今年は暖冬。

上二之町の風景今年は結局暖冬なのですねー。
2月の半ばだというのに。道にはすっかり雪は消えました。
このまま春まっしぐらということになってくれれば。
畑のトラクターも結局は5月ではないとドアにもならないと思うし。
まだまだ天気予報の急変があるかもしれないので。油断はできないのだが。

暖かいということはとても体にも影響するようです。
おかげさまで。
今年は風邪ひとつずに無時冬を乗り越えようとしています。
ありがたい事です。
犬達もも猫たちもおかげさまで丸々としています。
何しろ運動不足になりますから。
長年のお客様がぼちぼち申込みしてくださっています。
いろんな意味で春はありがたいです。
もうすぐにゅうかわの北方や新張り地区では多分福寿草が咲き始めているころでしょう。

コスモス花盛り

このあたりの春は本格的には。
4月後半から、5月にかけて。梅も桜も桃リンゴもみんな一斉に春爛漫を咲き誇るのです。チュウリップも。反保母も。水仙もみんな咲いて賑わしいですね。
春は気のメモ拭いて心が沸き立つものです。何でもできるような気がして。
不思議なものです。
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12月14日バレンタインデー。

上二之町の人力車

昔は。気の小さい。
控えめな女の子がひそかに思う人に。打ち明けたのだという西洋の神様がそんな日もお作りになっているのだという。

チョコレートを送った日が、バレンタインデーだとか言われたが。
どうやらそれは日本だけの現代風習のようで。
今日はチョコレートで、渡したり。感謝の気持ちを表す渡されたりするようで。
最近の傾向は。本来の男の人へというものではなく。

義理チョコから始まり。。女の子からのチョコ。女の子同士の友情チョコ。
はたまた自分へのご褒美チョコ。
現在に至っては様々なことになっているらしい。

果たして甘いチョコレートが男の人としてはお口に合うのでしょうか。
とすら思ってしまう。そして100セントカカオ豆の輸入に頼っている。
日本の現状は。
さらなるチョコレートやココアの値上がりを巻き起こすことだろう。

ところで。今日の飛騨はすごい暖かな日で有り。明日からまた寒気がはいってくるとのことだが。こうアップダウンの日が続くと体に響くと思う。

お隣の集落に。アル伊藤ハムの会長が建てたという、研究所のチロリアン風の建物。行く機会があったので播きストーブの燃えるにおいが懐かしい。そんな真中の椅子席に。座ってコーヒーを飲んできた。

日曜日なので人々が出入りしていたが。
そこそこの山小屋風のイメージで。このような感じの建物は神戸の六甲山にもあるとのことは。
私のレジカメを持って行かなかったので。写真を取り損ねてお伝えできないのがちょっぴり残念。

庭の石が気にも花咲きました

うちのお客さまからも聞いていたが。
さすが。雰囲気は上高地の帝国ホテルにも負けない。
雰囲気はあった。
何よりも播きストーブの匂いが何とも。
チロル風の。一昔もふた昔も前の雰囲気を、ココに表わしていることは。
「やはり伊藤ハムの会長」という。だけのことはあると思った。

ただし日曜日のシフトを組むには、研究所という目的のもとに売店レストランと設定してあるので。
人手不足ということもあるのは、痛しかゆしということだろうか。
千葉県から来ているというお母さんが、一人奮闘していた。

あれくらいの度胸がないと、一人では切り盛りできないのだと思う。
さすがに会話も。元気があった。地元民にあれほどのファイトがあったなら。
もう少し、違う流れがあるかもしれない。

「診療所の先生を赤ひげ先生として、表彰されたんだ」よって。威張っていた。千光寺の大円和尚とも。権三郎さんとも長い付き合いだなんて。
聞きもしないのに宣伝している。
ここにもかつての、この村の村民のファンがいてよかったと思った。

私の腰の痛いのは、誰も何ともできないのだろうか。
昔。ヘルニアになった時。
高山の久美愛病院で、砂袋釣って腰にベルトを巻てベットに張り付けになっていた。「手術をするのは僕はちょっと自信がないんだ」という。そんなジーパン。スニーカー先生が。白衣着て言うので。
とうとう手術しないで出てきてしまった報いを。時々冬になるとぶり返している。
今日。夕方になって。私を「10キロ痩せさせたいのだ」という。
高山のfBで友達申請してきた。味岡さんという。
サプリメントの4つ下の女性が訪ねてきた。
「脂肪の代わりに筋肉をつけるのだ」という彼女の言う説はわからないわけでもないが。
この手の商品は。なかなか購入価格が高い場合が多い。
はたして彼女の言うように。結果が伴えば安いものなのだが。
この年になって筋肉付けて、痩せるというのは至難の業だと思う。
一応。高山の地元の人だから。一通りの説明は聞いて。「次回資料とサンプルを見て検討します」と言って返した。地元の人だから。むげにはできない。

今日は春を告げるような温かい日だった。
明日からまた寒さがぶり返してくるとのこと。
風邪をひかないようにしなくてはと思う。

桃太郎トマト箱詰め

今夜はすこし、テレビドラマでも見てから寝ようと思う。
では今日のブログは簡単明瞭に。
よそのほうでは、春一番が吹き荒れたようだ。
飛騨にはもう2か月先のことだろう。

ではまた明日。明日はまた良い事がありますように。
春先の予約がぼつぼつと入るようになりました。
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今日は暖かいです。

岩魚 骨酒.JPG

今日はこ昨日までのような凍てつく寒さがないです。
それに雨まで降っています。
多分飛騨地区以外では雨はきっと寒いのだろうと思いますが。
飛騨では寒いどころか雨が降ると暖かいのでうれしいくらいです。
しかしまたすぐ寒くなるのだと言いますし。

次の週は積雪もあるようなので、屋根の雪が積もっているところに。雨を含んだ雪が解けもせずにまた積雪が、かさんでいくとまた。
去年みたいに赤外が発生するので。肝に据えて積雪量の行方を追っています。

今年は次の積雪量を見て。雪下ろしをたまなくてはと思っています。
やりくりして地元の皆さんに、助けていただいて、屋根に上っていただくより仕方ないと思います。これ以上雪は入りませんね。

また板金屋のこうちゃんとかが、飛んできて頑張ってくれるのでしょうか。
左官さんのみなさんとか。本当に「助けてください」とお願いして。
命綱はって雪下ろししてもらいます。

雪おろし業者さんに頑張ってもらうより仕方ないのです。

でもそういった人々がいるだけでも心強い事です。

一人や二人で屋根に上っても何ともならないのですから。

春になって溶けてしまえば何ともないのです。だから大丈夫だろうなんて。
そこいら辺の判断を間違うと。大変なことになります。

トイレ付き和室広めの部屋.JPG

去年は大雪の上に。雨が凍って思わぬ重量オーバーになりました。
軽量鉄骨の農機具ハウスをつぶし。
炭小屋をつぶし。
道路沿いの駐車場の向かい側でつぶれかけた小屋があるのは。
何ともみっともないので。
で完全に処理するためには。処理代がたくさん掛かりました。

父のやっていたころの育苗プラスチックの苗箱とか。
弟の勝ったままのトラクターとか。
いつか使えるだろうなんて言っておしこめていたふるただみとか。
其れは相当ごみ処理代にかかりましたので。

相当つらいものがありました。思わぬ出費でしたが春から秋までの売り上げの中で何とかなりましたのでありがたかったですね。

でも私は今、この家の当主としての仕事をこなしていますので。
ただ単に家庭ごみとして処理するだけではない。逃げられない責任みたいなものがあります。営業ごみとしての12トントラックを、述べで何台分も。
支払うのは今現在の社会の縮図なので仕方ありません。

むしろ雪でつぶれたということを理由に整理できて、すっきりしたようなところもあります。景色がすっきりしたかなーなんて思うところもあります。

お金は常に余るものではなく。足らないなーと思うくらいがちょうどいいのかもしれません。
常に宿題を掲げていて。
来年こそはこれをかたずけよう。
今年こそはココを何とかしなくては。
などといつも息つく暇なく走り続けていれば時は過ぎていく物で。
そうやって過ごすことが。私の気持ちの張であり。

新ドックラン完成.jpg

ぬるま湯でない。
熱いか寒いかどちらかしかない、生き方が私らしい生き方だったなーなんて。

自分のやってきた仕事か。思い出を振り返ることができるから。

其れはとても重圧ですが乗り越えた者が味わう達成感みたいなもの、でもあるような気がします。「いろいろやって来たよ」と言いたいから。

あの世へ行って主人にあれから。「いろいろあったんだからー。」言えるように。
やるべきことはやりきって生ききたいと思うのです。

でも主人もいい加減適当なところで成仏して、私の事なんて。
忘れてしまっているかもしれないからなんて。思ったりもします。

私も生きている以上。仕事だけではない、いろんな社会を楽しんで生きていなくては。せっかく私に残してくれた寿命なんだからとも思います。

キヨちゃんが東京名物のお土産゜のお菓子を届けてくれました。

例の同窓会まがいの、東京見物に行ってきたそうです。

みんな年取っていたけれど40年ぶりに合った同窓生とか。

とても楽しかったそうです。
そして国会議事堂も逝って同級生の国会議員にもあって来たそうです。
皆で浅草の川下りの船に乗って。
楽しかったと目をキラキラさせて話してくれました。

今年は秋に今度はもっと大勢の中学の同窓会をやるそうで。

同窓生の役員になった〇〇君が。そういう葉書が来ていましたね。
どうせ。シルバーウイークとか土曜日の晩とかに計画するのだろうから。

どっち未知地元にいても出かけられないことになるのですが。
でも育った仲間がいるということは、とても素敵なことだと思います。
同級生とか。幼馴染とかには。絶対悪い者はいないような気がするので。
不思議なものです。

今日は囲炉裏に炭をたく準備をしました。ストーブに油を配って仏壇の周りを少し整理して。お花をたてて、ところどころに置きました。冬は生のお花が長持ちしますので助かりますね。

なんだか。今日はトテモ気温が暖かいので、ほっとする気がします。
もうこのまま春になってくれればいいのにって思いますが、そう簡単に自然はすんなりと行かないのが常ですから。

アプローチを通り玄関へ.jpg

アマゾンで注文した猫の餌と犬のえさの大袋が届きました。

重くてヤットで運んできたと、叔母はぶうぶう言っていました。
猫も犬も食欲だけは旺盛で。
家は大袋でないと追いつきません。
七キロ入りとか12キロ入りとかになりますので、旅館の方へ届けられたら大変なことになります。
今度はジョンノ家に届けてもらうようすることといたしましょう。

では今日はこんなところですね。徳へつ変わったことはなく。
平凡な一日が過ぎていきました。

何でこんなに屋根葉ばかり広く作ってしまったのだろう後悔する時もありますが。
この屋根の下で。

私は踊ってきたのだからと舞台むがあった事だけ感謝しなくてはとも思ったりしています。

嫁いできたのでもなく。旅館に生まれたのでもなく。

やってみたいと思ったから。自分の館を作ったまでの事。
其れも幸せだったなーと思います。

ジョンの家のジョン犬7歳

小さな宿ですから。そこそこの売り上げをあげれば。
仕入れも経費も人件費も売り上げに匹敵する経費は要るのですから。

其れはどのラインで自分の身の丈に合った経営ができるかという事です。
結局今は気ままな経営をしていますので。
どちらかというと春待ち人のようです。
最後まで私のブログ目をとェしてくださりありがとうございました。
今日はさしたる変化もなく終わった事。ありがたいことだ思います。

では明日が素敵な日でありますように。
おやすみなさいませ。
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2月の飛騨。

弁天荘中庭

今朝も天気予報ではマイナス10度という事でしたが。
わが家の庭の寒暖計はマイナス13度をしめしていました。
テレビでは、かわず桜が咲いている川岸を放映していました。
これが同じ日本とは思えないほど。
きっと名古屋あたりまで出れば、雪靴で歩く事すらが恥ずかしくなるほどの、お天気なのだと思います。


道路も乾いて冬であることが少し風が冷たく感じる程度。
昔は名駅近辺から伏見。栄と。営業に回るコースが決まっていて。
みんな忙しい人だったから、「お昼休みの時間帯に行くから」とアポとって。

お昼が二度重なることはざらにあり。おなかが満腹でも営業実績は満腹ではないので。にこにこしてお昼付き合って。
お財布方には、トイレ行くふりして。
翌月に営業費がいくらかかったかを実績と見比べるために。さりげなくカード。
ついでに「ちょっと、上の人も誘っておくから」と、夜の時間帯にもアポ入れてもらって。ちょっと緊張してドキドキしながら。
自分の夢を語って。仕事につなげてきた。

「鍋なんかが、ちょうどいいんじゃないの。あちこち動かなくって。じっくり話聞いてもらえるし。」なんて。

だからおちょうしやビール片手に無名のスキー場に。
ツアー出してもらえるように売り込んで。

ゆきぐもにおおわれたけしき

「個人で動くことではない。君は若いのにあっぱれだ」なんて。

ごきげんな顔に。頭下げて。タクシーに乗り込むところまで見送って。

意外と冷静でビジネスホテルで夜食のおにぎりフロントから買って、チェックイン。おにぎりかじりながら。その日廻った支店と名刺と並べて印象を書いて。明日のスケジュール点検してぐっすり眠った。
そんな2泊か3泊が終わったら。喫茶店に毛が生えたようなコーヒー最後に取る簡単な夕食取りながら。大学の生協廻りして夜中に車飛ばして帰る。

あのころはやっていた。フォークソングの曲ガンガンかけて。
41号線をすっ飛ばしていた。

親としてはきっとハラハラするおてんば娘やっていたのだろう。
おてんばどころか、手におえないじゃじゃ馬娘で。
まともに表玄関から入ってくる縁談なんて。
皆後ろ足で。け突飛ばして。
私なりの楽しい、思いっきりの人生の直線コースやつて来たような気がする。

走りぬいてきたことに。ふと気が付くと。もう周りには家族すらいなく。
終盤戦の曲がり角がもうまじかに見えてくる。


冬はお金が舞う雪が舞う。スキーバスを何台取るかが。営業の腕。
各県からやってくる、しゃれたかっこいい営業セールスの山男たちと競争して。
直接会ったことはないが「野沢温泉の何々さん」にとか。白馬の何ちゃんだとか。男同士の友情みたいなところへ。無名のスキー場引っさげて。オーナー営業。たまにまぐれで。ヒットの音は楽しいものがあった。


舌なめずりをして鼻の下を長くしてくる上司という人には。
「ぜひスキー場でお会いしましょうなんて。」さらりとかわして。面白かった。
という私は。ゲレンデの隅から隅までスペルパラレルしか滑れなかったのだけれども。本気で戦うこ舞台があった。
若いからまっすぐに投げた直球を、きちんと受け止めてくれる社会があった。

農業倉庫というお店

私は名古屋も大阪も京都も三重もも静岡も。
セールス営業。一人で展開して。村に話したり宿泊組合を通したりするのは、ひと手間かければ、おそ周りになるから。

銀行相手ににそのセールス実績を、前年対比で熱く語ったことはあるが。その銀行すらの各支店すら。スキー客にして。
スキー場にも組合にも事後報告。客数の実績もつて殴り込んでいった。
きっとくそ生意気な娘だったんだろう。スキー場に29人乗りのマイクロバスで乗り付けて。鼻息の荒いやんちゃ娘だったのだと思う。


「良いと思うことは。もたもたせずに、さっさとやりましょう。」

夜中に車で走って。ケンとメリーのスカイライン飛ばして。夜中に帰ってくる。
そんな20代と30代前半をやっていました。良く事故がなかったものだと若さの暴走を今更ながらにドキドキします。
今は「冬は車に乗らない」なんていっているのですから。
それは、今の時代とは少し違う感じです。

でも田舎の小娘が、本当に足を棒にしてアポあり営業セールス掛ければ。
そこには何百万というお金が落ちていたのです。
約束を取り付けてその半年後の冬には。
家の玄関前にバスから降りてくるスキーツアー客がありました。

スキー板の先に一万円札がぶら下がっていたように。私には見えましたので。

その対価に見合うだけの事はしてきたつもりです。
1・5泊とか2・5泊とか言う、コンスタントな平日客が続き。
週末には貸切状態で。80人とか100人とかいう客数こなしていました。まさしくこなしていたのです。
懐かしい昔話をしています。今思い出してふと。心が夕焼け色になりました。

お金を拾うには。腰まげて頭を下げて。ちょっとだけ顔出しただけの札束の山も掘り起こさなければ拾えません。
だから私はいつもニコニコ。おおらかな山から出てきたばかりの。
あつい青年女子をやり続けたのです。それが通る世の中がありました。

今はそんな世の中なんて七めんどくさいものは。いつか、吹き飛んでしまって。
イエスかノウの。あるのはインターネットの世界。

予約もキャンセルも一言の感情なく。
ぽちっとボタンに合わせてインターキイオスだけ。
通せばそれが意思表示。「無口な人が多くなったのですねー」
「そんな独り言」言う田舎のおばちゃんがいます。

いいえ。現実の目の前の姿見を通してみれば。
そこには、おばちゃんどころか、おばあちゃんがいます。

でも一昔もふた昔も前の話ですが。
そうやって故郷の観光という産業の中に、自分の立ち位置をしめしてきた人々がいるのです。私もその一人です。
そこにいずれは沈没していく運命なのかもしれませんが。

真っ赤な一位のみ

それでも、その時の時代を全力投球で走った人々が。
いなければ「今」はなかったはずと思うから。

私もこの村で。今は高山市というはっぴ着せられて。「丹生川の村」を叫べない。上品な振りして。こじんまりと身をかがめて生きる。
高山市という観光の波間に漂う。わが身があります。なにかとても切ないものですね。前線を走れないということは。それも「時の間合い」なのでしょう。

熱い情熱を世の中に向かって、叫んできた一人だと思うと。
何となくさみしく海の底に沈んでいくだけではないなんて。

慰めみたいな。懐かしい目を細めて。夕日を眺める日もあるのです。

自分のやってきたことが、決してかっこいい人生だなんて、思いませんが。

ただ自分の思いは時代に向かって伝えられたのではないかと思っています。
だからまだやりかけなのですが。スキー客を追いかけるのではない。

犬連れ客猫連れ客を、落ち着いてじっくり受け入れていく宿。
何十年も歩き続けているのですから。設備も建物のデザインすらもレトロになりましたが。もう少しだけ頑張って。
と、自分に言い聞かせる昨今があります。

昔のような、若さに任せての力ずくで歩くことはできないので。
今は今やりたい仕事をコツコツと、冬はちからをたくわえておくだけ。
寒い冬には、「整えておくことだけの努力」しているだけです。


それだけで私は遠く懐かしい時代の思い出を。
思い出して幸せなのだと思います。

昔は雪がとても「熱い情熱の空」をもたらしてくれました。
今はただひたすら寒さが、身に応えるばかりですが。

重文の証明書

今日も母屋の「着物体験館」を掃除していましたら。
叔母がそんなに丁寧に掃除して。
「何様がおいでになるのだ」と言って笑いながら、掃除を手伝ってくれました。

「何様」というのではなく「お客様」が、いつおいでになってもいいように。

「たまにはガラスサッシ戸のあけて。戸溝も拭き清めておかなくては。」
そんな独り言。外は真っ白な雪景色。何もかも白一色に染めて。

今日のブログは今日した事しか書けません。
ではちょっとだけ、のぞいてくださった方に。
私の思い出を少しだけお話ししました。

楽しかった。あれが多分。私の青春時代だと思います。

大きな大きなものにチャレンジしていく事は。
決して、そこにひざまづいて、くじけてしまう事ではないのです。

恋とか愛とかそんなもの。
途中の階段の踊り場で。縁があれば「結婚」という最後まで取っておいた、大事な箱を空ければいいと。そう思って。人世ゲーム。走って走って楽しかったのです。

そんな風に自分が思っていましたから。
振り返った時泣ける胸があったら。自分も弱くなり。
おろおろして私を支え切ろうとしている、目の前の人が「とてもかわいく」思えたので。営業セールスの第一線から身を引いて。結婚というページを開いたのです。
主人を前に出すようにしました。それが回り道の始まりだった。

でも人生は無駄なことがなくては面白くありません。
だから後について歩く女も、2年や3年はやりました。
でも落ちていく事が耐えられなくて。
主人をカヤの外にしました。それからが私の営業セールスには出ない復活劇でした。ナンバーワンではなくてオンリーワンに切り替えたのです。
しかし主人は主人という一回り大きな座布団に座っていないと。
とてもつらい者らしいのです。そんな大事なことに。主人を突然病気で亡くしてから気づいた。私は、救いようのない馬鹿なのですが。

人世は。何度も何度も立ち上がって歩くことなのではないでしょうか。
今日も。最後まで目を通してくださって。ありがとうございました。
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ものすごい雪足の速い降り方です。

大テマリの花

こうゆう雪の降り方は積もるのだが。
今日の朝8時ころから4時ころまで、細かい雪が視界も見えなくなるほどものすごい降り方だった。
夕方4時過ぎにピタッと止んで静かな白銀の世界が目の前に広がった。
新雪というものはとてもすがすがしい。
何もかも足跡すら消し去って、何にもない新しい白一色の世界。

きっと雪のないところから見えるお客様は、悲鳴に近い感動をあげて目の前の田舎の冬景色を喜ばれることだろう。
なかなか雪道は大変なのだが。白銀の世界を紹介できる機会があることは素晴らしいチャンスだと思う。


只ロマンチックな目の前に広がる真っ白な世界も。
年寄にはただ、寒いだけ。
情熱で視野を広げていくには、ちっとばかり私は、年取りすぎた。
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2月の明るい光き伸びて行こうとする希望。

民俗資料館

仕事は特におおもとの収入は、宿屋の仕事である。
「ペットと泊まれる旅館弁天荘」という仕事は。
犬や猫を飼って、理解を示してもらい。泊まってもらうことにある。

それがさも当たり前かのように、過ごしてもらうことに。
どれほどの熱意とどけれ程の情熱をもって。「この当たり前の旅行にするまでに」戦い続けてきたか。

周りの者をときふせ。理解を取り付けやってきたことなのか、と思うと。
やはり若さがまっしぐらに走らせたのだと思う。宿泊組合とも。保健所とも。旅行会社とも戦い抜いて。私の立ち位置を作ってきた。

若いとき思いっきり主張が。そのまま言えたことは「性格とやんちゃなことを言っても許してくれる廻り」があったのだと思う。

何が何ということはないが。
雪野原にふりそそぐ、二月の太陽を見ていると懐かしい気持ちになる。
時代が必ず変化していく。その予感だけが雪野原を転がって行く夢があった。

草刈り終了

お客さまと共にに歩いてきた宿だと思う。
小さな宿なのだが、お客様の連れてくる犬たちや猫たちに。
本当の犬目線や猫目線で接することが。今日の弁天荘を残してくれたのだと思う。

スタッフもそのころ居たおばちゃん達は、もうすでに亡くなってしまってる人すらあり。昔の共に汗流した人々は、みんなよぼよぼのおばあちゃんだから。
母もなくなり。夫も逝き。叔母も引退をこの頃口にするようになった。
スタッフは入れ替えればいいだけの事なのだが。


家族の細分化には、もう歯止めはかからず。
「本当に私はこの先どうしたらいいものか」
とぼんやりと空を眺めることが多くなにった。
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昨日という日。

チャメ17歳

叔母が明日は帰ってまた来るからという。
お客さまも入っていないし。いいよ。と言っておいた。
「昨日みたいに。玄関あけてはいけませんよ」と言われた。
確かに昨日は。少し若い子だったから。楽しんでしまったかなー。

「留守なら対応しないと。昔のあんたなら。」
玄関で犬のおしぼり播きながら。
「そうですか。今日は女将さんお留守の日ですので。また出直してくださいね」なんてかわしていた。
「あんな風には。向き合わなかったのにね。」

そうだ。昨日はちょっとやり込めていい気になっていた。退屈しのぎで来たのも。叔母がそばにいるという安心感があっての事。かかわりあわぬことが一番大事。
玄関チャイムが鳴ったら。
「私は留守番の者ですから何もわかりません。」と言っておきなさい。
そう叔母が言っていた。
ちょっと退屈しのぎにという。いたずら心が何を引き出してしまうかわからない。
流しの営業なんか。相手にする時間も惜しいでしょう。
叔母はそう言いたいのだろう。

しかし。出会いの扉は、何かの流れを変えてくれるような気がして。
「まどをあけて風をすいれないことには。新しい空は見れないのだから。」と
私はいつも思う。
「その天真爛漫な生き方が。ちょっと心配かなー。」
根っからの、飛騨の人ではないのだから。

黒留袖加工に出しました。

特に名刺一枚で玄関訪ねてくる人なんて。
そう叔母が言った。「ハイ。では明日はおとなしくしています。」

そんな感じで今日また書きそびれた。ブログを書いている。

一昨日届いた本を先ほど読み終えて。
なんか。ちっともインスピレーション浮かんでこないなー。
この本は漫画と合作になっているから。
言いたいことも伝わらないんだろう。

そんなことを思いながら読む活字はなおさら。読むという義務感になって。

「日本一面白くない本」だね。これ見よがしの漫画間が邪魔だ。
これだけのカウンセラーやっている人ならば。
きちんとしたアドバイスの言葉に力を持たせれば。
もつと聴衆感のあるものが、書けただろうに。

言いたいことがくどくていやらしい。
幼稚園児に説いて聞かせるようだ。何でこれが売れるのだろう。と首をかしげた。
明日もう一度時間を作って二度目読みしてみよう。

そうしたら。お経の本を読み解くように。もう少し深く読むことができるだろう。
そう思ってから。書き始めたので真夜中だ。だから「もう寝よう」って思う。

そんなわけで。おやすみなさい。と声をかけるまでもなく。
多分起きているのは。私くらいの者だろう。

春の雪解けです。

6時間は、寝ないと体が持たないのだから
。明日も午前中は犬たちの頭撫でてここへ来るまでは。
きっと午前中はつぶれてしまうだろう。
そう思うとだらだらとブログ書いているわけにいかず。

いつも最後まで。目を通してくださってありがとうございました。
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明日は節分。

豪華な福良スズメ

2月に入った。もう明日は節分。
速いものだと思う。2月にはいれば3月なんてあっという間だ。
二月が少し日が長くなってくれれば。いろいろやりたいことがある。
大衣桁に飾っていたきものも架け替えなければと思う。打掛外して。
そんなことを思うのだが。私一人では所詮できないことなので。
スタッフの誰かを呼ぼう。土曜日にはやっぱり少し予約が入っているので。
少し真面目に働いて。

まだ寒い。「南極。北極 高山」なのだから。
ストーブを何台か、たいていなければとてもではないが。
足が冷たくなってても屈んで。二月に着物見てみたいという人があるので。
まるでおもちゃ箱のおもちゃを引っ張り出すように。
乗鞍間の箪笥からもいっぱい引っ張り出しておいた。

私の着物がもう着れないので、着物体験館の着物にしよう。
私は紬や小紋の着物が大好きなので。振袖は実用的ではないし。

あんテーク着物の前で

どれをどう展示したらいいのかと思うほど。着物や小物がたくさんあって。
広げだしたらきりがない。思い出の着物を一枚一枚見ていると。その時のいろんな場面が思い出されて。懐かしいなーって思って。


きものはすこしふっくらとしている撫で方の人に。
よく似合うのであってやせぎすの背の高いだけのいかり肩には似わわない。
そして着物は。着るものではなく慣れできるもの。と私は思う。絹連れの音が気持ちいい。

お茶会の初釜だって娘は降り祖手で飯石。大柄の小紋だっていいと思う。
色無地でなくてもいいのだから。若さがすべてを補ってくれる。
そんなことを思いながら、たとうしを開ける。

開けたら最後、きものの海。あれも懐かしいこれも懐かしい。

袖が少し汚れているから「しみ抜きに出した方がいいかなー」

そんなことを思うとあっという間に時間が過ぎる。
まして私は今となっては一枚もきれない。
だからと行って、どうということないのだが。

昔はよく着物着て働いていたなーと思うと。
着物見たいって言った人。私の着物を見てその着物の。品定め?
「着物は民族衣装ではない」と主張するサイトに入って力んでいる人だから。

「民族衣装でなければ何なのですか」と問いたい。
「歴史を積んだその時々の着物を。日本民族の衣装ではないのですか。」

「チャラちゃらとした。今どきの工場生産の着物をきものだ」
と言って喜んできている。やっぱり呉服屋の槍さきなのだろうか。

その人ときっと口論しそうになるから。

私は何も言わないでおこうと。着物の話はあえて避けてきた。

青と白の個展柄の振袖

「そうですか」としか言わないでおこうと思っていてた。
所詮。
その人が好きで着ていることならば。それが一番着かざる幸せなのだから。

この建物は客にその気になってもらうために。
建物自体にも手入れして。

お客を迎えられるようにしたのだから。
呉服屋の3畳や4畳の店先にある畳とは違う。
和紙畳で特注のあつらえ品なのだから。
着物一枚広げる程度のそんな仕組みにはしていない。
建物の中の一軒家という空間が「着物体験館」なのだから。

その人は。そのあたりの私のスケールわかっているのだろうか。
売って何ぼの世界ではない。着物来て時間を過ごすという空間には「日本の田舎」というテーマがいるのだから。
それが温かみのある「売り」なのだから。
その「経営指針」をなぜ話題にしてこないのだろうと思った時から。

少し筒話題がずれてきた。
でもいいんだ。今しばらくは私の宝箱にしておきたいのだから。

もう探しても二度と手に入らないだろう。探すことすら面倒だから。
そう思ってまたたとう紙にしまう。
7月になれば。まただしてはしまう繰り返しなのだから。
この着物の「価値がどうか、わかってくれる人であってほしいと願う」ばかりだ。


本物とは、追求していくとどこまでも、骨董の世界に入ってしまう。
もうそれが最後の一枚と思うと。目の前の着物のデザインから。色付けから下りに至るまで。眺めているには、とおとい物だから。
時間がどれほどあっても足らない。
絹物も明治大正時代の物は、糸にも布にも力がなくなって。
「着るなんてとんでもない。」ディスプレイの、とっかえひっかえでもそっとそっと。

話しかけてくる人に。価値観の違いに気づいた時。
別の角度でこの人を見ようと思ったそうしたら。
着物に隠された思い出がいっぱいあふれ出て。
「やっぱり見てもらったって仕方ないのに。」信じて進んできたことに。
積み上げてきたことに。心乱すだけ。

その人の持っている人間模様と、私の過ごした人間模様がはるかに違うような気がして。そのことにきずいたら。人世の歩み方の違いを。口にも出せず。
いろんな言葉をばらまいていた。

本当は着物のこと。わかってほしかったのに。
気を引き締めて着物を着て仕事こなしてきたことを。
宿屋は水商売の最たるもの。人の心が見えて仕方がないけれど。
着物着て仕事することの。生きることの強い信念を理解しての言葉だろうか。
きっとこの人は着物の淵にしかいないのだろう。
着物の知識がどうであれ。

私は誰かが大切にしてきた価値ある着物を、ほしがる人なのだから。

日本中の呉服屋にある一点物を喜んできている人は
所詮何十点も配られている版画のような。一点物を喜んで着ているだけ。

アンテークの振袖

お店という名前を貼る以上はコンセプトは、誰ももっていない一点もの。
「その原点を譲ってはダメだと思う」誰ももっていないものがそこにあるから店というプロの看板が出せるのだと。看板出した以上は客が、居ようと、いまいが「お商売」ですと。私の言う奥行きをわかってもらいたい。口に出さぬが私の姿勢はいつか理解してもらえる日もあることだろう。
「カラスはきれいなものが好きなのです」と。安っぽい言葉の会話。
「どこの世界でこうゆうチャラチャラした言葉のやり取り覚えてきたのだろうと。」じっと眺めてしまう。

宿屋の女将なんて観察することが仕事だから。
カラスのあの濡れ羽色の美しさを、たとえられない人には。
私の理想は語れない。
だからなんだか。「仕事着と。理想の着物と正装の着物は違うのですよ」
娘ではないのだから。
女が着物着て働くということは。飲み屋にしろ呉服屋にしろ。宿屋にしろ。着物が仕事の鎧なのだから。女が戦いの場で着ている着物なんだから。
勝負をかけて立ち働くのですから。
そういった類の話をすれば。勘違いするかもしれないから。
さらりとどめておいた。呉服屋さんとは話したくないもの。

引きずって着てていただく、きれいなだけの現代着物と。
眺めていただくきものは分けておかなくては。

それが店の奥行きなのだから。私のやりたい体験館なのだから。
私はその空間から今すぐ銭を生まなくとも。
生活に支障はきたしていないのだから。


供物のように。ご先祖への飾っているのだと思えば何のことはない。
建物の修繕を含む。1000万くらいの物は。そこに遊ばせていたって構わない。
別に借金して作ったものではないのだから。
むしろ。「私の宝物と思うことが何よりも誰よりも贅沢な幸せ」だと思う。

これが私がコツコツと蓄えてきたものなので。
二十歳からの着物職人になりたかった私が。蓄えてきた。
「44年間の給料だと思えば」なんということないと思う。


それくらいの仕事はやってきた。
私一代で小さな旅館建てたのだから。
家計の大黒柱やる試練を乗り越えてきたのだから。
これがあるから宿がつぶれるなんてことも、まさかないだろうと思う。

出費のない世界だから。
私は私の分の中で過ごせばいい事ではないだろうか。

今年の運勢は強運で何かを始めるにはいいのかもしれないが。
世の中を見渡すとまだ混とんとした現実。
そして私一代でその宿屋も、おそらく私の体力と共に幕を閉じるのだろう。
そんな宿屋の、サイドビジネスなのだから。
今は本気で向かうこともないと思った。

無理して銭を簿わなくてもいいのだと思う。お金といううほどでもない。

銭という範囲の売り上げだろう。
価値観の違いに行き詰る時。口に出さぬことが傷つかないで済む。
と思った。今更お互いの一番楽なところを変えてまで。合わせていくのも無理なような気がする。「とっても素敵ですね」といえないのなら。黙っていたい。
「私の世界に踏み込まないで」と小さく叫んでおくことしかできない。
44年間の別の道を歩いてきて。着物が一枚も切れなくて一枚だって縫えなくて。

コスモス花盛り

悲しいと涙がほほを伝わった時。「私のあつめてきた着物を世に出して」と思って体験館を作った。本当に力がなくなってしまわないうちに。
「もう一度夢を前に出してみよう」そう思ったから。そんな言葉が「難波船になりそう。助けてください。」と言わせてしまった。

しかし。生きてきた池も生きてきた空も違う。魚が泳ぎ切るのはこいのぼりくらいの物だろう。五月晴れに腹に夢をいっぱい。腹までゆらゆら揺れて、泳ぐこいのぼりのように。
いつか泳ぐとしたら、私は池ではない。空か海だと思う。性格がそうゆう人だから。そんな「夢がかなえられたらいいなー」と願うから。

だから焦らずじっとしていよう。今は背びれたたんで胸鰭体に寄せて。
大きく口を開けて風を飲むときも来るだろう。
私はそうゆうことしたい人だから。その時が来たらドンとした体験館にふさわしい。重みのある看板を作ればいい。

長年の付き合いしてきた看板屋の社長には。「今は臨時の看板だから。これでいいのよ。風が吹いたら。飛んで行かないようにだけはしてね。」「その時が来たら、ちゃんともうけさせる看板を作らせるから。その時が来たらね」って言った。

昔の建設会社の現場監督していた人が。

「和歌子さんの事だから。あっ。あれね。あんまり儲からないから、やめたのよ」
なんて言い出すかも知れないから。本気でお金掛けさせちゃ。だめだ」なんて。

お友達コンサルタントやってくれた。だから出入り業者がみんなひびって。材料費に忍苦だいたしたくらいで。お金掛けないで体裁を整えてくれた。
いろんな人たちがいろんな立場で応援してくれたから。

私はにこにこ頑張って。いろんな夢の風呂敷広げて来れたのだと思う。
廻りの人たちが黙って見ているのだから。いつもそれが頭の隅っこから消えない。その張りつめた気持ちで。
もう少しだけ、もう少しだけホームグランドの宿屋で頑張ろうって思う。

きもの体験館の着物を着るプラン。会えて削除しました。
やっぱりまだ本気で売り出しにかからなくてもいいのです。

希望してくる人があればお着せいたしますが。

今夜はこれで失礼します。ありがとうございました。

見たい人があれば、700円もらって見せておけばいいような気がします。
が。それもあえて強く進めることでもないような。
そんな気がします。
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書きそびれたブログ

弁天荘中庭

昨日。昼間から夜までの間に書く。書くと言っていた、ブログ書かずに違うことやっていた。今朝も叔母が嫁ぎ先に帰って行ったので。またまたパソコンの前に座れなくて。読んでおかなければならない書類や。いろいろなことやっていたら。

いろいろやっていたらとうとう夕方になってしまった。

叔父の所へお見舞いを叔母に預けたら。叔父から電話が来て。

「和歌子か。見舞いしてくれて。ありがとうよ。」なんて。
「自分の体をいとおしんで。おいしいものでも食べて。元気出して。」
って言ったら。涙ぐんでいるみたいだった。
「お前も体気をつけろよ」って言うから。「うん。お互い様だねーっお大事に」
て言って。

叔母は。
叔父が朝早くから電話して来て「いつ帰ってくるのだ」とせわしいと。こぼしていた。「きっと心細いんよ。聞いてやりないよ。長年連れ添った
夫婦なんだから。」
と私が言っておいた。
だって私が戻ると。「私にすごく怒鳴ってお前は黙っていろ」なんてどなる。
「すごく怒鳴るんやよ。」と。こぼしている。
「最後の時が近づくから。不安なんや。」母もそうやったもの。

不安ということは大変な恐怖なんだろうと思う。
「私の生んだ子なのにって。」今更。びゅーんて母のおなかの中に戻っていけないのに。すごい真剣に。ほうき持って設計士を追いかけたり。問題行動が多くなって。少し大変だった。

19歳森和歌子

私がこの旅館建てる時。なんやかんやと反対して。
私はその抵抗勢力を乗り越え。自分の描いた道を突き進むより仕方なかった。もう他人がその気になって走り出しているのだから。今更家庭の事情でなかったことなどにはできない。もう動き出していることなのだから。

ノイローゼのようになっていく母を無視して。
母をカヤの外に置いてどんどん工事を推し進めてきた。
そんな母も最後にはわかってくれて「オープン披露」には出てくれた。


「なんでこんな田舎にそんなにたくさんのお金貸せるんや。」って本気で怒っていて。そのイライラのストレスで乳癌になってしまったのだと思う。

弟の嫁さんは。あんまりお商売向きの人ではなさそうだし。
軒先貸して母屋を取られたようなこと言うものだから。
私は「それでは」と隣の敷地に立てたまでの事。家庭の問題を表には出したくなかったので。ちょっと引いただけ。ちょこっとお金はかかったけれど。

本当はそんなことを言わないで黙って。手伝ってくれればよかったのに。
お金なんてみんなで稼げば、何とかなるものだもの。
私はいつもそう思っていた。走れば後からついてくるそんな時代だったから。

おもっきり走らせてくれればよかったのに。そうしたら月、150万の返済は2〜3年前に、予定道理に終わっていたものなのに。

と思うがそれは私が病気になったから。
其れをちゃんと家族も仕切れなかった私の未熟さだと思う。


なんで。身を挺してブレーキになってくれたの。
こちらがアクセル一生懸命ふんで頑張っている時。一生懸命反対して。
周りの男の人たちが、信じられなかったのかしら。

建設会社の社長や。設計士や。銀行の支店長や。税理事務所の所長や。
真剣に生きていたい人たちが。集まって私の夢をかなえてくれただけの事。
みんな自分がかわいいから。自分の経済を潤滑に進めるために。

ちょっとやれそうなおてんば。娘が望んできたから。大人の男たちが本気で向かっただけ。その周りにはまたそれを眺めている男社会があって。
だから私は一生懸命前を向いて走っただけ。
人世をかけて。信用という約束手形を切ったのは私だから。

コピー機買い換えました

建設会社の社長だって。倫理書あげて、臨時会議で「この話の銀取保障から会社の役員のハンコ。役員からとっての会社保証」してくれた。億というお金が動いたから。私の後ろにいる銀行を見ていただけ。
普通の人たちはそういう社会の縮図が見えないようで。
私は、周りがみんな見ているという社会の仕組みを利用しただけ。
其れは事業やるものなら「当然の冒険の旅」の条件だと思う。

私は。ちょっと「年食った娘」という文字を縦に
越えてはこれぬように堂々と。ご縁という取引を突き付けて。
私はそれをありがたく家業として乗り出した船。漕ぐのは私だから。

皆が見ているから。よけい魅力的な生き方をしなければならない。
それが狭い地域で。「みんなが見ているという意識だから」自分も気合を入れて。走りぬいた。
あっぱれなくらいにその祝いの赤い杯。飲み干しただけ。

事業をかじったものでなければわからぬ緊張する駆け引きだと思う。
駆け引きの後には取引がある。

其れは単純に計算機たたいただけでは出てこない。私がいる。
そんな言葉の裏付けには、命がけの努力があるだけ。
私の人生は楽しかったのだと思う。自分で引いた線引きだから。


「弁天荘さんを、全力で応援させていただく。」
村長も。そういわざるを得なかった。

観光には欠かせない旅行会社の社長や。所長の面々を。
集めたのは私の努力だから。
名簿を見て村長も助役も飛んできた。
もうそんな陰の力も表の力もみんな「一生懸命だからって。」応援してくださったことには違いない。

私が取引に選んだ相手は。いつも自分よりはるかに大きい男たち。
オーラがある人たち。
「差し出してしまわなければならないかも」という危機感を持ちながら。
一抹の不安を胸に。何度も何度も立ち上がって歩いてきた。

私を取り巻く当時の人たちに対して。
本気でお金がほしい人たちが集まって「担いでくれたみこしじゃないか」つて思う。

だから私はかつがれてただけ。みこしに乗ってあっちへ行く。
今度はこっちと手を挙げて。指差していただけ。

娘を食ってしまうのではないかと。ハラハラと眺める男社会の縮図を上手に
わたっただけの事。父が娘可愛さにハンコ押してくれた。

借金がなければ私は走りきれなかっただろう。借金は決して苦しい者だけではなく。励みにもなるし。方向を間違えない。バリアにもなる。そう思う。

昭和の末期のお金は。今よりは使い出があったと思う。そして金に勢いがあった。
だから充分刺激のある冒険の旅だったと思う。

建設資金に1億5000万かかった。先に建てたりしていたところの残債が2000万程あって借り増しするような形になったので。
3000万程は取り壊し部分や。設計士にかかった。そして後から館内スナックを作ったり。運転資金や、設備などで。

とどのつまりが2億5000万。

でもほとんど帰して後もうちょっと。そう思えてきた時その私は倒れた。仕事は。うちの中に抵抗勢力を持たないほうがやりやすい。

もっと早くに終わっている計算だったのに。
少なくとも事業をやりきるものは女の顔していたのではやりきれないので。
ちょこっとはそういうかわいらしげな心もなくては。
ぱさぱさの女では、男社会には生きていけないのだけれども。

落ち栗

今だって。私は仕事していく女性でいたいと思う。
それが自分にとって。一番果たさなければいけない。約束手形なのだから。
そう思うとつらい言葉も並べちぎらない人も。
そんな生きることの人間模様に。
私はどれが本音かわからないほどに。
心を痛めてつらい気持ちの痛みこらえて。

仕事ってそんなような。前に抛った資金や。
約束事を全力で取りに行かなければならないものだから。
私一代で建てて。私一代で終わるのかと思うと悲しい。

サラリーマンでは何ともならない。大きな旗を振り続けてきた。
お金のまわし方した私の人生だから。

ちゃんとやり遂げなくてはいけない。走れるところまで。
それが多くの人の目を集める仕事している人だもの。
今年も来年も。まだもう少しやらなくてはいけないのだから。

自分の体の事ですら。毎日が苦しいスタートなのに。
自分の心に。厳しいことを言い聞かせて。走りきらなければいけない私の事。
わかってくれているのだろうか。そっちしか道がないことわかっているから。

若いうちはそんなこと何でもなかった。
がむしゃらに走りぬすいていればつらくはなかったし面白かった。
楽しかった昭和時代。
後20年も生きられないだろう。

身体も仕事ではせいぜい5〜6年くらいのものだろう。
きものの運営の展開もやりたいことがあったけれど。
一生懸命反対する人がいたので。

素直にやめておいた。反対することは。
それだけ思ってくれているということの表れだろうから。
やたらと風呂敷はあちらこちらに広げないほうがいいと。そう思った。
だからあきらめた。

あきらめる以上その企画書すらも口に出したくないと思った。其れも意地。
あがいていても。もっと深い淵に落ちていく事なのかもしれないから。

そう思うとどんなにどんなに計算しても足らない帳尻の合わない生き様がある。
人世はどこに落とし穴があるかはわからない。
だから。
本当の強さの中に秘める優しさを教えてやりたい人もいる。

高山という狭い土壌で。もう一度勝負をかけなければいけないことがある。
その私の強い意志を分かってくれるだろうか。

よそから来た人ではやり更けないだろう。この極寒の地で春を待つ暮らしが。
私はこの地に生まれこの地に育つ。

私の作ってきた。犬の宿の道を消してしまいたくないから。
お金の解決ではない。夢を延長することの道も。選べる立場でいようとしている。

私の体の体力と引き換えに。何とかして。売り払うのではない。
残そうとする方法を探っている。だから苦しい。
私しか線引きできないことだから。多分。それが一番妥当だと思って。
私はココの土になりたいから。

其れも何ともならなくて。力尽きたら。なるようになるしかないと思う。
其れまで気をぬかないように最善を尽くさなくてはと思っている。

お客様の事が心配だから。このままやめましたでは「それはないでしょう」
ということになる。
引退することには違いないけれど。
其れに向かって私は走らなくてはいけないような気がする。
もう一度だけ。力を振り絞って。なんといっても私が広げた風呂敷だから。

無くなった人が植えたイチゴ

何となく今日のブログは何を言いたいのか伝えきれない。
もどかしいものがありますが。今日はこれで終わります。
ありがとうございました。
2月です。あちらこちらで冬のイベント始まっています。
どうぞ寒さを覚悟し二月の飛騨へお越しくださいませ。

飛騨でもあちらこちらの地域でも、おもてなしの準備が整っているようですよ。
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