「2019年07月」の記事一覧

今日は夏空ですが、台風5号が生まれたとか。

荒川家のお庭に行く歩道
今日の飛騨高山はものすごく良いお天気です。
青い空に入道雲がもくもくととわいて夏空です。梅雨の合間のつかの間の晴れのお天気だとか
もうそろそろ梅雨明けになったのかと思えば。
そうでもないようです。
台風5号が生まれているそうです。去年の大雨を思い出しました。
今回の台風の被害は、飛騨地方にはなさそうですが。
夏休みになるのだから、梅雨が明けて、しばらくはお天気が固まってくれないことには。客足の伸びにもかかわってくるのです。静かな観光地ではどこの施設も成り立たないのです。
飛騨高山はとても広い観光地なので、ポイントを絞ってあちらこちらへ行くには、ちょうどいい位置に所在しています。
夏山登山の景色の素晴らしや涼しさの体感してもらうには、高山の古い街並みなどの町中から少し離れていただければ、朝晩の自然のさわやかな空気を実感してもらえます。
夏のアスファルトの上を歩かせるには忍び難いので、抱っこして回るにはくたびれる。ということで皆様、ジョンノ家に一時預けをして。
上高地や乗鞍などの夏山観光にお出かけになられます。
私の元気なころは通りすがりのお客様の犬たちも1泊二泊とお預かりしていましたが、私が、体が不自由になっては、しっかりとした犬の管理ができかねますので、弁天荘にお泊りいただくお客様の犬のみ、お留守番の預かり対応としています。
紫陽花②
朝から夕方までの一時預かりだけに絞っています。
飼い主様が排泄のための散歩をしてくださらないと。
お預かりすることはできませ。ジョンの家は、真夏はクーラーの中で。
ワンコチャン達が、お昼寝しています。
飼い主様の匂いの着いたバスタオルなどが、あったほうが安心してお留守番していますね。
そして預けるためのケージに入れるまでのおしっこシートを敷いたり。
水入れに水を汲んで入れたりする飼い主自らがされたほうがいいのです。
より安心してお出かけいただくためにわんこちゃんをケージに入れるまでの準備もよろしくお手伝いください。
一日犬種をとわず消費税別3000円でお預かりしています。
時折レオ中型犬が、通りのお客様に向かって吠えます。
ジョンミニチュワダックスも一緒にほえますが、私の飼い犬です。
飛んできてお預かりしたわんこちゃんに危害を加えることなどはありません。
僕はレオンというんだよ。
やかましく吠えたてますが5分もすれば「役目は終わりました」とばかりに所定の場所でつながれて、寝そべっています。それが彼らのお仕事。
私の犬は家の中で番犬をしているのです。
山の中の一軒家ですから、物音に敏感な犬は、夜にはなくてはならない役に立ちます。
旅館弁天荘としては、お泊りのお客様と一緒に過ごしてもらいます。
犬種も大きさもは自由です。ペッとは無料泊です。
エサと水入れや、エサ入れなどのペット専用の容器はお持ちください。 
部屋の中で寝転がるためのパスタオルでも、マットなど。、何かあったほうが預かった犬たちは安心しますね。
旅館に一緒にお泊りいただく犬の大きさには問わないです大型犬も超大型犬も無料でお泊りいただけます。昔と違ってペットのサイズも小型犬が増えましたが。小型犬ほどよく吠えます。おしっこの失敗も多いので、おむつやマーキングベルトなどをするように、してください。飼い主様が安心なさるとペットたちも安心してお泊りできます。
小型犬から大型犬まで家族ですから一緒にお泊りください。
何頭でも無料泊です。お食事の場所へはご飯を食べさせてから、お連れください。
衛生上。調理室と、お風呂は一緒に入ることはできません。
犬は旅行に出る前にペット美容室などで、きれいにしてからお連れください。
ジョン。4歳。デブです。
旅館に入館する前にお庭先ででおしっこさせてからお入りください。
犬たちの管理は飼い主さんがこまめに行ってください。
到着時の排泄。
夕食事前の排泄は犬の気持ちを落ち着かせるので。
お休み前と朝起き時と、こまめになさると。
おしっこ漏れの失敗は避けられることと思います。
マーキング癖のうある子はマーキング帽子ベルトをさせてください。
お布団を汚さないためにも一晩くらいは
おむつをさせて過ごすことも大切かも知れません。
愛玩動物であっても、旅行先で一緒にお泊りするということは、犬たちも社会化を学んでもらわなければなりません。
可愛いと思うことが、犬と一緒に泊まるという飼い主さんの自分の犬に対してのこまめな世話が「犬の宿」の成り立ちです。
どうぞ安心して連れていける犬のしつけをこの機会に。飼い主さんが体験してくださることを願っています。
学習は社会の一員として暮らして行く、犬にとって大切なことです。
犬も猫もみんな大切な家族。旅行中家において来られない小鳥たちも、かごに入れてお連れになってください。
小動物は、水や、エサが切れるとあっという間に死んでしまいます。
旅行が公開の元になってはいけない。
そんなことがありませんように。
爬虫類や金魚などは、お留守番させてもていでんにならないかぎり。
だいじょうぶなのです。
いらっしゃいませーとスタッフ
弁天荘はもう40年以上も前から、ペットと泊まれる宿を前面に出して営業を続けています。もう東海地区では草分けの宿になってきましたが子供のいない私は、お客様の犬や猫たちを親戚の子供たちを見るような目で眺めながら。
私ももう少し、犬たちの姿を眺めて宿屋にいそしんでいきたい。
そう思っています。
継続は力なりと申しますが、ネット旅行の力も借りず直接のお客様のご予約で対応いたしております。それだけお客様に支えられて宿を営んでおります。
皆様のおかげです。100人収容の宿の許可はありますが、ゆったりおとまりして、もらえばよいのです。
沢山の人数には対応しなくてよい。30人も泊めれば満室にしてしまいたい。
そんな考えでいます。
先日たくさんの食器を廃棄しました。
弁天荘全景夏
どなた様も清潔な宿で安心してお泊りいただけるように。
素朴で安心できる宿でありたいと思っています。

7月15日曇り時々晴れ。少し寒い夜です。

シャブシャブ鍋食事
太陽が少しだけ顔を出してくれました。青い空も少しだけ見えて。
太陽があるということは本当にありがたい事だと思いました。
世の中は、国はブラスだとか、年金の利回りもプラスになっていてとか。
耳触りのいい様に懸命に説明している時の政権と。
今こそ問題点を取り上げて叫びたてている
アメーバのように分裂を繰り返す野党と。
選挙権のはがきが送ってきた。さてさて。どうしたらいいものか。
なくさないように画張りで壁に貼っておいた。
選挙は期日前投票もあるのだが。
何となく義務化されたように選挙に行くことも心が引っかかる。
かといって選挙権を放棄するのも悔しい。今一つ熱が伝わってこない。
政治とか行政とか、の舟のかじ取りの仕方で。未来が変わる。
今景気がいいとは決して思えないような先行きの不安感。
話は変わるが10年ほど前。
弁天荘から、高山川へ行く国道158号線沿いの坊方とうところのタイムリーというコンビニがあったが、10年もしないうちにつぶれた。店ごと売却したようだった。
間もなくデーリーヤマザキというコンビニに看板が変わった。
そこも3~4年程営業していただろうか。
今年の冬にシャッターを下ろしたままになった。
年寄家族オーナーで働いているようだったが、コンビニというシステムを飲み込んで経営を続けていくには。タイ変らしいことすぐ直感した。
レジスターの操作すら大変な様子だった。コンビニのシステムを覚えきるには、その辺の駄菓子屋を経営するようなわけにいかず。飲み物から切ってからたばこまでの商品を管理するにはなかなかタイーンだと思う。まして夜もしめておくわけにもいかず24時間対応するということは並たいていの事ではやりきれないだろうから。
弁天荘から徒歩で15分ほどの所だったから。(車で2分の所)
可愛いわんこ
70歳近い老夫婦と、足にぴっこを引かれて、手が不自由そうな息子さんらしき人と家族構成でたまの時間帯にパートさんらしき中年の女性店員さん。
律儀に24時間対応しておられたのだが、傍から見ては「果たしてかかる経費程売り上げが確保できているのだろうか。首をかしげて見ていた。
「今年の冬はやめる」という宣言をされた。
去年までスズメが店先のの軒下に何か所も巣をかけていたのだが。
シャッターを下ろしたその場所に、今年の春は巣をかけていなかったことを想う。
何時やってきて巣をかけてもいいように、やめたオオナーは軒下の火災警報器の上にツバメの巣を受ける板まで取り外さないようにいたわるように、この店を去ったらしい。優しい気持ちがあったのだろう。
しかし、「人の住んでいない家には。ツバメは巣はかけない」
という、昔の人の教えはその通りだと思った。
昔の人は言う。「ツバメはその家の反映だという。」そこで生まれて育ったツバメは遠い旅をしながらも毎年戻ってきて子育てをするからだ。
2件目のコンビニは、
車で6分ほど走らせた交差点脇にあった。
セブンイレブンもシャッターが下りたまま。
セブ゜ンイレブンは地主の立ち退きを迫られたとのこと。
多分地主はは(もっと大きな組織とタイアップして、来たるこの地の変化に乗り遅れまいと準備に入ったのだろうか)とすら邪推してしまう。
「不便になったね」と会話していたら、3件目のコンビニができた。板倉ラーメンのドライブインの敷地内にローソンができた。全国チェーンの組織だから、今度こそ簡単につぶれてしまうことはない事だろう。
会社名は違っても、3件分の顧客を1本化したのだから。
そのローソンのコンビニはいつ行っても、てんてこ舞いの様子。
65歳の私
事業というものはいつの時代も浮き沈みがあり、栄えて賑わっているように見えても、ツバメの巣などはかけさせないように。するのかもしれない。マニアル通りに。予期せぬことなど起きない。決まりきったリズムに慣れ切ってしまった。
「こんにちわ。いらっしゃいませという」という若い女性の声にに安心感すら覚えてしまっている自分がいる。少しづつ便利さが当たり前に感じてしまうこと事態。
時代の波に流されてしまっているようだ。
高山の街の中はしばらく行かないうちにすっかり様変わりしている。
空き家になった家は古民家として。住居ではなく飲食店になったりしている。
高山市がいったん引き取り売却したり、移住する人たちを募集したり。補助金を出して飲食店のオーナーシェフを募集したりしている。
高山がディスカバージャパンという名のもとに、昔の国鉄が、はなったキャンペーン。私の二十代の頃の事だから。
一昔やふた昔前の話になる。地場産業の木材に関する産業は陰りを見せ。
田中角栄氏の列島改造論が流行りだし、飛騨の地も観光開発の手が入りだした。
その時に取り上げられた高山市のイメージ。
昭和。平成。令和と地代は流れて行き、「過疎化していく町や村」という言葉も、切実にひたひたと、近づいてくる感も無きにしも非ずなのだ。現実。
今の旧高山の一にあたる。古い街並みやら。宮川の朝市やら。
そんな場所が脚光を浴びて。高山も一大観光地としての定着が始まった。
岡山の倉敷の美観どうりや、金沢などの観光地と並んで。
下呂温泉や奥飛騨温らせんとも違う。そんな流れを開拓し始めた。
安くて素朴でひなびた町というイメージの観光客を取り込み。そうゆう若者たちのブームが過ぎ去ったら、今度は、修学旅行客を取り込み。
今では、外国人客の集客に政治がらみで。行政が率先して外国人対応の集客に。
力を入れているようだ。外国人がうじゃうじゃとくる町になった。
私も、時代の流れの変わり目に、弁天荘としての保険をかけるように。
外国人の対応ができる施設を作っておいた。それが母屋の建物を利用した。
「着物体験館」なのだ。少しばかりまとまった資金も投入した。
看板も上げている。古物商の中の衣類商の許可も取った。
そして着替えるための部屋も設備した。
しかし今は父のための家としてすべてを保留している。
着物を着て大はしゃぎの中国娘
アンテークの着物も展示している。それもわたしの目の保養であり。
外国からの着物に興味のある女性観光客に、対応すべきストーリーの流れも作っておいた。
活躍する機会に備えておくことは、時代の波のうねりを考えての保険だと思う。
いつでも羽ばたけるようにしておくことは準備体操のようなものだと思う。
しかし。保険金の支払いは先物投資のようで。しんどいものになる。
そうは言うものの、窓口を閉じていれば何も始まらないのだから。
「宿屋の女将の道楽」と言い放たれても仕方ないような現状なのだが。
着物に関しては、私の中ではかなりの年数が過ぎている。
着物を仕立てることから始まり。
着物を着こなして仕事する、宿屋の主として生きていたのだから。
着物に関しては奥が深いという事だけは実感している。
10年余り前の大きな病気をしてから。
着物も着られないし、片手では着せられなくなってしまった。
そこの施設にもきものに関する知識を持った人を配置していないと。
成り立たなくなってしまった。フリーのふらっと入ってくる人を対応することはできない。何を成し遂げるのも人々の協力があってこそ。
「山の中の田んぼに囲まれた場所で決してみやびでもないところで着物体験館だなんて。何を考えているのかさっぱりわからない」と、そんなことを口にする人すらいたりして。歴史にそう家の成り立ちだからこそそういう形でお披露目したまでの事。「わからない人にはわからなくて結構。」そう思うからこそ。
やるべく土岐にやるべき手入れを下まで、
私の生い立ちとしては、短期大学に行くくらいの気持ちで、高校を出てから、和裁所に3年通った。親が「手に職を付けて、知識も学ぶ機会があったほうがいいだろう」と。学費を私に投資してくれたのだ。
しかしそれを専門職にすることなく。
宿屋での実労が始まった。
看板娘の一枚看板を背負わなくてはならないことから始まり。
病に倒れた母を看取り。いろんなことが通り過ぎていく。
一つ一つ乗り越えていく事から私の仕事は始まった。それが「女将」としての立場になった。
苦労したなどと葉一度も思ったことはない。苦難は何度も乗り越えて来たけれど、それは私の登ってきた坂道だから。今更泣き言など言いたくはない。
父の始めた宿を切り盛りすることで、日々が過ぎて行き。
自分の好きな動物を心置きなく泊まってもらえる施設としての取り組みに。
努力した。しかし、私にとって犬も猫も人もお客様だから。
ペットの宿としての先駆者の道を進んできてよかったと思う。宿を運営するということはいろんなかじ取りがあり。襲ってくる波よりも。
ひたひたと引いていく引き並波の方が痛手をこうむることがある。
着物が反物として存在する所から、種類も学んだ。
着物になるまでの産地から、生地の種類善し悪しまで。
学ぶことが多い。とても奥が深いものなので知ることは楽しい事にもつながる。
今となってはほとんど知識だけの独学に近いものがあるが。
浅間山の大爆発によって噴火の灰をかぶった飛騨は農地はやせ細り、日照不足によって野菜も米も不作つつきで人々は上に苦しみ。
弁財天の庭も緑いっぱい
飛騨という地での、生きるか死ぬかの歴史の中で、飛騨の実験農家として。
江戸時代の後期にこの建物は建てられた。
天領として幕府直轄地であった高山市には、奈良や京都などの神社仏閣を建てるための人材が動員された。その人々が疫を終えて自分の生まれ育った。
その飛騨の匠と言われる、棟梁の元で建てられた、「御蚕様を飼うための大きな家なのだから、子孫は大切に管理して行かなければならない。」と言い伝えられて育った私。
昔の人々は「御蚕様」と言い。日本全国に解雇に関しての歴史はあるが。飛騨の江戸時代末期にも、天災によって食糧難を乗り越えられた繭づくりの蚕を神様のようにありがたがたがって感謝した。
桑の葉が取れる、春子から秋子までの間を、御蚕様と暮らす。
やがて蚕はやや黄色身を帯びて大きく育つと、つぼむといい繭づくりに入る。
繰り返し5月月から11月までの期間を骨身を惜しまず働いた。飛騨の人々は、そんな風に危機を糊小唄らしい。明治時代になり、ますます蚕の養殖は盛んになり。
昭和の第二次世界大戦後はだんだんとすたれて行った。絹に変わり丈夫なナイロンが主流となったから。
それでも高校を卒業してからの着物の仕立ても、少しは実践した。
宿の手伝い片手間に。私のお小遣いになった程度の収入だった。
技術者。職人への教育を受けながらも、私は時代の波に流されてきたことになる。
今の身体となっては、懐かしむだけの思い出の空間の世界。
私の宝物としての自分が生まれ育った生家を私なりに。
着物を展示して古い古い古民家を飾り立てて楽しんでいるということになる。
父が生きている間は此処に住みたいというのだから、商売の在り方を無理をせずに今求められている現状に。
いろりのまわりにすわって
父が介護を終えるまでなかなか道のりは長いが。
私は父の希望通り大きな家を半分仕切って。
父の昔通り暮らしてきた家に時折大工を入れて維持管理している。
天命7年のむ名札を持つ古民家なのだ。この広い屋根の下で生まれ育った私なのだから。子供のいない私は、歴史上私の人生は、最後の「家を支えてきた人」として終わるのかもしれない。そう思うと言えごと廃物にしてしまうには忍び難く。生かす方法をト考えあぐねた末、
50万や100万くらいでは修理修繕することはできないのだから。
まとまった資金を投入して保存管理をした。
ただし。それをやり遂げるかどうかは、自分の体力のあり方次第だと思うから。すこし仕事内容をスリムにしていかなければならない。
父の終の棲家に提供。心配することなく、人生と寿命を全うしてほしいと願い。
そばで見守ることにした。口ではきつい言葉を吐きながらも、肉親の愛情は計り知れないものがある。
無農薬農園や、「外国人専用着物体験館」や。「ジョンの家の犬預かり」。「犬と泊まれる和風旅館。」いくつかの手はひろげているのだが
何を収入の柱にするかは。やはり資本の投入額の違いから。
当然旅館の方にシフトを傾けるべきだと思い。
傍から見ては、気ままに、見えるかもしれないが。
自分の体調を無理しないように。
続けていくように常に気を付けるようにしている。
ジョンノ家から宿を望む
今年は夏のサービスイベントの野菜もぎ取り体験をやめた。
このイベントを続けて。12年目で、天候の変化と、働いてくれる老人たちの労働環境の気候的変化に。「決断の時を下した」たというべきなのかもしれない。
耕作放棄地を維持していくことにしたのだ。
2年ごとにトラクターを入れることにより。「保全管理になる」その信念のもとに。
土地を誰にも貸さないことにしている。
営農管理を委託することにより。わたしの予期していない「除草剤」などをふんだんに使用する営農者が来たら。
たまらないからである。犬にとって除草剤は絶対的な人災だと思うから。
松の木の手入れ
そして着物体験館も、外の道路を通り抜ける人にはわからない。
着物ワールド。私の道楽になっているけれど、それはそれでいいと思っている。
父の安らかな時の送り方が一番だと思うから。なかなかお迎えは着そうもないのでしばらく私が付き合うことのほかないようだ。
売り上げに活用できる日も、時の流れの中には来ることだろう。
その宿の付属としての施設の管理も。大事なことだと今は思う。
梅雨時の今年の夏がもうそろそろ始まりそうなのですかこんなに寒くていいのでしょうか。朝晩はストーブがほしいくらいです。
今日は曇りの中に、晴れ間があるという蒸し暑い日で終わりそう。
これから。夕食の準備に取り掛かります。
では皆様。今日はここまでにします。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

今年の梅雨明けは7月の20すぎらしい。

ジョンノ家から宿を望む
今年の梅雨明けは7月20日過ぎになるらしいです。
天気予報が気になります。
飛騨地方も、どんよりとした蒸し暑いお天気が続いています。
暑いのかと思えば寒く。海抜の高い場所としては、気候に合わせにくいお天気の日がまだ少し続くとのこと。関東地区も気温が4月の気候に戻ったとか。7月の気候はどこに行ったのでしょう。
からっと晴れた日がなくて。中々山の天気は読みづらいものです。
近年では、雨もすごく大量に降るようになって。
恵みの雨どころか。災難の雨になってしまっています。
地球温暖化と言いつつも。
自然現象の威力の前にさらされて無力な人間界の、
微弱さを思い知るばかりの近年です。
シャブシャブ鍋食事
各家族性になり、二人暮らしの中で人と暮らすことにプラスして犬や猫が家族の役割を果たすようになってから。
命のはかなさを感じさせられることは、思い出の中に記憶されており。
家族として暮らしてきた犬や猫も、同様であっという間に通り過ぎていく思い出のごとくです。
長生きするようになったとはいえ。大型犬の平均寿命はやく10年前後の程度。
町型犬とはいえ度15年も生きていると足腰も弱っていろんなところに支障が出るようになる。
犬は2匹くらいで飼うと競争して食べたり遊び相手になったりするので比較的ストレスも溜まりにくく。昔と違って外飼いではなく家の中で暮らすので。
犬たちの寿命も長くなりました。
それでも人減の寿命と比べるとはるかに短くてはかないものです。
思い出のアルバム
人間に役立つ働きをしていることの今と昔。
〇 むかしの犬はお外で番犬をしていましたが、今ではセコムにその役目もとってかわられ。
〇むかしの犬は刈りの時に飼い主様の前を率先して、走って行って飼い主様の前に獲物を口にくわえて運んでくるという役目を果たしていました。
今の犬たちは狩りをしなくてもよくなり。
食料にあふれている日本では、ドックフードのメイカーを存在を支える消費者となったのです。
〇今の犬たちはかわいさを誇って飼い主様の心の癒しに貢献しています。
現代の犬たちは人間界のレベルに添える程度の学習をしないと生きていけません。
飼い主様が、旅行に行く時。わたしも行きます。お供させてくださいと喜んでついてきて。
そして人間の泊まるレベルの宿、一緒に泊まるというマナーを学習しなければならないのです。
犬も賢く学習しないと、人間界の家族としては認めてもらえない。
趣旨も目的も違う中で、犬という存在の感覚がめまぐるしく変化する中でなかなか大変なのかもしれません。
家族として認められ手生きていくことに懸命な忠誠心。
静香ちゃんは白シェパード
愛情をかけてもらえる事に忠実にに生きて行こうとする姿は、現代の犬なりの生き方なのかもしれませんね。
もうすぐ梅雨明け。
空気のすがすがしい夏の飛騨高山。
お出かけを計画してみませんか。
では皆様、季節変動が激しい行ったり来たりする気候の中で
お体を壊されませんようにご自愛くださいませ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。