桜咲きました。

旅館弁天荘の前の桜も咲き始めました。
あたたかくなった証拠ですね。おかげさまでお天気が心配されていました。
高山祭りも、本祭りの4月15日はお天気がよく、澄み切った青空で明るく晴れていて、祭りの行事も無事終わりました。
前日の4月14日は大雨のような降り方で「今年は2日とも雨なのかしら」とがっかりするほど。
雨降りは当然夜祭はなく屋台も出ません。
しかし、翌日の4月15日はとてもきれいな青空。


国宝のからくり屋台も獅子舞も出ました。
多くの観光客で陣屋前ひろぱは人の波で埋め尽くされ、いつもの祭りが繰り広げられました。
春は山王神社春祭りです。その頃から、初冬の頃まで観光都市としての高山は、全国からお客を迎え、活気付いていきます。
このごろでは世界からという感じになりました。
外人の観光客が増えてきました。
京都と並んで日本を代表する観光都市とし紹介されているのです。
旅館弁天荘こそ「ペット専門の宿」なので外人客はめったに居ません。
検疫の手続きや、長く期間が要するなどして、外国からの犬連れ旅行はちょっと面倒なことが多く、犬連れの外国からのお申し込みというのは、ほとんどありません。
しかし高山市の観光地の場所にはいろんな言葉が飛び交っています。
英語はもちろん、ドイツ語。スペイン語。フランス語にイタリア語。
10年前。20年前の高山へ来ていただく観光客とはまた一風変わった光景です。
時代が変わりつつある姿は、あたかも見うしないがち。
そして戸惑いその時代の流れから「自分が取り残されていくのではないか」とやたらにあせりがちなものです。
現状の中にどっぷりつかりすぎていると、変化の様を汲み取るのすら難しく、(過去形のめがねでなくては読み取るのが難しく)築いた頃はもう、流れが変わってしまっていて。バスが走り去った後のように。無念さと残念さと悔しさだけが、取り囲む。
今そのものの現状を読み取ったり、やがて展開していく未来に流れに対応していくことなどは、なおさらです。
私達は客観的に町を眺める力と冷静さも兼ね備えて持たなければならないのかもしれません。
「今は不況だから。100年に一どの大不況だから」と現実のもどかしさを自分を慰め、納得させる言葉に摩り替えるのではなく、私達はもっともっと、感性を磨いて、今までとは違った着眼点で現実を考えなければならないのかもしれません。今時分たちのレベルでやれること。
それを探す心の旅。田舎の都市としての懐かしさ。ハード面は都会の最新の設備には追いつかない。だからといって不便さを感じない程度のやさしい、親切な対応。
難しいことではなく人間らしく、原点に立ち、基本的な暖かさや、くつろぎややすらぎを提供する高山の旅館としてのソフトな部分での努力自体が一番大切なのかもしれません。
「やるべき対応の姿がちょっぴり見えてきた」だけでも心が引き締まり、努力目標がひとつ見つかったことだけでも、心が活気付いていきます。
がんばれる元気が、桜が咲き始めるようなそんな華やかさと勇気を与えてくれるようです。
そんな風に感じる外人受け入れ観光の変化として捕らえました。