雨が止んだけれども

雨が止んだけれども。寒い事には変わらない。

今朝千葉さんとてっちゃんは白川郷に出かけているようだ。
フェイスブックにラブラドールの哲ちゃん写して。背景に合掌造り写して。
千葉さんもマメな人だと思う。
犬好きには比較的そんな感じの人たちが多くて。
朝晩。洋服変えて着せて歩いたり。立ち寄った観光地で。ちょっとしたお菓子かつて着たり。「これお土産に持って帰るつもりだったのでは?」なんて感じのお菓子いくつもいただいたり。
この仕事をして稲と実に様々な人間模様をさりげないところから目に映るのも、楽しい事の一つ。

スタッフの山間島さんが。と言って入ってきた。ああ寒い」と言って入ってきた。



続きはあと
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月末の支払いを兼ねてお出かけ。

上二之町の人力車

月末の支払いも兼ねてお出かけしてきました。
もう道はすっかり解けています。今日は気温も大分ゆるんで雨が降っています。
飛騨では雪だろうなんて言っておりましたが雨になり。
この頃の天気予報は怖いくらい当たるので。

ついでに美容室も行ってきました。若作りの色にしてよって言ったら。肌が白いからどんな色でも似あいます。ってこげ茶色にピンクを入れてくれました。
いつも行く美容室だからカットすべてお任せ。
うたた寝しているうちにいかがですかって手鏡持たされて。

今窓の外を車がぴちゃびちゃと音を立てて走っています。金魚鉢には何もなかったかのようにして龍金もらんちゅゅうも泳いでいます。
何事もなかったかのように。これが一番いいのです。

落ち栗

九州から注文していた着物が届きました。
山の上の先生が昨日加工に出していたものを届けてくださいました。
しばらく来年あたりに向かって社会の経済状態が良くないみたいなので。
少し買いものは自重しようと思います。

何がどうなって行くかはわかりませんが。
ペッット連れのお客様が皆無ということはないような気がします。
先ほど買い物中でに飼ってきたロールケーキ食べないうちに夜を迎えています。
もうすぐ夕ご飯です。今夜おいでになるお客様は夜遅くご到着になるので。
まだうちの者年寄33人の暮らしです。開きの一夜干しの裁かってきました。今夜はそれを焼きましょう。
今日もfBにはたくさん投稿しました。
では今日は短めで明日は5組のお客様がいらっしゃいます。
そんなわけで廊下を気になるところ掃除機かけてきました。私にとって掃除機かけの姿勢は他企業に打たれるよりもつらい修行です。腰が痛くてああー死ぬわーーと言いながらやっていました。明日一番に来たものにお願いするとして。着物はみんなたてた見なおして母屋に運びました。

タケノコとあげの炊き合わせ
今は吹付塗装のようなインクジェットの着物が主流です。
きれいにはきれいだけれども、昔の感格とだいぶ変わってきているような気がすね。もうああ強いあ物はないのだろうか。


今日もなんだかまとまりのないブログです。
今日はこれで終わりにします。
いつもありがとうございました。眠いけれど5時に岡崎を出発して走って見えるお客様があるのですから。待っていてあげなければなりませんね。
これも辛抱。人世はいつも修行のようです。
冬は金曜日。土曜日日曜日と営業しているので気ままな営業となる。
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雪害で倒れた山の木の続きの話。

りんごのうか買いました

夕方の5時少し前に。電話がかかってきた。
「こちら森林組合のあのー和歌子さん見えますか」
「ああ私。私。今朝電話しておきましたよ」
「聞きました。30兆部ほどの倒木の整理だそうですか。一般計算で行くと去年の倒木率の計算では約伐採だけでも、500万くらいかかります。そしてとトラックが入る道がないと1000万くらいかかります。高山市の補助金は6割出ますが。」
1500万の6割ということは900万ということで600万が身銭其れも補助金はすべて支払ってから後に申請した補助金が、後から来るのだから。
よほどの道楽でなくては触れない話。
製材所への輸送さらに製材大そして保管所への輸送。
さらにその倉庫の借り代も。
2年くらいは乾燥させないと言い物にはならないし。三方無垢の者や節のない正目を3寸角で探すには、天然目の中では100本に1ぽんくらいの確立だし。
何とも今の森林保持者の立場は太刀打ちのできぬ世界になっている。
現場の森林組合の生存理由は国有林の管理ということになるのかもしれない。
伐採繁茂今は技術者が少なくなったし。
人間の手だけで、チェンソーで切り倒すだけではない。
切り倒した木の輸送も。
機械を使わないわけにはゆかないので。
鳶口で引きりあげて乗せて、引く馬方も。馬もいない。

19歳森和歌子


山の出目を読み、とりあえず先回り金を出して、ひと山単位で買う山方もいない世界。もうそうゆう人種は絶滅してしまったようだ。
日本には絶滅品種の職業についている人がたくさんいて。
そうゆう人たちはちょうど、高齢者となり遠くに老齢者となり。
バランスは老化とし共に、とれているようなものだが。
人生の悲哀は。集落だけではない。
職業にもあったのかとすら思うのが実感。

とまあそんなわけで。もし、リフォームするとしたら。
其れなりに大工に好きな材木を使わせた方が一番安上がりな気もする。
弁天荘の建物は。持ち山から木を切り出したヒノキや姫子マツや。スギを使って作った。父が後ろに立っていたから。できたのだと思う。
「飛騨の地に育った木は。柱になっても息をしている。だから持ち山から木を出してほしい」」からそんな贅沢ぶしんを。したのかもしれない。
「父はお前の建物だ。俺は口を出さない。事務所に金庫を持っているのだから。」その金庫に手をつ込むようなことはしない。「あれの生きていく道なのだから見守ってやるより仕方ないのだと。」母の口からきいた。


だから設計士には散々注文を付けた。
‖兇譴覆蠅房司屋のカウンターみたいな、白木を見せびらかしたような作りにはしないでくれ。
京都の和室みたいに、なげしなんかはつくらないでくれ。いたっべら貼り付けて作ったような作りはやめてほしい。などと私は。主張をした。
7物は10年くらいたった感じのもので、最初っから作ってほしいと。
じ紊馬誕蠅鮓討屬茲Δ淵リジナルの諸侯を凝らした部分もほしい。主張した。

山の緑

そんな難しい私の望みを一応曲がりなりにもかなえた建物にはなったのだが。
建物のオーブン披露と同時にあっという間に世の中のバブルがはじけた。
世の中にはむどこに落とし穴があるかわからない。
ルンルン気分で歩いたその足元は、自分の隠し玉があるかないかで。
流れの淵で泳ぐかせで泳ぐのかの違いだと思う。

ともかくありとあらゆる仕事で走りぬいた。地元の町内会のカラオケ宴会が評判となって無高山のほとんどの町内会が宴会に来てくれた。老人会も。婦人会も。役場の宴会も。村会議員の宴会も。毎日毎晩どこかしらの宴会を受けていた。そしてさらにスキー客とてんてこ舞いの日が続いた。そして朝食と昼食の間のブランチのような入浴プラストレッキングツアー団体みたいなものも受けていたりした。
東京の読売にも。はとバスへも営業に行った。若いということは何でもやれた。月150万の返済をやれて。フロントマンから女中頭。板前に追廻のおばちゃん。
そしてスナックのマスターから女の子までおいておけたのだから。
そしてお給料支払えたのだから。そうそう、事務員の子も予約係を兼ねておいていた。
今の私の経営と比べればフル稼働でいまでいう24時間営業とまではい言わないがまさしく人界先日の掃除会社まで入れたフル稼働だった。もちろんマイクロバスのドライバーのおじさんは板が手のたらないときは私も運転した。
始まりは華やかな活気があった。


しかし名人師ら世の中のひたひたとやってくるバブルのはじけた後の波が足元につかるような気がして。
私は全面的に犬の宿に切り替えた。
もともと53年ころから犬は泊まってはいたものの。
何組か遠慮がちに泊まっていたに過ぎない。
しかし鶏小屋のケージの中にエサを配っていくような。そんな仕事に。団体客のクーポン支払いには、換金するのも遅く。
意外と15パセントくらいのそう客手数料が加算して。
案内所がかかわれば。さらに5パーセントくらいが加算して。
二割が頭ではつられると思えば。中身は薄っぺらなもので。
一番最初に水道光熱費。給金。
仕入れと続けばそれほど実入りのうまみのある仕事でもないような。
間に挟んだ旅行会社があれば、お客はその旅行会社のお客であって。
とどのつまりが。「弁天荘のお客様ではないんだ」とつくづく思うようになって。其れをすごく悩んで。そのころ出入りしていた旅行会社の子会社の社長さん達に相談したら。「これからは難しい時代だから依存度を持たずに宿を経営する姿勢が大事。其れには独自の魅力と誰にも負けない隠し玉が必要」と教えてくださった。

レンギョウの木も雪で押しつぶされて

私は何をやっているのだろうと。おもいはじめて。
その言葉が背中を押してくれて。結局「ペットの宿。旅館弁天荘」ということになった。もうこの道を歩き始めて長い。旅行会社にも叱られ。保健所にも叱られ。お客さまからにも無投書され。日刊な連にまで怒られたけれど。だからってなーにと私は。看板の中に「犬のフィニア」を入れたあを入れた看板等を建て替えた。
東京からそのフィニアの犬は来た。一匹が3万円した。
生きている犬でも買えそうな値段だった。鉄骨で看板等を作って入れた看板等は150万だったか。
もう忘れてしまったがそんなような値段だったか、180万だったか。
商売とは時代を見る目と。自信という確かなものを感じれば。
ちょっぴりサラリーマンとは違う財布の開け方ができる。一か月のお給料の中から。区分けして袋に入れて。小さくちいさく仕訳した。そんな中から地道に使うそうゆう類の生活と違い。
なにがなんでも走りきるんだなんて気力と気概が。
周りを動かしていくような気がする。

誰かが商売はとかく「エィ。ヤット」と飛び越えていくような人が、成功するものだと言ってすいたが。
そういえまぐれ当たりのような人もいるものだが。
それはたまたまの事であり。
いつでも時代の流れを見ておき。
何が人の心をつかんでいるか。
何がこれから国のような大きな期間が押しているのか。
過去現在未来と予測するデーターと分析能力がなければ。
絶対失敗すると思う。
少なくとも。私はそのために事を起こすために。そのときできる限りの一杯勉強をしたという事実が。
自分に「後戻りさせない自信」を与えてくれたり。
「踏みとどまって待てという暗示」のようなものをくれる。
其れは答えてして花丸ではないかもしれないが。
誰からも誘導されたものではない。調乳されたものではない。
自分自身が下した判断であることは、すべからく。「人のせいにはけっしてしない」という「腹をくくった答えになる」と思う。それがその時学んで得た知識がしっかりした方針になる。其れは経営ポリシイであって。
それがあるか。ないかということは。
最終的に。自分の店を守る大事なことにつながると思う。

枝が折れても咲いているさくら

お金なら何でもいいとか。固定客の集め方も。
私のように先手先手と行く先に置く碁石のようなもの。後からじっくりおいて。靴化がエスノも手かもしれないが。
やり方は先に歩いたものの方がその道を説きやすい。
その当時の飛騨の人々には何かむ度肝を抜くような看板だったらしい。
私がたてた看板等の前で写真を撮った手り。市内の雑誌社が取材に着たりした。
いそがしい私に成り代わって。

父は「この犬たちは。電気台というエサを食うのです」
「あははー」なんて看板の前で笑って立っている写真が掲載されていた。

さて今日の本題の話題に戻すが。
去年飛騨中の山は倒木で泣いた。
今年もまだ2月も3ん月も、これからだから何が起きるかは知れない。
「そして実態は皆さんどうしていらっしゃるの」
「みんな山の肥やしにしているような実態です。」
その昔100兆部の山持ちはそれなりに生活が成り立った。
今は何ともならぬことが多い。
私は弟に、木出しのいい「ほら谷」と「豊住谷」の30兆部を持たせようかと思っている。多分父の看病も下着すら変えに来ないであろう弟夫婦に。

そして私は二階は入らぬ。そんな暮らしがしたい。
つくづく今日、旅館の二階に久々に、登ってみてそう思った。

いつも最後までありがとうございました。
今日のブログはこれで終わります。

桃太郎トマトジュース
フラットの使いやすい住みやすい。新しい部屋を作る。
これは私の2〜3年の私費事です。
なぜかというと体力のあるうちでなければ
そんなことに向かう気力はないものです。
1000万以上超える改装でなければ設計士は入りません。
大工さんと相談して。明るく住みやすいお部屋を作ることになるかもしれませんね。其れもできるかどうか。其れも楽しい夢です。
実現できるように気力と私のがんばりが奇跡を生みますように。
そんな神頼みという不確定なものにすがってみましょう。
終わります。ありがとうございました。
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雪害で倒れた山の大木。

6月のさわやかな晴れ

雪害で倒れた100年物のヒノキや姫子や松や杉を。
山の中を少し整理してみようかと思う。

去年のせつがいでバタバタと倒れた木は。そのままになっている。
森林組合に相談してみよう。
1抱え以上ある大木が幾重にも重なって。トラックにしたら12トン車15車くらいの物だろう。もっと多いかもしれない。
いずれにしても出すのは4メートルの長さで1番ころから2番頃までしか使わないし。3番頃は細かく枝を払って山の肥やしになるように捏ねておく。

昔なら檜もちゃんとねのするころは。
1億くらいはしただろうが。今は100万もするだろうか。
伐採の人輸送。製材所。乾燥輸送。翌年当たってくる所得税。
そして大工に至るまでには何工程もの手間と費用をかけなければいけないのだが。

そして大工の手に渡すまでには設計士もいるし。
これはリホームというよりは。私の最後のわがままかもしれない。
夢中になれるものがあるというのがとても素晴らしい環境にいるのだと思う。
過去に8回もなんだかんだと。建築会社や工務店やそういった男たちの社会でお施主様として対応してもらえたことが。
なんだかとてもピーンと綱を張った上を。
歩かせてもらったような気がする。
そこいら辺の男たちは何を怒鳴り散らそうが何をふんぞり返っていようが問題にするほど。対してどうってことないように思う。
女傑だとか。すごい人だとかそうゆう言葉ですり寄ってきた人もいるが。

すり寄ってきた手分だけ引き下がって。
自分の仕事だということを一生懸命やってきたら。

いつの間にか曾遊類の人は周りから消えていた。

5月の山の緑

30兆部の山のお手入れですから。真剣に向かわないと。
森賀城近辺の5つの山の保持。
今この機会に去年と今年も何が起きるかしれない。仔の重たくて寒くなる夜のパターンで山の倒れた木の伐採は大義名分が立つ正義という動機。
このチャンスを逃すことはないと思う。出しのよい道がすぐそばについていればそれなりに根もする時代が来るかもしれないが。只何もないとき山の木を切り出すと。あそこはいまどきよほど苦しいらしいということにうわさが飛ぶので。
ちょうど良いチャンスなのだと思う。
「女だてらに」なんて言う言葉の連続だ。わたしの20歳からの人生はは「おんなだてら」にという周りの人があきれ返ることがろろ、そんなに大変で難しい事とは思わなかった。頑張ればそこにお金が落ちていたし。頑張れば頑張ったたけ人々が喜んでくれて。そして父や母も調子こいた。
「和歌子小切手書いくれとか。和歌子車が壊れたから買ってくれとか。」
どうしてこの人たちは。私が名古屋や大阪の大学廻ったり高校廻ったりして学校廻りして半年向こうの仕事見つけて来ているのに。
「何なんだろう」と思ったこともある。
母は自分の見得る程度の範囲でいつも余分な迷うことは言わない。少し筒あちらこちらの部品が壊れてはきたが。
目いっぱい仕事の計画を立てている、わが子を誇らしく見ていたのであろうか。

そこいら辺が母と父との違いで。父の方が大きいと言えば大きかった。

何にしてもあしただ。明日になって森林組合に相談しよう。

先ほど意味不明の言葉が多く昨夜はよほど眠かったのか。
何のことだか読み取れない。少し手直しした。
今日のブログはこれで終わります。
今日はめちゃくちゃ短いのですかがこれで終わります。


面積ですがみ上物を整理して整えておれば糸版問題ないのだと思い播か。ばいきゅく明記は父が売ったことにすれば死後贈与としても税金が少なく済むでしょう、。
これはわんきでとりくむことまのしごとーのひとつですこ。
と思っています。

今その決断に迫られています。雪害で根から薄てしまったものはさし水をしてでも何とかしなければ山が荒廃する。

良い物は自室のリホームに使おうと思います。

山の緑

なかなか山の整理にはお金がかかりますが。ここで今年の雪を利用はてきちんと整理していくべきかと思います。
具体的に森林組合に話持ち枯れてほしょ金があるのならそれも活用してとおもつています。
いろいろやらなければならないことがいっぱいです。
では今日ののブロ具は終りです。
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昨晩よりは。気温が下がりました。

真っ赤な一位のみ

昨日の晩よりはずっと気温が緩みました。そして今日の昼頃はとても明るい青い空でクレバスの水色をどこまでも塗りつぶしたように。

そんな雪の上に広がる青い空でした。
昨晩夜中に金魚の水槽の前に置いたかとーぶが3時間おきに消えていないか
とストーブのスイッチ押しに来て。
夜明けに着た頃は、だいぶ水槽の氷も解けていて。
それでも金魚が冷凍の氷の塊の中にいて。
「お願いだから死なないで」って。泣きそうになった。
そう願いながら最後の目覚ましもかけないで寝ました。
3年も生きていたのだから。余り急激に水槽の環境を変えると。
私の管理不足で死んでしまったら。
「今年は最悪の1月の始まりだ」だなんて思いながら自分の部屋に戻り。
今朝10時過ぎ大分気温も上がってきたので。
玄関を恐る恐るのぞいてみました。

すると水槽の下の方で固まって小さく尻尾を振っている。
出目金と龍金とコメットらんちゃうたち。
龍金なんて。さすがに金魚のの中でもぴか一の。
見栄えがする尻尾と優雅な泳ぎ。
おなかのふくらみ具合が、とってもかっこよくて。

弁天荘玄関前

金魚好きや。鯉好きには。またその仲間でしか言えない。金魚の魅力。
特殊な夢中になる世界があって。
いつか「矢富の金魚」買いに行きたいな。なんて思っているいる間に。
障碍者になってしまって。
この子たちと10年付き合っていこうなんて。思って可愛がってきました。

昨日は尋常な気温ではなかったので。何しろ外はマイナス14度。
水槽をバリバリに凍らすなんて。「なんてひどいことしたんだ。」
とショックで涙さえ出ず。
ストーブのスイッチ入れては。残酷なこと私の管理不足だとひどく落ち込んで寝たのに。今朝来たら、生きてる。
「うっそー。ほんとに。信じられなーい。」
「わー神様っているんだ。奇跡はあるんだ」そう思った。

そう思って窓の外をの空に目をやったら。
クレバスのような水色の空が広がっていた。何だろうこの気持ちって。

どんなにどんなに話し合っても。結婚という生活は難しい。
それ自体がわからなくなってそばにいるから余計に。
何が致命傷になるか。
「結婚なんてするんじゃなかったとか。」
「森のはっぴを着たからには、町内会の山道つくりも川掃除も。寺の役員もお祭りの行事にもちゃんと出てほしい。みこし担げと言われれば、みんなの仲間になって、みこしを担げじゃいいじゃん。」なんて平気で言ってしまった。

「森の婿になってくれたでしょう。120年ぶりのおめでたい事だと集落の男たちが。みんなでとても手厚い歓迎をしてくれたでしょう。「暮らすということはそういうことなのよ。」「なにも体を壊すほど難しい事は入っていないのだから。」
なんてお説教してしまった。親戚だけではない。田舎というものは親戚維持゛ょ鵜にいやらしい。コミニティがあるのだから。
男の人をずたずたにした。其れも慣れないことで男同士の中で。
どう翼を広げていいのかわからなかったのだと思う。「辛かったのだろう。つばさなんて広げなくてもよかったのに。」

今年も豊作 お米がうまい

「顔だけ出せばよかったのに。そうですね。そうですねって。周りのお家の旦那さん達に合わせておけばよかったのに。あんただって、20代や30代の若僧ではなかったのに。」ってそう思います。40代の結婚だったのに。そういう形を取ってあげるのが。一番いいことだって思ったから。

だってなんといって私のそばにいるのですから。
「従業員に旦那さんて呼ばせたかった」のです。
「主人です」という紹介が一番ふさわしいでしょう。
「暮らしているだけの人」なんて言う言葉では。
コミニュテイではいたたまれません。
何もつきあいしなくてもいいから。
普通の正統派の形を取らないと。田舎はとても。皆の話の餌になってしまうのです。エサになったらもう。生きてなんか行けないのです。
だから町においておくべきだったのかもしれません。
いなかは、今日の顔と明日の顔が違う都会ではないのですから。

都会にいた主人はコミニケーションの取り方。知らなかったのだと思う。

田舎のどこの家だってだって。代々の200年や300年の歴史がある。
誰も家系図を広げて見せて説明しないだけ。
みんなここに生きてきた遺伝子なのだから。上から見下したら。もう寄ってたかってたたかれるだけ。田舎で暮らすことが無理だったのだろうか。

だから。ワハハと笑う時には。ワハハと笑っておけばよかったのですよ。
御酒が少しも飲めない人だったから。
杯一杯のお酒で。本当に酔っぱらって頭が痛くなる人だったから。
「難しかったのかなー」って思います。

上二之町の風景

「娘さんを嫁に出す気はないかな。宿屋が好きみたいだし。思う存分やれそうな。池に泳がしたら。其れこそ水を得た魚で活躍が見ものだが」と言われたそうだ。

父と母がそろって。膝付き合わせて聞いてきた。

私にとっては。それこそ次元の違う話で。

時に時代は浅間山山荘事件が起きている最中。
皆がテレビにくぎ付けになっているころだった。

運命とはいつも交差点があって。
自分というものを切り替えていく、信号みたいなものがあって。

近くの工務店が。5万円で学校を買ってきた。
工務店が頑張って引っ張って、建ててくれたので。
5万で勝った学校に、後3000万程差し水をすれば。
そこそこの建物になった。
そんな勝負をかけるのが大好きだった私は。
父を下敷きに何度も何度もか完財して。銀行をあっという間に自分の財布にした。
マイクロバスの免許も取って。スキー場も行った。
29人乗りのバスは。運転し甲斐があった。一段上から。見渡す運転席は。
スカッとした。どんな高級車の車も。大したことなく見えた。

今バス事故が相次いでいるが。
どうして、そんなバス事故につながるのか不思議でしょうがない。

スキー場へ行く時、後ろタイヤにダブルチェーンをまくときは。
さすがにチェーンが重くて。
泣きそうになりながら頑張って掛けた。

「うーん。重たい。鎖がもう一コマほしい」
男のやる仕事もやって見せて。
得意になっっていた、箸にも棒にもかからないおてんば娘の度を超えていた。

若さの勢いの怖いもの知らずの、「言うこと聞かず」のやんちゃ娘だったと思う。


いまだに記憶に残っている。野球少年たち。

千種高校は名古屋では結構な学力優秀校で地元の飛騨高校と、
(飛騨高校は、去年飛騨高校は甲子園に行った。)
練習試合をするために、弁天荘に25人ほどのの部員が毎年合宿してくれた。

良くなつく子たちだった。其れは、高山の花火の日高山市はごった返していた。

「一人の男子生徒がけいれん起こして、苦しんでいるから久美愛病院へ連れて行ってほしい」と先生が言ってきた。
「タクシイー呼びましょうか。救急車にしますか」と聞いたら。

「いやレギラーの全員が一緒に行くと聞かないもので。」と、深く頭を下げられた。そして野球少年たちは私に向かって「叔母さん。お願いします」なんてみんなで、声揃えて頭を下げているものだから。

仕方なく花火でごった返ししている夜の高山の街へマイクロバスを走らせた。
今の久美愛病院とは。違う。大新町4丁目の。花火の打ち上げ上のすぐそばの。

あの狭いコンコースに。マイクロバスを突っ込まなければ病院には痙攣を起こしたした少年を運び込めない。

「これ以上は近づくのが無理」と言ったら。
「ぼくたちで道を作りますから。」なんてチームの誰かが言い出して。
信じられないことに。皆でマイクロバスのよこを囲んで。
人垣の中に道を作ってくれた。
先生まで飛び出して。「おーいバスから40センチは、間を開けろよ」なんて叫んでる。

5月の山の緑

「うっそだろうー。そんなことされたら。やるっきゃないじゃないの!!」

慎重に慎重に。ハサードつけたままに。10センチづつ移動。小さな警笛プっプって鳴らして。正面玄関に。ついたら野球少年たちは。
万歳三唱なんかしていた。

「子供たちは、泣かせてくれるじゃん。」って私も涙がにじんだ。
高校球児というものは。どうしてこうやることなすことが。
感動的なこと積み上げてくれるのだろう。
若いってとっても純なのだと思う。
そのころはまだ救急医療体制も整っていなくて。
ああゆう手段しかなかったと思う。

3時間ほど待って、また子供たちを乗せて宿に帰った。
「収まったの」と聞いたら。「いえ。原因不明で。まだ金縛りにあったみたいに。全身硬直状態でこんばんは先生が付き添って入院するそうですから。」とキャプテンが事後報告に来た。そのころはごった返していた花火の客も引いて。
ガラガラになった街を帰ってきた。

昔から私はお母さんやっていたんだと思う。
千種高校とは不思議なものでよく縁があるというか。

秋に。修学旅行生が。家の前にバスが泊まった。5台ほど。
中ほどの車から。夏張り切っていた野球部のその先生と。
見知らぬ少年が腰をかがめて降りてきた。

どうなさったのですか」と言ったら
「おなかが痛いって苦しむ物ですから。吐き気もするって言いますし。」
だから「トイレかしてもらいたいと」

「いいですよ。この学生さんですか。」と聞いた。
「他の学生さん達は?」と言ったら。
「何ともないのですよ」と言われるので。「ジャー盲腸ではないですか」私は医者ではないから。診療所へ電話した。家族を連れてリターンしてきたばかりの
ごんちゃんが見立ててくれるだろう。

後で千種高校の先生から。電話があった。

「ありがとうございました。」
「結局どうなりました。」そう女将さんの言われる通り。
「盲腸でした。」だから親御さんに連絡して。連絡して日赤に入れてから。
皆、バスで無事帰りました。

夏に向かって若草色の色が濃くなり

きっと先生は。生徒を掲げて見知らぬ地で。
責任とか。指導とか的確な判断とか。
そういう重苦しいものに、藁にもすがる思いで。
少しでも救いを求めて頼ってくれたのだろう。
今の社会はそうゆう、暖かてい気持ちのやり取りが見えにくくって。少しでもあらを見つければ食いちぎって。引きづり倒そうとする。猛獣たちの住んでいる。野生の王国のような社会なのだろう。暖かい気持ちや。大きな愛は届かぬ、「下心下心なんて」うろついているオオカミみたいだ。

ささくれ立った気持ちしかない平成に生きる人たちがかわいそうに思える。
今の高校生もあんな風に。まっすぐな気持ちで生きているのだろうか。

熱くなる思春期の子たちを掲げて。先生自体が、「助けてくれー」と飛び込んできたのだろう。「助けてくれー」というのなら。
目の前に苦しんでいるものを助けるのが当たり前の事ではないか。
心配してあげるのが当たり前のことで。それが私の住んでいる世界。

そんなに恩を売るものではない。そこにがんなばって社会を作ってきた
昭和の時代があった。
でも恩に着るよという言葉は。恩を返せる自信があるものだけが言える言葉。


「あんなこともあった。こんなこともあった」と。


この宿屋にはとても多くの私の思い出が詰まっている。
だから私が病気になって足を引きずって歩くことくらいで、投げ出すわけにはいかないような気がする。しかし、そういいながら。
倒れてしまってはなお悪い気もする。
この間診療所に行って看護師さんが血圧はかったときに、上が120まで下がっていました。
200くらいはざらにあったので。
「もういいんじゃないの」と言ったら「お薬飲んで120なら。お薬やめたらまた上がるからダメです。」と言われた。

そうかもしれない。

「にゅうかわ診療所の医者様は、お薬はあんまり持たせないから。だから安心なんやで」隣の席の。おばあちゃんたちが言っていた。

「私には山程薬持たせるくせに。」そう思っている。
あずきな山菜


つきあい方は一つ間違えると偉いことになっている。
何も飛び込んで行って愚痴ひとつ聞けないのなら。

遠くからたまに患者になってやればいい。それが3歳からの付き合いなのだから。
バスを取り上げて。ぶーぶー。ちんちんなんて。遊んでいた。「お兄ちゃんやってる」もう私は受験勉強の時、模擬テストの問題集貸してもらった私ではないのに。

たった一人の医者として、体も時間も投げ出して活動しているのだから。

褒めることはあても。
何も言わなくてもいいのだと思う。否定したら。よけい人は面白がる

人。とは助け合って生きていくものだから。私が間違った生き方してなければ。それでいいのだと思う。只ある人から。そのことについて言われたことは。すごく悲しかった。まるで私は週刊紙のような、記事にされることは一度もないのに。「保険金泥棒と。言うのでしょうと」とにこにこ笑っていた。
「そうだよん。こんなにいつも私にお薬いっぱい持たせて」「お商売。国からちゃっかりお商売しているでしょう」と心の中で答えた。
「処方箋書くだけでいくらか入るのでしょう。」
「そうですよ」と「ビールを宿屋で売るようなものです」言っていた。
どこかの日赤から回されてきた、研修医が何も言わずに座っている。

いつだったか。紹介してもらった「女医さん達のグルーブも。先生の幼馴染だって。まるでさすように。私に向けられた目。
主人が。「先生のグループには。一杯ごちそうしてやって。先生のお客さまだから。たくさん注文されなくてもごちそうしてやって。お酒もじゃんじゃん出してあげて」というので。「商売とわかってきているのだから。しっかりサービスに似合う対価をもらっておけばいいのじゃない」と言ったのだが。

あれは主人の焼きもちだったのだろうか。「私の主人やっているのは俺だ」とでも言いたかったのでしょうか。
男のじぇらしいもいやらしいが。
そういう風にしか見られない。この目の前の女医さんも。いやらしい。
遊んだ一人なのだろうと思ったが。

口に出すと女将でなくなるので。「マアーここは、小さな村で。子供のうちは、皆兄弟みたいなものなのですよ。」そう言っておいた。
人間は。豊かな心で人を見なくてはいけない。
自分がさもしいと、考え方もひねくれてくる。
宿屋の女将って。そんなスナックや。キャバクラの女の子とは違うんだ。
そう思ったけれど。背負っているものが違うので。軽くかわしておいた。

今頃どっちもくしゃみしているかもしれない。

「私の犬が鍾乳洞の中で愛犬のボルゾイが転んだので骨折してしまった」
と青ざめて。玄関に飛び込んでいる来たお客様。
「獣医か普通の医者か。紹介してほしい」と言いながら家族が飛び込んできたので。連休にやっている獣医は限られているし。手術ともなると。

なかなか対応できるところは少ないし。

「人間の町医者でもいいです。」「手術道具貸してくだされば」と言ったので。
私は診療所の医師の自宅に電話した。奥さんの所へ電話で事情をお話しした。
「これこれしかじかで。〇〇なんです。」
「わかりました主人は今診療所にいますから。電話で連絡しておきます。」
そういわれたので「診療所」に行くようにお客様に行った。

水仙さきました。

30分も過ぎた頃だろうか。
中学生らしいおねいちゃんと小学生らしい妹と。
30代半ばだろうか。夫婦が。

うちの貸切レストランで。ペットシーツ敷いて。
床でさっと手術が始まった。
すごい言葉のない世界で。

奥さんもおねいちゃんも、手術の道具を手渡している。


「麻酔でも打ったのだろうか」と思うほど。
ボルゾイの足はおとなしく伸びたまま。
下の妹らしいお嬢ちゃんが小さな声で「〇〇〇我慢して。」
なんて小さな声で言いながら、犬を抑えていた。
そこには「命を助ける」という緊迫感が流れていて。

私は(私の従業員が。ノウてんきにドアを開けてお膳並べに入ってこなければいいが。)とハラハラして、入り口のドアの前に陣取った。

手際よく手術が始まって。あっという間に包帯が巻かれていった。

それから一週間も過ぎた頃。
お菓子が送られてきた。「大変お世話になりました」そう添え書きしてあった。

それからまた一週間ほどして。
診療所へ検診に行く日だったので。
「ありがとうございました」とお礼を言ったら。

看護師の格好している奥さんが「なんだかわからないけれど。あの日あのお菓子で。シュウクリームをたくさんいただいて。おいしくいただいたのですよ。」
と言っていた。

お医者さんやっている時、「ありがとうございました。とても喜んでお帰りました。助かったわー」と報告したら。

枝が折れても咲いているさくら

「いえいえ。こんなことで御恩が返せられるのなら。良かったです。」
て穏やかだった。
「彼は自分は獣医だと言ったので。簡単な手術道具だったら」と
「これで十分です」と言っていたので「1セットかしたのですよ。」
と言っていた。
「お金はしっかり支払ってくださいと宿の女将が言っていたと、伝言は聞いたけれど。「カルテに書きようがないので。お金はもらえないから」と言ったら。
お菓子をたくさん届けてくれました。うちの家族が食べていましたよ。


そうゆう人間のやり取りがあって地域社会が成り立つのだと思う。

だから。それでいいのだと思う。私はココで薬をもらって生きていくよりここを離れたくないのだから。「今更浮名の一つぐらい流してもしょんがないもの。」
私のほしいものは安らぎという幸せ。
暖かい気持ちで助け合うことが大事なのだと思う。
口からのへびやかえルを出したところで。自分が、さらに醜くなるだけ。

もっと成熟した大きな光の輪の中のような。そんな生き方がしたいと思って。
人間として生きることが恥ずかしくなる。犬にも劣る人間で生きるのは嫌だから。
この地域社会で生きていく事の居場所を、しっかり見失わないようにしたいと思う。人間として泣き。人間として苦しみ。
人間として。笑うことも、「まんざら」ではないのだから。と思うから。

表の衣桁らの中は柔らかい肉。カメもこすっぽんも。みんなそう。うちの家宝の一つ大広間の2軒と粉にかけていた掛け軸。
「亀。毛長三尺」素敵な言葉だと思う。
それが生きるということなのだから。何もそこでキヅつくことではない。
「血肉になれないものなのなら。其れでもいいんだよ」て、思っている。

私だって浪花節のように。生きてきた。
くじけそうになって。椅子つも泣きながら立ち直って歩いてきた。
みんな一緒なんだ。生きる癖をみんな持っているから。
その癖もみんな飲み込んで。それでいいと思っている。
今更旦那は死んでしまったけれど。

いつか巡り合うかねしれない人のために。
寄り添って穏やかな夕日を眺める瞬間ががあるとしたら。
それが私の最終の終着点だろう。だから。星の王子さまのように。
想えば届くかもしれない。その時があれば。其れだけで心臓が止まってしまってもいいと思っている。短い時間のほんの一時なのかもしれないが。
それがとっても。幸せなんだろうって思うから。
いつかそんな人が私の目の前に現れたらいいなって思うそれも夢。

しかし、私は地べたに這いつくばって。泣きわめくことはもうできない。私はもうそんなに若くはないのだから。
落ちることはないだろう。どんなに低くとも、飛び続けたいから。
老いとともに落ちていくのは嫌だ。そんな風に出会い。忘れていた恋心を思い出すのも。絶対に嫌だ。
老人ホームや特養に。小さなスペースもらって暮らすのは絶対嫌だ。

今私にはどうしても。きちんとその地域社会で、生きることを。
どうしても理解してもらいたい人がいる。黙っていつの間にか瞼の中から消えてしまえば、それも縁だろうと思う。一度もあったこともない人なのだから。
白馬にも乗っていない。何に乗ってくるのでろう。牛にのんびりのんびり乗ってくるかもしれない酢。畑の真ん中で。野菜の手入れしていたら。やーなんて。未だ見知らぬ人が、訪ねてきたりして。

あははーっと笑ってどこかに懐かしい者見つけたりして。
「幸せってなんだろう。」大きな大きな夢を見ることかもしれない。
多分。其れを夢だと思っても、「冷めないで死んでいけるのが」
一番大事な幸せなんだろうと思う。

もぎ取り農園一休みのいす27年.jpg

「どんな宿?」と思われたお客様が。
このブログを読んで。優しい気持ちになったり。

「ふーんそんなことあったんだ」と。興味を持ってもらえばいいと。
うちの玄関まで入って。
客として親戚のおじさんやおばさんのような気持ちで。
姉の生き方の足跡を見るように。読んでくださればいいと思って。

書き綴っているものでございます。
10年の日々が。あっという間に過ぎていきました。

私の田舎に生きる気持ちが。まっすぐに生きようとする気持ちが。
皆様の何かにお役にたてればなおさらの幸いでございます。

私ももう何年か。しか宿をやれそうにもなく。
毎年あと一年。あと一年なんて頑張っています。
まだ当分やる事でしょう。

「また来るから。きっと来るから。其れまで頑張っていて!」
「そのお言葉が、また来たよー」になって。

私は本当に売り上げだけではない。
優しい大きな大きなものをお客様から頂いています。

「頑張れ。頑張れって」言葉には出し切れない。
大きな励ましをたくさんもらっています。
それがとてもうれしくて。
何度も何度も立ち上がってきました。

人世は漫画のように面白く。
小説よりも真実は、もっと迫力のあるものなのです。

だって明日にかけて生きているのですから。
強い事ばかりを言い続けてもおれません。

もろくて弱いのが人間です。
でも弱い者ばかりでは社会が成り立ちませんから。

私は貧乏くじ引いてもいいんです。

私は「過去にも未来にも。素敵な夢と宝物がある」と信じていますから。

64歳ですが。生きることを、楽しむのは歳ではないのだと。
いつも思っています。
春になったら、また野菜の種買ってきて。同じことの繰り返し。

きものお手入れ中虫干ししています。
鶯が鳴いて雪が解け桜の花が咲いて。
そんな景色を眺めて暮らせれたら。私の命に感謝です。

ありがとうございました。
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大寒波で玄関先の金魚水槽。氷りました。

ゆきぐもにおおわれたけしき

大雪の次が大寒波。水道は出して回っても。皆で水道出すと水圧も下がって。
水が止まると凍ってしまいます。玄関の水槽の私の金魚たち。
私の管理不足で、凍ってしまいました。
ストーブを引っ張って行って今付けてきたところですが。

昔は緋ブナを入れていた水槽デスが。緋ブナがみんな死んでしまったので。
さみしいからと金魚を入れていました。金魚の水槽にしては広すぎるくらいの水槽です。
昔は一時錦鯉に夢中になり。鯉の弁天様の池で飼育していました。でも錦鯉はなかなか難しくて。浅黄やら。ドイツ鯉やら緋鯉やらいろいろ買って。無駄なお金を費やしました。井戸の水でなければ。飼育は無理と諦めて。それから水槽に切り替えたのです。ネッツ大魚も買っていました。ネオンテトラやグッピーやら。
でも温度管理が難しくて。だから。そのうち金魚の水槽だけが残りました。
龍金やランチュウや。コメットたちが優雅に泳ぐ水槽は。
また別の世界があります。そんな私のかわいがってきた金魚たちですか。
出目金と龍金と、コメットとランチュウ。氷の中にいます。
氷漬けなのだから、死んじゃうかもしれませんね。
つらいですね。外に流れる雲の中に大きな月が出たり入ったり。

冬の全景

ドラマチックな青白い景色が浮かんでいます。
耐えられないような寒さなのに。今夜の寒さはすごいです。

飛騨高山でも。ロシア並みです。
自然の前には。人間の作った組織なんて弱いものですね。

3ン年目の金魚たちなので。
私になついて元気にえさをパクパク食べてくれていましたが。
こんなふうでは明日。気温が緩んで来たら。

少しでも泳いでくれたらいいのですが。生き物は犬でも猫でもたとえ金魚でも。
失うことはつらいものです。
耐えきれない悲しみに。今日はひどく私のせいだなんて落ち込んで。

今夜は何も書く気にもなれません。ごめんなさい。
軒下野田ボールの中に毛布ヒイテ。ジョンノ家の補欠地域猫。私はもう家の中ではこれ以上買ってあげられないから。耳カットされている猫だから。エサだけやって。生きていてねと声かけて。寝ます。

北アルプスあたりに登っている登山家たちが遭難しないように祈るのみです。

家の中でもマイナス一度。外はマイナス14度。
神様はどこまで試練を与えられるのでしょうか。
我慢して、冬の水槽は水が汚れると大変だからと。
人気のない宿はさむざむとしています。

モーターポンプの回転と酸素だけ回して。エサやりも控えていたのに。
何かとてもむなしい気持ちになります。自分の管理不足落ち込みます。
生き物と暮らすということは。こんな場面もよくあることなのですか。その都度私はかかげきれないほどの辛さを背負ってしまうので。
なんだか悲しみだけが広がって。とても私の心も折れてしまいそうになります。

では今夜はこれで。
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遠い春に心寄せて。

ふきのとう

人の苦しみなんて。それぞれに痛いところが違って。
他人からするとなんでそんなところで泣いているのだろうって
まあ、それくらいの物で。だから。意外とあんたのココが悪いとかそこがいけないんだなんて。グサッとナイフで刺してしまうものなのですが。

犬を見ているとそんな取引はなくて。ストレートに尻尾を振るだけ。
そして顔も甘くなる。目を細めて「会いたかったよーー」なんて顔して。
両手で空をつかむように。前足出して。空をけっている。
そんな仕草ができる。

うちの犬たちも生まれ落ちは「どこの馬の骨」ともわからない。
「犬」なのだから。「馬」だとは言ってないのだが。
ジョンノ家で窓の外を通る人に向かって。

ソフィ7歳

「わんわん。ちょっとー。そこの人ー、」なんて呼びかけている。
私はココにいるというのに。外の物音に臆病なのか。
優しいからかわからないが。
あんまり吠えているので、のどが渇いたのか。
水のみながら。また外を。


「あれはつららが解けて落ちた音だよ」なんていっても両耳澄まして、目をキラキラ輝かして。もしもレオンもジョンも綱を外したら。
暗闇の中へでも突進していきそうな。勢いだ。
それほどにも力んでいるのが却って滑稽で。
3つの建物を夜回りして最後に犬のフロアーへ行って犬たちとをしばらくブラッシングして。寒さに負けないように。マッサージしてあげました。
そして今。今日のブログを書いていないような気がして。

パソコンの前に座りました。
今日は昼間散々fBの仲間の前で。
ぼやいたからちょっとは気が済みました。


家の宿は「いくらだったら。ちょうどいいのですか」ヒットしますか。
なんて自信のないこと聞けないから。
年間売り上げの中から。月割りして日割りして。絶対必要経費と運転していく費用計算して。
平均スタッフのお給料もはじき出して。
消費税も乗っけて打ち出すことにしています。
なんだか割高感がぬぐいきれませんね。これで実際に販売に載せきれるのでしょうか。ゴールデンウイークやお盆やシルバーウイークや、年末年始くらいは集中して動くでしょうけれど。何ともつかみきれませんね。10月からの対応が。
結果が来年の春の消費税支払いにかかってくるのですから。
威勢よく乗り出す時ではないな。そんな耳の裏で天の声も聞こえてきて。

未だ細かい計算ができないのでカレンダーには色分けできないけれど。

それが吉と出るか。ぺけと出るかは状況と人の流れを見てみないと。
わからない。
こんな真冬には出せないのですから。
3か月前には値段出しておかなければ予約も建てれないというもの。

いっそセルフの宿でおもっきりペンション値段と片並べたらなんて計算機たたいてみても。うーん違うな。これでは身動き取れなくなってくる。

もうちょっとだけ売り上げ数字と戦ってみる年月があるようなので。
そんな風に思います。今日は疲れたので犬のしっぽ撫でただけで悪露るブログにします。今日はあまり盛りたくないのです。今月も来月もまだまだ冬なのですから。

夕ご飯に。父と二人で食卓を囲むとき。父がこれはうまいものではないか。
「生まれて初めて食べる」というので。またまた、がくぜんとしています。

だって表面を粗挽きコショウで味付けしただけのハムを油で焼いただけなのに。
「最近はしなかっただけで。昔はよく食べていたでしょうと言っても。」
「ふーん。初めて食べたわ」なんて。とてもつらい。
おいしいおいしいと食べて。だんだん壊れていく父。

サバを二匹丸ごと買ってきて。
ぶつ切りして、下ゆでしてから、みそとしょうがで、ことこと煮たただけなのに。
時間をかけて似ただけなのに。「おいしいおいしい」って食べてくれて。

昔は「おいしい」なんて絶対言わなくて。「今一つ味がつかめん」とか。
そんなことばっかり言っていた。
「味が濃すぎると、最後まで食べきれんようになるぞー」とか、とかク味には
そんなうるさい父だったのに。贈与税まで結構最近高くなって。田舎だと言ってもうっそーというくらいの金額。この宿は最初っから私めいーぎで建てたもので蔵以外はみんな私の立ててきたものだから。土地だけなのだが。

桃太郎トマトジュース

司法書士の印紙代からいろいろ入れると、かなりの金額がいるから。
急に死なれては困ると父に言っておいた。
「いつ死ねばいいのだ」というから。
夏は忙しいし。秋も。年末年始も、ダメ。と言って話したことがあった。
叔母も参戦して。
「ゴールデンウイークなんかに、死んだって兄さん。誰もそばについとれんのやよ」なんて耳元で大きな声で言っていた。

笑い話ではないが本当にそんなものだ。予約をうけたいじょう。
そんなものなのだ。
現実は、いつというわけでもないが。私独りぼっちになってしまうので。

多分私も気力が風船の空気の抜けた奴みたいに。
成るだろうから。相続税支払って。弟にもほしいというものを渡して。
私は特養にも老人ホームにも入れない性格だから。
どこかで一人暮らしを続けるるのだろう。
叔母も、多分そのころは孫に囲まれて。暮らしを「元」に戻していることだろう。「言うこと聞かず」の私は、弟夫婦と暮らすことなんて。
太陽が西から上がって来たってあり得ないことなので。
そのとき、できるお仕事してきっと楽しんでいるだろう。

わらいのとまらないしょうばいでなくて。最初から笑えない小商売して。
出費がないから。
「犬たちくらいは飼えるだろう」なんて頭のすみっみで思っている。

嬉しいねと見上げてお話している犬達

だから入念な試算表作って。
3つの商売の線引きして。
最後にどの仕事を残すかなんて。相談相手もいないのに。
自分で計算してノートに書き込んでいる。

「危機感を持って取り組むことは大事ですよ」なんて。
メインバンクの本店の常務に言われたことを思い出す。

若いころ、どうして私の周りには、あんなにおオーラを放つ人が、多く居たのだろう。それだけ素直に感動して物事を受け止められたということなのか。

こんなおばあちゃんの入り口で、泣き言ばっかり言っている私では。

誰も教えてもくれまいと思う。
だから仕事していない冬のシーズンは。好きな本読んで。時々パソコン。時々テレビ。心に栄養やることにしている。

料理が好きだからと言っても。一人で作って食べるのもむなしいし。
仏様や神様におすそ分けして飾っても。

すぐ下げに行かなければならないし。

独りぼっち生活もちょっと飽きたかなー。

話し相手は本当に大事だ。fBで。「勝手気ままな生活が最高」なんて言っていた人。自由がありすぎても不自由なんだってこと、投稿したくなる気持ちをやっとで抑えた。笑わせてはもらったけれど。
本当は。穏やかな陽だまりにゆっくり話し相手があるのが一番望ましい。

歳を取るとそんなに出歩く気もしないし。
若いころ「これが私の命と思ったと仕事も」体がつらくて、できないから。
きちんとできないのなら。
ちゃんとやってくれる他人を探して譲ったほうがいいと。
顧客が大事なら、ますますそう思う。

お客様の宿泊記念写真

「ほっとけばまた違った宿を求めていくもんだ」
そう言う経営者もいるけれど。

「私の宿はそういった、金の切れ目が縁の切れ目ではない。」
お客様の思い出を大切にお預かりしているのだから
犬の世界を知っている人でなくては。
二束三文の値打ちにしか見えないのだから。だから今は私が守りきらなくてはいけないのだから。

いつかメインバンクの支店の若い次長さんが来て。
高山はいずれは前回集落ですから。そしてこんな小さな宿。
「帯には身近はし、たすきには長しですから」と言ったので。

業界ではその計算とは違ったそろばんはじくと思いますよ。
可能性はいろいろありますから。

一般住宅のような計算してもらっては困りますね。
一点物の宝を古着と言ってのけるのと変わりありませんね。視点の違いなのではないかと思いますよ。明日か明後日の事しかわかりません。
今年はまだ生きているでしょうという事だけは言います。」

「父がいなくなっても保証人の追加がなくてもいい」と言われるのなら、「頑張れるところまで頑張ります。」なんて思っている。

冬は確定申告と。そして時々帳簿付け。で終わってしまう。

ここんとこそんな暮らしでのんびりと羽を休めてきた。

色んなひと山越えては、いろんな荷物をいっぱいかかげているから。

時が通り過ぎていく時吹く風がいろんな痛みを持ち去ってくれるだろう。
私の生き方は。そんじゃそこらの生き様ではない。
多くの各界のゲストを前にして。

「皆様の数々のお力添えの元。生まれましたこの弁天荘の襟を正して私が成長させていただく、これからの生き様を。どうか皆様のお心にかけて、見ていてくださいますように。よろしくお願いいたしますなんて。」

30代の娘がんな挨拶やってのけたんだから。
私には私の引いた足跡を汚したくない。そして。「そうだったのか」という。
人もうらやむような、「幸せな太陽の沈み方」しか、したくないのだから。

ある程度の人生設計は必要でも。

廊下

それ以外の外野のヤジは入らない。
だから私がすべて解決して仕事もきちんと整理して。
勝手に倒れてしまったり。逃げ出すことはできない。

周りを巻き込まぬようにちゃんといつも身ぎれいにして進めてきたことなのだから。

ふり幅は少なくても。約束手形も切らなければ先付小切手も出さない。
最近の手堅い商売しか、しない私。「金がなければ買わなければいい。」

普通のあいさつしたんじゃない。「娘女将」としてデビュウしたのだから。
間違えて玄関は入ってくる奴なんかいくらでもいた。

でもちゃんと迷わずに、結婚する時は結婚した。でも先に死んでしまっただけ。

田んぼのど真ん中で。トノサマガエル相手に。
襟を正して、挨拶したんだから。

「案外もろかったよね。」言われるのが悔しいので。
やりにくい社会だけれども、また春から頑張ろうなんて思う。

今日のブログはここまでにしておきます。
いつも温かい目で呼んでくださりありがとうございます。おやすみなさい。
- | -

水道凍ってしまいました。

中庭がこんなに雪だらけ

さむい。マイナス12度。
部屋の中ではストーブたいているので。それほど寒くは感じていなかったのですか。電熱線で播いていても。それでも追い付かないほどの
やはり日陰は凍るのですね。この場所はいつもこの季節は油断しているとそうゆうともあるのですから。
「まいったよー。」叔母が第一声に飛んできた。
凍結しているところがあるらしい。
私は昨夜遣り掛けの仕事かたずけていたら夜中になってしまったので、ひたすらベットから起きられず。ぶら下がったつららを叩き落としておかないといけないなんて。ちょっとうとうとしながら現実の事を考えていた。
一人で管理していたことなので。そうゆう事の日常茶飯事だったりで。さして驚くことではないが。運営維持費がかさむ今の時期は。頭の痛い事ばかりだ。

ちょっと、書きかけで中断する。

父と叔母が口げんかしている。育ったころのことだから。
言い合いしているので私が生まれる15年も前の事。
「まあまあ」ってなだめて。帰ってきた。
そして、私は設備屋のあれこれやっている母屋に戻った。
母屋でよかった。次から次と電熱かけていくのだがなかなか解けない。

あちこちから凍らせたみたいで電話かかっている。
「弁天荘が済んでからそちらへ伺いますから。」なんて返事している。

どこもそこそこ地元では名の通ったホテルや旅館。
現実は夜勤のフロントマンがいても。
こういう事態は引き起こるようだ。

今朝はマイナス12度。獅子山の温度計は、マイナス14度くらいになってい居たかもしれない。
明日も明後日も大寒だから。部品が来たらすぐきますからと帰って行った。

お客様の関係するところでなくてよかった。
素直な気持ちでホッとしているが。
母屋だって私の管理するところなのに。
父が邪魔で大工も入れられない。何にもしないほうがいいに決まっているから。
春になっても景気が良くなるとは限らないし。

お金はずっと、同じプールにあるとは限らないし。
亭主が残ししてくれた保険のお金は病院代と。お坊さんに渡すお寺の費用に消えちゃって。
近所の人が言うほど。別会計があるわけではない。
だからアクシデントが起こるたびに。ああー今度はココかーなんて。
走り回っているだけ。
でもその都度設備屋も電気屋も大工もクロス屋も板金屋も、みんな一番に飛んできてくれるから。
雪庇の雪

とりあえずの応急処置して。
私は大きな輪でまもられているんたっていつも思う。

今日たまたま。fBで「日本髪研究」している人の投稿記事を、ずっと見ていて。
「世の中にはこうゆうことにチャレンジしている人もあるんだなー。」
といろいろさかのぼって見ていた。
相対的にはとても興味深く。勉強になった。
今の時代ここにない、情報があふれている。
どんな山奥でも得られる情報と知識があり。
素直にその知識や。興味あることは学んで取り入れて行けばいいのだと思う。

私の得意としてきた世界は。
「家庭料理の事」と。「畑の事」と。「犬の事」と「和裁の事」と。そして稼ぎ頭の「旅館のこと」くらいだもの。
意固地に受付拒否の反応しめすことではないし。
「奥が深いんだ」ってことくらいしか。感じられなかったたけれど。
早々もっと心の窓を大きく開けないと。知りたいことがたくさんある。

もっともっとおおらかな私が形成できない。

そう思って少し「神棚から牡丹餅落ちてくる気分」で素直に見させてもらった。

神棚の牡丹餅も、飾った手ママではかびてしまう。
つつくか。くらかけに登って下げまわさなければ、自分の功徳にはできないのだから。

人には結構いろんな事いうのだけれども。「自分のことを正しいと」それらしいこと思っていってしまうし。


言わずに胸に掲げてしまったら。また病気になるし。
たいていの人は。見てみるふりをしたり。
にこにこと寄り添って、本人が一番ほしい言葉であろう言葉を選んで。
添えているものなのだろうが。

真っ赤な一位のみ

なかなか人間なんてすべてが苦悩の人であり。どんなに年食っていても。
菩薩には到底。程遠いものなのだから。悟りなんて開けないのだからー。

毎日が維持するだけで大変なのだから。そんなに深く考え込まないで。知識やそういう人達も一緒にこの地球上に息して物食べて暮らしているんだからくらいに思って。眺めればいいものを。

高校時代。弁論大会に出ていきなり最優秀賞もらった。ライオンズクラブの主催した。「飛騨の地で清く正しく生きて」なんていうタイトルの。
そんな高校時代がやたらに懐かしい。

あの時学校が複勝にメダルくれて。ライオンズクラブで活躍していた人たちもみんな死んでしまってこの世にはいない。ディズニイランドができたその年に。おじいちゃん社長さん達と。名鉄観光の営業本部長さんと私とで。おじいちゃんたちと孫のような珍道中。「森茂一くんのおまごさんかねー」なんて言われて。「はい。そうです。」なんて。結局、祖父の七光り。
私は恵まれたデビュウして。恵まれた下敷きの上に。わがままを通してきただけ。

5人で回ったあのシンデレラ城の前のミッキーのショウも。
いまだに変わらないでいるだろうか。

型破りな人生を楽しく過ごしてこれたような気がする。私は囲えるような人ではないので。女ひとりで歩いてきたようなものだけれども囲い者にもならず。はみ出し野郎のような。好きなことだけやって生きてきた。

違うんだ。こんな道もあったのだからと。今は集めてきたコレクション。
披露する場所がなくって。自分で体験館作っただけ。

一人の宝物にして楽しんでいる。なんというわがままで贅沢なことだろうと思う。

普通のサラリーマンが「あくせくしているお金という報酬を」
そんなに「無理しなくても。何とかなるものだもの」だなんて。
さらりと言うから。敵を買って。

名古屋からの源泉の国税査察チームの。立ち寄りうけてしまう。

お客様に。「やっと一人前の扱いされたのだから。頑張りなさい」なんて、なだめられて。どこまで行ってもこの繰り返しのようだから。
どこかで手放そうなんて。思ってしまう。

人生設計を一人で勝手に引いてみては。消しゴム片手に書いたり消したり。
何がいいのかしれないけれど。好きなだけ好きなことやって。生きてきたのだから。楽しかったと言える人生の終盤迎えたいから。

無駄に時は過ごせない。自分磨きの時を過ごさないと。
私は景色を見たいのであって。生々しい人を見たいのでない。
穏やかな光の中にただずむゆとりで゜暮らしたいのだが。
そこにいっぱいの私のお茶碗があればいいだけ。
人のありようを見るのなら。心も通い血も通う。そんな生き方したいだけ。

今が私の修業の時と。下り坂で目にする咲く花もかわいいものだ。
そんなゆとりで周りの人々を見ると。
素直にこの世に紹介してあげたい。褒めてあげたい人ばかり。

自分の家族を人前でほめる奴はは大馬鹿で。
他人だから、褒められるのだと思う。
たたえてあげられることの心のゆとりを、持ち続けることは大切と思う。

飛騨の大茄子のナス焼き

そして。素直でない人の心の中に。
ちょこっと安らぎみたいなものでいられるとしたら。
私は私として生きて頑張ったのだからと。その生き甲斐いになれると思う。

そして投げ出した人生ではない。
景色の中で自然に溶け込むように暮らしていければそれだけで。嬉しい。

静かに暮らすために。まだもう少し頑張ってみよう。って思う。
そしたらきっと。「もう少しだけ生きていなさい」なんて。
素敵なご褒美くださるだろうから。
生きていることの喜びを感じるような胸の膨らむ、ご褒美があるかもしれないから。
大雪に大寒波と神様の試練の時はたくさんあるけれど。
きっと私が人とは違うところは、真っすぐなところ。一途に走っていく事。

でも今までは間違いでなかった。
これからはすこしそのその直進に。パラレルスキーやボーゲンのように。
少し柔軟なゆとりつけて生きよう。

そうしたら。夕日が楽しく長く感じていられるから。


あったかい気持ちで暮らしたい。
そんな気持ちでわしはこの地の土になりたいと思っている。
今は誰と引く人生設計なのか。具体的なものは何一つなく。

希少価値のガラス戸

ぼんやり「王子さま」ではなく。「大爺様になれそうな」そんな人に。
犬ではなくて人に。
なんて思ってしまう。楽しい事ではないか。

人世は。とてつもなく楽しいものだから。
たった1つのオリジナルの生き方は。
やっぱりそれも私の宝物だと思う。
明日も寒さとの戦いです。ほっこりとした生き方したいですね。

では今日のブログはこんなところにしておきます。ありがとうございました。
- | -

家族というチーム

反保母の種

家族というチームは。本当は血縁関係で囲まれる一つの和だと思う。
叔母が抜けた4日間がとてつもなく重く。
父と私で囲む食卓は。除夜の鐘のごとく。
やることなすことが「はあー。何」なんて、耳に手を当てて何を言ったのかもう一度聞こうとする。その姿を見ていると切ない。

ともすると、お気に入りの仲間の年寄組合の輪にはいれば。
生き返ったように「わははー」と笑い。


「これは俺の娘だが。もう60過ぎ取るし。こっちへ来なさいと言ったほうがいいのじゃが。」なんておばあちゃんたちに紹介している。そして。
「今年で93歳になるし、同級生のクラスでは男はみんな死んでしまって、後は俺一人になったし。戦争で潔かった同級生はみんなひとりも残らず。死んでしまって。」
「そうやいなー。「森さんは近衛兵さんだったので。東京の皇居を守っておられたんやねー。ご苦労様でした。」なんていうやさしいおばあちゃんの言葉に

「飛騨の近衛兵もおれ以外は。もう一人もおらんので。わははー」5〜6人の80歳くらいのおばあちゃんたちを、相手にして。
得意になってはしゃいでいる。

レンギョウの木も雪で押しつぶされて


何かつらい。そのことが頭の中で、ぐるぐるむすぼった糸みたいに。

自分の目の前で。「お茶。むせぶといけないから。
ぬるま湯にしといたほうがいいね。」

なんて聞きもせずに、決めつけている自分が切ない。

お父さん。ゆっくりたべてくださいよー」なんてやさしい言葉とても出てこない。

どうしてお父さんは弟夫婦から、見捨てられてしまったのだろう。
そこに弟のお嫁さんを登場させるとなおつらいから。
そんなことを思いながら食べるご飯は。
味気なくて。むなしい。

父がこの世を去ったら。「私はどうなるんだろう」父と暮らして来て。
父のすぐそばにいながら父のことを忘れて生きたのはたった10年だけ。

54年の長い長い親子生活だった。
母の面影があるから。なおさら晩年になっても、何でも言うこと聞いてくれて。
何だったのだろう。いろんなことが頭の中に走馬灯のように浮かぶどころか流れている。


田んぼの水を止めたり、あてたりする父の背中で。肩車してもらって、
「おたまじゃくし家に連れて帰るー」なんて言っていたのは。
もう60年以上も前の事。3さいから4歳くらいの私はいつも父に連れられていた。今でいう育メンでしかないのだが。
母は弟にかかりっきりだから、2歳ちょっとで、後から生まれてきた弟に母を取られてしまった。

のどかな田植えの季節


追われ父の背中に飛び込んだ。父が忙しいときは。祖父の膝に飛び込んだ。
そんな風にして育った私は。いまだに父と暮らしている。

父が重くて。重くて。最大の理解者だってわかっていても。
望みがかなえばかなうほど。自由な風になれない。て思った。

「商売は俺には教えてやれん。だから襟を正して多くの周りの人たちに教えてもらえ。茶目っ気と頑張りだけでは渡れない。大きな宿にしたのだから。そのわたり方は世間の親に習え。」そう言って。
旅行会社の20代の若僧にまで、その都度。
畳に両手をついて挨拶していた。

そんな父が少しづつ、壊れていくのが耐えられない。

親戚が何かささやいてきたときも。

「これは俺と和歌子とで作ったものやで。和歌子がやると言っているうちは続ければいいし。身体が動かんようになったらその時は銀行と相談すればいい。俺は先祖から預かったものをくれてやったのは、石だらけの桑畑一枚だけや。
それくらいの物はお前たちにもやってきた。そうではないか」
と静かな声で言っていた。

囲炉裏を囲んでドイツ

だから、もう誰も何も言えないでいるのだろう。
人世ははなかなか難しいものだ。やりなおしのきかないこともある。

謝って仕切り直しは何回でもできるが。その都度増えるものは大してない。
所詮元に戻る程度。


この宿ももうだめかと思うことは何度かあった。

ジョン家に改装して。
主人が「俺がやるよ」と言ってくれたので12月30日は書き入れ時で。
スタッフも気合を入れて頑張ってい居たら。
主人が手から血を流して飛んできた。
「犬が逃げた。追いかけたけど足が速くてどこか行ってしまった。」
トレーナーの男の子も、両手を広げて庭先で小さなシーズを追い詰めていた。

何のことはない。足元を、するっとかわして裏道へ走って行ってしまった。


地元の消防団が年末の「火の用心」を繰り返し寒い夜だった。
主人について私も懐中電灯を持ってあちらこちらの庭先を呼んで歩いた。
「出ておいで。かいとクン。」「ご飯持ってきたよー」探して歩いても寒い晩の月夜だけが明るくって。声だけがそこに置き去りになった。

「重要文化財荒川家」の誰もいない庭先の石段の上で。
寄り添って時間を過ごした。
犬なんてトコトコ歩いているものではない。

花餅

12月31日に飼い主に事情を説明した。連絡を取った。
「父に話して一緒に行ってもらわないと私は宿を空かせられないし。」
と言ったら、主人は父にお願いするというのが悔しかったのか。

ぽろぽろ泣いて私に寄りかかってきた。私は子供をあやすように。
背中をポンポン叩いて。
それが一生を共にすると誓った夫婦だから。
当然泣いている仔はあやしてあげなければならない。

夜に、「父と主人とで、タクシーを飛ばして。奥飛騨の宿に行った。
奥飛騨の温泉に泊まっているその家族に謝りに行った。
納得は当然しない。なんと3000円の素泊まりの客。
結局2億のお金を要求された。何なんだ2億って。どこから出るのか。

館内のスタッフ達は慌てて。
高山エフエム高山に。犬探しの放送コーナーを何度も流してもらったり。
ポスターをパソコンで作ってコンビニへ頼んで廻ったりしてくれた。
警察犬も呼んで、捜索もしてもらった。
「解決するまではどこかに宿を取ってもらわないと」
という条件を出してきたので。

結婚式で使ったホテルに相談してスイートルームを取ってやった。
もちろん弁天荘持ちで。一泊スイートだから。そこそこする。

父が「恥を忍んでお寺の新年のそう寄りで。話をして、みんなで探してもらおう。
村中で探してもらおう。懸賞金掛けるから」と言った。

「今。弁天荘は犬一匹で2億の賠償を受けいていると正直に話して。皆に助けてもらう」と父が言った。

残雪の北アルプス

1月2日の日に捜索隊を10人編成で組んで。
大々的に探して歩いた。だが犬は出てこない。

翌日1月3日になって、隣の民宿の広重ちゃんが
「和歌ちゃん。お前。どこへいっとったんや。お前んとこで探しておる問題の犬。秀ちゃんとこの。わら小屋に、すくんどったんやで。」と言って電話かけてきた。

その時館内のスタッフ5人と、叔母と主人と父と広重ちゃんと、秀雄ちゃんとみんなで取り囲んで。逃げた出さないように青いシート広げて。
わら小屋の下の方にすくんでいるシーズ犬を。叔母が覗き込んで。
すでで捕まえたという。かみつかれるかもしれんと廻りで言ったが。
「二億円の犬だから。かみついたって知れている。」そう言ったと「お前のおばちゃんはすごい。」おたつく男なんか。数いて何にもならん。

段ボールに押し込んで。段ボールを藁縄で縛って。
車に押し込めて。
主人が自慢の愛車のマーク兇世辰燭里如
箱を乗せる時少しちゅうちょしていたら。

「2億もあれば何台だってかえるよ!」って叱ったそうだ。


そんなこんなで健康診断受けさせて。
獣医の健康診断取の診断書と交換に示談書書かせた。
トリミングシャンプさせてリボン付けて。
あちらこちらにお礼を言ったり報告をしたり。
支払ったのが総額で350万円くらいだと思った。

あっというまの12月30日から始まって1月3日まで。
いろんな人たちに助けられて生きている。
年末年始の稼ぎがこんなすつたら、もんだらに消えてしまったけれども。

私は「金なんてまた働けば何とかなる」って。
いつもそう思っている。
そんなこと。何年かしての後から聞いたけど。

隣の広重ちゃんに「恩はきてておくよ。まだ私はココで生きてるからさー。いつか返せることもあるだろうし。ありがとう。」と言っておいた。

わらびあくだししました

そして。
あんまりねちくまなので。うっとうしくって。主人と別れようとしたとき。
主人が長いお里帰りをしたとき。
おねいさん夫婦が「至らぬところを詫びて」親やってくるどころかどなってきた。
裁判掛けるというので。
慌てて高山の弁護士建てた。
着手金がちょこっと高いとは思ったけれど。
「あんなにねばねばでは。あしがとられてはたらけない」

問題は立てた者の地で始まるのだから。
トテモ通って説明に応じていく事すら。あほらしい。
結婚するよりは当然離婚する時は大変だ。
結婚するときの三倍ものエネルギーを使うのだから。

主人の兄弟チームは何度か。
私の立てた弁護士事務所へ通ってきた。
立ち寄って「至らぬものを預けていまして」の一言くらい頭を下げてくれれば。
それで帰っておいでよなんて。言って玄関あけるのに。向こう様の親戚代表が無印のお酒を届けてくれたので。
こちらも無印のお酒を親戚をたてて。届けさせてもらった。
遠い山梨の塩山まで。源平合戦だーー。

夫婦喧嘩は犬も食わぬとは言うものの。主人は。
「喧嘩しながらも一緒に生きていきましょうよ」と私が弁護士の前で言ったので。「うん」てうなづいて戻ってきた。

父に「ごめんなさい。清さんが戻ってくれるって言うので。」
「もう一度やり直して。頑張るからって」泣きながら言った。

「お互いを尊敬しあわなければ。もう若いときの姿かたちではないのだから」
と父がいい。
「はい」と主人がいい。
其れで一件落着。      ではなかった。

2年か3年もしたらまた始まった。

「あんただって変な女、雇えって連れてきたでしょう。」


そして私が倒れ。主人が倒れ。危機は何度もあった。

そして今回着物体験館をつくってささやかな看板を出したときも。

鳴かず飛ばずに困って。着物のサイトあったから。
飛び込んで「弱音を吐いたサイト」には。
いろんな人たちがいて。

奥は旅館の世界よりも深く。暗い。

犬1頭で「2億の賠償金よこせと玄関先で。やくざのように騒がれた時も。」
仕掛け人はごく近くの人だった。
たいてい新しいこと始めると敵は近く居る。「ねたんで。このやろう」なんて思うものが、遠いところのネットワーク使って。付け火とおんなじ。
後からおおよその事実が分かった。でも今更「証拠は何だ」って言われるに決まっているから。黙っている。世の中は理不尽なことがまかり通る時代だから。

近くの人が。そういう人たちには。より強力なネット網があって。
何かあったらはめてやろうってあらを探すのに血眼になって。
遠くから実行役の人がやってくるものだ。

そして今回も着物の世界は。
みんな今息絶え絶え。宿屋の世界よりも深刻のよう。
閉塞感のある日本の今だから。

だから何がどうなっているのか。
見えない敵と戦うにはかなり疲れる。

みんな捨てて。それが一番はっきりするだろう。

本当にそうなのだろうか。誰かの後ろには誰かがついていて。
明日が来て見なくては。何もわからぬ世界。
もうちょっとじっとしてみよう。

もうおなか一杯レオン

犬の宿やっていると、おかしな人にも出会うこともある。
「黙っていよう。」
偉そうにしていないで。
つ杖付いて哀れな婆さんやっていれば。下から見上げていると。
人の本性なんてぼろぼろとこぼれてくるものだ。

「飛騨総合庁舎を何てぽろ小屋だと。ののしった」
ちょっとお澄ましの中年の奥さん。
「あんたはどこで何をしようとしているんだい。」
ここで何かをやりたければ。挨拶の筋くらいは通していいものを。
意地悪ばあさんやっていると楽しいものだ。

また2月には講習会に受けに来るのだろうか。

(弁天荘って。着物なんとかて。看板出てる。あそこの人。へー。こんにちわ)

「私のお友達は清美で〇〇仙人って宿やっていて。
春にはワラビとかいろんな山菜を出しているのですって。
それでとっても忙しいそうですよ」なんて得意げに言っていた。
後からやってきた。よその人じゃん。

「そりゃあ6部屋や7部屋くらいの宿なら。すぐ埋まるでしょーよ」と言いながらタクシーを出して窓から。にっこり頭を下げておいた。
ここへ来るのはブリーダーか。ペットホテルか。販売業者。ドックショウを開く関係者たちだから。同じ池の魚やる仲間なんだよー。

飛騨で住もうとしているのなら。飛騨の悪口言っちゃー。
まずいんじゃーないの。

「この地に。なじんでもらわないと困るねー」
総合庁舎なんて。税金で建ててるんだから。この建物一目見れば苦しい経済が見て取れないなんて。あんたはやっぱりその程度。たくさん稼いで税金沢山払って。個々の壁の1平米くらいは。塗り替えさせるくらいの気概を持ってみなよ。

(この頃アマチュワブリーダーと、アマチュワペットホテル希望者が増えてこまるねー。)

金がほしいんなら。
ほかの仕事探してくれ。
「犬の命を売り買いするんじゃないよ。」
ってそう思いました。

「犬の事。とことんわからない人多くて困る」
犬にも劣る人が多くて困るとつぶやきました。

今日は2月の犬の講習会に参加の書類書いています。

証しを貼れって書いてあるので。農協で証し800円買って貼って参加します。

(あのスカした叔母ちゃんのよこにはどうか座らずにいられますように。)


ああいう。「おほほ夫人は」大っ嫌い。
大して中身のない奴が多い。うわべで飾るやつにはオーラがない。
そんな人たちと一緒にされてたまるか。馬鹿らしい。

着物の世界のサイトにもいたなー。
「ご苦労さん。着物販売んさん。なんて最初呼びかけてきた雑魚が。」
高山に親戚あるって言ってたから。「どこですか」と聞いたら。
隣の集落の出の。分家の嫁ではないか。「どうぞよろしく」と書いておいた。

この一瞬で、日本中の着物関係の人間を敵に回したであろう。
それでもいい。だんだん腹が立ってくる。

これもきっと誰かが後ろで糸を引いているのだろう。
「きものの体験館」でスタッフ募集したら。
そこにもおかしな人が応募してきた。
汗して働くことが嫌いなら。働くことを忘れてしまった、きもの大好き人間にはとても任せられません。あなたもどこかの近くの回し者だから。
こぼれる言葉に信用できぬ言葉が5つに2つ混じっていれば。
さっと身を引くでしょう。とても給料くれてまでの身内にはできません。

「ごめんなさい。仕事がなくて」と
てんてこ舞いの秋の週末にも、呼ばずにみんなで頑張った。

どうやったらあのサイトぬけられるんだろう。誰が悪いわけでもないが。
空に向かってつばを吐けば、自分の顔に落ちてくるだけなのに。
誰かを悪者にしなければ抜けられぬ。あのサイトの責任者もおかしい。
「脱希望」の「ボタンくらいは付けておけよ」て思う。

fBの「入ったら最後抜けられぬサイトか」他のサイトグループは「抜けた」きゃ自由なのに。誰が作ったか知らないけれど。間違っているよ。今どき。
其れじゃ売れない呉服屋とおんなじ。

マアーほかっておけばいいか。人の言った一行の文字が腹が立つ。

「飴でもなめなよ。いい年してんだからさあー。」なんても思う。
また根気に削除して行けばいいのだし。人間関係は難しい。

客と女将のほうがどれだけ生きやすいか。

自分の力で生きてきた物でなければ。薄っぺらい。類の友達しかつかない。
世の中を踏ん張って生きてきた者たちは。度胸も度升もあるんだから。
一生懸命努力して。生きてきた実績持っているんだから。

トマト出荷場

「女将なんて女やってちゃ。つとまらないんだからー」
「ちょっとしたでに出ると、いい気になる人が多い。いつからこんな薄っぺらい世の中になったのだろう。たまに帰ってくる会話はいじけている。」

私はそうゆううわべだけの友達やれないもんで。
寒気がしてくるから。

犬の顔見ていたほうがよほど気が楽になる。
「実るほどに首を垂れる稲穂かな。」青いもの程。つんとしている。中身はない。

なんか今日の私はすこし。やんちゃ言っている。
明日又読み返して。どこかを削除しておこう。

こういう女が世の中には半分は居るだって思い出したから。
「犬の世界を何にも知らないでなめんでないよ!!」
なんて思ってしまう。
誰かが守ってあげなければ、犬たちはこの世のリーダやっている人間の誰かが。
守ってやらなくては。
いけない、か弱い世界ですから。従順な世界ですから。

では最後まで、目を通していただきましてありがとうございました。
猫や犬を連れてくる人以外には。
私の宿は泊まっていただかないほうが、いいのですけれども。
私はもう30年も犬たちの味方してきましたから。
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今日も雪がすべての物を覆いました。

雪野原

今日も雪に覆われてさむい一日が始まりました。

裏の畑もドックランもみんな真っ白い雪で覆われています。
母屋を通って旅館に来るとき。
大昔の大正時代の着物が目を和ませます。
「やっぱりこれは私の宝物だわーって、思いながら裏地の赤いモミの柔らかい絹をなぜて。「たった一つの物だから。いとおしい」もうこの世にこれしかないんだって、て思うと。「二つとはない一点物。」そう思います。

今にはない価値観だから。これを共有するものでなくては。着物の世界を語るには。その奥行きがなくては。
明治時代の振袖は、独特の筆書きで。手で一本。一本手書きして。

今のようにはではない。かといって着る人を引き立ててくれる。
これは蔵にあった祖母の箪笥の擦り切れそうになったたとうしの中から出てきた着物。きっと祖母の振袖かなーとも思うがもう祖母は天国の人。
祖母の「晴れ着だったんだろうか。」祖母の家の家紋か。どうゆう経路があったのかは知らないが、とにもかくにも私の手元にある。
それから戦時中に米と変えて買ってもらったという母の黒留袖。あのころの戦前の着物は、田舎にある。皆都会の金持ちが買った着物は食料になった。


だから。裾周りの八掛のほうがとても華やかで。
明治時代のこの着物を袖通してた人に。明治と言えば100年ちょっと前の物か。糸に力がないから。そっと扱う。でも絹はやはりいい。昔の着ぬは糸よりが細い。
だからふんわり感が今の物とは違う。

「オシャレだよ。」そう話しかけている。私。
最近のバブルがはじけてからの着物なんて。なんであんなにときめかないのだろう。私は現代きものと見せたい着物はやっぱりアンティーク。
建物の中のすべてが着物で飾った宝箱だから。本物だけを飾っておきたいのだが。華やかさに欠けてしまうのが難しいところ。

紫陽花

ココからはお金。直接、生まなくてもいいなんて思ったりして。

着物好きな人はどのラインで着物と接しているんだろうって。
いつも自問自答している。私が古い着物を知ったのは。蔵に行った時だった。
祖母の実家はわが家よりははるかにお金持ちだったそうだが。今は没落状態。

私は飾っておくだけの、アンテークなものと、着て遊ぶ現代ものと。
背丈が長い身長の高い外国人用に着物をそろえた。
目的が最初っからそうゆう企画で集めてきたから。
和裁習っているころから。宿やって行く間に。

これは私の宝箱だから。「これから着物で何かやりたいなー」
なんて。着物関係の人には見せたくない。
着物についていろいろ知識振りかざしてくる人には見せたくない。

これは私の宝箱だから100坪のお家そのものが宝箱なんだって思う。
「現代ものの工場生産の着物来ていて、何さ」なんて思ってしまう。
姿かたちなら。40代の亭主にまさろる男はいない。ああーかっこよかつたねー。
亭主の箪笥の着物を見ると今更ながらにほれぼれとする。「いい男だつたねー。」

馬鹿なことを頭の中で走馬灯のように思っていると体がだんだん冷えて。凍死してしまいそうだ。
今日山の上の先生から電話。この間。頼まれていた。着物加工6枚出来上がりましたので。
「いつお届けしたらいいのでしょう」と電話。
新しい着物が加工で着てきた。
「雪で身動きとれませんので。いつでもいいですが。いらっしゃるとき電話して来てください。」そうお話して。
とりあえず買いためているものを少し筒加工していく事が先決だろうと思う。

何をやろうとしているのかしれないが。
「今は閉塞感の時。大きな資本投資は控えて。いくらでもこれからの10年出てくるときだから。」そう言う忠告も行ってくれる人もある。

わかってはているのだが。統計上でデーターなどと言って。石橋たたいていれば、時は過ぎてしまう。チャンスは時期を見てパッと開かなければいけない。

一番大きく違うことは。古民家だという事。
「古民家」は都会にはないので。

これが呉服屋が間違えてきた部分。

今の時代歴史がなくては「古民家」としてどこの街にもどこの村にも残っていないので。日本中にお宝が眠っている。そう思うと楽しい。

このブームは起きることだと思う。日本人が忘れている間に。
アーカイブスの舟に乗って世界に行くと思う。
私が私なりのリズムで進めていく事だから。じっくりゆっくり時を見て行こう。

庭のつつじ

原案の企画書だけは作っておいた。其れを何度も何度も手を入れて。
知恵だけではお仕事はお仕事として成り立たない物。

「何をやりたいんだ」「ハーイ。こんなものです。」

そう思うととても楽しくなるのです。

さむい一日です。では風邪ひかないように。
みんな夢のまた夢でよいのです。

いつも私のブログ見てくださって、ありがとうございます。
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