年末年越し組のお客さまをお迎えして。

大テマリの花

今日は12月30日。
何と一年の過ぎ去ることは速いものだと思うのですか、みなさんはどんなふうに年末をお過ごしでしょうか。
おかげさまで雪のない今年ですが。
忙しくあわただしく過ごさせていただいております。
わたしはペットの宿をやっていてよかったと思っています。今夜もたくさんの犬たちがおとなしく眠っているようです。

わたしがなぜ女将でありながら、調理室に立ち続けるのかというそのあたりから少しお話してみようかと思います。
わたしがこの宿を増築したのは平成2年のころです。
昭和48年10月に父の始めた民宿を。家事手伝いのようにしてお手伝いしておりました。何も知らずに。一生懸命お皿を手洗いしていました。

そのまた昔をさかのぼりますと。私が高校へ通い出したころは、世の中は大学紛争の真っただ中で。フォークソングのはやっているころでした。
反戦歌の歌がもてはやされるような、そんな今から思えば青酢っい懐かしい、そんな時代背景のころでした。

多分このブログを読んでくださる人々にも、それぞれの時代が花開いたことと思います。今となってはなかなかひも解く事すら古めかしく。
過去の思い出はただ懐かしいとしか言いようがなく。
自分自身が重ねてきた歳つきすらも懸命に走りすぎてきた、思い出のひとかけらにしか思えないような。黄昏の夕日にも例えるべき、音すらも消えゆく次節に向かったのだと気づかされるこの頃です。

庭の石が気にも花咲きました

あのころ日本中の学校が木造から鉄筋コンクリートに代わるころでしたのです。
当初の民宿は学校を移築して少しデザインに手を加えてたような建物でした。
現在の母屋に渡り廊下でつないだようなものでした。

なぜかというと、当時「小学校一棟が、5万円で入札」できたのです。

もちろん落札したところで、約束期日までには取り壊して別の場所に移動しなければならないことは。必然的なことなのですが。

子供たちが毎日通う学校はより安全な建物でなければならないと。
誰かが言い出したのでしょう。
飛騨の山奥のわずかな土地に建つ。
コンクリートの建物にする。という大目標があったからにすぎません。
今となってはそれが最善の方法だったとも思いませんが。
当時はそれが一番の文化であり、最新の教育で有り。
斬新な箱ものだったのでしょう。

運命とは不思議なものです。どこをどうまがってか。
その取り壊す学校に縁がありました。
母屋のちょうど上手に何とも痩せた小石だらけのまとまった桑畑がありまして。
その桑畑にぽつんと一棟。建てたのが民宿弁天荘の中期の建物です。
昭和48年から昭和63年までが民宿弁天荘とお宿弁天荘にに変化していった15年ほどの時の流れです。
そのころにみっちり祖母からも母からも家庭料理は習いました。
そしてダメ押しに調理師の資格もそのころに取得しました。

反保母の種

私はは学校を5万円で一個買ってきました。
そして3000万掛けて使えるように移築して宿屋にしました。羽織の紐をもらって羽織を作るようなものです。5部屋ほどから始めた民宿から、本格的な宿屋として安くとも、数でこなす宿に、打って出たのです。
骨組み自体は木造の建物でも。其れこそそっくりリフォームすれば。
全く新しく壁も床も新しく建てたものと何ら変わりがありません。
合掌の棟組は小屋裏防火をして。コンパネを二重に張れば、かなりしっかりした床材になります。そこにじゅーたんを張ろうが、クッションフロアーを張ろうが張も柱も正板でくるんでしまえば、一瞬大きな柱とすら思えてしまう。
新建材に抵抗のない時代が、おしゃれという言葉と引き換えに。
そんな既製品だらけの、数を追いかける「チョイ宿の床にでもある半分セルフサービスのような形が前に。大手を振りながら進んでいきました。

スキー客を入れ、合宿客を入れ。子供たちの修学旅行を入れるのは、その程度の箱もので十分なのでした。そんな安くてきれいでという時代が求めるのはそんな建物でよかったのです。むしろ味のある建物のほうが敬遠される時代でした。

消費税が導入される前に。
これでは根本的に将来性は薄いと判断した私が。
「もっと私らしい建物を建てよう。」と言い出したのは、昭和63年の年です。
そのころ、私は、マイクロバスを乗り回していました。
大型免許で運転できるサイズの一番大きい物29人乗りのマイクロバスで。
にゅうかわグランドに野球チームやサッカーチームを朝昼晩と送り迎えをしていました。自動車学校で大型面気を取得している間一日に一時間足らずではせっかくあけた時間がもったいないと。大型特殊のベルローダーの免許も取得しました。
あたまの上かバケットのアームがついた、大きな二輪車のフロントガラスから見る自動車学校の敷地内の、交差点は爽快なものがありました。

其れまで2500万円借りては、5年程度で管財し。
次に3000万円借りてまた6ねんか7年で完済し。
同じ敷地の担保を入れたり。ぬいたり。
まるでゲームのように。
「シーズンにアルバイトを留めておく棟がないので」と。
其れじゃぁ「あと5部屋ほど作ればいいかなーっ」て思い。
500万円程で4か月で建てさせたた建物もあります。

レンギョウの木も雪で押しつぶされて

ジョンノ家に行くまでの格好の悪い建物。
8月にその年のスキー客の予約団体を取って、旅行会社廻りをしていましたら。
何とも人手が足りません。
「其れじゃ学生さんにスキー場の一日リフト券を最終日のご褒美につければ気軽にアルバイトしてくれるかなー。」
そんなことおもいました。そして客とは離れたところに寝床を作りました。
世の中がそれほど豊かではなく頑張れば目標を達成できる時代でした。

アルバイトニュースなどの小さな雑誌が飛ぶように売れた時代です。

走って走ってはしりぬきました。空っ風の中を転がる木の葉のように。
昼間はセイター着て農協のAコープに買い出し。
夜は小紋や紬程度で宴会場の挨拶。
料理運び。そして一人一人の席へお酌して回り。
2時間ほどの間に着物ぬいでスーツ着たり。いそがしい事。でも楽しかった。

わたしにとって着物着てお酌することは。何でもない事でした。
翌日またスキー場へ。スキーのツアー客乗せて走るのですから。
カラフルなジャンパーは追って。男よりもかっこよく。

何のことはない衣を鎧に変えて、戦いに行くこととはなんら苦になるものではありませんでした。むしろ面白かった。
自分の船を信じて、漕ぎ続けることは何ともスリルと冒険の夢の中に自分のありかを探すということなのです。
作業はとても楽しい事なのです。あのころは若さがあったから。若さという怖いもの知らずの無謀さは何でもやれて。何でも口にできる。それが恥ずかしいほどに若いというあかしでもありました。

経営方法も理屈も何も飛び越えて一人身の若さというものが、はち切れんばかりに
その面白さの延長でこの「旅館弁天荘」が建ちました。
父に頼んで120年くらい前に。曾祖父が植えた檜山から、手ごろな三方無垢の檜を何十本か伐採してもらいました。
地元の風土の中で育った木は、一番その地域の四季の中で年月を重ねても息をするかのようにただ図んでいけるものです。
黒ずむこともなく。其れなりの愛着を持って、樹木の生命が残されていく。

異質な外材を取り入れて、バンバンたたいて作るのとは違った。
持ち山の木を切り出すこだわりで。
森林組合の伐採チームから始まり。きこり。運び出しの索道。
楽しみながら製材して。材木が柱になり板になる。
この喜びは家を建てた者にしかわからないわくわくするプロセスです。
散々設計士にも建築会社にも。
「それでは私のやりたいことができない。人の作った既製品ではいやです。」
と言い続けて大見得切ってとびだ゛していった舞台だったのに。
さあ走ろうと助走してこれからという時。歌舞伎の馬の役の前足が花道をのリズムよく、けっているうちに。バブルがはじけました。

しかし考える時間があって。よかったのかもしれません。
そこにはは回転してまだ間もない小さな宿の誕生から。
いきなり自滅するジェットコースターのような、エンジントラブルを知ったのです。そういう危機感が私に考える知恵を授けてくださり。

しかし不思議なものです。神様は本当に信じる者の所には立ち寄ってくださる。
救いの手を差し伸べてくださる。
時代の中に「始まる。犬の世界」がありました。
私のひらめきが瞬く間に風をおこし。
地元での変わり者も、遠くから通ってくださるお客様に支えられて。各局のテレビ局が私の方針をただで宣伝してくれました。
時代の追い風が、背中を押してくれました。

小さな蝶々でも。気流に乗ってアルプスを越えて羽ばたけることを知ったのです。

しかし、私の宿の在り方が落ち着いて順調に回り出したころ。
母が乳癌で亡くなりました。上がれば下がるそれが人生なのかもしれません。
そして父の悲しみが母の面影を残す私に注がれて。
祖母の地道な懸命な姿が私の中にあり。
父は、娘の私にどっぷり甘えて。
自分の好きなことに夢中になって行きました。
青空に桜吹雪

弟が。「いつまでも都合の良い。飯炊き、洗濯女として姉貴をそばに置くのはどうかと思う。一度は反対する理由がないのなら。結婚することは認めてあげなければいけない。」
その一言で、独身生活に見切りをつけて彼と私は結婚しました。

彼のもとに走ったのではなくて。
彼を家を継ぐ「私の婿」として一族が両手を広げて迎えたのです。

そして彼は鳴り物入りでわが家の主の席に座りました。
集落の集まりにも彼は「森のはんてん」を着て、出て行ってくれました。
きっと窮屈で。居心地の悪いものだったことでしょう。
外とすぼまりの内広がり。外面のいい男は、中では意外とやんちゃな者です。

「まどろっこしいお食事処なんて、やめちゃいなよ」どうせ夫婦げんかのもと造るだけなんだから。そんな天の声がその時も聞こえたような気がします。
そして半年で「お食事処弁天」から「弁天荘ジョンの家」に改装しました。

お茶目で天真爛漫の朗らかさは。その場の席の笑を共感して。
愛称はいいのだろうと思ったのは、お互いの錯覚だったのです。
だから生きるために、亭主をカヤの外にしました。

からっとした夕立の後の晴れ間のように。比較的周りのみんなに受け入れてもらえたからです。
でも亭主として隣の座布団に座る人は、何かといちいちブレーキを踏んできます。

私は自動車学校の教習車に乗っている気分でした。
お商売の事も農業の事も何も知らない、都会のサラリーマンが。
私の亭主の席に座り。いつもブレーキを必死でかけていました。
それが役目であるかのように。
そのくせ亭主ががやらかす失敗のしりぬぐいは、みんな私がしてきました。

ジョンの家で「犬を逃がしてしまって」やくざのような脅しをかけられたときだって。理不尽すぎる「犬への愛情という理屈が」前に立ちはだかり。
逃亡した犬が発見されるまで。地獄のような年末年始を過ごしたこともあります。
望んで連れてきた人でしたが、私の亭主は気が小さかったのでしょうか。
私もその性格が写ってしまったようで。

明るかった性格の私がだんだん暗くなっていきました。頭一つ出ると出分だけたたかれます。たたかれた釘は柔らかい板なら押しのけて入って行きます。木の性質が固いと釘のほうで曲がってしまうのです。
いろんなことにチャレンジするのが楽しくて楽しくてしょうがなかった、長い間体験してきた娘時代とは。
手のひらをひっくり返したような感性の違いが見えてきました。
水仙さきました。

暗い影を引きずる黄昏の光の中に、お互いがあり方の理想を見違えてしまったのかもしれません。
生活と恋愛とは全然別のものという重大なことを。

私は多くの知人友人親戚縁者を呼び。
盛大なパフォーマンスをしてしまったのです。
結婚式という神様まで巻き込んでついた誓いの言葉。
「ハーイ。あれはなかったことにしました。」その一言が言えなくて。

結婚とはちょっとした事業や、起業よりもはるかに難しいものです。

そして誰にでも浮き沈みはあるというもの。
「其れを言ったら、おしまいよ」という天の声が聞こえて。

わたしは言い合いには、自分自身が一番疲れること。
よく知っていますから。
冷たい言葉を投げかければ氷のように冷たくイガイガの傷だらけの言葉が返ってくるものです。だから早めに白旗あげて。降参することにしています。

すぎの木を巻にする予定で干しています。

若いということは。其れだけで勝負に勝ったようなものです。
若さというものは年相応にあるもので。20代には20代の若さ30代には30代の若さがあるものです。
そして50代にも60代にも。ふさわしい年輪の若さがあるものです。
生きてきた日々の暮らしの中で切りとって。なかったことのようにできるものなら。「私の40代から50代が」なかったことにしたい。

そこが苦悩の曲がり角だったかもしれない。そんなことを思う日もあります。
男の人は30代から40代に迷うものらしいですが。
彼もまよってわが家に来たのでしょうか。そして私の隣に暮らしていたのでしょうか。 亭主の7回忌。後は13回忌までお休み。

おかげさまで一人身の独身の、成れの果てのお一人様ではない。
後家さんという田舎社会での社会的地位を得ています。
「哀れな、後家さんという役どころ」をうまく演じきれない。
私なりの、ありのままは、ちょっぴりどこか普通とは、はみ出していますが。
だから夢見る少女に戻れるのです。

でも私はとても楽しい人生を歩かせていただきました。

本当に。
この壊れかけた重いい肉の塊を引きずって、もう少しだけもう少しだけ。
歩いてみようって思っています。
犬たちがいろんな明るい気力をくれるから。
猫のしなやかさとも違う。あの犬のバカ正直さと。賢明な姿に。
切ないほどの前向きさを、感じるから。

何か楽しいことが、まだそこに落ちているかもしれないから。
カサコソット足跡についてくる枯葉の音ですら、木のの葉をめくってみるとそこに、天然シメジの株が枯葉を持ち上げるように。生えているかもしれません。
それが生きているだいご味かもしれません。

そう思うと、なだらかな山道を下って行くのもいいものです。
景色が見えて。木漏れ日の中にいろんなパワーがあるのです。
そして自分が、「今」という時にしておかなければならないことが
一つ一つ見えてくるのです。
どうやったらこの橋を渡れるか。しゃがんでみたり、ちょっとだけ背伸びしてみた
り。
方程式を解くように説明はできません。
今までがどれほどの付加価値なのか。

これから先がもっと自分を究めるものなのか。
只、やりたいことの袋のチャックだけは開けておかないと。
開けた袋を閉めるめる事が、いつになるのかわからないのです。

山菜のてんぷら

只。人生は行き当たりばったりではありません。
そして走りながら考える時代も過ぎ去りました。
もう私には、体力がない。日々を流されないように。
「いつまで生きていられるでしょうか。私。」
そんな目で父の背中を見送っていることあります。
限界集落の中に、沈む夕日を見ることもあります。
そこに暮らすことは理屈ではないのです。
そこの土になっていく事なのですから。

次に芽吹く者のために。そんなこと思います。
自然に沿った生き方をするために。


愛する犬たちや、猫たちの最後すら見届けられないのかと思ったりする日もあります。除草剤の散布していない大地に座り。心地よい風に吹かれながら。

わたしは犬たちや猫たちに囲まれて穏やかな癒しの気分に浸りたい。
生活苦にあえぐこともしたくはないけれど。

野に咲く素朴な美しいものを。美しいと眺められる人で有りたいと思っています。
だから来年の桜が咲くころには、農協の大型トラクター入れて。
「また一年。生き延びる種をまこう」なんて思っています。

犬や猫たちを、これ見よがしにする人は悲しい気持ちで見ています。
人間も犬も雑種のようにたくましく。

骨身を惜しまず、馬鹿になって生きて行ければいいですね。
それが現状で一番崇高な自然にそつた、生き方なのではないでしょうか。

ふきのとう

田舎に生まれて田舎に溶け落ちて行けることを、幸せに思っています。
誰にでも宝物のような思い出はたくさんあるものなのですが。
金平糖の袋を破った時のような甘い小さな粒が脳の中に広がって。
いくつになっても天真爛漫な少女のように。
おしゃべりしていられる自分の幸せをとてもありがたく感じます。

これで、今年が最後の一日がはじまろーうとしています。
長いブログに、いつものぞきに来てくださりありがとうございます。
12月31日の夜も更けていきます。このブログは誰でも日本中の人々が見れるブログです。私はこんなふうに生きてきました。「そしてこんなふうに夢」を見ています。という長い物語の事実のの1ページでしかありません。

最後までいつもありがとうございます。良いお年をお迎えください。
次のブログは新年になってからです。次は過去ではなく、未来を語りましょう。
では「ブログ書いておきました。」義務感を果たした感覚で。
もう寝ます。明日も頑張りますので。
よろしくお願いいたします。
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「じゃらんさん」も「楽天トラベルさん」も取引やめました。

弁天荘全景夏

皆様。
年の暮れをあわただしくお過ごしと思います。
さっそくですが、弁天荘はネット旅行の「じゃらんさん」と「楽天トラベル」さんの参加をやめましたので。その旨をお伝えしておきます。

弁天荘はお客様に納得のいく料金で。
今までと変わりませず、安心してお泊りいただきますように。
これからの消費税などの諸物価の近未来の状況に備えて。
弁天荘は独自の販路を求めて、努力の道を歩いていきますので。
どうぞ末永く変わりませぬご支援をください。

25-5-30花とレオン3枚目.jpg

相次ぐ飛騨牛の値上がりや食材の値上がりに対しましても。
質を落とさない料理で、今までと変わらない経営をしてくためには
このたび思い切って「ネット旅行会社さんたちに、弁天荘の宣伝販売から退いていただくこと」にいたしました。

そしてさらに、隣の敷地内に「着物体験館」ももっています関係上。
弁天荘でなければ、できない斬新で楽しい企画を試み。さまざまな角度から犬連れ旅行をさらに楽しく体験していただけるプラン作りにも、チャレンジしてまいりますので。こうご期待ください。

まずはこのごあいさつに代えまし、2015年度の御礼と来年からの弁天荘の経営姿勢とさせていただきます。
どうぞ、深いご理解をよろしく願いいたします。

お支払いは。ビザ。JTB。UC。マスターカード。TS3他、ほとんどのクレジットカードのお支払いも受け付けておりますので、お気軽にご利用ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

公式ホームページのネット予約サイトを時々遊びに来てみてください。

また「女将の独り言」のつぶやきブログにも、大変おおくのファンの皆様にお目を通していただいております。重ねて御礼申し上げます。

忙しくても暇な日でも、できる限り書いていきますので。
「只只。変換調整不足の未熟なブログ」ですけれど、お付き合いくだされば。
たいへん励みになってありがたいと思っております。

どうぞ弁天荘公式ホームページの予約版の方へお越しくださいませ。
いろいろなプランを整えて皆様のおいでをお待ちいたしております。

いつも御拝読ありがとうございます。

63歳私
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年末の食材の仕入れ。

JAにゅうかわAコープ

年末の食材の仕入れに先日JAにゅうかわAコープに注文していた食材が配達して来てた。軽トラックに山積みいっぱいなので一気におろされても、調理室はてんてこ舞いになる。

何がどこにあるか後でわかるように整理しておかないと。忙しいときにパニックになってしまうので、第一便の今日の管理の仕方で後の段取りが違ってきてしまう。

タマネギのダンボールだとか。日本酒のケースだとか。
砂糖やしょうゆの調味りょょうから、サラダ油のペットボトル。
お米など。重くて片手では何ともならない物ばかり。
なかなか運ぶだけでも一苦労があり。

背か高くアルバイトの茂住君は、上の方にひょいと持ち上げてしまうので。
なかなか油断がならない。
椅子に座って。それはこっち。
あれはそっちと言っているだけで、十分仕事をした気分になってしまう。

今朝。酒屋さんが持ち込んできた瓶ビールのケースと、生ビールの樽がまず行くべきところへ運んでもらってからの事になる。「茂住くーん。」と叔母が呼んでいた。茂住君。久しぶりに出てきて大活躍だ。

今日からぽつぽつと毎日年末組のお客様があって。これからが上り坂。
12がつ31と1月2日までがピークが続き、4日くらいまでは下り坂になるがそれでも気が抜けない。
10日までは客数は、減少はするものの、お正月客しててのんびりと過ごして行かれる。

上二之町の風景

明日もち米を5升ほどふやかしておこう。8時間ふやかさないと。
餅つき機でいまは簡単につける。28日は正月用の餅つきの日。
もんやりとしたもち米にするには、蒸すことができないので。

粉雪が舞う寒い本格的な冬景色が始まったのだ。積もるだろうか。
JAの灯油宅配便のトラックがやってきて。
今日から旅館の周りと、ジョンの家の灯油タンクに満タンにしてもらうようにした。寒いので油代を惜しむというわけにはゆかない。

12万円くらいで済むだろうか。去年より気持安くなったのでありがたい。
けいこう管にも満タンにして、10本くらい入れておいてもらえば。
何とか年内は持つだろう。来年用に年の暮れ30日に、もう一度タンクに入れてもらえばいいと思う。

10万キロのボイラーをたき続けることはとても大変なこと。温泉ではないのだから。人数が少なくなったら、家族ぶろに切り替えて入ってもらう。
冬は水が冷たくて、氷直前のような水道水を1月10日までの旅館営業する。
後はおなじみ様が週末に、ぱらぱらおいでになる程度で春まで。
夏に比べれば正月すぎれば。冬の期間はいつだって貸切旅館のようなものだ。

今日の予約のお客様が、到着なさらないうちに。
廊下を掃除機かけて食時処のお部屋も整えてもらわないと。
自分ができないだけに気が焦る。
そういう私も昼間から、パソコンの前に座ってブログ書いたり、しているのだから。これが私の1日の仕事の合間の時間で。
毎日の時間の中で、瓶のふたをするような習慣になってしまっている。
習慣って恐ろしいものだ。堅苦しい経営理論や、新しく発表していくしていく、経営センスなんかではなく。カウンセラーやアドバイザではないので。
日々の身のまわりの事を、つれづれにお伝えしていくことが。
一番の基礎点だと思っています。
むかしから何でも一通りは自分でやらないと、まったくの人任せにはできない性格の人なので。いろいろ。経営に関してやらなければならない仕事には、手を出したくなるのです。

写真屋さんから、レジカメで写したメモリーカードの中の写真が戻ってくると、大騒動になってしまう。大量のプリントアウトした、宿泊記念の思い出のお写真。
写真を並べ替えて2年間の展示が終わると、今度はアルバムに並べ替えて。
そんな地道な作業をコツコツとやる。
マメに整理する仕事を、何日も何日もかけて作業する。

それでもお客様が廊下の端っこで「有ったーー」なんて。
大きな声を上げて子供の用にはしゃいでいらっしゃるお姿を見ると、陰の仕掛け人の私としては。にんまりしてしまう。

調理室の大掃除

もともと「旅館が育つ場所ではない」という人々の言葉を尻目に。
日観連の旅館を建ててしまった。
「やってみたかったから。」理想のままごと遊びなのかもしれない。そんな程度でとどめておいたのが。今になると救いだったと思う。ただ、わたしを突前おそっった美雨季は予定外だったが。
そのうち日本観光旅館という組織すらなくなって。こんなはずではなかったとドキドキすることもある。今度は心筋梗塞か。主治医に言わせると。「只の太りすぎではないの」などと言われる。笑ってしまうが、笑い事ではない。

メインバンクの、銀行の支店長さんの歓送迎会があった時。
私は銀行さんとお付き合いしていらっしゃる人たちは。
みんな恰幅のいい社長さんばかりだったので。
恐れをなしておとなしく宴会の座の列のはしっこで。
チョコンと着物を着て座っていたら、食品総合問屋の社長さんが、宴会も半ばころになりみんなの差が崩れてワイワイしゃべりだしたころ。

私のところに、はしがみのこぶ結びが届いて。
「頭取を紹介しておくから、名刺持っておいで〇〇」
なんて走り書きしてあった。
周りを見回すと食品総合問屋の社長さんが、私の方を見て小さく肩のあたりで手招

私はそのはしがみを帯の間にしまって、とりあえず膳のうえにあった生暖かいお猪口を持って座った。
「いつもありがとうございます。」頭を避けて挨拶すると。

社長さんが「和歌ちゃーん。紹介しておくよ。この人が〇〇銀行の頭取さんだよ。名刺頂戴しておきなさい。みんな偉そうに背広来てがん首並べているがなあ。なんといったって、この宴会場の中では、この人が1番えらいんた゛よー」

にこにこして、総合会社の社長は席を立って行かれた。
転勤が決まった支店長に「よくやつてつてくれた。ご苦労さん。ご苦労さん」
なんて握手した手をポンポン叩いていた。皆、にこにこした男たちの戦いなんだなーと。アンテナがあちらこちらでくるくる回って、「高山めでた」を唱和して。歌い終わると座が砕けてから、酒の勢いも進み本音が出る。
それが飛騨のしきたり。酒の場で決まり、酒の場で事が進む。
よそから来た人は何のお経が始まったかと驚く。
これが襟を正した会合の昔ながらの格式のある宴席の流れだ。しきたり。風土それを言えば、ようは現存して脈々と続く村社会なのだ。

40代は入ったかどうかと思われる頭取りさんは、「そうですか。うちの資金を使って増築していただいたのですか。頑張ってください」と言われて。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
お酌をしてぺこりと頭を下げて後ろに並んでいる社長さんに場所を開けた。

わたしは事業家というほどの者ではないが、まさしくあの席を連ねている人たちは
小さな山里の町での事業家という肩書の人たちだと思った。
高山が発展の途上の時。街の活性化があり。今も変わらず老いたるものは死に。また新たに野望を持つものが頭を出し。繰り返してさざ波が打ち寄せている。
今とは違った形で活気づいていた。

そのころの私は、場違いのマスコットだったのだろうか。
目を光らしている人たちがいる中で、旅行会社の集まりの会の中でも。
いつーの間にか、私と正恵さんと澄子さんがいつも出てくる顔ぶれとなって。
私たち3人がいるところに、ホテルの社長さんや総支配人達がが集まってくる。
いつもその輪の中は笑い声でいっぱいで。酒も進み。余りにも格差がありすぎて誰も私をライバルだなんて思わない。そんなところだろう。
行儀よくして座っていすれば誰も然りもしないし。いじめもしない。
楽しそうなところへは、旅行会社の社長さんも。
足を楽にして、まるでお友達のような感じでお話をしてくださる。


栗とすすきを行けてみました。

そんな和気あいあいの中に、高山の街に観光という周りを巻き込む楽しげな渦が吹きぬけて行ったのです。それが昭和45年ころからの観光ブーム

勢いのある宿の主達は景気のいい話で周りを朗らかに笑わしていた。

次から次と増築したり改装したり。お客が来るから増築する。
増築して規模が大きくなるから、また客が来る。
昭和65年から平成7年ころまではバブルがはちきれたと言っても。
その不景気感は田舎はおくれてはいつてくるりので。
笑顔という男はスマートにスーツを装着し。
商戦の登り旗がたなびいていました。

街角の雑貨屋の小さな登り端ではない。
「150億かけて20室しか客室持たないんだと」とか、
「50億欠けてあそこのホテルは和室ばかりの館を建てたのだそうな」
そんな背筋がぞくぞくする、話が漏れ聞こえる宴会場にも、コンパニオンではなくにゅうかわにある。小さな宿屋の娘女将として席を設けてもらえた。

何物にも代えがたい社会勉強だったと思う。
あれは28歳かか29歳のころ。
バブルがはじけてから。
さらに大きく投資した宿は、指折り数えるほどだが高山にも下呂にも奥飛騨にもいくつかある。
其れなりに個性を出して。経営方針を崩さず。
経営理念をより高い位置に置き。ほこりと崇高なる信念のもとに。
わたしは多くの仕様線という戦いの湖に行くまでの、車が通る水たまりで、ぴちびちゃと遊んできたかにすぎないのかもしれないが。

でも楽しかった。仕事が面白かった。
私を夢中にさせる何かがあった。

父の大事に育てられてきた「弁天荘のやんちゃ娘」を長い事やっていられたのは、父のおかげだと思う。
世間に小さな弁天荘という看板背負わさせて出してれたのだから。

子供が1歳になると背中に背負わせて歩くこにを大喜びする家族の儀式のように。

彼女たちは子育て中の奥さん。私は世間知らずの怖いもの知らずの田舎娘。
澄子さんは旦那に先立たれた未亡人だったが、大きなドライブインで時の風邪を切ってお付の運転種を持ち。時々町で見かけるとトヨタのセンチュリーの後部座席に座っていた。
車のウインドーおろして。
「あらー和歌ちゃーん。ごくろうさまー。がんばってねー」
なんて車から降りもせずに、声かけてくるような人だった。

あんなに羽振りよかったのに、とっくの昔に倒産して。
今は住所不定とか。
落ちていく者と登って行く者の差が見得てくる。

「驕る平家久しからず」「実るほどに声辺垂れる稲穂かな」ともいうが。
商売。事業。生臭い熾烈な戦いでしかない。
今は日本中が戦場だと思う。全国チェーンの大大名と田舎の地方都市の外様大名たちの戦い。スタバが高山駅西に予定され。全国チェーンのホテルが次から次と進出。そして角度を変えてみれば。介護施設も次からづへと雨後の竹の子のようにできている。宿屋より。老人相手の方が儲かると舵を切るのか。
その昔、宿屋もあっという間に増えた時期があった。時代のうねりというものは、常に流れている。それが流行なのだと思う。

今ネット時代になり。
旅行会社の会合もあんな感じでで、続いているのだろうか。

今はもう旅行会社とは縁のない、独自の販路で生活するやり方にしているので。
マイペースで好きなように歩いている私。余り耳元でささやくことには耳を貸さず。人は人。私は自分の目線で自分の宿に根を付けている。
そこの場所にあった料金。施設にあった対価をいただくようにしている。
それが私の正直さであり、わたしらしい人柄だと思うから。

正恵さんとはもう何年来のお付き合いだろう。

本当に悩んだり困ったときに2振り返るとそばにいてくれる。
彼女は「大事な友達は指の中に、数えるほどでいいのよ。」と、いつもそう言う。

品なことばを思い出すと、なんかほっとして。


苦しい胸の内を打ち分けた時は、何気ない一言二言のアドバイスが。
わたしの瞳からこらえきれない、涙がハラハラと涙が流れる。

悔しい涙ではない。
お金に困った。途方に暮れる涙でもない。
なんだか、峠道を歩き続けて来て、
やっと明かりのついた家が見えてきたような。ほっとする涙なのだ。

絶対信用ができる友達っていいものだなーと思う。

豪華な福良スズメ

だから子供の用に。
手をつないで歩いているような無邪気さはないけれど。
ねたみも嫉みもなく。心から慰めたり励ましたり。
そしてそれぞれ痛みに感じる場所が違うので。競合することはなく、泣き笑い人生を慰めたり励ましたり。

上から目線の鮮やかなボタンの花のようなすみ子さんと、京都のど真ん中からお嫁に来て、気配りすることが仕事のようにやって行く、カトレアのような正恵さんと。なぜかこの、「3ハバトリオ」となずけられた仲良し3人組。
あっという間の昭和という時の流れかもしれない。
なぜかいつも仕切り屋は私だった。友達だからと言って。

〇お金の貸し借りはやめましょうね。
〇授業員の取り合いはやめましょうね。
〇知恵は惜しまず貸しましょうね

これが私たち仲良し同盟の3か条にしましょう。

海外旅行に行く途中の電車の中で「そいじゃ指切り玄まんね」
わたしは明るくてお茶目でちゃっかり屋さんのそんな娘だった。
歳だってばらばらの先輩たち。

22歳の時から父は村内は父が出て行った。広域の高山集合の同業者の会合には。
私を出してくれた。
私はそんな大小の宿屋の社長や専務や奥さんたちの間で育った。

親はご飯食べさせて服着せて、学校出して教育して。
そうやって社会に出すまでが゛親の務めなのだから。
いつも父はそういっていた。社会で生きていく力は社会の親に学べ。
お前は宿屋の道歩き始めたのだから俺には何も教えることはない。

「襟を正して皆さんから学ばせてもらってこい。」
襟を正してとなると、この響きは重い。
だから会合には、必ず着物を着て行った。
足がしびれる中を。じっと我慢なしていた。

夏に向かって若草色の色が濃くなり

あれから何十年の時が流れて行っただろう。

ロビーで賑わしい犬たちの声。プードルが3頭。ボーダーコリーが1頭。
「きたよー。来たよーと騒いでいる犬達」ここが犬の宿の醍醐味。

めったに出ない私がロビーに立った。

茂住君はいつ荷物を押して行ったらいいのか、様子をうかがっている。
叔母はロビーに座り込んで、トイプドルたちを、なぜている。
4頭の足ふきが終わって。
「どうぞどうぞおあがりください。」と、お声掛けしたら。

「お前。あれを」というだんなさんの声。
と同時に奥様のバックの中から。「赤福の菓子折」りが出てきて。
「マアー。お気使いいただきまして。ありがとうございます。」
私のくちゃくちゃの笑顔の中から弾んだ声が響き。
今日も、フロント通過の儀式は済んだ。

今日から年末にかけてずっとこんな光景は続く。
モロゾフのチョコレートの箱もらったり。
東京のヒヨコもらったり。
京都のおたべもらったり。
いろんな各地のお菓子いただく。ありがたいことだとおもう。

ちょっとしたものでも、お菓子持って泊まりに来てくれるお客様。
その気持ちがうれしいと思う。そのあたたかい心がうれしい。
旅行つて。宿代支払うだけでは成り立たないのだから。

そしてわが宿はそんな庶民の気楽に行ける。
くつろぎの宿であることがうれしい。

あずきな山菜

わたしが40年かかって作ってきた。
私の気持ちと同じラインにいらっしゃるお客様のすそ野が広い。
本当に仕事は楽しく進めていられる。
「いつまでもパソコンなぶっている場合じゃない。」と叔母がぶつぶつ。

そろそろお客様のお料理作らないと。
仕込みはしてあるのでいいとはいえ、ちゃんと確かめたお料理作らなくては。

女将兼。経理部長兼。板長兼。隅から隅まで、みんな私の宝物のおもちゃ箱。

そんなおもちゃ箱の中にはいって過ごす日は一日中、どんなに忙しくても楽しい。
そんなわけで今日のブログは終わりです。

今日も最後まで私の昔話に付き合ってくださってありがとうございます。
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年賀状



弁天荘玄関前

年賀状は昔は200枚ほど出していた。もっと昔はそれこひーそ印刷して1000枚ほど。こうなると年賀状というよりも単なるDМの世界になってしまう。
この頃では、何が人の心に届くのかなと思うことがある。
何か月並みな定番の儀礼的なあいつを入れてそのあとお元気ですかとか。今年もよろしくお願いしますなど書き込むのがせいぜい。
今年は悩んでいたが30枚ほど買ってきた。

要するにや仕事関係以外で大切にしたい親戚や友達の数を30枚ほどにしたいということなのだ。
名に飼ういろいろ焦ってしまうが、あて名書きが終わって、表のご挨拶とチャームポイントの今年のエトウのサル。どうしようと思っていろいろ構想は熱てみるのだが。ゴム印では面白くないし、パソコンではなお面白くないので、布でもはりつけてみようか、と思います。一日が短くて、あっというまに日が暮れてしまいました。なかなか難しいものですね。

地域が冷え込んでいます。どんちゃん騒ぎして騒ぐ忘年会の、宴会のマイクロバスの送迎の姿も見当て足りません。
雪が少ないのでみんな息をひそめているのでしょうか。明日から明日からと天気予報は言いますが。雪などは降らないではありませんか。
「土曜日においでそれまで自宅待機。

弁天荘中庭

スタッフを一堂に集めても私のお財布方が痛むだけなので。
出勤を順番出勤させています。長期アルバイトの茂住君が、土曜日に出てきてくれます。「女将さん。順番に使っていって後でまとめてたたんでちゃんときれいに部屋を掃除しますから。それでいいでしょう」
というので。まあどうせお客様のお布団は慌てて押し入れに入れるより乾燥してからのほうが管理上はいいので。うん。それもありだね」って許可しました。

廊下だけはそんなわけにもいかないので掃除機かけます。
杖よりはじっとしていないし懇切とのゴムが絡んでしまうし。本当に言うこと聞かないだだっこを連れて回っているようです。

雪はなくても寒いので困ったものです。足が冷えてむくみます。
昨日はメリークリスマスのカーどもらったり。電話もらったり。
ななかなか忙しい事でした。
今日は今年最後の危険物収集の日。
ごみ屋さんが回ってくるまでに館内から集めて出しました。

こんな私の独り言でも。
楽しみにして読んでくださる方があるのだと思うと、誤字脱字がないように。
もっと丁寧にと思って見直すこともあります。

火が出るほど恥ずかしい、意味不明の返還になっていることあります。
パソコンというものは困ったものですね。困ったものは、恥ずかしげもなくだらだらと文字をぶちまけている私となのかもしれません。あっハハー笑

気が付いた時過去のものも直していきます。
なるべく毎日続けて書こうと思うものだから、文章が荒いのです。
これではとうてい、物書きにはなれませんね。
物書きになろうとは思っていません。年取って体が動かなくなったら読み返して日々の思い出をまさぐりたいから。

私の気持ちを伝える手段としていつも、ブログを書いています。
出入り業者さんは、フムフムまだこんなこと「女将が書いている限り」弁天荘は健在じゃわい。「頼まれた修理しておくか。」そんな目安になさいます。
同業者さんは樽井気付いている私の文章見てどこも同じ景色カーなんて安心なさいます。弁天荘のブログ読んで「隣の畑の出来具合を知る」目安になさるし。
かわいらしい緑と銀の結び帯
肝心のお客様は、季節のの情報や何か面白いこと始めたかなどの下調べに使われます。第一私の思いに共感できない人は。
弁天荘を選ばない。
そんなことが見てもらうことを前提につぶやいています。

時々「ブログいつも見ていますよ」なんてお菓子の箱もらいます。
そういう時って「本当らうれしいものです。」

私はお澄ましして、整えられた上品を前提に出すことは大嫌いです。整えられた桐の箱に布きれに包まれて収まるようなことは私はいや。

はっちゃけて生きてきました。
お茶目でお転婆でおきゃんな娘時代を過ごしてきました。
お茶もお花も料理教室にも通いました。そして一番長かったのが和裁所。
父は弟の大学に行かせるほどの事は私にも掛けてけてくれました。
だから田舎の中でもはちきれて生きて来れたのだと思います。
ギャップのある生き方がしたいと思って一生懸命楽しみながら走り続けてきたのです。私だけの道を。若いときはとても楽しかったですよ。バスの運転席から見る高級車はおもちゃみたいに見えました。バスが「はたかではいやー」とバスに車庫作ってやりました。「トラは死して皮のこす」今は農機具庫です。

そしてこれからも気取らない、優しいおおらかなおばあちゃん目指して「レッツGO!!」ですね。
これからもうれしいときは目を細めて、顔をくちゃくちゃにして喜びます。

青空に桜吹雪

本音で喜怒哀楽に生きていますので、ストレスはめったにたまりません。やりたいことはやりたい時すぐやる。しゃゅみが道楽が思いになり。
時々暗く沈むこともあります。其れは人生の交差点で迷った時。
でも手を控えて行ってもらっては嫌なんです。自分の足で歩かなければ。
自分の館ですから自分の好きな道のお客様に来ていただきたい。其れだけです。
今日も最後までありがとうございました。
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私の旦那様と別れた時。

大テマリの花

車いすで退院した私は、懐かしいわが家に帰ってホッとするもつかの間。
「こんなふうになってしまって。どうする気だこれから!!」

まず私の愛する旦那様は、そういう言葉を投げつけてきた。

「どうするって。このまま宿を続けていくのよ。みんなも頑張ってくれているし。左手はもう、ちょっとだけどきっと練習すれば、きっと治るわ。右手は。ほら何ともないでしょう。」そう言ってぐうちょきばあをして見せた。

それから一週間たったある日の晩。
救急車の中に横たわっている彼。
わたしはたまらない気持ちで彼の力なくだらりと下がった手をさすりながら。
あと病院まで搬送5分。4分3分と読み上げていく。
救急搬送のサイレンすら遠くに聞こえる程。
高山の夜の街の信号もみんなすっ飛ばして、走り抜けていく。
自分と横たわった旦那が光よりも早く走り抜けているような気がした。

高山日赤には何人かの医師と看護師さんが待ち受けていてくれた。
てきぱきとした動きが事の重大さを物語っているようだった。
わたしは恐る恐る静かに薄暗い病院の廊下を車椅子のゴムタイヤをまわしてすすんだ。キシュキシュと廊下にゴムタイヤの音が角を回るたびに響く。
待合室で何時間か待たされた。長い沈黙が流れた。

待合室のドアが開き。ようやく説明が医師から伝えられた。
「雲幕下動脈破裂」だということだった。聞きなれない難しい病名に
うなだれて説明を聞くより仕方なかった。

青空に桜吹雪

その翌日から毎日毎日。雨が降ろうと槍が降ろうと、私はタクシーでお見舞いに通った。
車いすの私が、骸骨のようにやせ細って横たわっている目の前の彼に、何がしてやれるわけでもない。
むなしい窓辺に雪が深々と積もって行くばかり。
わたしは「彼のそばについていたい」と思い、宿を雪解けの春まで休業することにした。
脈拍が40くらいになった時看護婦さんが、着物ありましたら今のうちに着せてあげますのでと言われた時。タクシーで慌てて取に帰った箪笥の中から、しばらく
「することすら忘れていた結婚指輪」と、私が元気なころ、彼のために一針一針手縫いした浴衣を持って帰って、看護師さんに着せてもらった。

「良く似合うよ。もう一度歩こう」そう耳元でささやく声すらもむなしいばかりに。酸素呼吸器の酸素マスクが音とともに外された。
ピーと機会が無情な音を立てた。40。20ー。10ー。8−−−。
病院とは生きて帰ってくるところでもあり。
死んで戻って行くところでもある事実。生と死が、そこに同時に存在する。

何食わない顔で、懐中電灯照らしてみ廻る看護師さん。そして冗談言って笑いを取ってる白衣を着たお医者さん。
そんな中にも組織の中で生きる苦悩があるようだ。

「ぼくが推薦する特養で嫌だというのなら、自宅看護に切りかえるより仕方がないですねー。」やんわりとした脅し。
ダメ押しのように攻めてくる、そのリズムの響きがとても嫌だった。
人間はどうして駆け引きをしてくるのだろう。
その計算高い人間性の鋭さに、すこし息苦しさすら覚えた。
ゲームに播けた人が最後に叫ぶように。

言葉にはならない感情がいつもいつも心の中にたまって行く。
静かにちりほこりのように。

今私はもう一つの命のおもさねも負っている。90歳を超えてなおも元気な父。
その命の終わりを見届けるまでは。何もできない。

確実にそうすることが、生き残る確かな道かもしれないと思うのだが。
「父」という私を、この世に送り出してくれた。
DNAを切り捨てるわけにはいかない。

それも私の愛から。「俺が死んでみろ、世の中はみんなして食いにかかってくるからなー。俺は死ねんのじゃー」いつもそんなことばかり言う父親。
深い、ため息が出る。
「それが共倒れになるよ」と言われても、いけるところまで行ってみないことには。何事もないように悟られないように。
いつも時代の選択をしなければならない。

急激なブレーキと進路変更は凍った道でスピンするごとく。
まさかのかじ取りができなくなることの方が怖い。

ほんの少しの出会いの中で得る知恵は、無難を通り越えた進路変更は、舵の取れなくなった船と一緒。どうせ難破船になるなら、さすらってみるもよし。
気ままにじっくりと風が吹くまで待つもよし。

あがいてあがいて、どんどん暗いふちに落ちていくよりも、真夏の浜辺に打ち上げられて干からびて死ぬのもよし。
いつの時でも人生は選択くと覚悟の世界。

水仙さきました。

あんなにどなって、わめいていたあの人は、ピクリともしない。
夫婦とは不思議なものだと思う。

多分追いかけたのは私。未だ今よりは若かったから。
都会の中に暮らしてきた男を田舎の山奥まで連れてきた。

男というものが、あんなに乱暴なものだとは。夢にも思わないで私は、お婿さんに迎えた。生きてきた素性の中に。苦労というヒビが入っているとも気ずかずに。

案の定彼は背広を脱ぎ棄てて、真っ黒に日焼けした野の男になった。
そして少年のようなキラキラした目を輝かして。
生まれて初めての農業にチャレンジしていた。基礎がないから大変だったとは思う。ちなみに弟は、農業高校の教師。長男の視線の中で姉の婿をやるには大変だったのだろう。町内会にも、よそ者として顔を出さなければいけない「家」という大看板背負う。苦痛。
きっと草刈り機も初めて使ったのだろう。
宿屋の窓辺からブーンブーンと遠くに音が聞こえてくる。
時折混ざる小石があたっているチーンとした音。

彼は「宿屋みたいな仕事は嫌いだ」というので「好きすれば。」と自由ににさせておいた。そうすることがいたわりだと錯覚してしまったのが私の誤算。

まるで引綱を外された子犬のように。
彼の日々はまるで毎日が日曜日だった。
彼は少年の日にやり残したかのように。
嬉々として釣りに行ったり、麦わら帽子かぶって一輪車に犬をつないで畑に行く。
まるで私は、「少年」という子供をもらってきたようものだった。
「一つ年上のくせに。」年下の男の子みたいだ。
ずっと腹の中に、何かが少しづつたまり続けていた。

枝が折れても咲いているさくら

夫婦とはふしぎなものです。えにしがあってむすばれた男女です。

相棒でもない、恋人でもない。まして戦友でもない。

同じ部屋の中で同じ空気を吸っているのに。居てもいなくても苦にならない。
むしろいるのが当たり前で。そのくせ不都合なことがあると。
「あんたのせい」だなんて思ってしまう。
それでもいつしか、「あの人はそんな人なんだから。なんて」

そんな風に自分を言い聞かせてしまう。

バタバタと親戚縁者の人々が集まってきて。
私が「ぽうー」としている間に。人間の最後の儀式はことなくすすめられていった。

焼き場の煙の中に、彼の生身の姿が消えて行った。

ごろごろと引き出された灰の中から。カランコロンと死ぬ間際にはめてやった、プラチナの指輪が出てきた。私はまだ暑い灰の中からそれを金串で拾った。
これが本当に彼を失ったことの現実なんだと自覚した。
皆いつかは死ぬ。

私のあったことない何百年も前からの先祖が。
生きているうちには会えないひ孫や玄孫のために。残してくれたわずかな財産を、私は、ばくちの種に使っている。
成功したからと言っても所詮。税務署に収める金を稼いでいくだけの物。

今楽しいと言っている人々も、10年もすればしわくちゃになるに違いない。
そして本当の喜びは、何なのか。
自分が遠回りしてきたことに気ずく日があるだろう。

そんな時にこそ、自分が、いとおしいものに見えてくるのは、哀れで切なすぎる気がするから。時の分と書く。自分の分に進むべき道の在り方を、いつも描いていなければならない。

七回忌もとっくにすんだのに、私は旦那様の事を今でも私は思っている。
きっとあの人が私に車椅子から下りて歩けるようにしてくれたのだ。
きっと私に寿命をくれて行ったのだ。そう思っている。

これが生身のまま。
離婚していたらどうなっていたのだろうと思うと。

紙切れ一枚でつながっていることには違いないが。
結婚しているという心の中のゆとりが私を
「何もしてくれない亭主でけっこう!!」という意地に。
私を気丈な、女にしてくれた。

死に別れというものは、何とも未練の塊がさまよう。
「わたしが。残された私が供養してあげなければ」と思ってしまう。

きっと冷たい言葉を浴びせられ。
共に暮らすという現実もなく、勝手なことをしている旦那だったら。
紙風船を蹴っ飛ばすように。離婚届の班を押していただろう。

でもよかった。
私は離婚せずに「彼の一生を最後まで看取って。良かったー」と思う。
どんなに欲張っても、灰になってまで。何一つ持っていけない。
私は約束手形はいっさい切らないことにしている。先付小切手も切らない今のやり方。ふり幅は狭いかもしれないが。地道で無難な世界。
堅実が一番と思っているこの頃。

せっかく婿に来たのに、この家の家系にオスとしての子孫繁栄には貢献できないままに。あの世に旅立ってしまったけれども。
思い出してやらなくては。
私くらいが、彼の生きていたことを覚えていてあげなければ。

それが何が何でも「契りの約束」をした片割れなのだから。
生きていることはそんなに楽しい事ばかりではないけれど。

イチゴ

きっと神様に試されている。
生きている此の世のほうが苦しいのですから。

だから生きていく途中の毒素は吐きだしながら。
それでも一年一年を生きていくのです。

私はキリスト教信者でもないけれど。信心深い仏教徒でもないけれど。
生きている以上、口から物をかみ。
ごくりと水が飲めるうちは、ありがたいことだと。
そう感謝しなければといつも思っている。
バタバタと倒れていく同業者の中で。
遠くから泊りにやってきてくれて、「大丈夫だよって」声かけてくれる人がある限り。
とても生きているって素敵なことだと思うのです。

人を愛する気持ちは、若いときの情熱のままに。
なまめかしい物だけではないような気がします。

そして宿屋の女将は、女でもなく男でもない。そんな気がします。
そんなような優しさを持って。
どなた様も受け入れ包み込んであげたいと思うのです。
客と宿の女将という間に。一枚の薄紙をはさんで。そこに置いた扇子を超えないように。ありのままでこびへつらいもなく。

お金だけではない優しさという、裾野に向かって。
頂点に向かっている人はいつも険しい道に重い責任を背負って歩き続けています。
だからそうであるからこそ。病院もある意味での客商売。

だからこそ、その人の苦しい胸の内が見えてしまうのです。

そして傷だらけになった者だけが見えてしまう、笑っている笑顔の中に、暗い淵が見えてしまうのです。重い荷物をせおっって進む後姿が。

偏見でも何でもなく。人という一つの生命体に。
見て見ぬするふりをすればよいのでしょうか。
やがて枯れていく命なのですから。

宿屋にはいろんな人が来ます。基本的には、一夜のお部屋をお貸しする仕事。
人の心に寄り添ってあげることはとてもしんどいものです。
はるかに短い犬や猫の命。

煮干しを一匹づつ食べます。

わたしはそんな犬や猫に安らぎと救いを求めて満たされています。

まだまだ生きることに、修行中の身です。
犬や猫に安らぎを求めるのも、同じことです。私の命を犬の背中に乗せてどっこいしょと立ち上がろうとするのですから。

しかし犬や猫を持たない人を、このちいさな館に受け入れるということは
今までに節したことない人々を受け入れることなのです。

「賢明な選択をしてきたんだね」とあったこともないご先祖様に褒めてもらいたいから。犬好きな、着物好きな。あたらしいお客様をお迎えしたいと思いました。


今日も長い私のブログ最後まで寄り添ってお付き合いくださり、
ありがとうございます。

いつも、このブログを見てくださる方なのに、まだお泊りいただけてないお客様。

どなた様もいつかお目にかかれます日を楽しみにしています。
どうか、機会がありましたら。
是非「飛騨高山のペットと泊まれる旅館弁天荘」をご選択くださいませ。
心からお待ちいたしております。
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お正月のお餅

ウエルカム花餅

年の瀬もそろそろ押し迫ってきました。あと残すところ。8日
そろそろ餅つきの日の予定も組まなければと思っています。昔は花餅を作るので年の暮れは相当、忙しい思いをしました。
クリスマスのあたりまでは忘年会がずっと続いて。
忘年会は出かけるほうでなくて、宴会を受けて準備する方ですから。
なかなか大変でした。
若いころはよくあんなにコロコロ働けたものです。

役場の宴会から、婦人会の宴会。町内会とずらっこで予約が入っていて、それはそれなりに楽しく忙しくてんてこ舞いでした。
そして25日すぎくらいから花餅ち作りと大掃除と正月もちつき。28日くらいまでに餅つきをしないと29日には苦を突くと言って縁起ものですから正月もちはついていけないという事でした。
だから28頃からスキー客が入り始めるし、目の回るような忙しさです。
29日30日31日1日2日と。
年末年始組のお客様が殺到するのでそれはそれはてんてこ舞いでした。
賑わしいということはとても宿屋は活気があっていいものです。自然とスタッフ達の手も足も速くなり。
せかせかとしたリズムが、何とも言えない躍動感を表しています。

あまぐりちゃん

あのころの私の宿は、まだ今ほど犬専門のスタイルに華っていなくて。犬が半分。スキー客が半分昼間の時間帯には、昼食団体まで取っていました。フル稼働に働いて、婦人会の宴会夜の宴会は町内や役場の宴会。
何があんなに仕事をこなせたのでしょう。やはり若さでしょうか。
銀行さんから借り入れた、まとまって借りた金額で。建物登記がすんだ時から、債務者の道に競馬馬のごとく鞭を当てられて走り続ける。
そんなレースに身の程知らずに、進入してしまっていたからでしょうか。
宿屋へ嫁いだ女でもないのに。
今は「私が途中で死んだらお任せするからね」という担保に入ったまま根抵当のまま。気ままに仕事しているという感じ。
会社にはしていないので。私が元気でいることが信用の大原則らしい。
そう思うとありがたいのかありがたくないのか。

このよぼよぼのばあさん馬でもまだと殺場送りにはならないらしい。
レースのコースからは外れても気ままに走れる時、走っていればいいなんて。
決してサラブレッドのレースだとは思ってはいないが。
道産子馬のレースにだって、そりも引かずに、前足で地面をけるふりをしていななくことくらいは許されているのだから。
ありがたいというバありがたいのだかが。

この頃は雪もなくさむさだけが一人前に寒い飛騨なのでお客様の数も少ない。
だから、調理室の中のお客様の食器の荒いものも早く片付いてしまう。
田舎のお袋料理のような手料理なのだがお客様は完食に近い状態なので、嬉しい。
「沢山あって食べきれなかったのですよ」とにこにことしておっしゃる。
すき焼きの鍋の中は、ねぎが一筋と豆腐がひとかけら。
後のお皿や鉢物の中には残飯がないので捨てる手間もいらず。
食器洗い機であっという間終わってしまう。

ガムに喜ぶレオ

お客様によると高山には観光客らしい人影はなく。

韓国人や中国人がいっぱいいて、面白くなかったそうだそしてさむい。
せっかくの高山は雪もないくせに寒さだけは人一倍。

難しい時代の選択だと思う。
多分大手のホテルが呼び込んでいる外国人観光ツアーなのだろうけれど、HISの観光客ツアーはとんでもなく安いののだから。
修学旅行並みの料金ではつなぎの資金獲得の仕事としか思えないが。
従業員を掲げている以上仕方がないのかなーと思う。
それでもさらにそこから手数料は惹かれるといくらも残らず下手するとやればやるほどあ感じになる。
外国人は不思議なもので赴任巣から2か月旅行に来ているのだという人が一泊2000円以下のユースホステルにとまつて旅行をしているのだとか。
毎日パンやおにぎりを買い込んできて食べているのだとか。
そんなしてまで旅行が楽しいのだろうか。さすかに、移動民族の歴史を垣間見る気がする。


ある民宿ではワンベットとワン朝食で売り出したら。
お客はそこそこ来始めたが、南京虫だらけになって家中駆除をするのに専門家でなくてはどうすることもできず、大変な出費と営業停止で大損したと民宿の経営者が言っていたそうだ。
濡れ手に粟。というわけにはいかないそうだ。


いろりのまわりにすわって


結局「わたしは外国人はお泊りできません」なんて打ち出したのは、犬連れのお客様を捨てきることはできなかったからなのかもしれない。
正解だったかもしれない。

なんといってもおとなしい外国人ばかりではないから。
犬が行くと頃来なくなると、この子がいるからなんていう責めを負わされて。
飼い主さんから捨てられたり。
邪険にされたりするもとになったりでは大変だから。
犬も猫も長い間はるか昔から、それぞれの国に生きてきた歴史がある。
飼い主も年取って飼い猫も飼い犬も年取ってしまったので、1時期の爆発的なブームよりは少し落ち着きが出てきたが。

まんざらその筋の客層が消えてしまったわけではないと思う。
そうの証拠に肝心の年末年始はみんな犬連れで満室になっている。
ありがたいことだと思う。
犬たちの顔を見て新しい時を迎えられるなんて。
正月のお餅は、今年も餅つき機でのしもちを28日につこう。
もち米は5升ふやかすことも毎年変わらない。

そして黒豆や、ぜんまい煮たり、タケノコやレンコンごぼう人参などは入った入り鳥も30日から作り始めなくては。年末年始はおせちと年取りの盛り合わせの平鉢が手間祖間かかる。でもそれが仏壇のご先祖さまや、年徳様に飾る塩ぶりと一緒で何よりも大事な年中行事のようなもの。
わたしと叔母と父と本当の家族は年寄3人だけれども。
餅つきがすめばわが家の早年取りです。塩ぶりと飛騨牛のすき焼きと簡単な五種盛で。数の子と紅白蒲鉾と絽豆と田つくりと昆布巻きと高野豆腐のお煮しめがあれば
それで良しとしましょう。

嬉しいガムレオン

いつもありがとうございます。年寄が寄り添って今年も越えられそうです。
本当に感謝です。皆様もお元気で。
最後まで私の長いブログを読んでいただきありがとうございました。
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きもの体験館と旅館に泊まるセットプランつくりました。

栗とすすきを行けてみました。

なかなかいうこと聞かない、パソコンのサイトに私の企画を詳細に入力するのに。
昨夜夜中の三時までカンパリました。
今日も雨が上がりましたが飛騨には雪がありません。

きもの体験館を利用して楽しい笑いが得られれば。笑う門には福来たるですから。
とりあえず二つのプランを設定島は畑がヒットしなければまた考え直してまた違った形で発病して行きます。

とり会えず、いろいろな料金で対応するプランが頭に浮かんでいますが。
全部乗せてしまうと私もスタッフも、こんがらがってごちゃごちゅゃになるので。様子を見てからにしましょう。まずはすこしさわりをつかんでから。

わたしは体には多少の生涯は残りましたが、考えることとしゃべること。
伝えようとする手段を神様は残してくださったので、それだけは本当にありがたい事と思っています。

世の中がペットブームだといっても、全体の人口比率からいえば減少の一途をたどっていると思います。
一時期とくーらべれば少しづつ陰りが出ているのです。

お風呂の間ロビーで待つ犬

社会の変動にはめまぐるしいものがあり。
家族が細分化しているにはチーガイがないのです。
いつも来てくださるリピーターのお客様も家族構成が変わりお一人様になられて。いろいろな事情が起きてきているようだ。

その中で大きな役割を持って社会を、リードしている人たちの心の中には。抑圧された何かがあるように思います。
何がそういう人達はどんなストレスのはけ口があるのでしょうか。

むかしは同じ形の同じ顔をしていないと。
まるでアヒルの子の群れにハクチョウの仔が混じっているように袋叩きでした。
しかしなれというものはある意味不思議なもので。美容化の一行さんや、デラックスまつこさんが活躍する時代になり。テレビに出ていても違和感のないものとしての所在地を確立したのかもしれません。

人は実にさまざまで生き方も様々で私が、飛騨の田舎の山の中で外国人に着物着せたいなどと何年も叫んでいる犬の宿の女将がいるのですから。

オートバイで、どすどすとした音を響かせて走る人も居れば。
カラオケで歌いまくっている人も居る。
犬がかわいくて仕方のない人も居れば。
家庭菜園の野菜作りにめざめる人もあります。
山が好きで好きで゛仕方のない人も居たりして。実に日本人としても生き方は千差万別です。

だからそんな客層のどんな人たちに強く印象付けて必要な宿になって行くのかは、いつもいつも泣きたくなる程の努力をして。
私は努力するとことから段々ら専門の知識も学び、好きになるだけでは飽き足らずにそれなりに一生懸命廻りを説得して。実行むに移してしまうのです。

焼きナス

金を借りてまではしなくても、売り上げの中から少しづつけて行けば、結局儲けの山は砂がこぼれるようにさらさらと小さくなってしまうのです。
「いつかきっと花が咲くからね」
自分自身も、そう信じて好きなことに夢中になってしまうのです。

一丁6反の田んぼを4反は無農薬野菜に使い。お客様に収穫してもらうプランをもう10年もやり続けてしまった。
犬の宿はあちらこちらのテレビ取材を受け入れていたら、しばらく犬の宿の弁天荘というのは続いたがのですがあとからあとからと犬の宿ができて。
後の4反は梅畑とドックランにしてしまった。
後の8反は草ぼうぼうとなっている。

犬の宿はもうすでに30年以上になるが。近所に同じことをするような同業者が増え、全国規模のチェーン店がやってきた。
そしてお客の少なくなった宿が最後に行きつく経営スタイルが、犬の宿のように言われるようになって、誤解を生むようになった。
その誤解が新規の客層を伸び悩みのもとにもなっているとも思う。

悔しいのでいろいろやってみたが、ネット旅行会社の点数をどんなに良い点を取り続けたところで。売り上げが倍増してそ、れで人気の宿になったところで。大金持ちになれるわけではない。
其れなりにどんぶりが大きくなっただけで、従業員も増やさなければならないしオールマイティで任せきる授業員がどれほどいるかと思うと。人手不足の過疎地ともいうべきか。宿屋は万年人手不足なのです。
ネット旅行のやり方には対応しきれないもの数あると思って。
みんな解約してしまった。

後はなんとしても自力で個性に富んだ企画をして背伸びせず。
地道に身の丈に合った商売をすればいいのだと心に誓ったのだが。
うちの顧客に一斉メールを出すだけでその操作にほぼ一日かかった。そして新しい着物の体験プランを出すだけで夕方からかかって夜中の3時に八つと解決した。パソコンのマニアルを呼んでへとへーとになって作った。
今日フルーツの大皿と飛騨牛三味のお客様が何組か着て見える。
一週間前に作ったプランなのでちょっとうれしい。おかげで調理室の女将板長としては結構忙しかった。調理師の免許を取って何年になるだろう。
もう40年になるのかな。

いろんな資格を取っていろんなことに夢中になって。
忙しく暮らすことはいいことだ。
そう思わなくては増え続けている仕事の範囲に、嫌いだったらとてもやり切れないものがあるだろう。客が来ても来なくてもいつも楽しくいろんな仕事があるので準備は大切。たった一日のために何日その準備を積み重ねていく事か。それがプロフェッショナルの世界だと思う。まだまだ自分桧垣の努力頑張らなくては。

わたしは犬を留める宿に誇りを持って言います。処刑寸前の犬をわが子に迎えることに自分の生き様の一行に。善行ということができたと喜んでいます。

秋色の世界です。

小さな目の開かない子猫が巾抜きの段ホール箱のように廻ってきました。
わたしは5匹ともみんな育てています。
今では4キロくらいの大猫になっていますが。
動物は裏切りません。
人は何を考えているカ透かし見るのが、宿屋の女将なのかもしれません。
その人が望んでいることにできる限り沿って、満足してもらえるように陣頭指揮してチームを動かしていく事が宿屋の女将なのかねしれませんね。
果てしない努力という湖を泳ぎ切ることはできるのでしょうか。
ドラマのような人生巣を背中に背負って。
ひと山越えればまた次の山が見えてきます。
だからこそ楽しいのかもしれませんね。
今日も長いブログ最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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雪はありませんが寒い朝でした。

弁天荘全景夏

雪は昨日少しは舞いましたが積もるほどではなく。
山影から少しのぞいた太陽はそそくさと大急ぎでまた山影に隠れてしまい。
来年のカレンダーのお休みの状況を見るとなんだかんだと言ってもゴールデンウイークが山かなーと眺めています。
長期休みが取れそうな祝日の配置になっていますので。またこのあたりで、一気に出て、あとはさっぱりかなーと思っています。
なんだかんだと言っても、将来をどう悠風に生きていくのか、今更ながらに計画しないとならないような社会情勢です。

しょぼしょぼした事ばかりを口にしていても難しいことに直面することは間違いないので、自分の計画の通り自分の周りのスタッフ達ととりあえずの山を乗り越えていく事の方が、正しい事なのかもしれません。何十億という返済があるわけでもなく。商売をどんなに細々とやっていても、仕入れや人件費や水道光熱費が半端でない数字になり、それが毎月の越えなければならない小山になって。
予期せぬアクシデントなどが起きるとそれはそれで、予定外出費になり。
なんだか少しもホッとする気分に離れないのです。
しかしお天気が晴れるというだけで、気分は変わります。

NHKの朝ドラの「朝が来た。」楽しみに見ています。
AKBの歌っている主題歌にも「とても良い歌詞だなー」ってつくづく思います。
毎日雪がないだけで、寒い冬の暮らしをしています。夏いそがしかった分を取り戻すかのようなのんびりした生活は、ひっそりと暮らしていると言ったほうが、良いのかもしれません。

ヒダコシヒカリ

雪がない国道158号線も、静かな車の流れだと言ったほうが良いかもしれません。何かが変化していく事に躊躇しているような。
今静かな平穏無事を祈るだけの日本の地方の在り方に。
何となく今の時代の若者たちが何を考えて進んでいるのかすら、わからなくなる時があります。
画期的な刺激的なことを思っていても。日ごと弱って行く体がついていかないのは事実です。
犬とか猫とかそんな動物と暮らしていることは励みにはなりますが。

たとえ親戚の子供たちの夢や希望を知ることもできない状態では、今この地域にいる若い人たちの考えすらわからないのは、仕方のない事だと思います。
出歩くことも会合やお茶飲み会でも行きたいとは思いません。

「近所の年寄たちが集まってお菓子食べてお茶飲むことのお世話をするのよ」
と嬉々として話す。健常者の幼馴染がいます。
それがあたかも素晴らしい社会貢献の、意義ある行動のように酔いしれて話しているので。「そうそれはいいことだねー」ととりあえずあいず地を打つようにしています。しかし、ほんとうにそれがいちばんよいことなのでしょうかねー。

わたしもあと20年もしたら、人恋しくて。
そういう場所に出向きたくなる日が来るのでしょうか。
私の本音は、いつも行く美容院ですら。「お願いだから話しかけないでほしい」(ゆっくり気を休ませてほしい)とすら思うのです。
自分の世界に夢を広げていることの方がどれほど楽しいかしれません。
世間の噂話に、面白おかしく花を咲かせ。

いわなの甘露煮.jpg

それがあたかも<ストレス解消のように過ごして>ああ楽しかった。と締めくくるには、少し私はひねくれているのかもしれません。
余り、リアルご近所さんと交わりを持ちたくないのです。
決して楽しいとは思えないし。
まだまだ野心の多い私なのかもしれません。

何かが変わっていく事が目の前に見えるから、ただぼんやりと時を過ごしたくないのです。やっとこどっこさで生きている私としては、おせっかい役程の力もありません。

ひと様の見本になるほどの力もない代わりに、今更白髪首振り立てて地域の貢献なんて、大それたことはできません。

若い人たちの頭の中がわからないから。
多分苦労の割には実りのない流れが目に見えてわかるから。
甘い言葉で近寄ってくる人たちは、何かがあるのです。
世の中のプラスとマイナスの駆け引き。年寄が欲を出すとだまし取られるくらいが落ちです。難しいものがありますね。

シンリョウショ.jpg

今一番考えなければならないことは私の人生で広げてきたことをどう風呂敷に包みなおすかということです。
しばらく冬の間は冬眠して考えることにいたしましょう。
そんなこんなで、バタバタと師走の月の日にちが過ぎ去っています。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。暇つぶしにこのブログに目を通してくださるお客様がいらっしゃるだけで楽しい励みになります。

増税に次ぐ増税で。報われない社会が広がっていますね。
そんなことを感じるのは私だけでしょうか。

では皆様もお体をくれぐれもご自愛くださいますように。今日はこれで。
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年末年始少しキャンセル出ましたよ。

りんごのうか買いました

軽減税率が据え置きの8パーセントだとか。
予定道理10パーセントだとか毎日ニュースをにぎわしている。
いよいよ来年は10はーセントの時代に突入することなのか。

ジワジワと消費税という波が押し寄せてきて。
耳元で、よりよい社会をつくるためなんだよとか。
社会福祉のためだとか。
いろいろな未来を見据えたようなそんな政治家のもくろみのような現実が、迫ってきています。
師走をにぎわす消費税のニュースが。


まじかに迫ってくると不安になったのか、夏のころから予約して部屋を抑えていた人たちのキャンセルが出始めた。
こうゆうのも、予期せぬ出来事があったのだろうとは思いつつも。
来たいという人には。満室になっているからとこお断りをしなければならない実情で。なんだかんだ言ってもふたを開けてみればどこかしか、すきま風。

今年は雪がない年末年始かと思いきや。
天気予報では、明日あたりから飛騨地方は雪マークが続き。
去年のような重たい足の速い雪がどっさり積もってもO迷惑なのだから。
天気は地球規模の温暖化だというから。
どちらかというと神頼みに近いものがある。
エルニーニョ現象とかの仕業だとかいうが。日本の四季どうりにはいかないようだ。紅葉と梅の開花と同時に見られる観光地も出ているらしい。

雪が降りました

飛騨高山は、今年も来年もますます観光ブームの風を追いかけて、またまた努力の地方都市をやるようだ。なかなか観光と一言に言ってもお金が落ちるかどうかは別物で。厳しい現実にさらされている。

現実社会は、ますます個人消費の財布のひもを引き締めているようだ。
物騒なので、海外旅行をする人々が減っているとか。
なかなかドンパチの中を潜り抜けて、観光どころではないというのも本音の話だと思う。飛行機だって落ちてしまえば。全滅。後になってテロの仕業だと解明されても、命がけの旅行になってしまう。
何がどう変わっていくのかわからない。平和な暮らしが続いてきた日本なので。
「戦争」という言葉は、70年も昔の事のようになっているが。
戦争を知らない子供たちという反戦歌が流行ったころ私は青春時代を送った。
心から来養父におののき、恐怖に震え。

本当の意味での戦争の悲惨さを知っている人間が、今の日本にどれほどいるのだろうか。
私の年齢でで戦後生まれの仔なのだから。ちょうど私たちの時代から、そのまた孫の世代が、大人になって行っている時代を迎えた日本。

何ともゲームのような感覚で戦争参加して行ってもらっては困ると思う。
今、食糧難なんて言うことはすっかり忘れられて「飽食の時代」
を、ひた走り走り続けている日本なので。
海外から入ってくる食品がストップしてしまったら。どれほど大変なことだろうと思うと。

掘りたての大根

土地を守るということの尊さが、小さな努力の積み重ねだと思う。
今年は、90歳をとっくに超えた私の父は何を思ってか。
雪解けの春に。スコップを振り回して、畔づくり。
ぼけた老人の耳元で何かを囁く人がいるのだろうか。
父はかわいそうな人だと思う。

戦争で火の海になった東京の空の下。
命からがら焼夷弾の中で近衛兵をやっていた。
そして、「戦後の焼け出された親戚たちが、家族ぐるみ頼ってくるような現実の日々で。
大家族の暮らしの中の大黒柱を頑張り続けてきたのだから。
なんといっても農地が命の次に大事なものだったのだろう」とも思う

父が言い出したら、聞かない頑固さは、そばで暮らしてきた私が一番知っているから。

何を言い出しても冷静に受け止めて、言葉を静かに聞いていてやるより仕方がない。
それが父の人生を看取るということなのだから。

私自信だって、自分の事すら自分でやりきれない体なのに。
父の毎日くどくどと同じことを繰り返す。
老人の扱いにへとへとになってしまう。

畑の手入れ


これは本当に家族として一緒に過ごすものでなければわからない感情だと思う。
「親がいるだけありがたいことだと思いなさい」
などと人様はおっしゃるけれど。
「居ないほうがいいなんて葉思ったことがないけれど」疲れる。
この先を考えると、大変な苦労だと思う。一緒に暮らすーことは、大変なことだ。

これは静かな戦いで。
何とも言えない程やりきれない、ため息の出る戦いなのだから。
血肉分けた親子でさえ、そう思うのだから。
DNAの遺伝子はなく義理の間柄であったとしたら。とても大変なことだと思う。
「俺を厄介者扱いにして、「老人介護病院」に放り込めば。恨んで呪って、化けて向けて出てやる」などと恐ろしいことを口に叫ぶ。
壊れかけたかと思うような、父親。
しかし痴呆でもアルツハイマーでもないと医者は言う。
なおさら。あたまの中が正常で、意識があるのならよけい厄介なこと。
むかしは家族みんなで受け止めればよかった。
今は家族構成が細分化していて。大変だ。


体力もおぼつかない病人が、老いたる親を老いたる子供が背負わなければならない時代。
そんな時代に直面している。
人間の生命力はそんなに軟なものではなく、医学も化学も進化しているので。

なかなか簡単には大往生というわけにはいかないのだと思う。
父のそばにいるということは家付き土地付き爺付で。


あんまりうれしいものではない現実。田舎の家も栃も、もあまり喜ばない時代が来ている。
とにもかくにも、「今年の春先は、上の段の田んぼにをトラクターを入れさせない」と言い張ったので、「仕方ないけれど。ならそれでいいわ。」と田お越しのトラクターを入れずに済ませた。
案の定。秋には草ぼうぼうのあれの原ような現状。

田んぼの登記が原野になってしまうので。
「保全地としてトラクターの費用は見ないといけない」といくら言っても。
聞く状態ではない。まるで子供のやんちゃだ。
医者に聞けば、いたって正常だというので。これまたたまげてしまう。

弁天荘から見る秋の空

参った参った。
弟夫婦が、が父を見放してしまったことも、よくわかるような気がする。
時代遅れの頭に現代の風を吹き込む作業は、エベレストを制覇するよりも、はるかに高く険しい。現実なのだから。

「私の出番ではないので。冷静に事の成り行きを眺めることにした。」
次の作業にはいれるように、準備はしていても。
水が差す田んぼではどうすることもできないと、土地の改善処置として。
ユウ字溝工事をするように計画したのだが。「おいおい」と、わたしには返事した翌日、ブルトウザーの前に杖を突いて、立ちはだかり。


「俺をそのブルトウザーでひき殺してからやれー」なんて叫ぶのは
我が親なれどあきれるやら。悲しいやら恥ずかしいやら。
つらいけれど。現実でしかないので。工事を断念するより他ならなかった。

土木会社から契約不履行で訴えられるのすらを、危うくのがれて。
工事予定のユウ字溝を買い取り。
土手に転がしているより仕方がない現状。
理屈では分からない、年取った頑固おやじ。
土地の持ち主はすべて父。管理はすべて彼の娘の私。
今年は何を思ってか「はようやれと怒鳴る始末。」
「そうね。お父さんを、大往生で見送ってからね」というより仕方がない。

なんという父の策略だろう。あきれるやら。情けないやら。
人世を束縛され考えようによってはつらくなるので。
私は現実の中に面白い事楽しい事ばかり、見つけて方向を決めて走り続けてきたように思う。親子ですら。理解されないことが、どれほど大変なことなのか。

平成4年くらいの時だっただろうか。犬の宿がテレビのニュースで取り上げられたとき。ニュースの特集を目にした翌日父と叔父が。「犬なんか入れたら、大事なお客様が来なくなってしまう。」と意見をしにやってきた。私はしっかりとした展望と、自分なりの意見と見解を伯父と父という老人に説明した。
「大事なお客様は、犬や猫を連れたお客様なのよ」と言って返したが。
父も叔父も理解はしていなかったように思う。

彼らの大事なお客様のラインは、旅行会社の格安ツアーの会員募集の客だと思っていたらしい。芸とボールのツアーをする老人たちだと思ったのか。
果たして30年たった今その旅行形態は皆無のように思うのだが。

身内を説得するエネルギーほど消耗するものはなく。
今になると笑い話でしかない。
田舎では、私の考えは。目を丸くすることのようだったのかもしれない。

弁天荘玄関前

その池におぼれた者だけが汁苦しみだと思う。
水たまりのようなものが。私には大変な湖に見える時がある。

父親が壊れていく事。
父親が現実を勘違いして無駄な努力をしている姿を眺めるほど、つらいものはないとつくづく思う。何かが崩れていく音がする。
「人を呪えば穴二つ。」この言葉の深い意味を、風の音のように聞き流す。
非難はできない。自分の親だから。
彼が私の父でなくて、他人の頑固爺だったらどんなに楽だっただろう。

馬鹿なことをと思っても、見て見ぬふりをしなければ、毎日がやり過ごせないのが現実。
愛情があればこそ。
世間様に恥をかいても、家族を守ることが大切なのだと思う私。
人が命の限り生きるってことは大変なことだと思う。
父は社会が日々変わっていく事に。耐えられないのだろう。

毎日テレビ漬けの生活だから。

偏った知識に。偏った情報をうのみにせざるを得ない老人。


国の中にテロリストが育ち、貧富の差がそういう原因になっているとかいう分析なのだが。日本もそうなる要素も多々あると思うような気がする。
ただ日本人はおとなしく勤勉な民族なので。
あそこまではいかないと思うが。

第二次世界大戦に突進して行った日本の歴史の中には。
いろんな複雑な事情が絡まって、時代を突き動かして行った神事や政治があったのだろうと、口ずたえの戦争の悲惨さの中に垣間見る。

フランスパリもあんな風に無差別殺人のテロの標的になったのでは。
たいへんなことだと思う。
外国旅行もうかうかとは行けぬ時期を迎えたのか。

外国人には観光に来てほしいといい。
しかし。テロには戦うと政治家が言っている。
来年は伊勢志摩サミット。

何がどうすべきなのかはわからないままに、庶民は目の前につきつけられた現実の消費税10パーセントに恐れおののいているのかもしれない。
取りこぼしがないように国民に番号制度にしてしまって。
送りつけられてきたマイナンバー。

何とも複雑で、事務処理がこめんどくさいことになっている。
あやふやに見える玄奘でも、これから道は開かれていくのだろうか。

去年まで二人で仲良く犬連れで来ておられた家族。
今年は奥様が亡くなられたそうで、一人になっていて一緒に来てくれるものをさがしていたが、誰もいっしょに行けそうもなく。
やはりキャンセルをするとのこと。悲しい現実だと思う。

僕はレオンというんだよ。

なんとしいっても、今の日本の平和に感謝しなければなりません。
前に進むのも力。後ろに引くのも力。継続は力なりなのですね。

日本中が沸いたスケートの羽入選手の活躍。
あのかわいらしいプーさん大好き青年に、熱いい気持ちと練習の成果の勇気を見せてもらい。
若いエネルギーに励まされた幸せな気持ちになりました。
いつもだらだらと、書き並べてしまう。途切れのないブログを。
最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。

宿の方は、年末までの期間限定お値打ちプランも作りました。
正月明けの期間限定お値打ちプランも作りました。
もしよろしかったら、弁天荘公式ホームページの予約サイトのろいろなプランも見てくださいね。ご予約お待ちいたしております。
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速いものですねもう12月。

嬉しいねと見上げてお話している犬達

速いものですね。もう12月です。
今年はエルニーニョ現象のおかげか気候が11月くらいの日があります。
道路も乾いていていろんな用事にまだマイカーに乗って
いろいろな対応できるのでありがたいデス。

「北極のシロクマの暮らす雪上部分が3分の1に減って白熊たちは絶滅してしまうかもしれません」と心配している友達もいます。

スキー場に雪がないのも、スキー場の客をまつ宿にとっては大変なのだとか。
雪があればあるでタイへ編なければ内で大変。困ったものですね。

明日は銀行へ行きATМ出送金したり診療所へ行って、私の定期診察受けたり、またどっさり薬もらったりしてくる予定です。いろいろと用事がたまっています。

もう一年が過ぎたのかと思うと、あっという間でした。
何となく今年は雪害に追われ、屋根の修理に追われ。
それだけでも大変でした。
営業車なので建物には結構莫大な火災保険には入っているので、そこそこそこの雪害対応はしてもらえるのですが。
保険の金額で、全額カバーというわけにもいかず。足らないところは。
かくごして経営者が、修理費支払いの責任を取らなければなりません。

弁天荘から見る秋の空

当然のことだとは思いますか、雪はそこそこでいいです。
早めに溶けて早く春が来てくれた方がどんなにありがたい事か。
そんなことを本気で願う冬を迎えました。

皆様のお暮らしぶりは。お変わりありませんでしょうか。

今のところは、先日ふった雪も、その次の雨で消えてしまい。
道路もカラカラに乾いています。
まだ今日明日には雪降りそうもありません。ありがたい事です。

しかし雪のないスキー場には死活問題だそうです。

この頃の消費税値上げ問題でやめることに、引き金が走った宿がいくつかあるのに。これ以上の現実は先が見えない、計り知れない流れになるのでしょうか。
外食も10パーセント。当然宿屋の料金も10パーセント。

調理室器具の磨き

お漬物も付け直しました。
沢庵ずけに、ぐーちゃんづけ。べったら漬けに、きゅうりのかすづけ。漬物が趣味のように桶が並んでいます。

例年よりも暖かくて漬物桶の中身を出して付け直すのにも、指先がかじかみません。12月の半ばだというのに飛騨は小春日和のような温かさ。
不思議な気候ですね。朝晩は結構寒くなるのですか、昼間は光がさしてくるとガラス戸越しに季節を忘れるような穏やかな気候です。

季節感がずれていると体も油断してしまいます。
突然寒くなる時が怖いですね。しかし、師走は何かと忙しいものです。

マイカードも取りに行かなければならないなんて。余分な気がします。
一日だけしか働かなかった従業員のマイカードナンバーも、コピーしてあずからなければならないなんて。その義務と責任が経営者にはあるのだそうですから。

ますます、パートやアルバイトの採用までが、小めんどくさくなりそうです。

社会が複雑になる反面、何かと物入りで宿屋の立場はだんだん立ち位置が狭められて、生き残ることはとても、むつかしいかじとりになりますねー。
年取ってからこんなに勉強しなければならない社会情勢が来るとは、思ってもみませんでした。

希望と野心に燃えてがむしゃらに働いた昭和は、思えば楽しい夢のある時代だったようにも思います。
働いた分答えが出たのに。
今の若い人たちは「かわいそうかなー」って思います。
何もかもそろいすぎていて便利な世の中で、さらに高みを目指せと叱咤激励されて。ストレスがたまらないでしょうか。

一直線沿いの横並びの「よーいドン」ではっきりしているのですから。
人世の目標地なんて、長く生きてみなければわからないことなのですから。

「ええー初任給はアルバイト代よりは安いのー。そんなー」
「アルバイトなのに給料から所得税引くのですかァー」
と口をとがらす学生アルバイトもいた。

レオンお座りしています。

社会の仕組みを一から教えなければならない。
国中の大半の人々が貧乏になってしまっているような気がする。
もちろんその貧乏な一人の中に私も入るのだが。

大学を卒業すればいきなり、社会の厳しい木枯らしのような
競り合いに放り込まれる。さぞかし、しんどいことだろう。
放り込まれた人はそこの段階で、まず勝ち組なのかもしれない。がんばれー。

自分のやりたいことも見つけられず、いらいらとしながら就職浪人をしている人たちが、社会にはたくさんいるのだということをテレビのュースはいつも報道している。そして就職したと思えばブラック企業だったりして。
なかなか人世どこに落とし穴があるのかわからない。

どうしてこんな感じになってしまったのだろう。

そんなことをぼんやり思いながらジョンの家の大掃除。
レオンやジョンのブラッシング。
びっしりと付いた冬毛。わが家の犬たちは幸せです。
わたしも金銭的にはぎりぎりの貧乏だから。
せめて心なりとも豊かに暮らしたい。そう願っています。

何事もなく静かに冬に入って、春を迎えられることができたらなんと幸せなことだろう。そんなことを思いながら日々を暮らしています。
一年とは本当に早いものですね。歳を取ったからでしょうか。


皆様も元気に風邪などひかずに頑張ってくださいね。
いつも最後まで、目を通してくださってありがとうございました。
いつもありがとうございます。
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