうりも大きくまなりすぎて大変なことになっている。

草刈りは、ずっときりがなく。
秋までし続けなければならない。
外来植物がはびこって、私の土地は空からのエイリアンに乗っ取られそうです。
自主的に土地の持ち主は管理するようにとの、高山市からのお達しが来ている。「紙一枚で自主責任というのは、横暴だなー」

植えたわけではないのに、たんぼぽのように。
種子が風に乗って吹いてきて土地に定着しただけなのに。
なかなか田舎に暮らすにも大変なことなのだ。
この自然ののどかさを維持するのも、個人の力の積み重ねなのだから。
たいへんなことだ田舎に暮らすってことは。
今に涼しい風も制限されるのだろうか。

遠くに見える乗鞍岳。

空気を汚す、大気を汚すからと。
マイカー禁止になった乗鞍岳。
時代はどんどん変わり、様々な事情に取り巻かれている現状でぼつぼつ無理をしない程度に客商売。
私の大好きな犬の宿屋がやっていけれればいいのかもしれない。
玄関に「わんわん。きゃんきゃん」と犬たちの声がすると何となく宿屋としてのホッとした気持ちになる。
それにしてもわが家のジョンの家のジョンやレオ達ほどやかましい犬はいない。

窓を開けていると何とも気持ちいい風が吹き寄せてくる。
感謝感謝。ああー気持ちがいい。夜風は最高だ。こんなに暑い暑いと言っているさなかに地球規模で涼しくてすみませーん。
熱い街の中で暮らしている人々にこの風をお届けしたいくらい。
本当に涼しくて風呂上りの肌にひんやりとした、夜風は最高の贅沢かもしれません。夜の涼やかな空気は、野菜を甘くしてくれます。育ちすぎたきゅうり二番槇も大きなきゅうりになってしまいましたので3番槇の種を植えておきます。
明日、JAに行って「苗の友達」という土を買ってきて苗作りをします。
あっという間に育ってすぐやわらかいきゅうりが収穫できることでしょう。

きゅうりを食べるジョン

これは日帰り観光では味わえないだいご味だと思います。
朝の散歩を兼ねた野菜収穫にお客様が楽しみにしていらっしゃるので。畑の事情も把握しておかないと。
ズッキーニも踏ん張ってとても大きなお相撲さんの足のようになっていました。ズッキーニも新しく植え替えたほうがよさそうですね。
リレーまきということは大変なことですか。まだ間に合うのですから何とか努力しておきましょう。今年は台風の関係で野菜の育ち方に変調が出ています。
なすは思った通り、遅まき苗のつくりで作りました。
ちょうどお盆くらいには収穫期になるでしょう。

高山は8/15日すぎれば秋風ですからね。
熱いと言っても、日中だけのほんの少しのがまんなのですネ。
高山というところはそういう、場所なのです。
海抜700メートルの大地を吹く風は本当に天然のクーラーです。
灼熱地獄の皆様へ。どうぞ夏バテには気を付けてください。

畑の手入れ
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熱さは続くよ。どこまでも

暑い夏が本格的に始まった。
最近の飛騨高山も、なかなか30度越えの日が多くなった。
昼間の汗ダラダラに体力が奪われててしまいそうだ。
それでも昼間と夜の寒暖差が多いのでありがたいことだと思っている。
窓の外から冷たい風がそよそよと吹いてくる。
天然のクーラーは、緑の風邪の匂いがするので気持ちが良い。
熱帯夜というほどでもなく、外に出れば宇宙の星の話も出来そうな。

夏に向かって若草色の色が濃くなり
今日の台風は九州勤勉で大暴れしているらしい。
こちらは暑くて暑くて灼熱地獄のようです。
待ちの中はコンクリートやアスファルトに囲まれているので、とても大変だと思います。
そして湿度がない飛騨高山と比べて海岸の風が持ちこかんでくる中にも湿度がじっとりと含まれているので何とも大変だと思います。岐阜も名古屋も金沢も富山も相当たいへんだと思います。昔夏に出かけた時。肌にくっつくような湿度に飛騨地区の気候しか知らなかった私はとてもびっくりしました。街の中は。夕暮れともなると焼き肉の匂いや生ビールの酔いの中でざわつく人々が行きかい。そのころ20歳を超えたばかりの私は、都会の夜というものにびっくりするやら、がっかりするやら絵葉書には見得ない事実にとても驚きました。

山の緑

「人間の一日の終わりのささやかな喜びなんだよ」そう言われて誘ってくれた友達のなんと大人らしい言葉にまた一つ、人間的な哲学のようなものを感じ。
田舎に生きるということはなんと、純粋な身持ちで生きていられることなのだろうと思いました。
ああ、何十年も瞬く間に通り過ぎましたね。
もう私も60歳の大台を走り続けています。

今年ももう夏が始まり、暑い暑いと言っても飛騨高山の夏は8月の15日のお盆あたりまで。旧盆が終わると長袖でなければ風邪を引くような夜風です。
夏が終わりあっという間の秋が始まります。
こうゆう自然の恵みも都会的な開発をしていないからこそなのかもしれません。
夏の虫が忙しくは音を立てています。
静かな土曜日です。
お客様はもうぐっすりとお休みになられているようですね。
明日も暑いと天気予報が言っています。
私たちの飛騨地区から飛騨高校が甲子園目指して岐阜県大会の決勝まで進みました。今日はとても感動的な試合で高校時代の若い感動をもらったような気がしました。テレビに昨日も今日も釘づけでした。

なつのはな 2

でも。おしいかな、今日決着がつきました。負けました。しかしすごい事です。
飛騨から甲子園に手が届くなんて。
斐騨高校出身の地元の関係者や父兄たちは相当ののお祭り騒ぎだったと思います。高校生らしく、とても一生懸命なとてもまじめな試合でした。
感動の涙にくれていました。

久しぶりに飛騨中が団結して熱い思いに沸いたや少年野球だったと思います。
応援団も続々と長良川公園の試合場に駆けつけて地鳴りのような応援が、テレビを通じて伝わってきました。すごかったようですね。
わたしも地元の高校に通いましたが、別の高校でした。
それでも感動せざるを得ません。
お向かいの集落の岩田さんちの二男坊がテレビに映っているのです。
丹生川の里中が話題でもちきりです。大人たちが注目している高校球児たち。
飛騨高校に硬式野球部があるなんてことすら知りませんでした。
私の母校のあの当時の野球部は軟式でした。
母校の後輩たちが頑張っていることを知ると、何となく嬉しいものですね。

学生時代があまりにも遠い思い出になりまとしたね。
では明日もかなり暑くなるそうです。
涼しい夜のにらゅう川の里に遊びに来てくださいね。

きゅうりを食べるジョン
では今夜も、最後までありがとうございました。
水分が体の中にたまって冷えて足がむくみます。
皆様も夏バテしないように熱中症には、くれぐれも気を付けてください。
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観光と日本

真っ赤な一位のみ

産業遺産や農業遺産や自然遺産。
日本は世界遺産の認定を取ることに、各地の関係者は、躍起になっているようだ。
いや、競争のように地方自治体は日本中頑張っている。

なかなか書類も面倒でクリヤーしなければならないこともたくさんある中、世界遺産の認定を取るということは、「世界中から観光客を集めることができる」ということにつながるのであろうか。

そもそも観光というものに光がが当たり始めたのは、日本が戦後の復興の中で人々が何を生きがいにし、何を安らぎに頑張って来たかが。
今ではその言葉すら少し古ぼけて聞こえるリクレーションという言葉が、流行り出したころ。

日本人は休むということが罪のように感じていたものだ。
働いて働いて頑張って家族の生活を豊かにさせたいと思う昭和の人々はありとあらゆる企業や工場や商店の中で頑張ってきた。
労組が声を上げ、みんなのやる気が大きなうねりとなって見事に日本は復活して行った。
赤カブ

昭和35年。
今からちょうど半分の時代をさかのぼったころ、今とは別の豊かさを求めて人々はささやかな手の届く夢を手に入れることにステータスを感じていたのかもしれない。

そのころはまだ旅行に行ける人はほんの一握りの富裕層だったと思う。
それがどうだろう。
10年後のを45年にはひだ高山はディスカバーババーンという国鉄の観光キャンペーンで、一躍観光の光が当たりだした。そして政治の中で「まだまだ日本は飛躍し続けなければならないのです」そう言った勇気を奮い起こすような言葉が叫ばれ。「列島改造論」というわけのわからないような、わかるような論理が日本の隅々までいきわたり始めた。

「高山は郷愁のふるさと」とか「素朴な山の都飛騨高山」とかいう、キャッチフレーズがポスターの見出しに大きく掲げられ。
都会からどんどん人々が押し寄せてくるようになった。
朝市は大賑わいをし、古い町並みは観光メイン通りとして、人。人。
人の波でうずまる通りとなった。

それが私の青春時代、父の仕事を手伝うこととなったことのはじまり。
18歳からの時の流れだった。
63歳の年齢を迎えてきた今日まで、細々とした中にも多少の夢を描いても「それがのぼめばかなう」そんな中で生きてきたことには違いない。

最初の父の始めた民宿は、現金収入のない農家の娘にとって、驚くほど違った世界に思えた。
ちいさいときからサラリーマンの家の子供達のように、月々決まったお小遣いもなく、ほしいものがあると親にねだり倒して買ってもらう。
そんな成長期を過ごす子供たちが、ほとんどで、珍しい事ではなく。
当たり前のことだった。

きちんとしたお小遣い帳を付けていけるのは、学年の内でも2〜3人程度のもの。
地域的なこともあるとは思うが、飛騨は昔から現金集には乏しい。
そんな地域の村々だったことには違いない。
だから私は地元の高校を卒業する時から、一流の職人になるための道を目指した。
手に職を持っていれば強いと思った。

青と白の個展柄の振袖

当時着物は絹物で絽や紗の着物ならば8千円くらい呉服屋から、仕立て代としてもらえた。
浴衣は3000円の仕立て代だった。
合わせの着物が小紋程度で12000円。
振袖や訪問着を脱げるようになると仕立て代は2万円くらいだったと思う。

きちんと急所を抑える技術を身につければ、それだけのお金がいただける。
小さな縫い針一本あればいつでもどこでも、家庭があっても子供がいてもできる仕事だと教わったし、私自身もそう思っていた。
月に好きな時間帯にやるだけのことをすれば保障される自分の技術なのだから。
働きにも行けず家庭を持っても一生続けていける仕事だと信じていた。
学業として、きちんとした技術を身に着けよう。そう思った。

当時高校を卒業してお勤めに出た同級生は、月給が手取りで5〜6万程度だった気がする。

お茶くみや電話番や現場事務程度の仕事で。
まるで添え物のような存在の務め人になる気持ちはなかった。

だから和裁職人の道は魅力的だと思った。
もっとも都会に出れば給金は違ったことなのだろうが。
地道な田舎でのことだ。

あの頃の私にも「役場の観光課で働いてくれないか」というお声がかかった。

今とは全然違う時代の幕開けだったのだろう。
公務員になりたい人がたくさんいる現代では、とても考えられないことなのだが、役場で働かないかという役場から依頼があったのだ。

当然和裁職人の夢を追っていた私は、高山の和裁所の師匠に弟子入りしていたので役所勤めなど眼中になく、あっさり「嫌です。」と断った。
真面目に名古屋帯や丸帯を縫っているのが楽しかった。
そのころ時代は手芸というのも大はやりだった時代の事だ。
編み物を習ったり料理教室に通ったり、季節に例えれば。
娘時代は楽しい春の日のような季節だった。

名古屋帯

貧しい飛騨いちえんにも、観光という光がさしてきたのだとそう感じた。

当時の民宿は1泊2食付で一人3800円だったと思う。
和裁所に行き始めて2年が過ぎた頃だろうか。
仕立て屋さんとしての独立の道が見え始めてきたころ、先生の許可を得て一重の着物や羽織などをちょこちょこ預かって縫いだすようになった。
合わせの着物も仕立てることが許されるようになった。
が、しかし、父の始めた民宿は強烈な夏の季節のようなはち切れそうなバカンスがもたらす勢いがあった。

というのは、通年を通じての民宿の仕事もそこそこ忙しくなってきたのだ。

忙しいときだけ掃除や皿洗いを手伝うというだけでは、追いつかなくなってきたのだ。
さらに其れから世の中の物価が少しづつ、上がって。
一晩に10人泊まってもらえば単純に38000円になる。
と、安易な計算が成り立つようになって。少し方向性が変化していき始めた。

それが「手に職を身に着けて」という地道な人生の目標から、家業として成り立たせていくことに目標に私を変えさせてしまった動機かもしれない。

あのころは人々が、沿線上に泊まれる宿を求めて、右往左往している時だった。
客には困らなかった。実に面白いほどの仕事だった。
掃除も単純で畳の部屋を放棄でささと吐く程度。
今のように持ち込みの空き缶や瓶も少なく、敷布や掛布をを取り換え布団を敷く。その繰り返しでよかった。それでもとてもありがたがられて、
「峠の辻でお助け小屋に出会ったあったような」
感激の度合いを示してくださった。
民宿だったから。民宿は旅館でもない。民家の宿なのだ。

居住スペースの一部をお借りして、泊めていただくというのが基本なので、健康で明るい笑い声は、民宿の看板娘として、ちやほやされた。

仕事が楽しかった。
そんな世の中のすべてが、成長期の時代だったのだろう。

夏は夜看板の電気をつければ、あっという間に客が集まってくる時代だった。
たった数時間の仮眠を取るために。
ふもとの村の民宿は大賑わいだったのだ。

遠くに見える乗鞍岳。

乗鞍岳はそんなマイカー族が、押しかけてきた。
夜中の北アルプスの乗鞍スカイラインの稜線は、車のヘットライトでつながった。
冬はスキー客がたくさんやってきた。
スキーの全盛期で、一時スキーに行くことは若者たちにとっては流行の最先端のような時もあった。

スキーなんてしたことがないようなおじちゃんたちまでが、会社のスキー同好会とか。スキークラブとか慰安旅行とかで、団体バスで入るのが会社の、若者たちの希望だったのだろうか。

あの頃の視界のすべての若者に、エネルギーがあった。
正しい課間違い可わからないが、大学は学生運動で有れていた。
学びの場から暴動の場に、据えかえられているようなところもあった。
今のストライキなんて言うものはあのころの熱気に比べれば、大したことはない。

先日の国会を取りかこむデモもおとなしいものだ。
「私たちは、暴動や革命を起こそうと思っているのではありません」そうマイクで呼びかけている。スマートで理論整然としている。デモのエネルギー。

あれから40年ちょっと時代は流れて、今世界に向かって観光を誘致しようとしている。乗鞍スカイラインは、排気ガスではえ松がかれてしまうからと、マイカー禁止になった。
そしてさらに、動物愛護法という法律が定められて。
国立公園に指定された山岳地帯の山は、犬は立ち入り禁止になった。

「動物愛護ならば、愛犬だって」と錯覚してしまいそうになるが。
動物愛護というのは、簡単に言えば、「犬の予防して発生を抑えている病気を、ワクチンや予防注射の受けられない野生動物に移さないように」という事などが配慮の一つとしてあげられる。

未だ、いくつかの愛護の理解の尺度はあるのだが、ふもとの村には、一連の民宿はどんどんともしびを消していくことになった。スキーも流行ではなくなり、乗鞍岳のマイカー登山も禁止され。その需要の必要性がなくなってきたからと思う。そして時代を引っ張り時代を超えてきたリーダーたちは老化に耐えられず、後継者にも恵まれず。旅館やホテルという会社組織ではないので、廃業の道を選べばいいだけの事なのかもしれない。
さみしいかぎりりなのだが、それは老化と少子化の円熟期を迎えている時代の流れなのだろう。
円熟期とは、決して豊満とも違う、干し柿のような時の年月を超えた、やさしい甘さなのだと思う。刺激もなければ飛躍もない。

大テマリの花
今では平成の大合併により、村の名前すらなくなっている。

穂高の峰から乗鞍の山境に至るまで高山市なのだ。そして御嶽の登り口の一部までがふもとの村も高山市となった。
丹生川という昔からの自立した歴史も村の豊かさも。
いつの間にか失われて生きつつある。
名前のないところには歴史も言われも残らないのかもしれない。

「観光。観光」と騒がしい、今の日本はギリシャのように経済状態が、ひっ迫しているのだろうかとすら、勘ぐりたくなってしまう。

しかし長年歩き続けてきたスタイルだから、しっかりとした区別できるスペースの中で同じような感動を味わいながら仕事として、家業として継続していければありがたいとは思う。「犬猫専用旅館と無農薬野菜。」
「ペットの預かりホテル。」
そして「外国人専用の着物体験館。」私は休むことなく、いろんな仕事にチャレンジし続けていたい。それが生きがいになり楽しいから。
出会いの感動がそこにあるから。

今や日本は、時短も労働基準法で厳しく守られている時代。
ブラック企業と言われているところの話もやや耳には入るが。
あのころの日本は、みんなブラック企業ばかりでなかっっただろうか。

むしろそのような猛烈社員たちが家庭を顧みず会社に仕事に頑張ってきたからこそのような気すら思う。そんな時代を生き抜いてきた昭和の人の一人でありたい。
もう少し現役でいることをつ漬けて行こうと思う。

頑張って肉体的にも精神的にも、強靭な人たちが生き残ってきたのだと思う。

少し違ったのは、社会に生きる人々の心が意地悪くなかったこと。
もっとまっすぐで義理も人情もあって、人の心がわかる人が多かったことだと思う。

学校でのいじめも多少あったが、今のようなものとは少し違うように思った。
もっと陽気であっけらカランとしている「悪がきのような子供」はたくさんいたように思う。

これから先の日本の将来はどうなって行くことだろう。
何十年かのうちに、すっかり人々の心も生活様式も変わってしまったことに、時の流れと見るしかないような気がする。

いや、今が、どんどん変化しているのかもしれない。
社会が脳科学のアパ体験のように変化の様子が目に写るのなら、より安全な道を選択して過ごせるものを、、。と思うのですが。

観光に力を入れる気持ちがわからないわけでもない、しかしどうやって稼ぐ力のある観光にまで持って行くべきか。通り過ぎて時折トイレに立ち寄って時折水を飲む程度では、観光の場所を提供していることには、よほど事前計画に元ずいたイメージトレーニングをしておかないと、デメリットの方が先に目につくようになってしまったら計画の船はは沈没してしまう事になる。

言葉も週刊も感激度も違う外国の人たちに、日本人を相手にしてきた同じやり方で通用するものなのか。疑問に思うことがたくさんある。
なかなか直面することは、予想外がたくさんあるような気がする。
でもあまり難しく考えないほうが良いのかもしれない。
たとえば単純に言えば世界共通と需要と供給の基本理念から逸脱しなければ。
大ヒットとまではいかなくても、興味を持ってくれる人があるような気がする。

豪華な福良スズメ

それが日本人ではなく、外国人が対象と言い切っているのだから。
流れはどうなるのかは多少未定の所もあるが、きっと成功するような気がする。
家臣とは言い切れないような感触で感じる感激と感謝の気風。
まずはアイディアが勝負になると思う。

どうせ仕事にするのなら感謝されたい。
これが私の貫いてきた基本理念なのです。あんまり儲からなくても、粉飾決算をしてまでたてまえを通さなければならない会社ではないのです。

晴れやかな儀式に身に着ける着物になってしまった日本の民族衣装。
民族衣装と言い切るほどには程遠い衣装のような存在。
日本の決まり事や、モラルが常識などに固められた日本の着物文化を。
とても気軽に重々しくなく、より忠実に体験伝えられるかが。
私の最後の生涯を通したチャレンジだと思う。

今の私の一番やりたいこととなっている。

もちろん長年かかって道を付けてきたペットの宿の在り方も、捨てる気持ちはない。むしろ今まで以上に丁寧にやさしく、正面から対処していたい。
この宿は日本人を対象にしているから、日本で生まれ育った日本の家庭に居る家族というペットの存在が旅先に出ていても、そのものの憩いの場所で有ればいいと願っています。

犬の宿は日本人対象。
着物体験館は外国人対象。
その利用の範囲をはっきりとして、決してごちとゃごちゃに交えるものではないことを丁寧に説明していくべきと思っています。

留袖お袖の長い案テーク

しいて言えば細々ながらにも、経営している私の頭の中の理想が一緒だということくらいのもので、ぎりぎりの経営状態を引きずっている限り、著しい安売りもしなければ、極端なぼろもうけもしない。

それが現実なのです。

年間を通じての、宿の経営維持にかかる費用と運営経費。今年の大雪の後始末の屋根の修理費は痛かった。デモ安心安全のために修繕しなければならないところは修理費をかけなおしていく。直接の痛手に響いていくものなのですが゛何とか乗り越えて夏のシーズンを迎えました。
そのバランスがお客様に認めてもらえるラインで、持続経営できればいいなと願う程度のものなのです。

私の年齢では15年後とか20年後とかいう希望は、確約できないからです。
ただ今の現状をより優しくより暖かい気持ちでお迎えしたい。
ただ今現在の犬たちの行く先がないようなことにはしたくないのです。
できる限り、受け入れを断らないようにしたいから。そう思う限りです。


物価が上がり、仕入値段が上がり消費税が上がるさ中で、飛騨の山奥の片田舎の観光というポジションで、生計を立てるほどの給料も従業員に支払ってあげられず。
消費税もくっつけて値段をつけるより仕方なく。「やめてやるわー」と抵抗の声も上げられず。何にしてもこの国の言うまま。
なせるままについていくより仕方ないのです。

無理をしない程度に細々と地道にやっている宿なのです。
私の体と一緒でこの宿もそっと生きている程度なのかもしれません。

「働けば収入の足しにはなるのではないか」という程度のパートの世界を、脱することのできない程度で、小規模事業として存続している。「いつから、みんなこんなに苦しくなったのでしょうか。」お金の使い出がないのです。
それが現実です。


それでも家業としての仕事なのですから。
細々と持続して行こうと、努力しています。
会社組織にもしていません。女将という名のいち経営者なのです。
それが一番落ち着いているのかもしれません。
なじみ客に利用いただくのが一番、安心なのです。
お客様にとっても、「初めての宿」、宿にとっても「初めての客」は、素敵な出会いになる事が一番なのです。

どちらにとっても冒険に近いものがあるようで、特に、「ペット専用の宿の看板」を前面に出している私の宿屋は、「どうか無事一夜が負えてくれれば」と願うようなところがあります。

犬用おしぼり

相手にしているのは人間だけではないからなのです。
初めての所にいきなり連れられてきて知らない匂いの中に、おびえる犬たちにも、「安心していいんだよ」と声かけて、気に入られたい。
それが私の気持ちです。
ジョンノ家に立ち寄ってくれた犬たちに。「ありがとう。」って声かけて見送りしています。「また。おいで」これが私の気持ちだから。
そう思うのですよ。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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曇りのち晴れ、夕立あり

貯あり執大掃除

朝から曇り交じりの青空。昨日よりもぐっと涼しい。
昼間に夕立が降った。体が冷えたのかけだるい感じなのでお夕飯の家族のおかずを作ったら一休みしよう。そう思ってパソコンを開いてキーボードをぱちぱち
「わーしまった。クンクン何かいい匂いする。ころ芋が焦げだしている。」
なんかせっかく丁寧に何度も水洗いして何時間もかかって似たジャガイモのころ芋の甘辛煮が。後5分に詰めてというところで鍋が焦げ始めた。
慌てて水を浸したボールの中に鍋ごと鵜影におい取しています。

話は変わりますが静岡の電気策で家族が感電死したニュースのお話。
被害にあった家族ずれの方も、電気策をめぐらしていたおうちの人も。
気の毒な話だとは思います。決して珍しい話ではないことなのです。

動物が里に出てくるからと電気策で囲うのはよくありがちな話です。
鳥獣対策に電気策を使うのは、気持ちはわかりますが。
いつかきっと、そういうことあり得るだろうと思っていました。

紫陽花

畑の作物が荒らされてしまうから鳥獣対策をしたくなるのです。

昔電気策対策のほうが格段に安くつくのですから、太陽光発電の物やら安全気の付いたものやらいろいろ出まわっています。
しかし農家の物ならだれでも知っているであろう、知識ですしまた橋のそばの紫陽花の周りをぐるっと囲むというのは人間が触っても無理ないようなことです。動物が華を食べたり野菜を食べたりすることを防御するための意味なのでしょうが。
今回は大変なことになってしまいましたね。

私の畑でも狸にトウモロコシを取られないように、トウモロコシとさつまいもはフェンスで囲った畑の中で作っています。
私のところはイベント感覚の畑なので犬や子供たちにとって危険になるようなことはしていません。
しかし、作物を作ってそれを収入のもととしての生活の生業としている農家にとっては野の自然動物との戦いはとても大変なことなのです。

あちらこちらでイノシシやカモシカや猿やカラスの被害に、何十億円もの被害をこうむっているという話を聞きます。

飛騨でもジブリ料理にチャレンジするように解体できる施設を作ったからと、猟友会から話がありました。野生動物のお肉を食べるという習慣はまだいきなりというわけにもいきませんし、民家の近所で罠や鉄砲をパンパンやられたのでは大変ですので、もろ手を挙げて賛成というわけにもいきませんが。

遠くに見える乗鞍岳。

動物がクラス地域が狭められてきたことに違いはありません。
里に下りてくるから、人間はそれを嫌って動物なら怪我してもやけどしてもいいという対策がこれなのです。そして人間の家族ずれがやけどや死亡するということになりました。
電気策を張り巡らせた人は、まさか川に子供が電気策をひっかけて、落とすとは思ってもいなかったでしろょうし、川から電気が流れてくるなんては思いもしなかったでしょうし。なかなか大変な問題になりました。

余りにもありがちな事件に心が痛みます。
草刈りを少しでもサボると伸びた草の先が電気策に触っ他だけでも、
「安全弁が聞いて、すぐスイッチが切れてしまうので電気策もしょっちゅう張り替えたり、安いようで面倒なものなのだ」
そんなことを聞きましたので私は10年前に65万円の費用を出して。
私個人で皮に近いところの畑はフェンスで囲みました。

そしてサツマイモとトウモロコシはフェンスの囲みの中で作っています。
犬連れのお客様達が朝の涼しい散歩を楽しまれるのですから、当然電気策などは危険だと思っています。
夏の暑さが始まって土曜日にはもう少しお泊りのお客様が増えることでしょう。
台風は九州から日本海通り越して、外国の方に行ってしまえばいいのになーって思っています。

ズッキーニの収穫開始

大きくなりすぎたズッキーニをうりんこに皮向いて、お出しの利いた醤油とお砂糖で煮て冷たく冷蔵庫で器のまま冷やして食べると、変わった触感の夏おでんでたくさん食べられます。
一度やってみてください。大根のように大きく育ちすぎたズッキーニもこんな感じでやると食欲のない夏バテにはとても良い夏バテ防止になりますよ。ズッキーニの天ぷらは、ビールのつまみにはもってこいですね。
楽しい夏休みを過ごしてくださいね。
今日も、最後まで私のブログを読んでくださり、ありがとうございました。
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また、台風なんて。


遠くに見える乗鞍岳。

今日、ジョンノ家で、預かっていたすべての犬たちが、帰って行った。
どの仔達も飼い主さんの顔を見ると、「あなたが命のような泣き方」をして見せる。
そのあたりが飼い主にとってはうれしい事なのだと思う。

別にジョンノ家でだって辛い思いをしているわけではない。
どの犬たちも飼い主がいない間は、私に甘えて、ほしいものはねだり。
うまく現状把握をして順応しているのだ。
そういう意味では賢い子たちだと思う。

したいおしっこしはして、帰る時も、飼い主には飼い主さんが迎えに来てくれたことを体いっぱいで表現して、見せるのです。
だから飼い主さん達は、預けて行ったことに安心したり、愛犬との絆をさらに深めたりする結果になります。

わが家の犬たちは、「やれやれ、今夜は静かに眠れるわい」という顔をしています。
明日から乗鞍岳に行きたい人の小型犬を、預かることになっています。
山はきっと涼しい事でしょう。
山の素晴らしさを知っている人にとってはなんといっても別天地です。
乗鞍岳も穂高の山小屋も上高地のホテルも素晴らしい事です。
都会にはない贅沢なものがあります。

新緑の山々

今度の12号台風は、予報円で行くと九州のほうから日本を縦断するような感じです。もう勘弁してよという気持ちになります。
土曜日めがけて毎週やってくるのでは耐えられません。
25日の土曜日なんて夏休みが始まってちょうど、出かけたい予定の夏休みなのに。何がどうなってしまうのだろうと心配になるくらいです。
こちらは、ありがたいことにほとんどが、台風が来るぞという大騒ぎの前触れでも、あまり大風も吹かず、大雨にもならず。

この頃のお天気は、予定もたたない状態で、本当に困ってしまいます。

でもこの8時を過ぎたころから、そよそよと吹いてくる涼しいお天気に夏の夜の気温差が何とも言えない高山という場所ならではのだいご味のようです。
日中は暑いと言っても、幾分からっとしている山間の場所はそれなりの天然クーラーで夜が晴れていれば雲の流れや月夜に照らされた夜空の眺めや。
楽しみ方はいろいろです。

上三之町

何にしても暑ければ熱いで、クーラーの中で過ごす犬たちはのんびりしたものです。私のレオやジョンたちもそのお付き合いで暮らしていけることは何よりの幸せなのだと思っています。
忙しいと私の体も足が思うように動かせなくなってくるけれど。
できる限り頑張りたいと思っています。

犬たちの生活に飼い主さんについて歩く、アスファルトの道の上がどんなに大変なことであるか。
私はそんなことに気持ちが耐えられなくてジョンノ家を作りました。
沢山の犬たちを同時にあずかることは、無理ですが、せめてジョンノ家に相談いただきました犬たちの世話くらいはきちんと見てあげたいのです。
クーラーつけておけば一匹預かるも10匹預かるも同じことです。ただし個別でゲージに入る犬でなければ難しい事です。
管理ということが責任の一つになるのですから。
命をお預かりするのです。

夏だからこそ、犬が車の中で死にそうになっていることが、ないように。
守ってあげないといけないのです。
できる限りの子たちに救いの手を差し伸べてやりたい。
いつもそう思っています。

弁天荘ジョンの家から見る前景.jpg

今日も最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございます。
野菜がたくさん取れています。きゅうりもズッキーニもあっという間に、すごい大きさになってしまい、困ってしまいます。
野菜嫌いの人には、「長生きできない理由がある」というテレビ見ました。
野菜のおいしさを知ってもらいたいですね。
夏野菜のおいしさって本当にそうですね。健康にも美容にもいいのです。
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