リハリビのグループの女子会おしゃべり

弁天荘ロビー
木曜日がリハリビの日なので特にご予約のお客様もなかったので
通所リハリビに出かけた。診療所に開設している通所リハリビの施設。
お迎え車で乗っていれば連れて行ってくれる仕組みで終わればまた乗合になるが自宅まで送ってくれる。至れり尽くせりのシステムがある。
お天気が良くて日焼け止めクリームを塗って乗車。
朝方は17度という気温で午後から太陽の光で30度近い気温となった。
それでも半袖では木陰に入ると涼しい。
気圧のせいか足も腰も痛く。時々耐えられないほどの事があります。
薄手のカーデガンを羽織って行ってちょうどいいくらいです。
思い出のアルバム
身体の欠陥を理学療法士がもみほぐしてくれるだけで血流の流れが、よくなるような気がする。そしてヘルニア用の頃セットをしているので少しは楽な気にもなる。
行きはじめて、3年目になるが、なかなか体が若返るというほどではなくても参加できる時はなるべく行くようにしておきたいものだと思っているが。
なかなか夏場は忙しくて休みがちになる。
今日はいつもの女子三人の顔ぶれがそろった。3人とも年齢こそ違うのだが。
遅かれ早かれの未亡人で。お話に話が弾み。
まるで女子会のようでお茶とお菓子をのみ食べ。
お寺の話から、法事の話。お墓の話。など共通の話題があり。間違い探しなど簡単な頭の体操で、3時間ほどの時は過ぎていく。
有る御婦人が、後継者の話を持ち出され、ご主人の生命保険が入ったけれど、孫の進学やらいろんなことに100万単位でお金が減って行くので大変だと口にされていた。「あるものが出すのだからとお金が有るからなんやね」
そして話はトイレの話になり。夜は大変なのでおまるを部屋に置いておき朝捨てるようにした方がいいか。それともトイレを作ったほうがいいかという話になり。
「お金を持って死んでいくわけにはいかないのだから。自分専用のトイレくらい工事屋を呼びつけて見積もりを作ったほうがいい」と私が提案した。
上二之町の風景
集落ごとに下水処理を終えている地域に住んでおられる方だったので、設備工事屋さんに見積もってもらって、20万から30万円程も出せば、何の遠慮もなく使用できるし、おまるを毎朝。自分で運ぶなどということは障害があるからここにきているのに情けないじゃないの。」「御姑さんに、あなたがお嫁に着た頃は、やってきたことなのかもしれないけれど。
今どきそんな事。毎日させたら大問題になるよ。
「病で寝伏してしまって、介護をさせること自体大問題の時代に。」
少し足運びが悪い程度で、つえをついても立って歩いて通所リハリビに行くわ。
ご飯はおいしく食べれるわ。
その挙句の果てに、今から家族におまるの処理をさせたなんかしたら、家族戦争の勃発になる。自分が朝起きてするなんて言うことも情けない事やしね。
「お金なんか惜しがって、ためておかないで、自分のためにさっさと使ってしまわなくては。トイレ工事なんて何百万も使わなくてもできるはず。」と発言。
それでも農協がお金をおろそうとすると「おれおれ詐欺」を心配するのか。
「あまりいい顔しないんや」とこぼすので「あれレ―。まあ。今どき現金おろして支払いに行くなんて。そんなことは、はややらんよ。振込用紙に相手の工事会社の請求書の金額記入して、相手の口座番号書いてあなたの口座の番号書けば、同じ農協の口座番号だと振込代すらいらないのだし。
と私は笑った。
お金が有る人たちは確かに狙われらしい。
だまされまいとしていても人間には弱点はあるのだそうな。
嬉しいねと見上げてお話している犬達
話のお鉢が私の所に回ってきて、その人が言うには
「どうして跡取りを決めておかなかったの?子供が授からなかったとしても。親戚の子なりを養子にでもして跡取りを決めておけばよかったのに」という話になった。
タケノコとあげの炊き合わせ
未亡人の田舎の奥さんたちは、この手の話が大好物のようだ。
だから、こうゆう時は(いかにも自分は解消のないもので貧乏人の借金だらけだ)と言っておくことに限る。
旦那に死に別れた未亡人たちは。まだ私の方が幸せなのだと自覚することに優越感を見出すらしい。そうするとひとまず敵を作らないで済む。
私はいろんな事情をさらけ出すのも面倒だったので
「跡取りなんて後取るものが、あってこその話だわ。私はその気で銀行から借金して旅館建てたけれども。借金、怖い。と思うサラリーマンの親や子がが当然商才の才覚はないし。老人の介護付の約束なんて跡取りに決めることは酷なことだからね」と言っておいた。
「田んぼや畑や森林の不動産はいくらあっても、財産のうちには、入らないのやよ「年金では食べていけないから2000万くらいは貯金しておくか、株に投資するかしておけ」と言っているのだから」と言った。
「わははー」という笑い声が上がり。
その話はおしまいになった。
今通称リハリビに来ているいるおばあちゃんたちは、80歳すぎた人たちが多く。
無くなった人が植えたイチゴ
ついこのあいだ後家さんになった人たちは。めそめそして見せるのが「いかにも私はか弱くてはかない」とでも言いたげなような。新人の未亡人も、そのうち年と共に、たくましくなるのだが。今は何かとくよくよとしたお話が多い。
私は年こそ若いが未亡人歴12年程になる。来年13回忌法要の年になる。
数限りないお客様が支えてくださった弁天荘だと思う。感謝があふれて出る。
だからできる限りこの宿をつ漬けて行きたい。
いろんなことを乗り越えて今日の年月を積んできたと言いたい。
だから「苦労してきた」とは決して一言も言いたくない。
すきなことはしてきた。だが私のしてきたことは、苦労ではないのだから。
だからそれほど旦那が居なくて心細いとも思ったこともないし、できる限り現状維持で。気楽に自立して生きていきたいと思っている。
シャブシャブ鍋食事
「糸」という中島美由紀の名曲がある。あの曲はつくづく名曲だと思う。
階段の踊り場で出会った人が私の主人で。横の糸とたての糸が織りなすのが私達だった。中高年で結婚という選択をした。彼の貯金をはたいてできる限り盛大な結婚式をした。「一日限りの王子とお姫様」になり切った。一日でなん百万を使い生きる大人のイベント。結婚式。長い間付き合ってきたなれ初めの新鮮でもなかったが新婚旅行。一通りの段階は踏んで人生を全うしたのだから。
彼の最期を看取れてよかったと思う。
大テマリの花
私の主人は草花が好きで田舎暮らしにあこがれていて。
そのくせ畑仕事も果樹園も金生しいたけ作りですら全うしきれない。
まさしく夢を描く青年だった。
そしてちょこっとだけ、他の男とは違う目鼻立ちのシャキッとしたいい男として私の眼には映ったのだが「結婚なんでどっちでもいいや。」は母乳癌で4~5年の闘病生活。そんな八方ふさがりの状況の中で。私は建てたばかりの宿の運営に力が入っていた。成り行きだと思う。すべてが苦労だと感じたことはない。苦難という言葉は受け入れるが苦労したんだなあなんて気の毒がられたくないのが私の気持ち。
苦難は必ず乗り越えられる。そう信じている。そしてそういう信念で月日が流れてきた。
私が脳梗塞で倒れた時、退院して家に戻った私に、一週間ほどして主人はくも膜下出血動脈りゅう破裂で入院することとなった。
まさしく入れ替わりの入院。
私は半年車いすで毎日通い。主人の入院している救急病院の高山日赤で主人との永遠の別れを見送った。彼が残してくれた寿命だもの投げやりになってはいけない。
宿は冬は休むことにして後は無理をしない程度にずっと営業をし続けている。
弁天荘の玄関前
おかげさまで旅行会社の介入もなく。私の公式ホームページや電話等の予約でこの宿は回っている。じゃらんも楽天も今では介入すらしていない。支払いが現金またはカードかというだけでだけで。予約対応している。
犬の顔見ていると猫と遊んでいると。「まごまごと愚痴を言いながらも、暮らしているおばあちゃんたち」とは生きている感覚が少しばかり違うと思うことがある。
私は犬や猫が、私の稼いだ売り上げでおいしいエサが食べられ。
飼いに行く時間がなければ、アマゾンでお取り寄せの配達してもらえばいいと思っている。
ネットで買い物できるので、うちの仔達がとりあえず飢え死にすることがなければ良しと思っている。カリカリと私の顔を見上げながらドックフードを食べる犬たちや。「うんチしたし。トイレが汚いと私、おしっこできなーい」と私のかたにつめをかけてにゃあーにゃあ泣く猫の姿がいとおしいのです。
お嫁さんに遠慮しながら、また悪口を言いながら。
孫のご機嫌を取っているおばあちゃんでない事が幸せなのかもしれません。
されざれの人生を満足して日々過ごしていけることは幸せなことだと思う。
当面は父の大往生の日までを静かに見届けるのが私の務めだと思う。
「行方不明人にもならず」集落の人々にも人探しの手間をかけることもなく。
年寄にあの世からの迎えが来る時を家族の一人として見届けなくてはならない使命感が、田舎で生きていくことが気丈にさせているのだと思う。
私の犬や猫たちが飢えるることもなく天寿を全うしてくれれば。
わたしにはこの宿を誰に約束して残す必要もなく。先祖が残してくれた不動産は子孫を残さなかった私には欲を出す必要もない。
山も田んぼも土地すらいらないのだから。所詮生きている間だけの苦楽であり。「寄付」という言葉の二文字を地方自治の仕組みの中に溶け込むように生前にしておけばいいのかもしれない。終活ノートを残すにはまだ早いような気がして。なるべく風変わりな老人目指して生きるようにと思っている。
人間の尊厳死として老衰の日を迎えることは親より後にしなくては。そう思うからこそのしばらくの生きていくパワーなのかもしれない。
今夜も取り留めのないお話になってしまいましたね。
6月半ばです。梅雨がおとなしく過ぎ去ってくれるといいですね。
地震も大変でしたね。瓦がはがれた屋根に雨が降り注いで本当にお気の毒です。
頑張ってくださいね。でも頑張りましょう。東北の震災の教訓が生きていて本当に何よりでした。つらい現実ですが。どうか気落ちしないで乗り越えてください。
みんなで応援いたします。災害の多い日本。
でももう日本はどこで、地震が発生しても不思議ではないのですね。
あたまの中に深く刻んでおくことにします。
夏のお客様のご予約が入ってきています。
「山の日」は集中していますので。
今のところ空き室は出ていません。
日にちが近くなってくると直前キャンセルも出てきますので、時折気にかけておいてください。
予約の状況は、随時公式むページの残執数よりご予約くださいませ。
では皆様お元気で。
間だけのタケノコです

一年がとても速いです。

しろい射バード
今日は6月17日もうすぐ夏休みですね。
夏休みのプランや料金表のチェック昨夜がんばって済ませました。
なんだか、先行きパッとしないことのようで。
飛騨高山の田舎ですから台風災害などなければ対して大差ない暮らしなのかもしれませんが。
山菜のてんぷら
其れでも確実に駆け足で過ぎ去っていくのは犬たちの寿命です。
私どもの所にお泊りくださるお客様の犬は、最近は小型犬が多くなりましたけれど大型犬はとてもかわいそうです。
年を取ると旅行どころではなく飼い主さんも家族として暮らしてきた愛犬の存在を中心に世話をして見えるようです
おしっこの人為的拝領や排せつのお世話など。
見ていると二人で運び出したり寝返りうたせたりとても大変そうです。
年取ったとは思っていましたが突然歩けなくなにつて、せっかく予約していましたが旅行を断念することにしました。戸いう連絡がたまにはいることがあります。
お知らせいただいてありがとうございます。お大事になさってくださいね。
でもそれだけの手間暇かけて世話してあげられることは、素晴らしい飼い主様の努力だと思います。
毎日続くということは大変なことです。
でも最後までおむつをさせてでも世話してあげたいものですよね。
私のジョンもミニチュワダックスですか。こうもん絞りをさせたがらないで、尻尾を足の間に播いてしまって座り込んでしまいます。
ジョンが小さいころペットショップのおねいさんが、やさしく声かけながらシャンプーしてくれたようで。その心地よさが忘れられないのでしょう。
「ジョンちゃんジョキジョキ」というとやっとお尻を触らせてくれます。
シャンプーしてもらいましたリボン付
「ジョンちゃんジョキジョキだよ。」というと嬉しそうに飛んできてブラッシングをさせてくれます。ジョンは褒められることが、大好きで「なんというお利口さんなのでしょう」とかジョンちゃん可愛い可愛い」とかいう言葉は特に大好きなのです。
褒めて育てるのにおちょうしに乗っていろいろやって見せるのが洋犬でその点、叱ってしつけていくのが日本犬なのかもしれません。
レオは50数えるまで、間手をします。じっとお座りをして数えなければ目の前に置いた餌箱の前でよだれを流しながら待っています。
時々可愛そうになって。29.30。50と数をごまかしても、何の疑問も持たず。
喜んでがつがつカリカリと食べます。
レオンお座りしています。
犬は忠実で心の相棒としてとても、支えになるものです。
飼い主に左右に振る尻尾だけでは嬉しさを表現できずまん丸に降って見せることあります。
私は自分で歩く事すら困難なので中庭に出してあげることだけが精いっぱい。
他の犬のように定期的な時間の連れ立つ散歩ができないという事。
それだけがジョンの家にいる、私の飼い犬たちにとっては仕方ない事なのです。
でも面積は6坪ほどの中庭を走り回っています。
小型犬も大きめの中型犬とはいえ、元気で引っ張る力は強く。
半身まひの生涯者としては、転んだら大変なことになってしまうからです。
コンクリートのフロアーでレオは必死に四つん這いで歯を食いしばって、私はレオの首につかまって立ち上がることができましたが。何時間もかかりました。
二階客室若松
旅館裏にあるドックランは、何を差し置いてもお客様のゲスト犬のためのドックランなのです。
時々中庭の石垣の上から。
「そこは僕のドックランだよ」なんて叫んでいますが、自分の中庭で怒りのうんちをすればそれで。ストレスは解消したようです。ご飯を早く呉れとばかりに
すごすごとジョンの家の所定の位置に戻って来ます。
犬がいる平和は気持ちが優しくなれます。かっこいい犬でなくてもいいのです。
犬は手にかけているうちに顔つきも変わりますし。
本当に飼い主間の性格に似てくるものなのです。
それからご報告の一つとして、長年夏のイベントとしてやってきました「もぎ取り農園」は去年限りで、やめました。
今年はやっていません。
畑専用のスタッフも年を取りましたし、最近の夏の日照り続きは容赦ない作物への影響があり。長年の夏のイベントの「無料収穫体験」もとても喜んでいただきましたが。畑のおじちゃんたちが畑の作業中に熱中症にかかってしまいそうなほど暑さが極端です。働き手を失っては私にはどうすることもできません。
今年はやっていませんのであしからず誤解のないようにお願いいたします。
新鮮な飛騨の野菜は15分くらい離れたところに道の駅「あじか」とか。
丹生川「ファーマーズ」は5分くらい離れたところにあります。
特産のトマトやすくな南瓜はそちらでお買い求めください。
乗鞍岳
今日はここら辺で長くなるブログいつもありがとうございました。
そろそろ夏休みの計画建ててくださいね。
弁天荘は大きな旅館ではありません。
10室程度の限りある部屋ですから、予約はお早めにお取りください。
弁天荘全景夏
犬の宿に取り組んでこの地区では一番長くやっています。ペット専門旅館です。
安心してどうぞお泊りください。よろしくお願いいたします。
お待ちいたしております。

昨夜の雨雷はすごかったです。

6月に入ってグづついたお天気が続いています。
飛騨牛しゃぶしゃぶ
朝すごく晴れていると思えばあっという間に曇り夕方にはものすごい勢いで雨雷。嵐です。田舎は都会のように明るくないので怖さ増します。
今年の梅雨はめちゃくちゃ蒸し暑いというほどでもなく何となく肌寒いという方が強いみたいです。
N江地形の再放送で悪心を見て夜が明けました。「おしん」は何度見ても涙がにじんでくる場面がたくさんあって、橋田菅子という作家の対策にいつも心を打たれています。
もう何十年も前に放送された15分の朝ドラなのですが。現代歴史と重なるストーリーはなんといっても感動します。
玄関
そのころのわが家の歴史と比べると決して豊かとはいえない飛騨の中で、御蚕様を育てることでの内からの収入以外の得るものがあったようで。忙しく男衆やおなご衆の働く中で子守のお住さんの背中で育ったとのことです。
あのころの時代はトラクターもないし耕耘機すらないので、鍬で田お越しをする専らの人開戦術だったり
するのですから大変な作業です。
田んぼは稲策が中心で田植えも稲刈りもみんなひと手間中心。
そんな中で飛騨も養蚕が普及して来て、どうにか日本の各地に栄えた産業として根付いていったようです。
弁天荘の庭
それが明治から大正にかけての近代日本の姿。
そして第二次世界大戦を経て、昭和があり平成があり。
今は令和という時代になり。
これから始まる令和に昔の人々の苦しい歴史があってこそ。今の私たちの平和な日本の暮らしがあるのだと感謝するのみです。
皆様お体を大切に。今夜はこれで最後まで読んでくださりありがとうございました。
希少価値のガラス戸

気温差について。

嬉しいねと見上げてお話している犬達
明日の5月22日は天気予報によると。
朝は7度で昼間は27度にもなるとのこと。
気温差20度もあるとかなり体力保持にも変化が出そう。
そして直射日光がさすようになれば飛騨高山地区は空気が澄んでいるので、日焼けにも注意しなくてはならないそうだ。
24-10-21 029遠くに見える乗鞍岳.jpg
中々、この頃の気象は激しいので。困りもの。お天気が良くてさわやかなのは通り越して梅雨入り宣言もしないうちから大雨になったり。日照りも困るがまとまった大量の雨にも困りものだと思う。
日焼け止め対策はは女の人の特権だと思っていたが。この頃では男の人にも日焼け止めクリームは必需品のようで。
長年紫外線を浴び続けるとしみやそばかす。はたまた「皮膚がん」などの害が洗われるとのこと。何となく時代が変わりつつあるということに。確かな現実を突きつけられているような気がする。むかしは小麦色に焼いた素肌が健康と若さのシンボルのように例えられていたが。
山胡桃とアケビの木の精霊
なんだか。地球を観察する技術が進めば進むほど。
知らなかったことが知識として報道されたり。医学的な見解として解明をされたりすると。
なんだか長く生きていく事への不安すら感じるのだから。
怖いもの知らずでいた昔の方が幸せだなのかもしれない。
とはいうものの、災害の時に。
助け合って地域の消防団や、ご近所の人々が声かけあって危険を回避していくことは。地域活動の素晴らしさを
「お見事として。拍手喝采」でほめたたえたいものだと思う。
ドックらんそばのゆり咲きました
カエルの鳴き声が遠くから聞こえてきます。合間を縫って忘れた頃に。
窓の外を車が通り過ぎて行きます。のどかですね。
今夜は闇夜のようですが、街路橙のかすかな光にに反応して、オスカエルがメスカエルを呼ぶ音でしょうか。たまにコロコロという音とギャクギャクという音が混じって聞こえてきます。私は田んぼを耕作放棄地にしてしまったので。お隣の田んぼは貴重な繁殖激戦区のようです。オタマジャクシが育って尻尾の取れた若いカエルになるまでのしばらくの辛抱です。
一代目柴犬ジョンの眠る丘
カエルたちのラブコールは、ちょうど良い田舎の子守歌に聞こえてきます。
今夜ははこれくらいにして。
いつも私のブログに遊びにいらっしゃって感謝しています。
ではまたいつか弁天荘をお尋ねくださる日まで。
ペットちゃんともども、お元気でいてくださいませね。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

5月半ばを過ぎて

庭のつつじ
お客様からお便りをいただいて。
わんこちゃんが亡くなった悲しみのお便りをいただきました。
お客様の悲しい気持ちが手に取るように伝わってきます。
もう今年に入って半年近くが過ぎ去ろうとしていること< 今更のように気づく私です。お返事書こうとレターペーパーにボールペンを走らせています。年月の過ぎ行くことは本当に早いものです。 今日も暖かくさわやかな昼下がりの一時を静かに終えました。 柴犬が混じっている雑種のレオは、冬毛を丹念にブラッシングして、やっとスリムになり、ホッとしています。 3月4月の飛騨はまだ寒く時折雪の降る日などあったので、それほど気ががつかなかったのですが、こう暑さが続くと犬たちも冬物の一枚コートを脱ぎ棄てておもいっきりはしりだしたくなるような陽気が続いています。 指でつまんでもごっそりぬけてくるような箇所があり。 特にお尻廻りや首周りのむくげには、あきれ果てるくらいの量です。 気になっていた思いっきり丁寧なブラッシングがやっとできました。 あつくて、レオぶらっしんぐしてね。
むかし何十年か前の思い手ですが、畑の道路で仙台のジョンノブラッシングしていた時。カラスがすぐ近くまでやってきて、ジョンの解いた抜け毛を口に一杯加えて飛び去っていたこと、を思い出しました。
あのころは今よりもさらにのどかな牧歌的な景色の中の田舎です。
2時間くらい春風に吹かれてジョンのブラッシングしている間。
繰り返し繰り返しカラスはやってきては、一代めのジョンのすききとった体毛を口に加えて山の方に飛びだ行きました。
キット、カラスの珠洲栗に役立ったことでしょう。
風に吹かれて道路に転がって行く。
犬の毛玉はカラスの口いっぱいに加えられて。
地面を飛びながら口先にいっぱい加えて飛び去って行く。
面白いのどかな光景だと眺めていたことを思い出します。
ジョンは柴犬の猟師さんが飼っていたような赤犬という感じの、日本犬だったので、冬には強く、顔もまん丸になるむくげをびっしりと体にまとっていた。
春になるとそのむくげが抜け始めブラッシングは日々の日課にもなっていたのです。あのころの一代めのジョンは、働き者でよく一輪車を引っ張ってくれたりもしました。優しくて従順で力持ちだったような気がします。
ジョン。4歳。デブです。
今のジョンは二代目で売れ残りのペットショップのミニチュワダックスなので。
どちらかというと冬下がつかず。やたらとさむがるので電気アンカの上にモーフを敷いていつもそこが居場所になっている。そのくせ甘えることの知恵祖人一倍。通るたびに食べ物をねだり。TOTO、デブちゃんジョンノ称号をもらうほどになりました。
 今の二代目レオは、なんといっても柴犬とらブラドールとシェパードが混じったような、どんどんの雑種なのです。
何度か保健所に捕獲されたようですが。日だと美濃では気温も随分違い。
最初中津川の方から連れてこられたときは、冬毛がなかったのです。
家の中の犬フロアーと言えども、冬のコンクリートの床は寒い。
すの小板の上に、モーフを引いてそこに居場所を作ってあげたらそこがレオの場所になった。
中津川の会員制のシェルターの人が連れて来てくれたのだが、さっそくレオは、自分の住処になる大型ゲージの前で、ジャーとのびのびとした、おしっこをやらかしたのです。
僕はレオンというんだよ。
連れてきた人は慌てふためいていたが、宿の方でなくて「ここは犬たちを預かる場所ですから。大丈夫ですよ。」と私はいい。そのおなかぺちゃんこの犬にドックフードのご飯を差し出した。
なんとまあ。レオンはおくびのもなく。差し出したドライフードのえさ箱に顔までうずめて夢中でむさぼるようにカリカリと小気味の良い音を立てて食べている。
テリトリーに、場所が変わったこと事態にも動じることもなく。
まず自分の居場所が決まれば「食」だと言わんばかりに、周りを気にすることのない行動に。私はそのマイペースなとても気に入ってしまい。
かわいらしさを求めて交配に継ぐ交配で、長年ブリダー達によって作られた犬ではない。犬らしい犬が私はすきなので。
インターネットのフェイスブックで、よびかけられていたこの犬に。
手を挙げたことに縁を感じて巡り合いのえにしの深さを感じていました。
というわけでお試し期間もなく、いきなりレオンはわが家のジョンノ家の二代目レオンをすんなり襲名することとなったのです。
「ジョンの家」に引き取られてきた順番で、大きさも位置も年齢も変わってしまったのですが。二頭の犬たちは私の子供になりました。
老齢によって次々と天国に召された。犬の最後に接することは悲しい事ですか。それが人間との絆のかかわりなーのでス。
犬たちのいなくなったジョンの家はさみしい広いだけの空間になり。
看板軒探しのしばらくの期間が続いた。そして事情はそれぞれありますが。
望まれて私の子供になりました。
その頃私の目に留まった看板軒としての犬には少し心もとない犬でしたが「ジョン」という名前を襲名する犬としてはと周りのみんなに言われながらも「ジョン」と呼ばれることに自覚をすることにより。ジョンノ家の子供になりつつありました。
売り物だったその犬は、窓ガラスのショーケースの中で暇なあくびをしながらボート生きていた、子犬でした。もう子犬のかわいらしさすらなくなりつつあり、大きな二歳近くのミニちゅよだ゛っクスという血統書の証明書を持つ犬だったのです。
少し大きめのミニチュワダックス。
茶色の体毛から出ているむにゅむにゅしてた肉球が取り柄だった。
短い脚に敗れ旗を揚げたような独特のしっぽ。
犬の絵の描いてある、ダンール箱に入って私の運転する車の助手席の足元でクイーンクイーンと心細無げな声を小さくだしている。
それが二代目として迎えられたジョンだったのです。
朴にも頂戴ジョン
部屋の中にはトイレに行く時まで、先を争って生きよい良くついてくる番ネコたちとも。変わらない愛情、という絆をアピールしているようです。
犬は気持ちのアイコンタクトという絆があるというのだが。
ジョンノ家
猫はどうしてかわいらしく返事をして見せるのだろう。
あのやんちゃだった花子が「はーなーちゃん」とおなかを見生何とも言えない声で返事をしてくれる。そして甘える仕草は何とも言えないかわいらしさがあり。
動物のいるくらしというものは楽しいもので。人間だけの世界にはない。
心の温かい穏やかなものがある事。
そんなことを知っていてくださるお客様に囲まれて
宿をやっていけることが幸せだと思う。
嬉しいガムレオン
何となく窓を通り抜けていく5月の心地よい風に吹かれて。
つて昔話をしました。
長い思い出話を最後までお付き合いくださりありがとうございました。
どうぞ皆様もお元気でお過ごしください。
のどかな田植えの季節
暑い夏が来る前に一度飛騨高山に足を運んでくださいませ。
ぜひお待ちいたしております。